天才の姉から逃げた何の取り柄もない私だけど、高校で出会った「競技クイズ」の世界では実はすごい才能の持ち主だって本当ですか?

小出清亮

プロローグ

「――問題」

 

 息を止める。水を打ったような静寂せいじゃくに包まれた会場は、時が止まったみたいだった。

 

「日本人ではこれまでに――」

 

「日本人では」から「これまでに」と続いた。この後は人の名前が来る。日本人の名前。

 日本人がこれまでに達成した記録? この言い方だと外国人も達成しているものだ。国際的な競技名や、何かの賞? もしくは――

 

「――上橋うえはし菜穂子なほこ、ま」

 

 ――ピーン。高らかに機械音が鳴り、その瞬間、問題文が止まる。私の指が動いたはず。私がボタンを押したはず。私の問題、私の得意ジャンル、だって読んだことがある。上橋菜穂子さんを、私は知ってる。


 手元のボタンを見る。


 私が一番に早押しボタンを押したことを示す、赤いランプが煌々と灯っている。

 よし、よし。私だ。私に、回答権がある。


 上橋菜穂子さん。読んだことある。


 どれも大好きだった。『けもの奏者そうじゃ』も『精霊のり人』も。『鹿の王』は本屋大賞を受賞してる。

 問題には「日本人では」という限定が付いていた。本屋大賞は国内だけの賞だから、違う。国際的な賞。ノーベル文学賞、は受賞してない。


 ここで出題者が一本ずつ指を立て、制限時間のカウントを始めた。


 あと三秒。考えろ。思い出せ。


 さっき聞こえた、問題文の続き。

 最後の一文字は「ま」だった。ま、から始まる人物の名前だ。

 上橋菜穂子さんとの共通項のある人物。作家。日本人。


 カウントダウンが進む。あと二秒。


 ま、ま、ま。


 あと一秒。


 ま、ま、ま、まど。

 

 ――まど・みちお。

 

「国際アンデルセン賞!」

 カウントダウンに押し潰されかけて漏れ出た声は、自分が思っていたよりも遥かに大きかった。会場に声が響く。

 上橋菜穂子さんとまど・みちおさんが受賞している、国際的な文学賞。「小さなノーベル賞」とも呼ばれる児童文学賞。


 合ってる、これで合ってる、はず――。


 ピポピポピポーン。

 明るい電子音が鳴る。


 正解だ。


「その通り。正解は「国際アンデルセン賞」。「日本人ではこれまでに、上橋菜穂子、まど・みちお、安藤光雅らが受賞している児童文学の賞は何?」という問題でした」


 問題を読み上げていた子が回答と問題の説明を読み上げる。私の耳はそれを右から左へ通過させた。


 やった、やった!


 瞬間、ふっと、呼吸を止めていたことに気づく。息が切れる。ようやく取り戻した呼吸も浅い。さっきの問題は危なかった。

 でも、でも正解だ。ぎりぎりだったけど気づけた。追い上げた。あと一問。あと一問でシノちゃん先輩にバトンが繋がる。

 

 お願い、お願い、お願い、お願い、神様。

 

 次の一問だけでいいの。次の、あと一問だけ。私が知ってて、お姉ちゃんが知らない問題を出して。

 問題を聞いた瞬間に、私が早押しボタンを押すことができる、私だけの問題。次の一問だけは、そんな問題であって――。

 指が震える。目頭が熱い。身体も汗ばんでる気がする。頭がボーっとしてるのに、目に映るものはすごく鮮明だ。指を添えているボタンの感触も、はっきりわかる。


 昔、鉄棒で逆上がりに失敗して頭から落っこちて、頭を強く打った時みたい。時間がゆっくりになって、触ってたはずの鉄棒の冷たい感触がふっと消える。空にある雲の形が全部くっきり見えて、瞬間、世界が涙でジワッと滲んでいく。

 

 ――ダメだ、今は泣いちゃダメだ。

 

陽実ようじつ女子じょし・谷口明澄奈あすなさんがわずかに競り勝ちました。礼華れいか学園の背中を捉えられるでしょうか」


 司会の子が会場を煽り、拍手が起こる。思っちゃだめなんだろうけど、ちょっとうるさい。あと一問、あと一問だから、静かにして。


「一方、怒涛の追い上げで逆転しながら、ここで一歩、差を詰められたのは礼華学園・谷口桧奈ひなさん。アスナさんの正解を受け、次が大一番です」


 ヒナ姉ちゃんの名前が呼ばれたのを聞いて、少し緊張が解ける。


 隣の席に立つヒナ姉ちゃんは視界に入らない。入れない。きっと、絶対、彼女は緊張なんてしてない。顔にも出さない。今のこの状況だって楽しんでるんだろう。

 対する私の顔はもう汗でべたべただ。会場の空調は効いてるはずなのに汗が止まらない。今朝、カオちゃんに引いてもらったアイラインも崩れてる気がする。ああ、かっこ悪いな。


「大丈夫。アスナの方が、強いよ」


 ささやくような声援が耳に届いた。消え入りそうな声だったけど、はっきり聞こえた。カオちゃんの声だ。

 後ろを振り向くと、カオちゃんがこっちを見てる。普段は下ろしてる長い髪を、今日は後ろで一つにまとめてる。試合の前に、アズ先輩がアップにまとめてあげていた。普段よりさっぱりした印象になったカオちゃんの目が、じっと私を見た。


 さっきの声援が聞こえてないと思ったのか、もう一度口が動く。


「アスナ、がんばれ!」


 カオちゃんってこんな大きい声出せるんだ、と思った。

 観客席側に回った、他の学校の生徒たちがちょっと目を丸くしている。

 カオちゃんと一緒に座っていたシノちゃん先輩もびっくりしてるけど、我に返ったのか、私の方に向き直った。


「うん。アスナ、いけるよ。私につないで」


 グッと目頭めがしらの熱が強くなって、二人の顔がちょっとにじんだ。

 泣いちゃだめだ。

 顔に力を入れて、二人にうなずいてみせる。


 大丈夫。そうだ、みんなもいるんだ。


 勝つんだ――。


 そうして、手元にある早押しボタンに指を置きなおす。

 次の問題が読み上げられるのを待つ。

 

 ここは地域で有数の進学校、礼華学園の構内にある礼拝堂。ミッションスクールならではの豪奢ごうしゃな建物だ。

 その中にいるのは私たち陽実女子高等学校と、お姉ちゃんたち礼華学園の生徒たち。他には柏庭かしわば女子高等学校や市立桂園けいえん高等学校といった学校の子たちもいる。


 みな、同じ地域の「クイズ部」や「クイズ研究会」に所属する高校生だ。

 同じ学校の生徒同士でチームを組んで競い合う、クイズの大会。

 ペーパークイズから始まり、様々なルールのクイズで競い合って、決勝のステージに上がったのは私たち陽実女子高校と、お姉ちゃんがいる礼華学園だった。

 二校の生徒たちが前方のステージに上がり、優勝を競う。

 同じ地域にある学校の、クイズ研究会同士の、ただの交流会。

 全国でも屈指の進学校である礼華学園。そのクイズ研究会が主催した、いわばお遊び的な身内だけの大会だ。


 それでも、負けたくない。

 負けられない理由があるから。


 夏の甲子園とか、国立のピッチとか、花園の舞台とか数学オリンピックとか箱根駅伝とか、そういう、新聞に取り上げられるような競技じゃないけど。

 

 逃げないで戦うって、決めたんだ。

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