初恋は檸檬の味

夢鴉

序話


「ほい」

「えっ」

「やるよ、コレ」

コロン、と手の上に転がり落ちる、黄色い宝石。

「部活、頑張ってな」

青葉を背負って笑う彼に――俺は、全てを奪われた気がした。



***


「好きです、先輩。俺と付き合ってください」

「へぁっ?」

桜の残り香に新緑の匂いが混ざる頃。

俺は帰りの校門で、見知らぬイケメンに特大の爆弾を浴びせられていた。


「好きです。先輩」

「いやいやいや!」

「俺と付き合ってください」

「待て待て待て!」

ぐっと距離を詰めて来る男に慌てて距離を取ろうとするが、すぐさま腕が取られ、阻止されてしまう。

(ひぃいいっ!)

何だコイツ! 誰だこのイケメン!? つーか顔いいな!? 写真映えしそうで羨ましいわ!

(って! そんなこと言っている場合じゃないだろ俺!)

これ完全にヤバイやつじゃね!? ほら、コイツの目マジだしさあ! てかマジで誰コイツ!?

「好きです。先輩」

「うっ、顔が良……って違う、そうじゃなくて、ってか近くね!?」

「そんなことないです」

「ありますけど!?」

ぎゅうっと握られる手に、俺はダラダラと汗が背中を流れるのを感じる。力強いその手から逃げようと何度も腕を引いているのに、全くもってびくともしない。

(力つよっ!? ゴリラかよ!)

突然の出来事に頭の中はパニックだ。辛うじてわかるのは、こいつが入って来たばかりの一年生だということと、男から見ても顔が良いイケメンであることくらいだ。つーか入って来たばっかで何やってんだよ、コイツ。

ぐぐぐ、と男の肩を押す。今は少しでも距離を取りたかった。ほとんど無意味な気もするけど、何もしないよりは何倍もマシだと思う。気持ちって大切。

「ひ、人違いじゃねーの?」

「あの日から一度たりとも先輩の事を忘れたことはありません」

「はあ?」

「好きです」

真面目な顔で追い打ちを掛けられ、眉を寄せる。いい加減、現実逃避をしている場合じゃないかもしれない。

(さっさと追い払わねーと面倒な事になりそう)

俺はさっきよりも強く手を払った。パシッと離れた手に、相手の目が見開かれる。

「マジでわかんねーんだけど。ストーカーかよ」

「ストーカーじゃないです。でも先輩を追いかけてこの学校に来ました」

「そういうのをストーカーっていうんだよ」

「?」

(え、マジ? 無自覚なのコイツ)

ゾワァッと嫌な感覚が背中を這う。まずい。全身に鳥肌が立っている。慌てて両腕を擦れば、多少気分がマシになった気がした。まさか自分がストーカーされる日が来るなんて。

早くどうにかして逃げたい、と周りを見れば、向けられる好奇の目の多さにぎょっとする。

(やっべ!)

突然の事ですっかり忘れていた。ここは大勢が通る校門前で、今は下校中の生徒がほとんど揃っている時間帯。

好奇心旺盛な学生からすれば、この状況はとてつもなく面白いモノだろう。俺だってこれが他人なら間違いなく見ている。友人でも見ている。何なら明日から話のタネにする自信だってある。

ヒクリと頬を引き攣らせて、俺は二歩後ろに下がった。キョトンとした彼が首を傾げている。いかにも初心そうな人間に嘘を吐くのは忍びない気もするが、致し方ない。

「あー、悪いんだけど、俺これからバイトが……」

(――!)

ふと視線の端に見えたレンズに、俺は目の前の男の腕を咄嗟に引っ張った。

「っ、おいやめろ!」

「!? せんぱ――っ」

カシャ、とシャッター音が響く。

(今、写真撮ってる奴いた……!)

キッとそっちを睨めば、「ヤバ」「気づかれた?」「あとちょっとだったのに」と女子生徒たちの会話が聞こえて来る。

(何があとちょっとだ!)

人の許可を取らずにシャッターを切るなんて、失礼すぎる。女子生徒たちを更に強く睨みつければ、バタバタと走り去っていく彼女達。その背中に説教の一つでもしたい気持ちはあったが、それよりも優先するべきことがある。

「お前、ちょっとこっち来い!」

俺は掴んだこいつの腕を引っ張って、走り出した。



「はぁっ、はぁっ……!」

「大丈夫ですか、先輩」

「う、うっせ……っ」

膝に手を当て、必死に整える。瀕死になっていた肺が急いで息をしようとしている。

(なんでっ、俺がっ、こんな、こと……っ!)

荒い息を繰り返して、滴る汗を拭う。ちらりと後ろを見れば、連れて来た後輩は多少息が切れてるものの、ケロッとしている。くそっ。助けたのはこっちなのに、なんか負けた気分だ。

「あーもう……っ。お前、なんで校門であんなことしたんだよ」

「え?」

「撮られてたぞ」と告げれば、「えっ」と驚いた顔をする。何だその顔。気づいてなかったのか。

(てっきり気づいてたのかと思ってた)

うろ、と視線を彷徨わせる後輩は本当に気づいていなかったのか、「す、すみません」と小さく謝罪をすると大きな体を縮こまらせる。その姿を見て、俺は大きくため息を吐いてどすんと近くの花壇に腰を下ろした。

俺は後輩を見上げて「座れば?」と告げれば、「失礼します」と隣に座る。……なんか近いな? 少しだけ距離を取って、俺は振り返った。

「まあ、やってしまったのは仕方ない。つーか、告白すんならもうちょい人目につかないところとか、時間とか場所とか、いろいろあっただろ。なんであそこであのタイミングなんだよ」

「す、すみません」

「いや、うん。まあ……」

しゅんと項垂れる男に、俺は込み上げる罪悪感に視線を逸らした。

(な、なんで俺が気まずくなってるんだ……?)

やらかしたのはこいつで、俺は巻き込まれただけなのに。ちらりと隣を盗み見れば、しゅんとした後輩が「巻き込んでしまって、ごめんなさい」と謝ってくる。……どうやら本当に反省しているらしい。

(まあ……一年だし、俺は先輩なわけだから? 許してやるけども)

「次はないからな」と言えば「気を付けます」と素直に返された。思った以上に素直過ぎてびっくりした。

「ところでお前、名前は?」

「あ、俺、一年五組の甘利檸檬って言います」

「あまり……れもん?」

「はい」

こくりと頷く男――〝あまり〟に、俺は首を傾げる。……全然漢字が思い浮かばない。

うーんと悩んでいれば、「甘いに利得の利、檸檬はそのままです」と言われる。うん。何となくわかったけど、もう少しいい例えがなかったのだろうか。あとやっぱり〝れもん〟って漢字はわからない。難しい漢字だったなーってくらいで。

(あと、なんか木が入ってた気がする)

「先輩は、蒼井春先輩、ですよね」

「ん? そう、だけど。なんで知ってんの?」

「よく見てますから」

「えっ。なにそれ。こえーんだけど」

「春先輩って呼んでいいですか?」

「話聞いてた?」

マイペースに会話をする甘利に、俺はため息を吐く。……何だろう。すげーめんどくさいモン拾った気分。

(距離を詰めるにしても、もっと順を追って詰めろよな)

コミュニケーション初心者か。

「駄目、ですか?」

「うっ」

しゅん、と下がる眉。整った顔が落ち込んでいるのは、なんというか……とんでもなく悪いことをしている気分になる。端的に言えば、罪悪感が半端ない。

癖のある黒髪が風に靡く。下がった目じりが余計に罪悪感を運んで来て、俺は「ぐぬぬぬ」と唸った。

「っ~! ……はあ……わかったよ。好きに呼べば?」

「! 本当ですか!?」

「ただし! 先輩は付けろよな」

ぱあっと笑顔になる甘利に念を押せば、「わかりました!」と元気な返事が聞こえる。勢いの良さに少し早まったか、とも思ったが、言ってしまったものは仕方がない。男に二言はない。うん。

(それにしてもあの告白、まるで俺の事知ってるみたいな感じだったよな)

ふと思い出される、校門での出来事。

公開告白されたと考えたら今すぐ土に埋まりたい気持ちになるが、それは今はおいておいて、俺は甘利の言っていた言葉を思い出していた。


『あの日から一度たりとも先輩の事を忘れたことはありません』

そう言った彼の目は、嘘を言っているようには思えなかった。

(つっても、甘利みたいな奴、一度見たら忘れねーと思うんだけど……)

百七十ある自分よりもさらに高い身長。健康的に焼けた肌に、短く切られた黒い癖っ毛と少しきつい印象のある目元。すっと通った鼻筋に、薄い唇。一見チャラそうなのに、出している耳には穴一つ無くて、ネクタイもきちんと締めている。

(カタブツって感じなのか?)

うーん。余計にわからん。

「どうしたんですか、春先輩」

「ん? んー……」

甘利の言葉に、俺は唸り声を上げる。こんなに考えていてわからないんだ。もう直接聞いた方がいい気がする。

俺は甘利の顔を覗き込むと、「なあ」と声を掛けた。

「違ったら悪いんだけど、もしかして甘利、俺とどっかで会ったことある?」

「えっ」

驚いた甘利の声に、俺はハッとする。

(な、なに言ってんだ俺……!)

今のじゃあ、まるでナンパしてるみたいだ。

ぶわっと沸き上がある熱に、俺は「いや! 何でもない! 今のなしで!」とブンブン両手を振る。顔が赤くなっているのが自分でもわかる。

(最悪だ……!)

さっきあんなことがあったから、頭がおかしくなっているのだろうか。喉がやけに乾く。

「いや、マジで気にしないで!」と弁解しながら昼に買ったお茶を鞄から慌てて取り出せば、ボトルが鞄に引っかかってしまった。ゴトンと地面に落ち、コロコロ転がっていく。やば、と肩を揺らせば、甘利の手がそれを拾い上げる。

「はい」

「あ、ありがとう」

差し出されたペットボトルを受け取れば、甘利の目がじっと俺を見ているのに気が付く。その視線はどこか寂しそうで――――。

「春先輩とは、会ったことないですよ。俺が一方的に知っているだけです」

「えっ。でも、さっき……」

「ああ、あれは……冗談です」

「冗、談?」

「はい。気持ち悪くて、すみません」と頭を下げる甘利。ペットボトルから離れて行く手が少しだけ尾を引いているように見えて、俺は何かを言いかけて……けれど何も言えなかった。

(なんで、お前がそんな顔するんだよ)

俺は受け取ったお茶を握りしめて、甘利の顔を見つめるしかできなかった。


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