【第八幕 解決】

「じゃあ、死体を隠してたのは君じゃないのか……?」

 バンカレッラ通りの路地裏で、衣服の乱れを直しながらサカシマは言った。

「違うわ。ねぇ、本当に殺したの?」髪のほつれたグレースが、縋るような目で尋ねる。

「ああ。彼らは僕の理想を実現するには、邪魔な存在だった」

「なんて自己中心的な……」

「他人の事ばかり考えていたら、自分の理想は実現できない。そうは思わないかい? 僕はそれに気付いたんだ」

 サカシマはグレースの顎を持ち上げた——瞬間、血しぶきが飛んだ。

 グレースは悲鳴を上げる暇もなかった。気付いたら鋭い痛みと共に、顔から熱い血がしたたって止まらなかった。サカシマの手には、赤く染まったナイフが握られている。

「何するのよ……」

グレースは、怯えて言った。

「こうしたら、もう他の男は寄り付かない。これで君は、僕だけのものだよグレース。僕は、君の見た目じゃない。君自体を愛しているんだ。愛ゆえの独占欲。愛ゆえの歪みだ。愛が強いからこそ、諦め切れない。こうするしかなかったんだよ。君ならわかってくれるだろう? なあ、許してくれ」

 サカシマはグレースに口づけしようとした。その肩を、グレースは押しのけた。

「グレース?」

「愛する気持ちが強すぎて、愛が歪むなんて言うけれど……愛が歪むのは、その人が自分の受けた傷を、相手に補わせようとしているからよ。そんなの、本当の愛じゃない」

「グレース、君は僕をわかっていない……」グレースはサカシマを遮った。

「あなたは私に、あなたの傷を埋めさせようとしているの!あなたのそれは、愛なんかじゃない……幼さの現れよ!」

「そうか」サカシマは感情を荒立てず、静かに言った。

「君ならわかってくれると思ったのに……残念だよ」サカシマはナイフを振り上げた。グレースが避けて立ち上がると、サカシマはグレースを追った。

「君は僕の唯一の理解者だった。グレース、君は僕の描く完璧な女性像の具現化した姿だったんだ。現実の君が僕の理想を破壊するなら、現実を消すまでだ。僕は過去にいた理想の君を、いつまでも愛することにするよ」

「いや……やめて!」グレースはナイフを持つサカシマの手に掴まった。

「おい、離せ!」「いや!」二人は激しく揉み合った。そのうちに、グレースは誤ってサカシマを刺してしまった。自分の腹にナイフが刺さっている様子を、サカシマは不思議そうに眺めていた。

 表情が急に歪んだかと思うと、グレースの顔に血を吐いてゆらめく。

「グレース……グレース……グレース……」サカシマはその場で倒れ、絶命した。死の直前まで、血だらけのグレースの顔を見つめながら、名前を呼んで。しかし、その灰色がかった瞳はグレースではない、何か遠い幻を見ているようだった。

「グレース……」グレースは声もなく泣いていた。

妖精のような麗しい顔は、血と涙でグジャグジャになっていた。


        ——❁——


「姉さんを監獄に送るなら、私も一緒に送ってください!」

普段は冷静に見えるエリーヌが、感情的になって言った。

「エリーヌ、もういいのよ」グレースがエリーヌの肩を抱いてなだめる。

「あなたったら、いつも私の言いなりなんだから。もう、こんな姉さんの言うことなんて聞かなくていいの」

「何よ!」エリーヌは怒ってグレースの腕を振り払った。

「私は、姉さんが綺麗だから、お金を助けてくれてるから、引け目を感じて言うことを聞いてるんじゃない!そんなんだったら、姉さんを庇おうとなんてしてないわ!そりゃあ、歳の近い姉妹だもの。色々比べて、ひがんだり、妬んだりしたことだってあるわよ!好きか嫌いかなんて、簡単な言葉では言い表せない。正直、好きなところも、嫌いなところもある!でも、見捨てられないの!姉妹って、家族って、そういうものでしょ……? 」

「エリーヌ……」

「私ね、姉さんが四人を殺したんだと思ってた。でも、そうじゃなくて良かったわ。私はずっと、姉さんに愛憎なかばだった。家族に良くない感情を抱いていることに罪悪感があって、ずっと苦しんでた。だけど、姉さんから助けを求める手紙が来たとき、気付いたの。私はやっぱり、姉さんのことが好き。だから最初から、姉さんの代わりに罪を被ろうと思ってたのよ」

「それで私を襲うフリを。馬鹿ね」グレースがエリーヌの頭を撫でる。

 途端に、エリーヌは堰を切ったように泣き出した。

「今まで…‥甘えてばかりで……ごめんなさい」

「エリーヌ、大好きよ」グレースは愛おしそうにエリーヌの涙をぬぐった。

 姉妹の様子を見ていたハイトは、堪え切れずに言った。

「ねぇ。二人を見逃せないかな」

「だが、当初サカシマはグレースを殺すつもりはなかった。後半は、この女の証言でしかねぇ」カーターは扉にもたれかかって、スキットルのウイスキーを飲んでいる。

「だとしたって、現にグレースはサカシマに傷を負わされてるんだ」ジョルジアは、サカシマ・リュウが許せないようだ。

「ギル……どうする?」ムアがギルバートの顔色を窺った。

「——正当防衛だ。それに、グレースの証言がなければ、この件は解決できなかった。おかげで俺は、領主からドヤされなくて済む」

「相変わらず甘いわね」ムアは微笑んで肩をすくめた。

 グレースとエリーヌが顔を見合わせる。二人はもう一度抱きしめ合った。

「ありがとうございます検事さん」エリーヌがギルに握手を求めた。

「検事?」ギルバートは応じながら不可解な顔をした。

「だって。所長さんじゃないけど仕切ってらっしゃるから、王都の判事さんでしょ?」

 エリーヌの言葉に、ギルバートとムアが目を見合わせる。

「ギルバートさんも。さすがの名推理でした」グレースがハイトの手を取って言う。

 ジョルジアはギルバートの肩を叩き、ドアの方を指さした。

カーターがニヤニヤしながら肩をすくめている。

「兄貴、こいつ確信犯だよ。殺そ?」とジョルジア。

「いや、もういい。めんどくせぇ」

 どうやらこの所長もカーターには手を焼いているらしい。

「お金も溜まったことですし、私、エリーヌと実家の農場でやり直そうと思ってます」

 グレースはエリーヌを見て言った。エリーヌが驚く。「姉さん。それ、本当?」

「ええ。今日、私たちは新しい服を買って、劇場に行って、オメカシして家に帰るのよ」

グレースの言葉に、エリーヌは幼い少女のように目を輝かせた。

「いいね。楽しそう」ハイトの口元も、仄かにほころぶ。

「あなたが最初にここへ来たとき、廊下で私たちに絡んできた子たちを覚えてますか?」

グレースは、ハイトを初めて店へ連れてきたときのことを思い出して言った。

「ああ……うん。君に酷いことを言ってたね」

「彼女たちは、私の価値が落ちたと思ってるんです。顔が傷ついたことで、私の価値にも傷がついたと……でも、私にとっては違います。顔が傷ついても、私の価値は変わらない。私は正直、小さい頃から色んな人に愛されて育ちました。でも、誰も本当の『私』を見てくれなかった。わかるでしょ? 見た目だけが『私』じゃない。なのに私自身、見た目にしか自分の価値を置けていなかった節があるんです」

 ハイトは黙って聞いていた。

もしかしたら、この世に羨むべき人生などないのかもしれない。

「なんでかな……こうなったことで私は、今までで一番、自分を愛させている気がします」

 グレースは重い枷が外れたような、爽やかな笑顔で言った。

「君たちはきっと、幸せになれるよ」ハイトは願いをそのまま口にした。

「ありがとう、ギルバートさん」グレースが微笑む。

ハイトも自然と穏やかな笑顔を返した——(うん。違うけど)

「俺はヒューを追って、一緒に王都へ行ってくる」

「いや、兄貴は事務所に戻って休んでてよ。あたしが行ってくる!」

 ジョルジアはそう言い残すと、急いで外へ駆けて行った。

「ねぇ、一つ聞いてもいい?」

ハイトは、ギルバートに気になっていたことを聞いた。「なんであのとき、僕を信じてくれたの?」

「俺は人を信じないで痛い目を見るより、信じて痛い目を見ることにしている。それにあのときは、まだお前の話を聞いてやれてなかったからな」

 知り合ったばかりの、しかもあのような挙動不審を演じたハイトの「話を聞く」という約束を、ギルバートは大切にしてくれていた。ハイトは、個性のデパートのようなルチェルトラの人員が、どうして彼についていくのかが少し分かった気がした。

「君は所長に向いてないよね」ハイトはつい、思ったことを口にした。

それは舌足らず過ぎるが、誉め言葉だった。ギルバートは少し驚いたようにハイトを見た。

「随分とあけすけな物言いだな」

「やっぱり、黙っといた方がいい?」

 ハイトが尋ねると、ギルバートは鼻で笑った。

「いや。それでいい。その方が面白い」

 ハイトは思う。

——(僕はもう、噛み合わせなんて気にしない。僕はできの悪い歯車なんかじゃない。どこが尖ってても、どこが凹んでても、僕は僕なんだ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る