おやすみ映画館

夢月七海

#1 初来館した月曜日


 眠れない。

 そんな日が続いて、二〇三日が過ぎた。


 不眠症になるのは初めてで、夜が来る度に、今夜こそは眠れると自分に言い聞かせたり、今夜も駄目なんじゃないかと諦めたりを繰り返している。このまま、一生眠れないんじゃないかと思う夜なんて、毎日だ。

 お医者さんに相談して、薬も処方してもらったけれど、それが効いたのは数日だけだった。もっと効力の強い薬もあるのだが、怖くて手が出せない。


 もちろん、自分でも色々試した。本に載っているものでも、ネットで見かけたものでも、なんでも。良い眠りを妨げるという、寝酒だってやってみたけれど、全然駄目だった。

 もう、新しい睡眠薬を試すしかないのかなぁ。その思いを、自分のSNSで綴ったところ、初めて見る「靴屋の娘」というアカウントから返信が来た。


『ぴったりの映画館がありますよ』


 最初目にしたときは、場当たり的なステマなのかと思った。しかし、この文の続きを読んでみると、「ことよ商店街」の中にあるミニシアターは、映画を見ながら寝落ちしてしまうことを目的とした場所なのだと紹介された

 映画を作った人に失礼だけど、なんだか興味が湧いてきた。調べてみると、その「ことよ商店街」は、私の家から三駅離れた場所にあり、映画館も開いている時間だ。ダメだったらネカフェで過ごそうと決めて、私は終電に乗り込んだ。






   〇






 居酒屋やバー以外は電気を落とした商店街の中で、橙路のライトに照らされる看板があった。そこに描かれた「おやすみ映画館」というのが、このミニシアターの名前だ。

 分厚いガラスのドアを開けると、すぐにカウンターがある。内側にいる、黒い長髪に白黒の変わったワイシャツの女性が、「いらっしゃいませー」と微笑んだ。


「初めてのご利用ですよねー?」

「あ、はい」


 緊張しながら頷くと、彼女がこの映画館のシステムを教えてくれた。

 この奥のシアタールームでは、映画館が開いている二十一時から八時まで、映画がずっと流れている。入場料を払って、そこの座席に座り、好きなタイミングで眠る。その間、こちらで買った飲み物や食べ物を摂っても構わない。


「他のお客さんがいるので、アラームは禁止していますー。ですので、私に、何時に起こしてほしいと言っていただければ、お伺いしますのでー」

「じゃあ、閉館までいます」


 十二時を過ぎていたから、八時間ぐらいの睡眠。もちろん、眠れたらの話だけど。

 千円という格安のチケットに、買ったホットココアを持って、シアタールームの防音ドアを開ける。


「おやすみなさいー」


 ドアが閉まる直前、係員さんの間延びした声が聞こえた。

 シアタールームには、すでに何人か人がいた。スクリーンからの明かりが頼りだから、頭の陰しか見えないけれど、潮騒のような寝息が聞こえてくる。


 私は、一番後ろの右側の席に座った。周囲には誰もいない。ホットココアで手とおなかを温めながら、前を眺める。

 スクリーンには、真っ白な雪景色が映っていた。北極だろうか、トナカイの群れが、右から左へと歩いていく。流れているのは、しゃんしゃんと雪の降るような鈴の音。それから、どこからか甘い香りが漂ってきて……。






   〇






「お客さーん。起きてくださーい」


 間延びした声がして、ゆっくりと目を開けた。最初に思ったのは、「あれ? 寝ていた?」という久しぶりな疑問だった。

 真横を見ると、ニコニコ笑った係員さんが見える。なんだか、ほっぺがつやつやしているなぁと思って、はっと飛び起きた。


「すみません。八時ですか?」

「ううん。十時になっちゃったー」

「え?」


 係員さんが、申し訳なさそうに言う。自分のスマホを取り出して確かめると、確かに、火曜日の十時になっていた。


「あの、八時に起こすって約束は……」

「ごめんなさいねー。あまりにおいしかったからー」


 意味の分からない返答に、私が眉を潜めていると、係員さんは、パンと両手を叩いて、提案するように言った。


「あなたの夢、とってもおいしかったのよー。だから、毎晩来てくれるー?」


















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おやすみ映画館 夢月七海 @yumetuki-773

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