1-23.ゴラドーンの戦神

-1-


 死を撒き散らしたかのような災厄が過ぎ去ると、あとには果てしない悲傷に覆い尽くされた街だけが残された。


 愛する者の名を叫びながら崩れ落ちる住人達を見て、ハンターも帝国軍兵士も言葉にできないほどの敗北感に苛まれた。彼らもまた、多くの仲間を失っている。


 喰人蟲(マンイーター)の本当の恐ろしさについて、改めて考え直さなければならなくなった。その脅威はもはや一国が持つ軍隊となんら変わりないのではないだろうか。はたまた、それ以上か。


 ウルブロン潜伏の疑わしい噂が飛び交う中、本性を現した喰人蟲。どうやら、ゴラドーン大陸はいままでに無い前途多難の道を歩んでいるようだ。


 ブラッドハーバーの軍港でも、犠牲者の火葬がつつましく執り行われていた。延々と続く死人の列には終わりが見えない。死者を天上へと運ぶ煙が、星ひとつ輝かぬ無情な暗闇の空に霧散していく。


 ぜる炎をじっと見つめて、レニはいまだ何も考えきれずにいた。


 防衛戦において、確かに彼は目覚ましい活躍を見せた。彼なりに最善を尽くした結果でもある。だが、それでも敵の方が何枚も何十枚も上手だった。


 そして、守るべき約束を果たせなかったのだ。


 レニには計り知れない未知の力があるが、それでも人ひとりの力に限界はある。それは今回のことで、胸に深く刻まれた。


 犠牲となった三人は助けを待つ間、どんな気持ちだっただろうか。怖かっただろう。痛かっただろう。苦しかっただろう。約束を守れなかったことを恨んでいるだろうか。レニの心は後悔で大きく抉れてしまっていた。


「悔しいな」


 それまで何も言わず、ただ隣に座ってくれていたブリンクが口を開いた。


「うん、悔しい」


 その言葉を反復させる。


「辛いな」


「辛い」


 同じように繰り返し、しばしの沈黙を噛み締めた。


「お前は良く頑張ったよ」ブリンクが優しく肩に触れる。「……なんて言葉は慰めにもならないか」


 その手は僅かながらに震えているようにも感じたが、それはもしかしたらレニ自身の体がそうだっただけなのかもしれない。


「守ってやれなかった。約束したのに」


「ああ」


「守るから、大丈夫だからって言った時、あの子はにっこりと笑ったんだ。子供の笑顔があんなに温かいものだったなんて、俺はいままで知らなかった。ブリンクが子供は宝だって言ってたのも、理解できる。だからこそ守りたかったんだ」


 顔を上げたレニの瞳は何も無い夜空を、じっと見つめた。


「でも、あの笑顔は消されてしまった」


 自分の未熟さ、無力さが体中に染み渡る。


「そうだな」カウボーイハットを脱いだブリンクは垂れる髪をかきあげ、レニと同じ空を見上げる。「どんな超人だろうと、なんでも守りきれるわけじゃない。クラウンだって、あのバッシュだって、強い奴はたくさんいたが、それでも街を守れなかった。お前の悔しさは皆十分理解してる」


 でもな、と言ってブリンクは立ち上がると、こちらに近づく何者かの気配に目を向けた。


「お前のやったことは、決して無駄だったわけじゃない」


 人影が三人。真っ直ぐにレニの下へ歩いてくる。


「ハンターの少年。いや、レニ・ストーンハート君」


  抑揚の無い、まるで無感情のようにも思えるこの話し方。つい先程まで窮地の中を共闘した者の声だ。


「ハロルドさん」


  立ち上がる気力さえ無かったレニだったが、ハロルド中尉の姿に思わず体が動いた。


  ハロルドの後ろには、あの時の若い兵士二人の姿もあった。別れた後も続いた激戦の中を、生き延びてくれたのだ。


「三人とも、無事だったんですね」


「君のおかげだ。改めて礼を言いにきた」


  相変わらずどんな感情で話をしているのか、空を掴むかのような人物だったが、不思議と彼自身に対する嫌な気持ちは消えてしまっていた。いまでは、彼はこういうものなのだと、どこかで納得している。


「本当にありがとう。おかげでまた子供に会えるよ」


「俺も、家に帰って両親に合わせる顔がある。君には感謝しかない」


 と、二人の若い兵士達も瞳を潤ませながら感謝の言葉を述べた。


「お、俺は……」


  複雑な気持ちだった。救えた命があった一方で、救えなかった命がある。三人の無事を喜びたいが、そういう気分にもなれない自分がどうしようもなく不甲斐なかった。


「お前がいたからこそ、彼らはいまここにいる」ブリンクが言う。「良く目に焼き付けておけ。お前が助けられなかった命と、お前が助けた命。そうしてお前は強くなっていき、そのお前の助けをまた誰かが待っている」


「俺には、良く分からないよ……」


  正直なところだった。先を考える余裕なんていまは無い。だけど、ブリンクが言わんとしていることも、その気遣いも理解はできる。


「君の勇敢な行動と力ある言葉に、我々は心打たれ、戦地を無事くぐり抜けることに成功した」ハロルドは姿勢を正し、背筋を伸ばした。「本当にありがとう」


  そして、ハンターがおよそ受けることのないであろう行為を、レニは受けた。


 軍人達の敬礼である。


「……」


 帝国軍人の全員が悪であるわけではないことを知った。彼らのように、ちゃんとした人間で、分かり合える者たちがいる。


  複雑な気持ちは変わらなかったが、レニの行動が大なり小なりゴラドーンの何かを変えたことだけは確かだった。



-2-


「この失態、お前達はどう責任を取るつもりだ、あぁ?」


  耳を塞ぎたくなるような、不快な怒声が転がり込んできた。


 目を向けると、研究員の風貌をした二人の軍人を前に、腕組みをした禿げ頭の男がひとり。自慢の黒マントを苛立たしげになびかせている。


「し、しかし……局長はまだ導入に足る兵器ではないと進言されていたはずですよ」


 兵士のひとりが弱々しげに話す。


「だから、この日に間に合わせるように完成させろと言ったろう!」


  禿げ頭のアーサーは、傲慢な態度で兵士達を威嚇する。


「ですから、それほど簡単な話ではなくて、それでもと少佐が仰るので……」


「何を言う!」相手の言葉を遮り、怒鳴り散らすアーサー。「私のせいだと言いたいのか」


 完全に萎縮してしまっている二人を良いことに、アーサーは人間の言葉なのかどうかも分からないような罵声を途切れなく浴びせかけた。


 レニの場所ほど離れていても嫌でも聞こえてしまう耳障りさに、周りの人間も不快感が募る一方であった。


「敵に怯えて戦場を逃げ出した卑怯者が、良く言うよ……」


  ハロルドの部下の若い兵士が、相手に聞こえないようにボソリと呟いた。


「マクグラフ少佐、いまは責任の所在を探るべき時ではございません」


  痺れを切らしたハロルドが、上官に歩み寄る。冷静に、表情を変えることなく。


「いまで無ければいつやるんだ。大体、部隊の指揮を執っていたのはハロルド、貴様だろう。お前にも原因が無いとは言わせないぞ」


  アーサー・マクグラフという男がこうもしつこいのは、一刻も早く誰かに責任を押し付けて、安心して眠りたいからなのだろう。極め抜いたほどに卑劣な男である。


「いい加減にしろ!」声を荒げたのは、ブリンクだった。「見苦しいぞ、アーサー。敵前逃亡したお前の罪こそ、重いんじゃないのか。お前の判断が、何人の命を奪ったと思っている」


「ハンター風情が黙っていろ!」なおもアーサーの傲慢さは止まることを知らない。「第一、軍人でも無い貴様が、俺の軍隊を勝手に動かしたこと。それこそ重罪だろう。タイタンまで動かしおって……、貴様に協力した兵士もすぐに見つけ出してやるからな!」


  ああ言えばこう言う、責任のなすりつけにおいては手慣れたもののようで、もはや取り付く島もなかった。とてもじゃないが言葉の通じる相手では無いと、誰もが呆れ顔を見せた、その時だ。


「おいおい、こりゃ何の騒ぎだぁ?」


  突然飛び出してきたある男の声に、レニは強烈な悪寒を感じた。知った声ではない、だが何故だか心から恐怖というものが込み上げてくる。


 声の主はアーサーの背後から近づき、周りにいた兵士達を凍りついたかのように直立させた。


「は、ハルベルト大将」


 一瞬のうちに冷や汗にぐっしょりと濡れたアーサーがそう呼んだ男は、ゆうに背丈二メートルを超える巨漢であった。


「よぉ、アーサーさんよぉ。ドンパチやってるって聞いて飛んできてみれば……」腹を殴られているかのような重圧な声で、アーサーに詰め寄るハルベルト。「なんてザマだ、これはよ」


  ギロリと睨みをきかせた恫喝に、アーサーは身震いひとつしてみせた。


 ハルベルト大将といえば、泣く子も黙るゴラドーン帝国軍の”戦神”であり、その名を知らぬ者はほとんどいない。レニもその名を耳にはしていたが、本人を目にするのはこれが初めてだった。


 上半身にはろくな衣類も身につけておらず、地肌に胸当てひとつという奇抜な出立ちで、鋼の如く煌めく筋骨逞しい身体はとにかく分厚い。体中に刻まれた無数の傷跡が、くぐり抜けてきた修羅場の数を物語っている。そして、その手には柄の長い戦斧が握られていた。


「こ、これは……その……」


  先程までの威勢などあっという間に失墜したアーサーの声は、夜の闇に消え入ってしまうようだ。それほど、ハルベルトの存在が恐ろしいということか。


「てめぇの戦場で、たかが虫相手にこれだけ良いようにされて、恥のひとつも感じねぇのか。トップとして責任の取り方ってもんがあんだろが。んん?」口の端を歪め、狂気じみた笑みをこぼすハルベルト。「見ろ、非難轟々だ。どぉすんだよ」


 そして大袈裟に腕を広げて見せた。


「わ、私は……」


  しどろもどろのアーサーを、悲劇が襲う。


 ぎゃぁと普段のダミ声からは想像もできないほどの甲高い悲鳴が上がった。


「つまんねぇ言い訳してんじゃねぇぞ、アーサー」


  見れば、ハルベルトが手にしていた戦斧の鋭い穂先が、アーサーの右脚を貫いている。


 流血の瞬間より何より、レニはその武器を見て無意識に震えてしまった。


 主人に似て、巨大で禍々しい”異形”の戦斧。その斧刃は鋭く研いだ人間の歯を彷彿とさせ、長く鋭角な斧頭も頑強なサイの角のようである。元々が金属だとは思えない乳白色であったようだが、その全身は度重なる返り血により、どす黒く変色してしまっていた。周りが陽炎のように揺れ、まるで数々の怨念が染み付いているかのように錯覚してしまう。


「まったく、飛んだ恥さらしだぜ、お前」


 痛みに耐えて歯を食いしばるアーサーの頭を、ハルベルトは何度も踏みつけた。行き過ぎた行為にも見えたが、それまでの行いを思えば、それを止める者は誰もいなかった。無論、大将ともなる相手に口を挟む軍人などいようはずもない。


「ほら、アーサー少佐もこんなに誠意を持って謝ってる。これで手打ちとしちゃぁくれないかねぇ?」なおも踏みにじりながら、ハルベルトはひとりの男に視線を移した。「なぁ、ブリンクぅ?」


 名指しされた父の背中を、レニは見つめた。ブリンクはこの男とも面識があるのか。


「俺にそれを決める権利は無い。この国にまだ良心というものが残っているのならば、法がこいつを裁く」


 素っ気なく返事をするブリンク。なるべく関わり合いにならないようにしているのが分かる。あたりが歪んで見えるほどの狂気を放つ相手だ、当然だろう。


「ったく、すっかり牙抜かれちまってよぉ。戦場で死神だなんだと恐れられていたお前はどこ行っちまったんだ」


  そう言うと、ハルベルトは突き立てた戦斧をアーサーを蹴って引き抜く。


 地面に倒れ込み、痛みに悶絶するアーサーの頭は、痛みと恥じらいで真っ赤に茹で上がっていた。


「まったくよ、俺はお前を叱るために遠路はるばるここまで来たわけじゃねぇんだ。もうすぐ戦が始まるって大事な時に何をやってんだ、このハゲダルマが」


 誰もが大将の言葉に首を傾げたことだろう。戦が始まる? レニも我が耳を疑ったが、ブリンクだけはハルベルトの出方を冷静に見つめていた。


「お前らも知らないわけじゃねぇだろう。ウルブロンがこの国のどこかに潜伏してるって話。炙り出して見つけちまえば、楽しい楽しい戦が始まるんだぜ。これほど大事なことがあるかよ」


 狂っているとしか言いようの無い、ハルベルトの発言。とても国の頂点に近い男の言葉だとは思えなかった。国の平和よりも、自らの欲求を満たすか。


「……戦狂いが」


  ボソリと、しかし心の奥底から捻り出したような力強い一言が、ブリンクの口から飛び出した。


「よぉく言うぜ、全く。てめぇも狩りを楽しんでいたろうが、戦時中はよ」


  ブリンクの言葉など屁とも思わぬ素振りを見せるハルベルト。


「お前と一緒にするな。奪ってきた命は数あれど、目的が違う」


「一緒だよ、一緒ぉ! 何の違いもねぇ。誰の手も届かねぇとこからコソコソ撃ち殺してたお前のほうが、よっぽどタチが悪いと思うぜ」


  薄汚い笑いを漏らしたハルベルトに、ブリンクは何も答えなかった。ただ相手の顔をじっと見つめている。この二人の間に燻る確執とはいかなものなのか、息子であるレニにすら知らされてはいない。


「どうだ、また軍に戻るつもりはないか」ハルベルトは己が武器を突き出して、ブリンクに向けた。「一緒に楽しもうぜ、昔のようによ」


「断る」一瞬の間も持たせず、ブリンクは答えた。「お前にはこの街の現状が見えていないのか」


 ブリンクの言う通りだと、レニは思った。いまだ救助が難航し、行方知れずの者も多い。そうでなくても、街の復旧は一日二日で直るものでもなければ、人々の心の回復にも多くの時間を要するだろう。


 そして何より、喰人蟲だ。目的が分からない以上、また奴らがいつどこから攻めてくるかも分からない。そのための備えは最優先となるはずだ。


 だが……。


「心底、どうでもいいな」


  ハルベルトの一言は、誰もが聞き捨てならなかった。


 何なんだ、こいつは。レニの怒りは一瞬で沸点にまで達した。街が破壊され、多くの人が命を落としたのだ。未来ある子供達も無残な最後を遂げてしまったというのに……。「どうでもいい」だと?


 レニは地面に突き立てていた石の大剣に手を伸ばす。アーサーといい、この男といい、もう我慢ならない。


「レニ」


  その感情にいち早く気付き、制止したのはブリンクだった。静かに手を開き、レニの行いを受け止めると、ハルベルトに鋭い視線を投げつける。


「お前が何を考えていようが一向に構わんが、あまり敵を多く作らんことだ」ブリンクの眼光がギラリと光った。「ここにいる者はただでさえ気が立っている」


「おぉ、それは恐ろしいことで」


  悪びれた様子など一切見せず、身震いする仕草をふざけてやってみせたハルベルト。


 周りのハンター達も立ち上がり、ナンバーズのバッシュとクラウンも何事かと合流するや、帝国軍の大将に嫌悪の眼差しをぶつける。


「まぁ、良い。いずれお前達も巻き込まれることになるだろうさ」興を削がれたようなため息をひとつ、ハルベルトは歩き出す。「この星に産まれた以上、戦いから逃れることは誰にもできねぇんだからよ」


  嵐のような突然の来訪者が去ったあとには、気分の悪い空気がいつまでも残り続けた。

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