【第五幕 不適合】
「勝った奴が罰ゲームってなぁ、ちょっとおかしくないかぃ?」
カーターが札束を数えながら、二人の判事に抗議する。
「いや、全然おかしくないよねジョルジア判事」ヒュー判事が言った。
「ああ。ちっともおかしくねぇな、ヒュー判事」ジョルジア判事が答える。
「だいたい、お前は勝ちすぎなんだよ!」
「この詐欺師!」
「ニヘラ!」
「アル中!」
「こけし!」テンポ良く罵っていく。
「どうやったか知らねぇが、イカサマ野郎が最下位に決まってんだろ!」
ジョルジアが言った。
「はい、罰としてボトル三本一気な!異論はなし!」ヒューが赤ワインのボトルをカーターの前に並べ、一本ずつコルクを抜いていく。
「いいだろう」カーターはニヤニヤしながら言った。
「ただし、これも賭けにしよう。俺がぜんぶ飲めたら、ムアの本を一冊もらう」
「——え、私?」急に名前を出され、優雅に紅茶を飲んでいたムアは驚いた。
「俺が負けたら、お前らの金を綺麗さっぱりご返却だ。どうだぃ?」
「ムア様神様マリア様ぁ!」ヒューは両手を合わせてムアを拝みだした。
「姉貴ぃ後生ですお願いじまずぅ!」ジョルジアが涙目で懇願する。
「わ、わかったわ。いいけど……その前に、何の本を賭けるのか言ってちょうだい」
「うーん、そいつはできねぇな。なんせ俺自身、目当ての本がなんなのか、イマイチわかってないんでね」カーターはそう言ってワインを飲み始めた。
意味不明である。
「何よそれ......」
ムアは目をぱちくりさせた。
「「いっき!いっき!いっき!」」ヒューとジョルジアがコールする。
カーターの飲むスピードは異常だった。
鯨飲とはまさにこのことだ。
三本分の赤ワインが、みるみるうちに腹の中へと収まっていく。不思議な光景に、一同は思わず無言で見入った。
「俺の勝ち」
「うわあああ!」
カーターが飲み干して言うと、ヒューは頭を抱えて落胆した。
「くっそぅ……こいつ少なくとも六本飲んでるはずなのに!」
「いやどういうことなんだ……こいつの胃……」ジョルジアはもはや驚きと呆れを飛び越えて、人体の神秘を感じている。
「お前、いくらザルでもそのうち死ぬぞ」後方のテーブル席から、ギルバートが言った。
「ばぁか。ザルは何も残らねぇから、害も蓄積しねぇんだよ」
「もはや網ねぇんじゃねぇの?」とヒュー。
「それはもうただのリングだろ」ジョルジアが言った。
その後も「だいたいお前はいつも……」と、がやがや訴えるヒューとジョルジアに辟易したカーターは、溜息まじりに肩をすくめた。
がなり立てるヒューに、さらりと足をかけて転ばせる。
「うわっ!いって!」仰向けに転んだところ、顔が半分ジョルジアのスカートの裾に入った。
「ぐわぁぁ!何さらしとんじゃボケカスぅぅ‼」ジョルジアが、ヒューの顔面を容赦なく踏みつける。ヒューは死にかけながらも、言わずにいられなかった。
「ジョルジア……今の声、アヒルみたい……」
僕は食堂の時計をちらと見た。九時まで、あと三十分。
——(この場所は、このメンバーででき上っている。僕は異物だ……)
僕はみんなに気付かれないように、下へ降りた。
一階へ出ると、少女が一人、カウンターの中に立って店番をしていた。
「やあ」僕を見るなり、手を上げて声をかける。おっとりした、穏やかな声だ。
「やあ」——(確か……チャヤって言ってたな)
「どうかした?」
「いや。何も……」チャヤに見られた手前、僕は黙って『Old lump』を出て行くことができなくなった。仕方なく、彼女の前のカウンター席に座る。チャヤは二階を離れて降りてきた僕を、不思議そうな顔で見つめていた。
「あなた、新しくここに入るんだってね」
「うん、まあ」ここも、いつまで居られるだろうか。
「何か飲む?」
「じゃあ、さっきと同じのを」
チャヤは何も言わず、ジントニックをつくって出してくれた。
一口飲んでグラスを置くと、二人だけの薄暗い店内を心地よい静寂が満たした。
「私はチャヤ・メイプル・ブラウン。ルチェルトラのメンバーではないけど、この『Old lump』で店番をしてるの。あなたは?」
「ハイト」
「ねぇハイト。良かったら聞かせて?あなたが今、誰かに話したいこと」
「なんで……」僕は驚いて、チャヤを見上げた。
「なんで僕が、その、悩んでるって……そう思うの?」
「だって。普段はあんまり飲まなさそうなのに、また飲むって言ったから。上でも何杯かやった後でしょ?飲まない人が飲むときは、苦しいときだよ」
——(不思議だ)
チャヤは会ったばかりの人間を、無条件に安心させるような何かを持っている。もしかすると僕は、酔っていたのかもしれない。
気付いたときには、滔々と言葉があふれ出てしまっていた。
「僕は今まで、職を転々として、色んなところで働いてきた。でも、全部だめになった……自分には見合わないレストランなんかで働けても、こうやってすぐクビになる……不適合感。僕が今まで感じてきたのはそれだ。社会の歯車として、表裏の激しい人間関係に噛み合って生きることに、僕は適合できない。ここの人たちは自由だ。なんていうか、みんな自分を解放して生きているような気がする。でも僕は、自由にしたらどことも噛み合わない……できそこないの、歯車なんだ」
チャヤは黙って聞いてくれていた。仕事柄、僕のようなネガティヴポエマーの散文詩には、かなり耐性があるらしい。
「流されている。僕はただ、流されて生きてきた気がする。今もただ、流された結果でここに居るような……」
「ハイト。あなたは、流されてるんじゃないよ」チャヤが優しく言った。
「少なくとも、ただ流されてるだけじゃない。あなたが今ここに居るってことは、ここまで来る過程で、いくつかの新しい選択をしてきたってことだよ」
「選択……?」
「そう、選択」
僕の脳内に、今日の切れ切れのシーンが連続して映しだされた。
僕はあのとき、婦人を助けることにした。カーターに渡された紙の住所を辿った。さんざん迷った末に、ここ——『Old lump』の敷居を跨いだ——それらは確かに、僕の「何かを変えたい」意志であり、僕の選択だった。チャヤは続けた。
「あなたは、そのレストランや、今まで自分が体験したことのある、ほんの小さな世界の印象が、この世界のすべてだと思ってる?——他の人にできて、ハイトにできなくても、それはハイトが出来損ないで、悪いからじゃない。本当のあなたに合った場所が、まだ見つかってないだけだよ。それで、あなたは新しい選択をして、今、ここにいる」
僕は思わず、チャヤの眼をじっと見た。その大きな強い瞳が、僕をまっすぐ捉えている。
「——あなたはただ、本当の自分を受け入れたくないだけ。自分の悪いところも、変なところも、ぜんぶ自分だって受け容れたくないの。ありのままでいられないから、自分に合った居場所が見つからなくて苦しんでる。でもね。あなたにも絶対あるんだよ。あなたを、そのままで受け入れてくれる、あたたかい場所が。常に新しい選択を重ねた先に——それはもしかしたら、ここかも知れないしね」
そう言ってチャヤは、ニコッと笑った。
僕は全身がぶわっと沸き上がるような、不思議な感覚を覚えた。
下睫毛に重みを感じて、瞬きすると涙がこぼれた。
——(確かに……僕は、周りとの噛み合わせばかり気にして、なるべく出しゃばらないように、自分の意見を言わないようにしてきた。でも、僕は、本当は…………)
「大変だったね」チャヤはハンカチで僕の頬を拭ってくれた。
「私はこういうときに、人並みに苦しい思いをしたことがあって良かったと思うんだ。今、あなたが泣いてる理由が、ほんの少しだけわかる気がするから」
——❁——
「あ、あの。ちょっと、いいかな……」
二階へ上がると、みんなはギョッとした表情で僕を見た。
「いや、別にいいけど。なんでこの世の終わりみたいな顔してんの?真っ青だよ?」
ヒューがあからさまに引いている。よほど酷い顔をしているのだろう。
「震えてるけど、大丈夫?」ムアが心配して言った。
「大丈夫……」
「寒いのか?」ギルバートは暖炉を一瞥した。「一応、火はついてるが」
「いや凄くあったかい。えっと……」
僕は、何もない床の一点を凝視していた。まるで生まれたての小鹿のように、小刻みに震えたまま喋りだす。
「あ、あの、僕って……ほんとは、言いたいことがたくさんあるんだよね。いつも、頭の中では色んなこと考えてて……でも、なるべく言わないようにしてきたっていうか……言いたいことがあっても、ずっと抑えてきたっていうか…‥‥だから、黙ってても、無表情でも、何も考えてないわけじゃなくて、むしろ脳内は引くほど饒舌にフル回転してて……それで、どっちかっていうと僕、じっくり考えたりすることが……その、推理が、結構得意だったりして……」
「で?要するに?」カーターが要約を促す。
「それを、知ってもらいたい。って、それだけ、なんです……けど……」
僕はずっと震えていた。穴があったら入りたい。自分が喋っている間の沈黙がつらかった。今すぐ、この場から消えてしまいたい。
「なんだ。そんなこと」ムアが言った。
「……え?」
想像していたより、何十倍も軽い反応だ。思わず、僕の方が拍子抜けしてしまう。
「なんだよてめぇ。もっと早く言えよ、そういうことはよぉ」ジョルジアも、僕が恐れていたような反応とはまったく違う。
想像より、ずっと優しい。
「そんなこと言うためにいちいち震えなきゃいけないとか、生きるの大変だねー」
ヒューが同情したように言うと、ジョルジアがため息をついた。
「まったくだ!さっきは何も知らねぇで『考えろ』とか言って悪かったな」
「俺も、お前が何も考えてないようなこと言ってごめん。でもさ、教えといて良かったんじゃない? 言われないと俺ら、わかんないもん」
「あなたについて知っておくべきなのは、それだけ?」ムアが尋ねる。
——(そんな。受け入れられるなんて……そんなの、おかしい……)
「変だとか、思わないの……? 急に、こんなこと言い出して……」
「いやぁ、そりゃ変だけどもね?」ヒューが肩をすくめた。
「俺たち、まだ仲が良いとか悪いとか以前の段階でさぁ、『実は俺……』って言われても、正直『ふぇ?』って感じだよ。でもさ、さっきの俺ら見てたでしょ?」
「あたしらと比べたら、お前なんか全然変じゃねぇよ。それに、変なところが一つもない奴なんて気持ち悪りぃしな!」ジョルジアが言った。
「苦手も短所もおかしなところも、ぜんぶ愛嬌よ」とムア。
「ああ。こいつらは愛嬌だらけだ。この通り、全員マトモじゃない」
「ヒヒヒ、あんたもたいがいイカレてるけどな」カーターが言うと、ギルバートは鼻で笑った。
「ま、そういうことだから気にするな」
「ありがとう……」
「なんだよジト目人形。お前、笑えるんじゃねぇか」ジョルジアに言われて、僕ははじめて自分の口元が綻んでいることを知った。
「あのさ」僕は、これから言いたいことを口にする勇気が出た。
「信じて欲しいなんて言わないけど……実は、この事件の真相がわかったんだ」
「うへぇマジかよ!」ジョルジアが目を丸くした。
「僕が正しければ、他の人から聞き込みをする必要はない。だからその……よかったら、先に婦人とカステル姉妹を集めて……僕の話、聞いてもらえる……?」
「合ってたらスゲェじゃん、ハイト!俺は聞きたい」とヒュー。
「そうね」ムアが視線で判断を乞うと、全員がギルバートを見た。
「——わかった。聞かせてもらおう」
「でも時間がねぇ。早く行かなきゃなァ」カーターが懐中時計を振りまわして言った。
「あああ!それ俺の懐中時計!」ヒューがひったくる。「ったく、いつ取ったんだか……」
ヒューの懐中時計は、二十一時五分前を指している。
「お前の話は向こうで聞こう」ギルバートはそう言って立ち上がった。
「行くぞ」みんながギルバートの後に続いていく。
僕も、みんなと一緒に一階へ降りていった。
チャヤはまだカウンターの中に立っていた。僕と目が合うと、優しく微笑んでくれた。
「行ってらっしゃい」
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