砂漠を渡る蝶

涼月

第1話 髑髏の陵

 カサリ カシャリ


 『髑髏されこうべおか』へ踏み分け入れば、乾いた音が辺りを支配する。

 

 カサリ カシャリ パキパキパキ……


 煤けてカスカスになった骨は、足元で簡単に崩れて灰燼と化した。


「お兄様……」


 吹きすさぶ悲鳴のような風に呼びかける。


「遅くなってごめんなさい」


 赫炎国かくえんこく颯雅王ふうがおうの母である朱華太后しゆかたいこうは、自ら乾いた大地を彷徨い歩く。


 三十年前。

 この地で激突したのは玄龍皇子げんりゅうこうし率いる射豻じゃがん皇国軍と、齋華王さいがおう率いる赫炎かくえん国軍。


 激戦は三日三晩続き、地の利を得ていた赫炎軍に射豻軍は敗れた。


 無数に転がる死体の処理に辟易した赫炎軍は、一帯に火を放った。

 以来、この地は生命が宿らぬ死の地となっている。


「朱華太后様、このように多いと……兄君の、玄龍皇子のお骨を見つけるのは難しいと思われます。長い年月の間に風化し、すでに土となられているかと」


 忠臣の言葉に静かに首を振った。


昂輝こうき将軍、指輪を探してください。私のこの指輪と同じ、黒金剛石黒ダイヤの指輪を。これは射豻皇家一族の証ですから」

「……御意」


 いいえ、本当は違う。

 これは、兄様と私の―――


 愛しげに口づけた。



 草の民、赫炎国かくえんこくと、砂の民、射豻皇国じゃがんこうこく

 国境を接しながら相反する環境を持つ二つの国は、長い年月をかけて奪い合い、憎悪を募らせてきた。

 

 だが、齋華王さいがおうと射豻皇国の姫、現在の朱華太后しゆかたいこうの婚姻により一時停戦。

 二人の間に生まれた颯雅王ふうがおうの即位により和解、統合した。


 民からはそう見られているが、実際には射豻皇国じゃがんこうこくの跡継ぎが絶えて、棚ぼた式に赫炎国かくえんこくの物となっただけ。


 理由は兎も角、長らく続けられてきたくだらない国主同士の意地の張り合いが、ようやく終結を迎えたのは僥倖だった。



 吹きすさぶ『髑髏の陵』を見渡しながら、朱華太后の心は古い記憶を辿ってゆく。


 振り返れば数奇な人生だった。

 路地裏で春を売っていた母親に連れられて、射豻皇家の住まう幸玉こうぎょく殿へ向かったのは、齢十歳の頃。幼名はしょう

 元は舞の名手だった母は、皇家の祝いの席で舞い、皇帝のお手付きとなった。


 そんな一夜の相手を、いちいち高貴な人が覚えているはずは無い。だが、殷僥いんぎょう皇帝は母娘を受け入れて、幸玉殿の片隅に住まわせてくれた。


 貧しい暮らしは一変し、雅で華やかな生活。それなのに母親は好き勝手振る舞うようになり、すぐさま処刑されてしまった。

 彰が許された理由はだったから。


 殷僥皇帝に子は十四人。そのうち皇子が九人、彰を合わせて姫が五人。

 だが、成人まで生きながらえたのは皇子三人と彰のみ。

 つまり、姫は彰だけ。これこそが、皇帝が母娘を簡単に受け入れた理由だった。

 

 姫は他国との道具に使える。


 息苦しい姫教育の息抜きは、優しい兄弟たちとの時間だった。

 思慮深い眼差しの玄龍第一皇子。

 武術に秀で勇猛果敢な煌劉こうりゅう第二皇子。

 年下で体が弱いため寝ていることが多いが優しい輝流きりゅう第三皇子。

 三者三様の愛で彰を慈しんでくれた。


 でも、彰の心には———


 十七を迎えた春、赫炎国への嫁入りが決まった。

 否と言える立場では無い。だが彰は想いを抑えきれずに眠れぬ夜を過ごしていた。


 最後に一目、その姿を目に焼き付けたい……


 半月夜。

 光と影に紛れながら、玄龍皇子の元へと向かった。

 昨年、有力貴族の家の娘を皇太子妃として迎え入れている。一人でいるとは限らない。


 それでも、今宵だけは、この衝動を抑えられないと思った。



 意外にも、扉から細い光が漏れ出ていた。


 兄様も眠れないのかしら……


 するりと隙間を通り抜けて扉を閉じる。


 静かに閉じたつもりだったが、耳の良い玄龍はピクリと肩を揺らした。


「玄龍兄様。あの……」

「彰……」


 見開かれた瞳に、言葉を無くす彰。


「こんな夜更けにどうしたんだい」

「あの……眠れなくて」

「……どうして?」


 いつもなら直ぐに駆け寄って背をさすってくれる玄龍が、今宵に限って動かない。


 彰は後悔の念に包まれた。


 嫁入りが決まったのに、はしたなくも男の部屋へ夜這いする。兄とは言えど、許されることでは無い。


「……」

「……困ったな」

「ごめんなさい。ただ……異国へ嫁ぐ前に……」

「行かせたくない、と言ったら」

「え!?」

「彰は一生、私の横にいてくれるのかな」

「兄様……もちろんです! 彰はどこにも行きたくありません。一生、兄様の隣に居たいです」


 振り返った玄龍の瞳に、いつもとは違う葛藤が揺らめく。


「許されぬ恋だとわかっていても、私の隣に居てくれると言うのか?」


 言葉の意味とは裏腹に静かな声。


 ああ……私の大好きな玄龍兄様。

 その手で首をへし折られても、私は後悔しないでしょう。


 彰は微笑みながら死罪に値する秘密を告げる。


「はい。でも……どうぞその罪悪感は今宵限りにお捨てください。だって私は」

 

 だが、言いかけた言葉は音を成さなかった。


 暑い吐息が彰の口を封じる。そのまま抱きかかえられて、帳の向こうへと引き入れられた。


「そなたも知っていたのだな」


 覆いかぶさる玄龍の体が発する荒々しい熱に、彰の心が蕩けだす。


 兄様も知っていたなんて……

 私が、殷僥いんぎょう皇帝の本当の娘では無いと言う事を!


 母親は恋多き女だった。そして何より、踊り子として殿上へ上がって夜を共に過ごしたのは、母親の姉だったのだ。


「それ以上言わなくていい。私はお前を……愛している」

「兄様……私も兄様を」

「兄と呼ばれたくない」

「……玄龍……様」

「彰、お前は誰にも渡さない」


 いつもは穏やかに笑みを絶やさない玄龍が、その牙を曝け出す。


 彰の体に、深く深く己を刻み込んだ―――



 次の日、玄龍皇子は父、殷僥いんぎょう皇帝に申し出た。婚姻よりも武力で解決を図ると。殷僥皇帝は怒らなかった。

 寧ろ面白そうに笑うと、『行って来い』とばかりに兵と共に送り出したのだ。


 そして、『髑髏の陵』で戦死。


 彰は己の愚かさを悔やんだ。

 自分が恋心を伝えなければ、こんなに早く玄龍を失う事は無かったのに。


 だが、聡い彼女は直ぐに気づいた。


 全て殷僥皇帝の思惑通りなのだと。


 皇帝は玄龍皇子の秘めた能力に嫉妬していた。しかも玄龍の後ろには、有力貴族が大勢付いている。それは皇国の将来をも牛耳る勢いのある者たちばかり。

 彼らを一掃するために、敢えて玄龍を死地へ追いやり、策謀の苦手な煌劉こうりゅう第二皇子を皇太子にすげ替えたのだった。


 きっと、私の出自もわかっているに違いない。それを敢えて泳がせているのは、役に立つと思っているから……彰は考えた。

 生きて殷僥皇帝に復讐する方法を。


 今度は自ら、赫炎国かくえんこくへの嫁入りを申し出た。



 

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