第53話 悪足掻き
衝撃で建物全体が大きく揺れる。
「なんだ!?」
俺は崩れた外壁の前に駆け寄り、眼下に広がる工業的な街並みを見下ろす。
するとそこには火の手を上げる巨大な建造物があった。
額から冷や汗が流れ、床へと落ちる。俺は、あの建造物を知っている。
「あそこ……は……。まさか……!?」
「ふははははははっ!!!!!」
エリュシオン全体に耳障りな声が鳴り響く。
聞き間違えるはずもない。微かな電子音が混ざっているが、この声は先程、俺がこの手で殺した人物の声だ。
「アドストォォォオオオオオ!!!」
俺は怒りに任せ、大声で叫んだ。
これで悲願は果たされ、オルデュクスの目的も果たされ、囚われていた隷属兵たちは救われる。
この声が響かなければ全てが丸く収まっていた。それが最後の最後で台無しだ。
アドストは
「どうしてですか!? 確かにこの目で……」
――殺したはず。
ホタルの目は言葉にせずともそう語っていた。
俺も同じ気持ちだ。ヤツの肉体を元にした魔人は俺が跡形もなく消し去った。あの状況で生きているはずがない。
しかしこの声は確実にアドストのものだ。
……まさか
そうは思ったが、違和感がある。ヤツらは生に固執し、不死者となった存在だ。
そんな不遜な人間が自分の紛い物とでも言うべき
答えは否だ。
そんなことを思っていると、アドストは意気揚々と答え合わせを始めた。
「貴様が思ってあることを当ててやろうか? そうだな……。『なぜ生きている』か? それとも『殺したはずだ』か?」
アドストが忍び笑いを漏らす。
しかし腹立たしいことに全くもってその通りだ。
「安心するがいい。
アドストが尊大に言い放つ。
「察しが良ければ気付いているだろう。今しがた爆破したのは
ブツッと音がして、放送が切れる。
なんという皮肉だろうか。かつて俺が抱いていた悲願が
つまりは道連れだ。
自分が死んだのだからお前も死ね。
アドストはそう言っている。最低最悪の悪足掻き。最後の最後まで醜い豚だ。
「ヨゾラ! 早く逃げましょう! 【棺】まで行ければ助かります!」
そうだろう。
ホタルの言う通りにすればエリュシオンが堕ちる前に逃げ切れる。
……だが隷属兵たちはどうなる?
俺は浮遊石を護る建造物、
そして現在見えている範囲から爆発箇所と規模を算出した。
おそらく爆発したのは浮遊石のすぐ側だ。
まだ落下が始まっていないのは浮遊石の効力が残っているからに過ぎない。いうならば今は僅かに残った猶予時間。
きっと程なくして機能停止に陥るだろう。
それがどれほどの時間かは分からない。
だが、行動を起こすのなら急ぐ必要がある。
「……ホタル。先に行ってくれ」
俺はホタルの言葉にそう答えた。
猶予時間はそれほど残っていない。エリュシオンが落ちるまでに一体どれほどの隷属兵が転移ポータルへ辿り着けるだろう。
おそらく多く見積もっても数十人だ。
確実に何百、何千もの隷属兵たちが命を落とす。
ようやく自由になれた隷属兵が、だ。
そんなこと、許すわけにはいかない。
「ヨゾラ……? まさか、まさか残るというのですか!?」
ホタルが大声を張り上げる。
その目には今にも決壊しそうなほど大粒の涙が浮かんでいた。
俺は敢えて涙に気付かないふりをする。
「ホタル。最期の頼み――」
「イヤだ! 聞きたくない!」
ホタルは頭を降り、俺の言葉を遮った。
続く言葉を聞くまいと両手で耳を塞ぐ。
「絶対にイヤ! ヨゾラは私と帰る! じゃなきゃ! じゃなきゃあんまりだよ……」
その時、再度爆発音が響き渡った。
ここで言い争いをしているわけにはいかない。このままでは俺だけでなく、ホタルたちも命を落としてしまう。
俺はホタルに視線を合わせ、その手を取った。
「……ホタル。お願いだ。俺の最期の頼みを聞いてくれ」
「イヤだよ……。最期なんて言わないでよ。次は私に協力してくれるっていったじゃん……」
ホタルの目からついに大粒の涙が零れた。
涙は
「そう……だな」
「なら……!」
「――でも、これは俺にしかできないんだ」
俺は決意を込めた瞳でホタルの紅い瞳を見る。
彼女ならわかってくれると信じて。するとホタルは顔をくしゃくしゃに歪めた。
「ズルイ……。ズルイよ……ヨゾラ」
ホタルは顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
だけど俺は嬉しかった。心には暖かい感情が宿っている。
ホタルとは出会って数日だ。なのにも関わらず、これほどまでに想ってもらえているとは思っていなかった。
……ごめん。
心の中でそう呟きアイザックとリリーにも視線を向ける。
「俺が力を使って時間を稼ぐ。だから一人でも多くの隷属兵を救ってくれ」
初めに頷いたのはアイザックだった。
「俺らが何を言っても無駄なんだろ?」
「悪い。変えるつもりはない」
アイザックは目元を歪めると、仕方がないとばかりにため息をついた。
「ホタル。リリー。悪いが俺はヨゾラにつく。これは男の信念だ。曲げさせるのは無粋だ」
「ありがとうアイザック」
「わかったよぉ。そーゆー男の信念? っていうのはよく分からないけど、大切なことなのはわかるから」
「ありがとうリリー」
リリーも頷いてくれた。
残るはホタルだけだ。
「……ホタル」
名前を呼ぶと、ホタルは涙を拭って立ち上がった。
紅の瞳が俺を射抜く。
「……約束!!! ……したからね? 私の夢を叶えるって。だから……だからね。……必ず帰ってきて!!!」
その言葉に俺の瞳にも熱いものが込み上げてきた。
「………………ああ。約束する」
これは守れない約束だ。してはいけない約束だ。
だけど約束したかった。
これで最期は嫌だと思ってしまったから。
するとその時、再び爆発がした。
そしてついに落下が始まる。
「ホタル! 行くぞ! ヨゾラ!
アイザックが入り口に向かって駆け出した。
「待ってるよヨゾラくん!」
アイザックにリリーが続く。
ホタルも涙を振り払い、入口の方を向いた。
しかし一歩目を踏み出したところで足を止める。
「ホタル?」
疑問に思い、名を呼んだ。
するとホタルは勢いよく振り返り、俺の胸に飛び込んできた。
「……ッ!?」
気付いた時には目の前にホタルの顔があった。
唇に柔らかい感触がして、時が止まる。
自慢の頭脳が
……。
閉じられた目、真っ赤に染まった顔。
どれもがこの世のものとは思えないほど美しかった。
一瞬という時が果てしなく長く感じる。
やがて柔らかい感触が離れていく。
「……約束だからっ! 絶対に生きて帰ってきてっ!」
俺が答える前に、ホタルは駆け出した。
「………………」
茫然としている間にホタルは部屋から出ていき、視界から消えた。
俺は無意識に自分の唇に指を触れる。
初めてのキスは涙の味がした。
地面の揺れでハッと我を取り戻す。
胸中には自分の知らない感情が渦巻いていた。もう少しで手が届きそうな感情だ。
……いや。
俺は頭を振って余計な思考を掻き消す。
もう考えても意味はない。
「――
俺は魔力が空になった右腕を起動し、床にあてる。
そして
エリュシオン全域の重力を支配下に置き、制御する。
無謀とも言える計算量。
しかしマクスウェル謹製の薬物を使用している今ならば可能だ。
だがそれでも完全に静止させることはできない。できることは落下を緩やかにすることだけだ。
「……さて、果たして何分保つか」
ピシィっと音がして侵蝕が始まる。
右腕は飢餓状態だ。喰らう魔力がないならば俺を喰らう。それが代償。
俺は身体を侵蝕される激痛に耐えながらひたすらに重力制御を行う。神経の一本一本を素手でかき混ぜられるような痛みに意識が飛びそうになる。
だけど耐える。
耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて耐えて――ひたすら耐えた。
一体どれほどの時間が経ったのか。もはや時間感覚はない。
目が見えなくなってから随分と時が経った。既に身体の感覚もない。
もはや何のために耐えているのかもわからなかった。
だけど思い浮かぶのは名も知らぬ少女の笑顔。
この笑顔を思い出すと、がんばらなければならないと思える。
……この子は誰なんだろうな。
内心で思う。
だけど誰かわからなくても一つ確かなことは覚えていた。
……俺はこの子のことが好きだった。
俺に残った感情はそれだけだ。
そしてついに限界はやってきた。
「うぉおおおおおおおおおおおおおお!!!」
雄叫びを上げ、最後の力を振り絞った。
命の焔が燃え尽きるまでひたすらに耐え続ける。
やがて俺は白い焔に包まれ、燃え尽きた。
その日、
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