第七話 かつて夢見た理想郷 -4-
ここで、みんな死んだ。
グリスワークに連れられて訪れた場所は巨木の後ろにあった。
淡い緑が隠すために生え茂り、背丈よりも長いトウモロコシ畑をかき分けながら進む。シュミットは器用に私の前に道を作りながら背中で語りかけた。
「言えなくてすまんな。ワシと出会い、いくども剣を交わした
炎白の転生者。小さな小屋を一緒に作ってくれた転生者だ。彼が戦争を立案した。母国が始めたように、いつかは苦しみから解放されると信じて。
「そうだったんだね。辛かったでしょう?」
「あぁ辛かった。リリィを見ているのがな。炎白の転生者は強かったなぁ。ただワシらに対してギフトの力は使わずに対等に戦ってくれた。
「なんで私に直接言わないのかな。まぁわかるけど」
「言えないだろうよ。リリィは自分を恨んでいるだろうと言っていた。恨まれて当然だと。恨まれたまま果てるのならば、次の世ではきっと英雄になれると言っていた」
「本当に馬鹿ばっかり。でもありがとう。言わないでくれて。今だから・・・わかる」
「あぁワシも救われた。これでようやくワシらも腕を振るうことができる。ドワーフにも繊細な一面があると、エリスに言っておいてくれな。どうにもあやつは口が悪い」
「自分で言いなよ。落ち着いたらさ」
そうだな。とシュミットが笑い草木をわけた。すると開けた場所に出る。遅れてタカハシたちが隣に並んで開けた場所を眺め、言葉を失う。グリスワークが私たちを追い越して振り向いた。
私はアリスはトウモロコシ畑の中央で育ったと言ったことを思い出す。
「絵を描きたくても、私の家は貧乏でね。許されなかった。お父さんもお母さんも、そんなことをするくらいなら働けって。イヤな思い出しかないけれど、私にとっては故郷の景色なの」
アリスが右手を振るうと世界は色味を変えていた。暗い森は鮮やかな薄緑色に、よどんだ湖面は清涼な青色に染められた。
素敵な力だなと憧れた。アリスは世界の色を愛しているのだと。
いつか私の心に眠る燃え盛る赤色すら鮮やかな色で染めていた。
そんな彼女の
「彼らの世界ではこうするらしいな。肉体はないよ。命を失う瞬間に、消えてしまった」
転生者たちの死は、ある意味現世への創生であるのだろう。産まれ直して違う肉体で生きる。
今度は幸せに生きているのだろうか。私は願わずにいられない。
「ようやくお役御免だな。長くかかった。でもわかるだろう?」
シュミットがグリスワークに並び、グリスワークが苦笑する。
「ドワーフみたいに屈強な身体があれば、戦っていたのだろうがな。ワシの枯れ木よりも細い腕では
「扱わなくてもいいさ。魔法があるだろう」
そうさ。とグリスワークが右手をかかげた。エリスがいつしか隣に並んでいる。タカハシが隣で、私を見ては目を伏せた。かける言葉を選んでいるのだろう。
まったくもって人がいい。
「心配しないでも大丈夫。わかっていたから。確かめる勇気がなかっただけで」
「そうか。でも大丈夫ではないだろう。せめて隣にいさせてくれ」
頬が熱を持つ。何気なく言っているのが腹立たしい。わかったと素直にうなずくだけにした。
グリスワークが中空へ右手を動かし
「ワシらの魔法は、元素を使役する。そして紡ぎ上げて形をなす。元素はすべてに存在する。未来にも過去にも。
そのためだけに守り続けていたのだ。私はぎゅっと両手を握る。
間違いなく別れの時間が近付いている。空間が歪み、空からシャボン玉に似た丸い泡が降り注いだ。
「これが。記憶か。僕の知らないフィドヘルの・・・」
「そうだよタカハシ。フィドヘルと私たちの生きた証だよ」
そうか。見上げるタカハシと視線を同じにする。泡の中にはかつての生活が映し出されていた。昔馴染みが思い残した記憶だ。
穏やかに過ごす日々。種々の種族が手を取り合い、白の都市を作り上げる。往来には笑顔が満ちて、私たちも笑顔を絶やさない。
私に魔法を教えるエリスとアリスがいて、口を尖らせながら杖を振るう私がいた。
世界に語りかけて、わずかでも力をもらう。
「リリィは魔法が苦手なんだな。呪いのせいかな」
「たぶんね。今思えばきっとそう。世界を呪う人に、世界が多くの力を貸すわけがない」
「そうでもないさ。きっと違う」
そうかな?と私が返すと、きっとそうだとタカハシが言った。
青や緑で光り輝いていた泡が、赤や黒で染められる。次々と訪れる転生者たちを最初、私たちは歓迎した。想いや時代を同じにする仲間だと。
しかし数が増えると
「どうして俺たちはギフトを使ってはダメなのだ? エルフは魔法を使うだろう? 不平等だ! 不公平だ! そんなつもりで転生したのではない!」
ひとりの転生者が
見たことがある。今と姿形を変えない金髪と小柄な少年みたいな姿。周囲から光を奪い聖剣が輝きを増す。セオ・エルファーゲンである。
セオの方に手を置く栗毛の眼鏡をかけた女性はヒルダであろう。にやにやと笑い合いながら
目の前には巨大なゴブリン。オーガがいた。オーガは震えている。
「あちらこちらに魔物がいるだろう。魔物を
別の転生者が声を重ねる。声が伝播し、多くの転生者たちと私たちは
聖剣が光を強め、振り下ろそうとした瞬間に、オーガが地を殴る。地が割れ、転生者が姿勢を崩し、怒った転生者がオーガを切り裂いた。
それが争いの始まりだった。いよいよもって不和が崩壊し、黒と白が完全に別れた。
中央に立つのはセオであった。多くの転生者を従え、役割を果たすために魔族と呼称される人ならざる存在を狩り始めた。
戦いと呼ぶには悲惨だった。一方的に駆逐され、そしてセオは自分に従わない転生者たちとも争った。
多くの血が流れた。白も黒もなく、ただ力が行使される世界でセオは高らかに笑いながら剣を振り下ろし続けていた。人はひと同士で争い、巻き込まれた存在が傷ついていく。
女神の仕組んだことだろう。
私たちは里に逃げ込んだ。現世がフィドヘルと重なり、ひどく恐れたのだ。
転生者もただの子供だ。生まれ持っての英雄ではない。英雄になれるほどの歴史も経験もない。力だけがある。力しかないから
集まった私たちの中央で、炎白の転生者が言った。硬い表情で秩序が必要だと。自分たちでできることはこれしかないと。誰も死なない戦争を作る。共通の敵がいればこそ人はまとまる。
誰が?となった時、私が手を挙げた。無力だからこそ、力になりたかった。
「私が、魔女だから。ちょうどいいでしょう? 大丈夫。こう見えてもずっと強いんだから」
原初の転生者たちのホッとした表情に私は満足していた。全員が恐れていたのだ。
世界を敵に回し孤立することに。
アリスだけが浮かない顔をしていた。
そして私は黒の軍勢と共に転生者たちと争い、狩猟祭と呼称されるようになった偽りの戦争が始まった。
原初の転生者たちは私たちを戦いながらも守った。それとなく・・・私たち黒の軍勢にだけ伝わる優しさで。
でも、ひとり、またひとりと消えていった。そして消えていく末路が
かつての仲間たちはの祝福と共に与えられたギフトで、命を絶っていく。
目を背けることは許されなかった。彼らの生き様を。祝福されたはずの力で、自らを呪う。呪ってしまえば生きられない。初めから呪われていたわけではないのだから。祝福と共に世界に訪れ、希望を抱いた彼らや彼女たちが耐えられるはずもない。
どの泡沫にもグリスワークがいた。目を潤ませて。そしてアリスもいた。
彼らの視界に色味を添えて、少しでも苦痛を減らそうと。
辛かったんだね。とアリスに届かない声をかけつつ、泡沫から響く声に耳をかたむける。
「リリィ。ごめんな。許さなくてもいい。後悔はないが、せめて生きてくれることを願う」
屈強な彼は私たちのリーダーであった。恵まれた家庭で育ち、英雄譚に描かれし英雄を夢見て果てた。炎に包まれ燃え尽くされた彼は消えた。さらば戦友とシュミットが胸に手を当てる。
「みんな。望んだ世界にはできなかったね。でも楽しかったよ。お先に」
栗毛の三つ編みを揺らして彼女は目を伏せる。そばかすが可愛らしい私より年下の転生者。大気を固めて巨人を作る。足長おじさんはこなかったと笑いながら、巨人の足に踏み潰された。
「自分を変えるのは、世界を変えるよりも難しいな。強くなりたかった」
小柄な金髪の彼は戦死した父を誇りに思っていた。強くなりたいと誰よりも胸を張る生意気な子供だった。指先を立てると四方の大気より無数の氷塊を作り出し、貫かれて消えた。
「あーあ。こんなにすごい力を使えたのに。ダメダメだ。それじゃね。アリス。リリィによろしく」
肌の色が違うと言う、褐色の美しい彼女は虐げられて育った。私よりもずっと辛い境遇に耐え、明るく、理想郷を愛していた。愛されていた。彼女はくるりと回転すると、地面から白い狼が這い出し、鼻先に触れた後で彼女は牙に裂かれた。
「どうしてこうなってしまったのかな。私たちは間違えていた? 寒いね。本当に寒い」
雪の降る街で生まれ育った彼女はエルフよりも白い肌をしていた。白銀の髪を揺らして、エルフたちとくれべても
「人はやっぱりダメだ。今度生まれ変わったら
じゃぁね。と私とよく似た顔立ちの彼は貧困の中で育った。最初は私を恨んでいた。でも言葉を交わすうちに、大人たちとは違うのだと笑い合った。戦争なんて馬鹿らしいと。彼が地に手を当て固まる。無数の薄く透けた鎧を
「また遊ぼうね。ちょっとだけでも生きた気分だった」
彼女は病を抱えていた。転生と共に命を与えられ、代わりに命を奪うギフトを与えられた。最後まで彼女は力を使うことなく、右手の人差し指を拳銃に見立ててこめかみを打つ。弾ける音と咲き誇る花に埋もれて彼女は地に伏せる。
「クソ野郎どもに伝えておいてくれ、呪われろと。そしてアリス。君は・・・できることならリリィと生きてくれ。僕たちを守ってくれた。一番弱いのに、強かった」
唯一の大人だった彼は、私たちをいつも子供扱いした。戦地で別れた子供と出会った。死体となった子供を憂い、代わりに私たちを愛した。彼は手のひらを胸の前で合わせて力を込める。豪胆に笑いながら身体中に
なぜ私は彼と彼女たちの名を思い出せないのか。はっきりとわかった。フィドヘルから失われているからだ。存在が失われて消えてしまった。
名前すらも一緒に。名前と共に思い出も
祝福と共に自らに与えた名前だから、ギフトで自分を殺めた時に消えたのだ。世界から消え去った時に、この世界から失われた。
墓標に刻まれていただろう名前も消えるのだ。二度と思い出せないように。
女神の盤上で駒として存在する私たちは、盤上から落ちたら無になる。消え去るのだ。盤上に並べられた駒たちからも忘れられる。
確証はない。でも確信はできた。そうでないと、思い出せない理由がない。こんなに、こんなに苦しいのか。名を呼ぼうとも名前がもうない。
疑問に思わないほど自然に、失われていたのだ。私たちの中から。
名前のない
そして八つ並んだ墓標の前にアリスがいた。腕を振るってアリスの体が景色に溶けていく。
アリスは私たちを見ていた。正確にはきっと自分の最期を看取るグリスワークを眺めている。
「ごめんね。辛い役割。でもエルフはきっと長生きだから。いつかリリィに聞かせてあげて。でもリリィが自分から訪れるまで内緒にしてね」
「あいわかった。墓守として守ろう。辛い役目だが。すまん」
謝らないで。溶けつつある体を回して、アリスが正面を向く。私は手を伸ばす。届かないと知っていながら。
「ちょっとだけの間だけど、私たちは望みを叶えた。新しい世界を望んで、その一端で生きられた。残念な結果だし、リリィには申し訳ない。でもこれ以上世界が壊れていくのに絶えられない。リリィをひとりにしちゃってごめん」
「違う!私は・・・私は!」
言葉が続かない。届きもしない。リリィとタカハシが言葉を漏らす。
「リリィは世界を呪っていたね。焼かれたかつての現世を。呪い続けて
リリィ。とアリスが手を差し伸べる。いつかまた手をつなぐことを望んで。
ずっと後で私が自分たちの場所へ帰ってくることを願って。
偽りの戦争で忘れてしまった彼女の手を取るために。私も手を伸ばす。
その手を取ろうと。駆け出して、必死に手を伸ばす。
伸ばした先で、泡沫が弾けた。黒と紫の稲妻が地表で弾け
「リリィ!」
すぐにタカハシの腕に抱かれた。ひどく冷たい。死者と同じ温度で私を抱いた。
おぉぉぉ! 空で私を抱いたタカハシに包まれながら、地表を駆けるシュミットがいた。遠目にも怒りへ包まれているのがわかる。
「きさまぁ! 黒魔女さまを。偉大な救世主たちの墓標から足をどけろぉ!」
シュミットは手足をばたつかせんがら、地面を転げ、驚愕した表情のままでいるグリスワークの足元へ転がった。
エリスがわなわなと震えている。震える言葉で叫ぶ。
「お前・・・お前は何をしたのかわかっているのか! ヒルダ・エルファーゲン!」
あらあらと丸い縁の眼鏡をかけ直し、転生者側の魔女がいた。
杖をかかげてあくびをかみ殺している。ニヤニヤと笑みをこぼして、ぐるりとあたりを見渡した。
「世界は白と黒のどちらかで染められなければならない。なのにこんな薄い色で染めちゃって。神をも恐れぬ
先端の丸い杖を振るうと、炎が足元から壁となって周囲を包む。トウモロコシ畑が燃えていく。アリスが築いた穏やかな世界。
思い出の世界が燃えていた。
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