楽しかったことは何ですか

蒼「もの凄い出来ね。」


七「えへへ。」


蒼「褒めてないわ。酷いという意味よ。」


七「えー!」


今日もテストは惨敗。

時々1問正解するけれど、

それも運みたいなものだった。

もう一つのアンケートの方は

目一杯書けるのにな。


七「でも蒼先輩と一緒で良かった!全問正解なんだもん。」


蒼「もし私じゃなかったらどうするつもりだったのよ。」


七「うーん…2人で全問合うまで勘で…?」


蒼「嘘でしょう…?」


七「ほんと!あーあ、選択問題だったらもっと点数取れたかもしれないのに。」


蒼「そんなのじゃ駄目よ、何が分からなくて正解不正解だったかも不明になるじゃない。」


七「だって全部わかんないもん。同じだよ。」


蒼「思っている以上に深刻な状況みたいね。」


そうかな?と頭を掻いていると

蒼先輩は目を鋭く光らせて

ばってんだらけの私の解答を

教卓に叩きつけた。


蒼「決めたわ。この後少し残ってなさい。勉強会よ。」


七「ええーっ!」


蒼「どういう考え方をすれば答えに辿り着けるのか、間違えたところを解説するわ。その後自分で解いてやり直しをして。正解した問題は解いた方法を説明すること。」


七「そんなぁ…。」


蒼「それから、高校1年生の範囲を復習なさい。もうすぐ冬休みでしょう。あなたのレベルに合った参考書を教えるから、解いてちょうだい。」


七「…1日5問でいい?」


蒼「いいえ、ページで指定するわ。」


七「ページ!?」


蒼「総復習のような、問題数の多くないものを選ぶから、年内までに必ず解き終えること、いいわね?」


七「ふえーん…。」


蒼「返事は?」


七「はぁーい…。」


蒼「なら早速解説から」


七「待って待って、こっちのプリントまだだよ。」


今日のお題である

「これまでで楽しかったことは何ですか」と

書かれた紙の方を突き出す。

相変わらず蒼先輩はすっからかん。

私は幼少期から小学生、

中学生と思い出せる限りの学校行事と

毎日の探検のこと、

それから日々のこと…

テレビを見たりご飯を食べたりといったことを

ぎちぎちに書いて埋めている。


七「本当に1個もないの!?」


蒼「楽しかったことでしょう?」


七「うん。こう、強いていうなら…みたいなやつもないの?」


蒼「あぁ…それでいうなら、今年の文化祭かしらね。」


七「じゃあそれ書こうよ!」


蒼「けれど楽しかったというか…100%そう思っていたかどうかは分からないわ。いい経験だったというだけで」


七「いいからいいから!」


蒼「そんな適当ではよくないでしょう。」


七「いいよ、楽しいとか嬉しいは大体でいいんだよ!自分が少しでも思ったらそれが大正解なんだから!」


数日前と同様蒼先輩の紙を奪い、

ペンで書き足していく。

閃いて、文化祭に付け加えて

「花火大会の相談」と残す。

蒼先輩が指を伸ばした。


蒼「これは?」


七「みんなで花火大会の場所どこにするかって話してたところから楽しかったから書いた!」


蒼「これはあなたの意見でしょう。」


七「蒼先輩は楽しくなかったの?」


蒼「ただの事務連絡じゃない。」


七「でも返信してたし!」


蒼「最低限は返事するわよ。」


七「むー!少しわくわくしたとかないのー!?」


蒼「わくわく…というよりかは、こんな時期に花火だなんてどうやって開催するのかしらと疑問に」


七「気になったってことだよね!じゃあ残しとこー。」


蒼「あなたねぇ…とにかく、テストのやり直しをするわ。」


私が自分の席につくと、

蒼先輩は黒板を使って

解説するのではなく

隣でしてくれようとしたみたいで、

近くまで寄ってきてくれた。

が、なぜか自然と

花瓶のある席の方へと足を運ぶ。

花瓶は毎日毎日後ろに移動させても

翌日には戻ってきてしまうので

いつの間にか放置するようになっていた。

花がだんだん萎れていくのは寂しいけれど

仕方ないよねと思って

どうしようもできずにいる。


七「先輩?」


蒼「何よ。」


七「こっち!こっち側にしたら、花瓶移動させなくて済むじゃん。」


蒼「…あぁ、そうね。」


歯切れ悪く、私を挟んで

花瓶が置いてあった方とは

逆の方の席についた。

蒼先輩は時々おっちょこちょいだ。

昨日は放課後すぐに

ふれあい体験ができる動物園に向かった。

蒼先輩は無謀だって言ったけど

手を引いて連れて行った。

学生割引があるから

生徒手帳を持ってきてねと

朝方に連絡していたのだが、

それでも忘れてきちゃったらしい。

制服だからという理由で

通してもらえないか頑張ったけど駄目で、

結局蒼先輩だけ大人料金で入ってた。

先輩もこんな忘れ物するんだって思って、

完璧に見えていた分の驚きと

初めて見る一面での嬉しさがあった。


そんな蒼先輩と今は横並び。

普段ならあり得ない出来事に

どきどきわくわくする。

椅子を引いて近づかれる。

長い髪が肩からはらりと落ちる。


七「先輩先輩。」


蒼「何。」


七「今日は、図書館行っちゃおう!1番おっきいところ!」


蒼「1番って。夜には花火もするでしょう。」


七「行けるよ。ほら、全部の本が集まってるところ!」


蒼「…国会図書館?」


七「そう!それ!」


蒼「……それは無理な話ね。」


七「えー!なんでー!」


蒼「何でもよ。そもそも東京まで出る時間はないわ。往復のことを考えなさい。」


七「無理かなぁ…。」


蒼「入れたとしても花火の時間を考えると、最悪入り口でUターンだって考えられるんじゃないかしら。」


七「じゃあ今度の機会にする!」


蒼「賢明ね。」


七「ふっふふー。そしたら近くの大きい図書館行こう!学校のより大きいところ!」


蒼「そこで参考書を探して渡せたらいいわね。」


七「げーっ。」


蒼「解けるようになってもらうわよ。」


七「うう…はい!蒼先生、お願いします!」


こうなったら腹を括るしかない。

今晩はみんなで花火をするんだ。

それをモチベーションに

今日を乗り切るしかない!


蒼先輩のわかりやすい解説の元、

紙の裏側を使って式を書き起こしていった。





***





七「とうちゃーく!」


蒼「金曜の6限まで終わった後だというのに元気ね。」


七「うん!だってこの後はみんなで集まって花火だもーん!」


スキップしながら

近くで最も蔵書数の多かった

図書館へ足を運ぶ。

中では既に勉強している人や

小さい子供を連れた人など

思っている以上に人で溢れている。

真剣な顔つきをしている人が多くて

自然と声を落としていた。


偶然隣同士で

空いている席があったので座る。

自習室にも行ったことがないからか

左右にパーテーションがある

こじんまりとした空間は

なんだか落ち着かない。


蒼「参考書を探してくるから待っていて。」


七「私もいく!」


蒼「席をとった意味がないでしょう。」


七「えー、でも私その辺歩いちゃうよ?」


蒼「座っててちょうだい。」


七「じゃあわかった!蒼先輩から写真もらって、その本探してくるよ!」


蒼「写真って…全部の参考書の中身を把握しているわけがないでしょう?」


七「そっかぁ…なら高1の数学の参考書全部を」


蒼「他人の迷惑を考えなさい。」


七「むー…高1の、薄めの参考書を…5冊!」


蒼「私が行った方が早いわ。」


七「そこをなんとか!じゃあわかった、持ってきた参考書がどれだけセンスいいか、蒼先輩が採点してよ!」


蒼「遊んでいる暇じゃないのだけど。」


七「いってきまーす!」


席に置いた鞄はそのままに

蒼先輩に小さく手を振って後にする。

先輩は荷物のこともあるから

追ってくるようなことはせず、

しめしめと思って

参考書のある方へと向かった。

数学1Aだけでこんなにもあるのかと

驚愕しながら、できる限り

背表紙がほぼないものを選ぶ。

たまに単元のみや3年間丸々

まとめたものもあって、

どれがいいのだか

私じゃ全く分からなかった。

悩むのも鬱陶しくて、

その時間があるなら

蒼先輩に判断してもらった方がいいと思い、

単位だけなど関係なく

背表紙の幅が狭い順に選び取る。

そこから戻ろうとして館内マップを見た時、

不意に新聞資料の文字が目に入った。


七「新聞…。」


そういえば夏に麗香ちゃんたちと

電車内で閉じ込められた時、

新聞が落ちてたような。

急に思い出されたその出来事は

妙に頭のフックに引っかかって

取れなくなってしまった。

もしかしたらあの時の新聞は

この図書館に残ってるかもしれない。


参考書を手にしたまま

蒼先輩の待つ方とは

逆の方へ進んでいく。

昔に発行された新聞は、

コンビニで売っているような状態ではなく、

縮刷版になっていて

大きなファイルにまとめてあった。

地方紙や全国紙の縮刷版が

ずらりと並んでいるのを見ると圧巻で、

重要そうな雰囲気が漂っていた。


七「確か…私が小学生くらいの時だっけ。」


ざっと今から10年ほど

昔だったような記憶がある。

あーあ、ちゃんと覚えておけばよかった。

2014年から進めてみて、

2018年あたりまで行ったら

2013年から巻き戻してみよう。

文字だらけで嫌になりそうだったが、

参考書を近くの棚に立てかけ、

朧げな記憶を頼りに

読み慣れない新聞をぱらぱらと巡った。


新聞って触感が面白い。

優しめだけどぱりぱりしていて、

指の腹にとても小さなつぶつぶが

付着するような感覚がする。

小学生か中学生の頃に配られていた

校内新聞を思い出す。

あのぱらぱらした感じが

ちょっとだけ特別だって空気を

醸し出していて好きだったな。


そんな思い出が脳内で再生されながら

しばらくの間文字と睨めっこをした。

見出しを読んで、違ったら飛ばす。

それっぽかったら読んで、

でも5行くらいで違えば飛ばす。

ひとつの分厚いファイルに対して

とんでもない時間と集中力が必要で、

目で文字を追っているのに

内容は一切入ってこず、

目が文字の上を滑りながら目を通すも、

残念ながらひとつ目にはなかった。

今の段階で蒼先輩を

何十分も待たせているのだが、

探している新聞があるかもしれないと

期待に胸が膨らんで

つい次のファイルに手を出す。

もう1冊に手を出す勇気があるかどうか、

自分の気力と相談しているうちに、

ついにその文字をとらえた。


七「…!」


心臓が止まったようだった。

自分でも目をまんまるに

していることがわかる。

その文字を指でなぞった。


七「藍崎探偵事務所にて起こった悲惨な殺人事件…。」


2015年、×月×日。

依頼者の娘を人質に、

多額の身代金を要求された。

その娘は犯人に射殺…された。

その子の名前は──。


「こんなところで何をしているの。」


七「…っ!」


通路から声がして

思わず重たいファイルを

その場で落としてしまった。

心臓がうるさい。

そんなに大きな音で鳴ることあるんだ。



その子の名前は──

「園部蒼」、当時9歳だったという。



じゃあ。

じゃあ、今、

目の前にいる蒼先輩は……?


蒼「何。」


七「あ、えと、いえ!遅くなってごめんなさい!」


思い切り頭を下げる。

先輩がどんな顔をしているのか

てんでわからないけれど、

近寄って私の落としたファイルを

慌てて拾ってくれたことだけは理解した。


蒼先輩は死んでいる?

ならば目の前のこの人は誰?

たまたま、同姓同名だったとか?

そもそも死んでいなかったとか?

新聞が嘘なだけだったりしない?


顔を上げる。

先輩はファイルをぽっかり穴の空いた場所に

綺麗に収めていた。


蒼「戻ってくるのが遅いと思ったらこんなところで道草食べて。」


七「…。」


蒼「…ぽかんとしているけれど、今あなたの話をしているのだからね?」


七「あ、うん!そうだよね!聞いてるよ、ちゃんと聞いてる!」


蒼「はぁ…。それで、参考書は選んできたんでしょうね?」


七「もっちろん!」


先輩。

蒼先輩。

どういうことなの?


聞きたかった。

聞きたかったけれど、

あなたって本当は

死んでるんじゃないなんて話されて

気分を良くする人なんてまずいない。

直接聞いては駄目な気がして、

喉まで出かかった言葉を飲み込む。

ちゃんと調べなきゃ。

自分で調べた上で聞こう。

…調べた上でか、そうじゃなくとも

いずれ本人に聞くのであれば

傷つけてしまうのかもしれない。

けれど、どうしても放っておけない。

放っておきたくない。


ねえ、蒼先輩。

あなたは誰なの?


拭えない黒い渦が

心の奥底で轟々と音を立て出していた。





***





蒼先輩に勉強を教えてもらうも

新聞記事のことが気がかりで

頭の中に入らないまま時間が経た。

家から通えない距離ではないため、

その場で図書カードを作って

先輩が選定した参考書を借りてから

電車に乗り込んだ。

1人だったら慌てて乗り込む電車も

蒼先輩とだったら

計画的な行動のおかげで

走って乗ることもない。

先輩とはうまく話せないまま

線路の上を走る電車に揺られた。


花火をする場所は数日前に決まっていた。

それも、なんと彼方ちゃんの家。

いろはちゃんから

「彼方ちゃんの家は庭があるよ」と

メッセージが送信されていたのだ。

今更ながらみんなのいる

グループを作成したもので、

杏ちゃんなんかは「行ってみたい」と

可愛い絵文字つきで返事していた。

バケツとライターはあるから

花火だけ用意しろ、とのことで

先日パパにネット通販にて

買ってもらった花火を持っていた。

1日鞄の中に隠し持っていたおかげで

ずっとどきどきしていたのだが、

それを上回る事実を知ってしまって

楽しみなはずなのに気が気でない。


蒼「ここね。」


七「うわぁー!すごーい、豪邸だー!」


不安な気持ちも

彼方ちゃんの家に着く頃には

綺麗さっぱり、吹き飛んでいた。

とても大きなお家、

綺麗な壁、玄関にある門。

18時になろうものなら夜中かと思うほど

あたりは真っ暗で、

壁などは街灯を通した

灯の色で装飾されている。

インターホンを押すと

「門は開いてるから玄関まで来て」と

一方的に冷たく言い放ち

ぷつりと消されてしまった。


七「すごい、すごいね、蒼先輩!」


蒼「そうね。綺麗なお家ね。」


彼方「いらっしゃい。」


七「こんばんは!お邪魔しまーす!」


いの1番に玄関に上がり靴を脱ぐ。

蒼先輩は「ほんの気持ちですが」と

聞いたことのあるような言葉を言って

いつの間に準備していたんだか

紙袋を取り出した。

彼方ちゃんも

「お心遣いありがとうございます」なんて

返事をしていて、

別の世界に迷い込んでしまった気分になる。

大人がよくやるやつだ、と思いながら

ぼうっと見ていると、

2人は話し終えたよう。

さっさとリビングに行くよう促された。


リビングには詩柚ちゃんと

いろはちゃん、悠里ちゃんが来ていた。

詩柚ちゃんはお手伝いをしていたのか

キッチンに立っており、

いろはちゃんは寒いはずなのに

窓辺の床で寝転がっており、

悠里ちゃんはちょこんとソファに座っている。

みんなは1度家に帰ってから来たのか

私服に着替えていた。


七「みんな早いね!」


いろは「おー、やっほー。」


七「やっほー!後来てないのは、えっと…。」


いろは「湊ちゃんはバイトで来れないんだってー。一叶ちゃんも今回はやめとくって連絡が来てたよー。」


七「えぇっ…そんなぁ。」


蒼「無理もないわよ。急な話だったんだもの。」


七「せっかくならみんなで集まりたかったなぁ…。」


一叶ちゃんが来ないのは

それとなく理由がわかる気がした。

悠里ちゃんが参加すると知った手前、

来るわけにもいかなかったんだろう。

湊ちゃんとはあんまり話せていなかったし

今日たくさん話したいなと思っていた分、

バイトで来れないと知って

しょんぼりとしてしまう。


彼方「来てないのは杏と根岸さんだけ?」


いろは「だねー。」


蒼「杏は遅刻癖があるから今日もその一環だと思うわ。」


彼方「へー。イメージ通りすぎ。」


七「じゃあ先に準備して待ってようよ!」


いろは「いいねー。」


とはいえ何をしたらいいかわからず、

とりあえず隅っこに鞄を置いて

寝転がってるいろはちゃんを踏まないように

ソファに座った悠里ちゃんの隣に

勢いよく腰掛けた。


七「悠里ちゃん久しぶりな気がする!」


悠里「そうかも…?」


七「そーだよ!最近また一緒に遊びたいなって思ってたところだったから嬉しい!」


悠里「私も。」


七「ほんと!?わーい!」


悠里「あれからどう?何もない?」


七「何も…うーん、あ、でも最近蒼先輩と一緒の夢見るんだ!」


悠里「一緒の。」


七「そう!相思相愛!」


悠里「……多分、違うと思うけど。」


七「もー!なんでみんなそう言うのー!」


悠里「元気だね…。…でもそれ、普通なことじゃないから少し注意してた方がいいかもね。」


深刻な顔でそう呟く悠里ちゃん。

はしゃいで手足を投げ出していたが

悠里を真似するように

そっと足を抱え込んだ。


七「注意って、どうすればいいの?」


悠里「そうだなぁ…危なそうなものに触らない、とか?」


七「危なそうなもの。」


悠里「そう。これなんかおかしいよな、みたいなやつ。」


七「わかった!」


悠里「うん…お願いね。そういえば制服のままなんだね。」


七「そうなんだ!直前まで蒼先輩と遊びに行ってたの!」


悠里「え?ふふっ、どうやったらそんな体力がつくのか教えて欲しいくらいだよ。」


七「毎日探検をする!」


悠里「七らしいね。」


七「でしょ!」


悠里「でもそのままじゃ匂いとかつかない?制服のクリーニングって大変そうだし…。」


七「あ。」


ちょうどその時、

彼方ちゃんが「制服組着替えてこい」と

キッチンの方で声がした。

着替えなんて持ってないと

思った束の間、

飛び起きて鞄を確認する。

中には体操服袋がひとつ。

予想外の幸運はあるものだ。


七「はーい!」


今日1番の大きな返事をして

ちゃんと私服を持ってきていた

蒼先輩を連れて着替えに向かった。


今一種だけは

あの新聞記事のことは忘れて

思いっきり楽しもう。

ああ、楽しみだな。





○○○





彼方「向こうのサイドボードから紅茶用のカップ取ってきて。」


詩柚「あの2段目あたりのもの?」


彼方「そ。あれなら個数あったはずだから。」


詩柚「はあい。」


詩柚はいつにもなく

間延びした返事をすると

キッチンから出て行った。

今日は花火をするならと

詩柚は学校を休んできてくれた。

正確にはうちが来させた、だろうけれど。


詩柚とは先月の出来事以来

当時のような頻度では話していない。

うちも学校に残って

彼女を待つようなことはしなくなった。

ただ、もし偶然校内で会ったら

少しだけ話をして、

また互いの時間へと戻るだけ。

だからこうして長く

詩柚といるのは久しぶりだった。


いろはの持ってきてくれた紅茶や

園部さんや他のみんなが

持ってきてくれたお菓子を

いくつかのお皿に分けて配置する。

カップを2,3個ずつ持ってくる詩柚は

見れば見るほど危なっかしい。

途中から手伝うと

「ありがとお」といつもの跳ねた髪を

優しく揺らして笑った。


いろはと槙さんが

暇を潰すように話し出したのを見て、

声を潜めて詩柚の袖を引いた。


詩柚「ん?」


彼方「聞きたいことがある。」


詩柚「何かなあ。」


彼方「高田は来ないって言ってたけど、何かあった?」


詩柚「…どうしてそう思うの?」


彼方「あいつならバイトがあろうと終わってから来そうだなって。それだけ。」


詩柚「あー…。」


彼方「絶対何かあったじゃん。」


詩柚「まあ…少し。」


彼方「少しじゃないやつでしょ。」


詩柚「…。」


詩柚はカップを軽く濯ぎ、

ティーバッグを入れているも

その視線は下がっている。


詩柚は本当に何も教えてくれない。

それは先月のことから

もうわかっている。

無理矢理聞こうとしても

はぐらかされるだけ。

それも学んだ。

けれど、今回のことは

少し事情がありそうで

聞かずにはいられなかった。


彼方「何があったの。」


詩柚「…。」


彼方「ざっくりでいいよ。喧嘩したとかしてないとか。」


詩柚「……別れた、かな。」


彼方「……は?」


あまりに急な言葉に

思わず洗っていたマドラーを落とす。

大きな金属音に

いろはと槙さんが振り返るが、

「大丈夫?」と数言交わすと

また会話に戻っていった。


彼方「何それ。何があったらそんなことになんの。」


詩柚「……考えに考えて、そうなっちゃったあ。」


彼方「どっちが別れようって言ったの。」


詩柚「私。」


嘘だろう、と思っていたが

どうやら本気のようで、

より一層信じられないほどに目を見開く。

あれだけ依存していた2人が?

あれだけ高田に依存していた詩柚が?

何があったら、

どんな気持ちの入れ替えがあったら

別れようと思えるのだろうか。


彼方「なっちゃったって。なら今ご飯はどうしてんの。」


詩柚「ネットで買ったり、眠った後すぐに買い出しに行ったり。…料理はしてないから出費が嵩むけど、なんとかしてるよお。」


彼方「そうなんだ。…あー…だから高田来なかったんだ。」


詩柚「湊ちゃんが来るんなら私は来ないつもりだったけど、気を遣って先に湊ちゃんが「行かない」って言ってくれたんだと思うんだあ…。」


彼方「別れたなら気まずいか。」


詩柚「…まあ、そんな感じだねえ。」


彼方「なら、当初から全員集まるなんて無理な話だったってわけね。」


詩柚「それは津森さんのことも考えるとわかってたよねえ。」


彼方「あーね。確かにそう。」


沸かしていたお湯をそれぞれのカップに注ぐ。

暖かな室内でも湯気が空を目指した。


彼方「今頼れる先はある?」


詩柚「私の話?」


彼方「そりゃあ。」


詩柚「…どうだろうねえ。」


彼方「じゃあさ、ガチで死にそうって思った時連絡してよ。」


詩柚「え?でもあの関係は終わりにしたんじゃ…。」


彼方「だから、ここぞって時以外は行かない。最悪な場合の避難先、みたいな。」


詩柚「ここぞ…。」


彼方「そ。ないに越したことはないけど。」


詩柚「……ありがとう。」


詩柚は小さくその言葉をつぶやいた。

うちを頼るかどうかは

詩柚次第だけれど、

今の言葉はあくまで

受け取ったと解釈しておこう。


彼方「いろはー。今日の催しにうちの家を指定したからには働けー。」


いろは「今は休憩するのに忙しいのにー。悠里ちゃん、お願いー。」


悠里「え、あ、急に丸投げ…?」


彼方「いろはは来い。槙さんさ、よかったら運ぶの手伝ってくんない?」


悠里「うん。」


結局いろはは渋々起きて

カップを2つだけ配置してまた寝転がった。

「他に手伝えることある?」と

槙さんが声をかけてくれたものだから、

近くに用意していたバケツに

水を入れてきてもらうことにした。


七「じゃじゃーん!わあ、いいにおーい!」


汚れてもいいような、

けれどある程度綺麗な

私服に着替えた園部さんと、

学校指定っぽいジャージを着た七が戻る。

一気にうるさくなったと思った瞬間、

インターホンが鳴った。





○○○





うちが着く頃には

ほとんどの人が集まっていた。

玄関先で古夏と出会ったものだから

一緒に来たかのように

並んでインターホンを押して待つ。

寒いっすね、舞台以来だよね、元気だった?

そんな浅い話をしながら

彼方の家にあげてもらう。


準備は整っているようで、

うちが来て早々に

七が花火の袋を開封していた。


七「じゃじゃーん!手持ち花火セット!」


蒼「どうして大袋を2つも用意したのよ。」


七「だってみんないるし、ひとつじゃすぐ無くなっちゃうよ!3袋お願いしたけど2つまでってパパに怒られちゃった。」


いろは「七ちゃんのパパさんに感謝だー。」


彼方「火つける時はそこのコンクリートのところでやってよ。草のところは行かないで。」


七「はぁーい!」


彼方「あー…駄目そ、一応バケツ追加。詩柚お願い。」


詩柚「了解ー。」


蒼が古夏の元に話しかけに行くと

七もくっついてきて花火を渡していたり、

いろははマイペースにも程があるようで

リビングにあるテレビをつけたり

近くの棚を見に行ったりと自由に行動している。

みんなでいるけれど

割と個で独立しているような

不思議な空間だなと不意に思う。

七が乱雑に開いた花火の種類でもみようかと

手を伸ばしたところ、

隣に誰かがしゃがむのがわかった。

顔を上げると、そこには

これまで画像でしか見たことがなかった

槙さんがいた。

先日一叶を巡って

意見が対立してしまったことで、

妙に距離感があるのだ。


杏「あ、一応初めましてっすよね。」


悠里「ですね。初めまして、槙悠里です。」


杏「忽那杏です。てか槙さんの方が先輩なんすから敬語とかなんもいらないっすよ。」


悠里「それを言うなら、私だっていらないよ。」


杏「いいんすか?じゃお言葉に甘えて。」


悠里「うん。」


会話が途切れる。

ああ、なんと短いことだろう。

堅物の蒼でももう少し

まともな会話ができるだろうに。

気を紛らわせるように

花火をひとつ手に取ると、

七は「それにするんだね!じゃあ」と

自分の花火を選んでライターを手に取った。

危なっかしくて

咄嗟に蒼が取り上げる。

七は不貞腐れていたけれど、

蒼に火をつけてもらってご満悦のようだった。


大きな窓を開き、その淵に座ったり

窓際の外は一部コンクリートやレンガで

綺麗な装飾がされており、

火事の心配もなかったため、

数人は靴を持ってきてしゃがんだりしていた。

悠里とそのまま距離を置くのも

嫌な後味があると思い、

線香花火を2つ取って隣に座る。


悠里はぱちぱちと弾ける手持ち花火を

じっと見つめているようだった。


杏「お隣しつれーい。」


悠里「杏。」


杏「次の花火はこれね。」


悠里「そんなわんこそばみたいに来られても…。」


杏「真剣な話をするのにうってつけ、線香花火ー。」


悠里「こんなキャッチフレーズは嫌だ…?」


杏「うわ、それだわ。」


癖で足を組んで待っていると、

手持ち花火は途中で色を変えて

やがて徐々に萎んでいった。

燃えかすはバケツに投げ入れ、

線香花火を1つ持ってもらい

それぞれのものに火をつけて

次の人へと回す。


七を中心にいろはやら蒼やらが

はしゃいだり怒ったりしているおかげで

ゆっくり話していても

賑やかさは変わらないよう。


悠里「真剣な話って?」


杏「まあ…言わずもがな一叶のことなんだけど。」


悠里「そうだよね。」


先日Twitterで、

悠里自身は一叶のことを許せず

今後も敵対心していく旨を語っていた。

しかし、うちにとっては友人で、

友達である以上助けたいと思っている。

そこの意見が合わず、

対立するような形になってしまったのだ。


杏「一叶のことをどう考えていたとしてもさ…リプライでも言ったけど、悠里とは仲良くしたいと思ってる。」


悠里「うん。…それは私も。」


杏「ただちょっと意見が合わないってだけだから…そのくらいまあある話じゃん?」


悠里「ちょっと意見が合わないと言うかは真逆…だけどね。」


杏「ウケるくらい真逆だよね。」


悠里「杏は一叶のこと、どうしたいの?」


杏「今後も友達でいれたらいいと思うけど…。」


悠里「うん。」


杏「ただ人を殺めてることも事実。」


悠里「…うん。」


杏「だから最新の注意を払うべきとは思う。けどさ、一叶はあくまで機械で、誰かの指示に従ってやってるって言ってたんだよ。」


悠里「…。」


杏「だから一叶とどうこうしたいというよりかは、一叶を操ってるさらに上の部分を叩きたいって感じ。」


悠里「…それは、私もそう思ってる。」


杏「そうだったんだ?」


悠里「恨むべきは一叶じゃなくて、一叶を操ってる側だってことはわかってる。…わかってるんだけど、それでも手をかけたのはあいつだから…それがどうしてもノイズになって、一叶ばかり恨んでしまう。」


線香花火はようやく火を集め、

球体を作り出したところだった。

ここから四方に火花が弾けるなんて

なかなかに想像できないもので。


悠里「駄目だってわかってるのに。」


杏「駄目じゃないでしょ。」


悠里「…。」


杏「一叶に対しての意見は真逆だし、もし悠里が一叶をぼこぼこにして壊そうとするもんなら止めに入ると思う。でもさ、悠里にとって悲しかったことや辛かったことを否定しようってんじゃないよ。」


悠里「…うん。」


杏「恨み持ってて当然じゃん。そこは他の人間はもちろん、何より自分が否定しちゃいけないところなんじゃないかな。」


悠里「恨んでていいなんて初めて言われたよ。」


杏「え、そう?」


悠里「恨みを持ってたって碌なことにならないってよく言うから、杏がそう考えてるって知ってびっくりしてる。」


杏「あはは、まあ碌なことにならない確率は高いかもだけどさ、うちは感情と実際に起こす行動は別にしていればいいと思ってる派かな。」


悠里「恨みは持っててもいいけど、やけになるな…みたいな?」


杏「そう。恨んでようが殺したかろうが、自分の首をこれ以上絞める必要はないし、絶対他に方法はあるはず。」


悠里「…だといいな。…でも、もしものことがあったら私は一叶を壊しにかかると思う。」


杏「うちが止めるよ。」


悠里「……怪我させたらごめん。」


杏「うちまでやる気だ。」


悠里「いや、そう言うわけじゃないけど…もし周りが見れなくなったらって話で…。」


杏「うん、わかるよ。周りが見れなくなるくらいのことが起こったならそれはしょうがないし、正気が戻るまでうちが叩いてやる。」


七「な!喧嘩は駄目だよー!」


杏「ちゃーんとしたお話ししてんだから七はあっちいけー。」


七「ひどいひどい!線香花火落としちゃうぞー!」


杏「いやいやいやそれだけはやめろって!」


七が乱入するだけで

あたりは一気に騒がしくなる。

怪獣のように片手を上げるも

影だけ化け物のようで

実体はまるで怖くない。

子供のような驚かせ方に

思わず悠里が吹き出していた。

七はそれで満足したのか

今度は古夏の方へとすいすい泳いでいく。


杏「あははー…話それちゃったね。」


悠里「楽しくていいね。」


杏「七ねー…いるだけで明るくはなるよね、危なっかしいけど。」


悠里「ふふ、わかる。」


杏「だよね。まあ話を戻すとそうだね…感情が抑えらんなかったらうちが止めに入るよう善処はする。そこで喧嘩になったって恨みっこなし。」


悠里「うん。…一叶をどうにかする方法、見つけなきゃね。」


杏「それは…探してこ?」


悠里「…手伝ってくれるの?」


杏「この話の流れで手伝わないことある?」


悠里は目をまんまるにした後、

「そっか」と噛み締めるように呟いた。

彼女が顔を上げる。

ようやく目が合った。


悠里「ありがとう。」


杏「こちらこそ。」


その時、ついに線香花火が

盛大に火花を散らし始めた。





○○○





七「古夏ちゃん古夏ちゃん!この花火綺麗だったよ、もうやった?」


すると古夏ちゃんは首を横に振る。

前に話した時よりも

いくらか主張がわかりやすい気がした。


七「ほんと!?ぜひぜひやってみて!」


古夏「…!」


蒼「無理してない?」


古夏「…。」


古夏ちゃんは迷いなく頷いた。

首を傾げていないあたり

本当に迷惑とは感じていなくて、

楽しそうに目を輝かせて

花火を見ているよう。

楽しんでくれているのが

純粋に嬉しかった。

古夏ちゃんとは学校ですれ違ったら

少しだけ話してはいたけれど、

前のように遊びに行ったり

どこかに行ったりというのは

めっきり無くなってしまった。

というのも、蒼先輩からの言葉もあって

もしかしたらどこかで

嫌がってるんじゃないかと思うと、

考えなしに誘わない方が

いいように思ってしまったからだった。


だから今日も楽しめるか不安だったけれど、

いろんな花火を手に取って

次々に着火していく姿を見るに

楽しんでいそうで嬉しい。


いろは「そういえば3年生組って今忙しくないんですかー?」


詩柚「私は定時制だし卒業は来年だよお。園部さんたちの方が大変じゃないかなあ。」


ね、どうなの?と

詩柚ちゃんが視線をくれた。


蒼「私は普段から勉強しているから大丈夫よ。」


詩柚「おおー、すごい。」


七「すごいんだよ、蒼先輩、どんな問題も正解しちゃうの!」


彼方「どうせあんたが低レベルなことで詰まってるからそう見えるだけでしょ。」


蒼「大体正解ね。」


七「むきーっ!」


蒼「ところで古夏は大丈夫だった?」


古夏「…!」


古夏ちゃんは視線が

集まっていることに気づいて

みんなの顔を見回した。

何度かこくこくと頷いたけれど、

納得いかないようで

少し首を傾げている。


いろは「あー…花火。」


七「どういうこと?」


いろは「花火持ってて文字書けないから困ってるんだよー。」


七「あ、そういうことだったんだ!じゃあそれ終わってからだね!」


古夏「…。」


そんな話をしていると

思っている以上にいいタイミングで

花火は切れたようで、

バケツに浸してから紙とペンを取る。

書き終えたものを

さも当然のように

蒼先輩の方へと渡した。


蒼「『就職先が決まったので大丈夫です』だそうよ。」


七「え!?就職!?すごーい!」


杏「待って誰が就職って?」


七「古夏ちゃんだよ!おめでとうー!」


困ったようにあたりをきょろきょろと見回し

肩を縮めながらも

困ったように笑った。


元は進学を希望していたけれど

自分の状況を見てそれは難しいことから、

声の症状に理解のある、

支援制度のよく整った場所で

働くことにしたらしい。

まるで自分のことのように嬉しくて

はしゃいでは彼方ちゃんや

蒼先輩に怒られた。

でも、そのくらい嬉しくてたまらなかった。


みんなそれぞれ進路を選んでいるんだ。

2年後自分もこうなれるのかな。

私の目指すかっこいい探偵にー。


そこで不意に思い出されるのは

蒼先輩が約10年も前に

亡くなっているというあの事実だった。


七「…。」


ふと、隣にいた蒼先輩を見る。

みんなになって見えているから幽霊じゃない。

杏ちゃんは確か

中学時代は蒼先輩と同じ部活だったはず。

蒼先輩は昔からいるのに、

あの記事はただの同姓同名だと判断して

終わらせればいいのに、

どうしても引っかかって仕方がなかった。


蒼先輩と目が合う。

花火の光が反射して

朝焼けに照らされる海のように煌めいている。


生きてるよ。

蒼先輩は生きてる。

だからと言って、新聞記事に嘘を書くだろうか。


知らなきゃいけない気がする、

解き明かさないとすっきりしないじゃないか。


きゅ、と

手持ち花火を強く握りしめた。

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