第6話

15年が過ぎた常陸太陽の庭。春の風が柔らかく畑を撫で、リンゴや梨の木々が白や淡いピンクの花を咲かせている。初めての本格的な果樹収穫期が近づく中、カオリは「ここまで長かったわね」と感慨を噛みしめる。

 最初は何もなかった荒地が、いまや多品目栽培、再エネ稼働、IoT監視、AI活用、研修生・スタッフ拡大、学術提携、地域共創、海外発信など、多方面に枝を伸ばした「生きた組織」となった。組織は内部文化を形成し、スタッフ同士が呼吸を合わせ、毎日を彩るようになっている。


 その朝、研修生から昇格した若手技術担当が、カオリに声をかける。「先輩、あの新品種のリンゴ、甘みの最適収穫日がシタバのモデルで確定しました。あと10日後に初収穫できるらしいです」

 カオリは瞳を輝かせる。「やっとこの日が来るんだね。長い時間をかけて育てた果樹が、データと経験を積み重ねて得た最適タイミングで実を結ぶ……何だか夢みたい」


 ソラは「この記念すべき初収穫を、映像クリエイターとコラボして記録に残しませんか?SNSや映像配信で世界中のファンに共有できる」と提案。テンは「収穫当日に小さな祝賀イベントを開いて、地域の人や顧客を招いては?甘みの頂点に達した果実をその場で味わってもらえば、ブランドへの信頼が増します」と興奮気味。

 ワキメは「輸出用のサンプルを準備して、海外バイヤーへ発送しましょう。これが受け入れられれば国際市場へ本格参入です」、フルは「この品種は耐病性も高く、将来の主力作物になり得ます。土壌は既に整っており、量産体制へ移行可能」、シタバは「収穫データを蓄積すれば、翌年以降さらに精密な予測ができ、効率向上が見込めます」と、皆が躍動的なイメージを描く。ティカは満足そうに「これまでの努力が結実する時です。慎重にイベントを計画し、リスクと利点をバランス良く管理しましょう」と冷静にまとめる。


 カオリは「よし、初収穫イベントをやりましょう。地域住民、顧客、研究者、スタッフ、皆で喜びを分かち合う場にしたい。そして世界にも、この果実が生まれた背景を知ってほしい」と微笑む。

 過去の苦労が一つのピークを迎え、ここからさらに新しい章が始まる予感がする。


 だが、新たな幸せの一方で、今度は内部的な悩みも浮上する。スタッフが増え、多様な意見が交錯する中、一部で方向性の違いが表面化し始めた。

 ある若手スタッフは「もっと大量生産して価格を下げ、幅広い消費者に食べてもらいたい」と主張し、別のスタッフは「品質と希少性を維持し、高価格帯でブランド価値を守るべき」と反論する。中庸を取る意見もあれば、加工品や観光事業にシフトすべきとの声も上がる。


 組織が大きくなれば、価値観やビジョンのぶつかり合いは避けられない。カオリは悩む。「この農園は何を目指していたっけ?」

 ティカに問うと、「初心は『人と自然と技術が調和する新しい農業モデル』でした。その中で品質重視か、量産を目指すか、文化発信に特化するかは戦略の問題です。優先順位を明確にしましょう」と淡々と答える。

 ワキメは「マーケット分析から言えば、高品質路線を維持すればブランド力が増し、中長期で安定的な収益を確保できます。大量生産に傾けばスケールは出ますが、個性が埋没する可能性がある」、フルは「土壌的には大量生産も可能だが、自然と調和しつつ品質を維持するには、無理な拡大は危険」、シタバは「データから見ると、高付加価値戦略がこの土地の特性に合っている。規模拡大には新たなリスク」、ソラは「ブランド物語は希少性やストーリー性を重視した方が響く」、テンは「お客様は価格より体験価値を求めている傾向があり、体験型サービスやイベントを強化すれば、価格に見合う満足度を提供できる」と多面的な分析が続く。


 カオリは「私が何をしたかったか思い出そう」とつぶやく。最初は荒地を蘇らせ、人と自然と技術を結合して未来を創ること。それは大量生産の工場ではなく、個性と文化を宿した庭であったはずだ。

 「大量生産で価格競争に巻き込まれるのは、この土地の独自性を損ないかねない。それよりも、品質と体験、文化価値を高めて、この農園に来る意味、ここで味わう作物の意味を強固にしたい」と考えを固める。


 カオリはスタッフ会議で方向性を示す。「私たちは品質とストーリーを重視し、希少価値や体験を提供する路線を選びます。量産路線も悪くないけれど、この土地が持つ微生物相や自然とのバランス、地域との共創、研究者との知見蓄積、そしてAIが支える精密な農業手法によって生まれる『唯一無二の味』こそが、常陸太陽の庭の強みだと思うんです」


 スタッフは真剣な表情で聞いている。中には「なるほど、たしかにこの農園は普通と違う価値がある」と納得する声もあれば、まだ迷う人もいるが、カオリは続ける。「農園が大きくなれば悩みも増えるけど、一緒に考えて成長したい。あなたたちの意見は大切。将来、必要なら一部商品の大量生産も検討するかもしれない。でも今は、この方向で進みましょう」


 ティカは「リーダーシップを発揮しましたね。優先順位が明確になれば、皆が動きやすくなります」と後押しする。テンは笑顔で「これで内部摩擦も減るでしょう。お客様にも納得しやすいメッセージが届けられますよ」と嬉しそう。


 研究者との共同開発も進展し、新品種開発に拍車がかかる。学術的なデータを活かして、独自品種や特殊なハーブが誕生し、これが地域農家とのシェアプロジェクトへと発展。「常陸太陽の庭」発のテクノロジーと知見が、周囲を巻き込んで新しい産地ブランドを創り上げる。地域は互いの強みを組み合わせ、「常陸エリア」として統一ブランドを立ち上げる話も浮上する。ワキメは「エリア全体が共に成長すれば、世界から見て魅力的な食の旅先になる」、ソラは「ストーリー性抜群。常陸エリア全体を舞台にした食と文化のフェスティバルを開催できますね」と目を輝かせる。


 カオリは数年先、もしかすると20年目を超える頃には、常陸太陽の庭は地域ブランドの中核となり、国内外の人々が訪れ、研修生や研究者が集まり、新品種や新サービスが次々生まれる多元的な空間になっているかもしれないと想像する。


 


 遂に果樹の収穫が視野に入り、国際展開や組織内の方向性、地域とのさらなる共創、新品種開発など、多くの要素が絡み合って物語が一段と厚みを増す。カオリは迷いながらも方向性を定め、品質とストーリー重視で進む決断を下した。

 次は実際の初収穫イベントや国際バイヤー対応、地域ブランド化へ向けた一歩など、さらなる展開が待っている。



数日後、常陸太陽の庭は朝から賑わいを見せていた。初収穫イベントの準備が進み、スタッフが横断幕を張り、テーブルにクロスをかけ、SNSで事前告知した「初めてのリンゴ収穫体験」に招かれた地域の人々や常連顧客が集まりつつある。

 畑の中心には、一本のリンゴの若木がある。まだ大木ではないが、小さな赤い実が枝先で揺れ、陽光を浴びて艶めく。その実が、この農園が10年以上かけて紡いできた物語の新たな象徴になる。


 カオリは深呼吸して、研修生だった青年——今は技術担当スタッフとなった彼——と顔を合わせる。「準備はいい?」と尋ねると、彼は笑って「ばっちりです。IoTセンサーで糖度や酸度も計測済みで、いまが最適点です」と自信満々に答える。

 孝三郎は電気設備を最終チェックし、雪江はエディブルフラワーを摘んでサラダ用トッピングを用意する。スタッフは収穫体験キットを並べ、テンが「お客様が来ましたよ」と声をかける。


 訪れた顧客の中には、子供を連れた親子や若いカップル、地域の年配農家、さらには研究者もいる。テンが丁寧な挨拶で迎え、ソラがデザインしたパンフレットを手渡し、ワキメは輸出用のサンプルをこっそり準備中。フルは土壌に指を当て、「この環境がこのリンゴの味を紡ぎ出したんだ」としみじみ言う。シタバはデータ端末を手に、収穫後すぐに成分分析ができる態勢を整える。ティカは全体を見渡し、問題がないか確認している。


 カオリはマイクを持ち、簡易なスピーチを始める。「皆さん、今日は常陸太陽の庭へようこそ。10年以上かけて育てた果樹が、ようやく初収穫を迎えます。このリンゴは、私たちが再エネやAIを活用し、土と対話し、地域と共創し、試行錯誤を重ねた結晶です。甘みと香りを、ぜひ味わってください」

 拍手が起こり、子供たちは「早く食べたい!」と目を輝かせる。


 いよいよ収穫の瞬間、研修生出身のスタッフがリンゴを丁寧に摘み取り、笑顔でカオリに手渡す。カオリはナイフで一口大にカットし、数粒を皿に乗せて客へ差し出す。

 顧客が口にすると、目を丸くして「甘い……でもただ甘いだけじゃない。深い味わいがある」と驚嘆する。地域の農家は「こんな味がこの土地で生まれるとは。技術と土との対話が成し遂げた味だな」と感服し、研究者は「微生物相と遺伝子改良の成果が体現されている」と興奮する。


 子供が「おいしい!もう一個食べてもいい?」と笑顔で言ったとき、カオリは涙が出そうになった。「ありがとう。これが私たちが目指したものよ」と微笑み返す。


 イベント終了後、SNSでは「常陸太陽の庭の初収穫リンゴが絶品!」と評判が広まり、オンラインで味わい体験記を発信する企画も盛り上がる。ソラは「ここで映像クリエイターが撮ったPVを配信しましょう。収穫の日の感動、土を耕す日々、スタッフの笑顔、研修生が成長する姿、研究者の分析風景……全部紡いで、物語として発信すれば、国内外で大きな反響を得るはず」です。


 ワキメは同時に海外バイヤーへサンプルを送る。「このリンゴはまだ供給量が限定的ですが、高品質で希少性が高い。価格設定も慎重に行いましょう。希少性を武器に、ブランド価値を高めれば、最初は小規模輸出から始め、徐々に拡大できます」


 一方、地域内では、ブランド産地化への動きが本格化する。周囲の農家も、新たな品種や手法を取り入れ始め、常陸エリア全体で「技術と自然の調和」をテーマに観光ルートを作る構想が浮上。「常陸フード&カルチャーフェスティバル」を年1回開催し、来訪者に食材だけでなく、地元の工芸品や音楽、伝統芸能も楽しんでもらう計画が動き出す。カオリは「これこそ地域共創の形。農園が地域全体を巻き込む触媒になれた」と誇らしく思う。


 研究者との共同開発も成果を出し、新品種のハーブや果実がパイプラインに乗り、特許出願の話も具体化する。シタバが蓄えたデータ解析は、さらなる効率化やリスク軽減策を可能にし、気候変動リスクへの対応力も年々高まっている。


 カオリは、こうした成功と拡大の中で、新たな内部的ジレンマも感じる。人材が増え、様々な国や分野の人が関与する中、組織カルチャーの維持が課題になる。一部スタッフは「もう少し大量生産してもいいのでは?」と再び主張し、また別のスタッフは「もっと芸術性や文化的要素を打ち出して、農園を美術館のような空間にできないか?」と極端な提案をする。


 カオリは苦笑しながらも、この多様な声を歓迎する。すべてを受け入れることは難しいが、自由な発想が新たな可能性を拓くのは確かだ。ティカは「リーダーとして、優先順位とバランス感覚が試されるときです。多様なアイデアを淘汰せず、対話を通じて収斂させるスキルが必要」と助言。テンは「スタッフの意見発信をサポートする仕組みを整えましょう。定期的なアイデア会議や意見箱の導入を」、ソラは「新アイデアをプロトタイプで試すイベントを開催して、実験的に取り組めば、無理なく方向性を探れます」と提案する。


 気候変動は依然として不確定要素だが、常陸太陽の庭はレジリエンス(復元力)を高めてきた。防災マニュアルやIoT警戒システム、地域との連携で、自然災害にも冷静に対応できる。ワキメは世界的な市場動向をモニタリングし、国外で再エネ・スマート農業が話題になるたび、輸出戦略を微調整する。フルは土壌改良を継続し、土地固有の味わいをさらに研ぎ澄ませ、シタバは新しい解析アルゴリズムで、より精緻な収穫予測や資源配分を可能にする。


 カオリは夕暮れ、畑を見渡して「これが私たちの築いた世界か……」と感慨に耽る。

 10年以上かけて、荒地が希望の庭になった。人々が集い、食べ物が心を豊かにし、技術が未来を照らし、自然が優しく微笑む。組織は強く、学術と市場が交差し、地域と世界が繋がる。この農園は、もう個人の挑戦を超えた存在だ。


 今は第4章を綴っている最中だが、物語はまだまだ続く。15年目から20年目に向かうこの章で、常陸太陽の庭は国際的な知名度を確立し、地域ブランド形成をリードし、新たな文化価値を生み出そうとしている。次のステップはどこへ向かうのか?カオリにはまだわからない。しかし、方向性は明確だ。多様な声、知恵、経験、データが織り合い、この土地をより豊かにするために前進するだけだ。


 夜空には星が瞬き、微かな風が草木を揺らす。カオリは穏やかな笑みで画面越しのAIたちを見つめ、「次は何を試せるかな?」と思い描く。まだ見ぬ味、まだ語らぬ物語、まだ芽吹いていないアイデアが、この土地の中に眠っている。彼女は鍬を握り、次なる春を待つ。




晩春の午後、常陸太陽の庭は心地よい微風に包まれている。果樹の若い実は成長を続け、畑には多様な作物が並ぶ。ハーブ畑では淡い花が咲き、ミニトマトやブルーベリーは既にブランドの定番商品として安定販売中。スタッフや研修生が笑顔で作業し、IoT監視画面には生育データが流れている。


 そんな中、カオリは町役場からの呼び出しを受けた。地域ブランド形成と観光政策の打合せで、常陸太陽の庭がモデルケースとして検討されている。

 会議室で町長が語る。「君の農園は、地域を盛り上げる起爆剤だ。今、県や国からも注目され、補助金やプロジェクト支援を検討中なんだ。地方創生のモデルとして紹介できるかもしれない」

 カオリは戸惑いを隠せない。「地方創生モデル?そんな大層な……私たちはただ、土地を生かし、人と自然と技術を結びつけてきただけです」

 町長は笑う。「それが特別なんだよ。多くの地域が衰退する中、ここは発展している。再エネ、AI、学術連携、地域共創、国際的な視点……全部が揃ってる。行政としても君たちをバックアップしたいんだ」


 政治的な関心は悪い話ではないが、カオリは微かな不安を感じる。行政主導で観光開発が過剰になれば、農園がアイデンティティを失う可能性もあるのではないか?量産化や観光地化が加速すれば、品質重視の哲学が揺らぐかもしれない。

 ティカに相談すると「政治的関与は資金やインフラ整備の利点があるが、方向性を誤れば農園本来の価値が損なわれます。明確な価値観と合意条件を定め、必要な支援だけ受けるのが最善です」と示唆。ワキメは「輸出や広域観光ルート整備には行政の力が有効」、フルは「自然への配慮を忘れず環境基準を守れば、量産圧力にも抗えます」、シタバは「データで説明すれば、政治家も品質維持が合理的と理解できる」、ソラは「共感的な物語を行政にも伝え、商業化が極端にならぬよう文化価値を前面に出しましょう」、テンは「訪問者や市民の声を活用し、市民参加型のブランド戦略を構築すれば、政治的圧力も緩和できます」と提案。


 カオリは意を決して、町長に条件を提示する。「私たちの農園は、品質とストーリーを重視する方向を崩しません。量産化や単純な観光地化は避けたい。むしろ、文化や芸術、教育や研究、コミュニティ形成を通じて持続的な価値を育む方が、この土地の未来にふさわしいと思います」

 町長は頷く。「わかった。無理強いはしない。ただ、君たちが生み出す文化的価値を、行政としても支援したい。観光インフラの改善やフェスティバルのサポートなど、必要なら言ってくれ」


 こうして政治的な関与は「協力関係」として始まった。カオリは緊張が解け、「よし、外圧に流されるのでなく、パートナーとして活用しよう」と腹を括る。


 その後、芸術家とのコラボ企画が浮上した。地元出身の若い画家が、農園をモチーフにした絵画展を開きたいと申し出る。「常陸太陽の庭は、光と土と人の活動が織りなす有機的な空間で、キャンバスに収まりきらない生命力を感じる」と画家は熱弁する。

 カオリは興味津々だ。芸術表現で農園の価値を伝えられれば、観光客や顧客が食だけでなく文化的体験にも満足できる。「農園美術展」を開催すれば、収穫物や土壌サンプル、機材展示、科学的データも組み合わせて、一種のインスタレーションのような空間を作れるかもしれない。


 ソラは喜び、「これこそブランド強化の好機。農園は自然と技術だけでなく、芸術を受け入れる懐の深い場になる」、テンは「来場者が増えれば、新たな顧客層が開拓できますし、感動体験はリピーターを生む」、ワキメは「海外アート雑誌や文化メディアにも紹介できる」、フルは「芸術的視点で土や作物を見れば、新たな改善点も浮かぶかも」と不思議な発想を見せる。シタバは「来場者の行動解析から、どの展示が最も関心を引いたかデータ化できます」、ティカは「多面的価値創造がますます拡大しますね」と全体を俯瞰。


 カオリは頭がクラクラしそうだ。農園が芸術空間になり、政治や地域ブランド戦略、国際市場、研究成果などが折り重なり、もはや単なる農場ではない。「でも、これが私の夢だったかもしれない」と思い直す。最初は荒れ地を蘇らせたかったが、今はこの土地が人々の想像力を刺激し、新しい関係性を生む磁場になっている。


 学術面でも新成果が出た。耐暑性品種の開発が成功し、気候変動下でも甘みを損なわず果実を実らせることが可能になった。研究者は「このモデルを他地域に展開できれば、世界的な食料問題解決に一条の光を差せる」と期待を語る。

 カオリは嬉しいが、プレッシャーも感じる。「世界的食料問題」と言われると、責任が重いが、その道を完全に拒む理由はない。この土地から発する技術と知恵が、人々の食卓を救えるなら、それは素晴らしいことだ。


 夜更け、カオリは布団に入り、闇に包まれた天井を見つめる。政治的関心、芸術的コラボ、国際市場、学術研究、地域ブランド、組織内での多様な声……全てが交錯する中で、農園は豊かな共鳴の場となりつつある。だが、この複雑さに迷いはないのか?


 AIたちが示す冷静な論理、スタッフが生む活気、研究者の探求心、地域の応援、海外からの期待、そして家族の存在……全てがカオリを支えている。カオリは「迷うことは当然。でも、迷いは成長の糧」と自分に言い聞かせる。


 「私がなぜ始めたのか忘れないで」と自らに語りかける。荒地を蘇らせ、人と自然と技術を結び、新しい農業を創る——この核は揺るがない。そこから派生するさまざまな枝葉は、むしろ幹を太くする栄養だ。


 常陸太陽の庭は芸術や政治、国際問題など新たな領域へ触手を伸ばし、農園という概念を超えた多面的プラットフォームへと進化している。カオリは豊富なアドバイスとデータ、そして多彩な人々の協力を得て、複雑性に挑み続ける。次なるステップは何か? まだ彼女は知らないが、可能性は無限だ。


 翌朝、朝露が光り、風が優しく葉を揺らす。カオリは微笑んで鍬を握る。どんなに高尚な戦略やグローバルな構想があっても、最後に土を耕し、水をやり、果実を摘むのは人の手だ。その原点に返りつつ、さらなる飛躍を思い描く。常陸太陽の庭は、次の春、さらに多彩な花を咲かせるだろう。





季節は巡り、リンゴの収穫を終えた後、常陸太陽の庭はまた新しい営みへと移行していた。20年目が近づく頃、畑には多様な作物が根付き、果樹が年々豊穣さを増し、ハーブやミニトマト、ブルーベリーなど既存の作物もブランドの定番として確固たる地位を築いている。


 カオリは早朝、畑の小道を歩きながら「ここまで来るのに、どれほど多くの要素が関わっただろう?」と思いを巡らせる。人材育成、IoT導入、AI助言、地域農家の協力、学術研究者の解析、芸術家の創造、政治的支援、国際的関心……まるで無数の糸が織り成す織物の中を歩いているような感覚だ。


 ある日、海外から嬉しい知らせが舞い込んだ。以前送ったサンプルリンゴが高評価を得て、少量だが定期的な輸出契約が成立。ワキメが笑顔で報告する。「価格は高めですが、向こうの消費者は『唯一無二の味』として評価しています。SNSで『常陸太陽の庭産』のハッシュタグが盛り上がってますよ」

 ソラは「映像クリエイターが制作したPVが海外でも拡散されているみたい。美しい畑と土壌、収穫シーン、人々の笑顔、AIが支える独特の農業風景がエキゾチックでインスパイアされるとか」と嬉しそう。


 学術面では、研究者が「微生物相分析の成果で、新しい土壌管理法が確立できました。これを他地域に横展開すれば、食糧安定に貢献できます」と語り、カオリは「世界の食問題解決に微力ながら関われるのね」と身の引き締まる思いを抱く。

 地域との関係も堅固だ。ブランド産地として「常陸フード&カルチャーフェスティバル」が初開催され、音楽や工芸品、伝統芸能と食が融合した催しに多くの観光客が集まる。テンは大忙しで接客に奔走し、フルは他農家との技術交流コーナーを設け、シタバは来場者動線解析で改善点を洗い出す。ワキメは来年以降のインバウンド増を見越し、語学堪能なスタッフを確保しようと動き、ソラはフェスティバルを華やかに彩るデザイン物や映像配信を企画、ティカは全体を統括し、「持続可能な関係を築けているか」と目を配る。


 カオリはフェスティバル会場の一角、少し離れた場所で立ち尽くす。風が頬を撫で、遠くで笑い声や音楽、歓声が混ざり合う。彼女の胸中には静かな喜びがあると同時に、「この先、農園を誰に託すか?」という思いも浮かぶ。20年近く勤しみ、農園は成熟した。彼女はまだ若いが、後継者問題や長期的継承計画を考えなければならない時期かもしれない。


 ティカに問う。「もし私が引退したら、この農園はどうなるかな?」

 ティカは「人材とノウハウが組織に蓄積されています。AIやデータが引き継がれ、理念を共有するスタッフがいれば、カオリさんがいなくても存続可能です。ただ、あなたのビジョンや判断が大きな軸でした。後継者育成や理念の伝承が重要です」と回答。

 テンは「次世代のリーダーを育てるため、段階的に権限委譲しては?」、ソラは「物語を記録し、マニュアル化するだけでなく、感性的な価値観を共有する文化プログラムを運営しましょう」、ワキメは「経営基盤が整えば、リーダーが変わっても揺るがぬブランドになる」、フルは「土は長い時間軸で考えるもの。次世代がこの土を引き継ぎ、改良を続けていけるように」、シタバは「データの蓄積と解析モデルの継承で、知識のロストを防ぎましょう」と助言。


 カオリは微笑み、「まだ引退するわけじゃないけど、将来を考える時期かもね」と納得する。いずれは若い世代にバトンを渡し、農園は次のフェーズへ移るだろう。そのとき、彼女が蒔いた理念の種が芽を出し、新たな果実を生むことを願う。


 さらに、政治的動きも加速する。県がこの地域を「先進農業モデル地区」として認定し、国内外の視察団が訪れるようになった。カオリは「視察対応に追われ、忙しくなるわね」と苦笑するが、視察団にカオリ自らが説明し、スタッフや研修生、地域農家と対話する場を作れば、政治家や行政担当者も「実際に働く人々の声」と現場のリアリティを理解するだろう。ティカは「現場の声を政策立案者に届ける機会です。政治的関与をうまく使って、農業に有利な制度改革を提案しては?」と示唆。カオリはその発想に頷く。「私たちがいいと思う価値観を社会全体に広め、他の地域も元気にできるなら、試してみたいわ」


 こうして、第4章の終盤、常陸太陽の庭は総合的なステージへ達しつつある。国内外の注目、地域ブランド、学術成果、芸術コラボ、政治的支援、組織人材育成、後継者問題……全てが複雑な織物を成しているが、カオリはその複雑さを楽しむ境地に達しつつある。


 「私が最初に望んだのは、荒地を蘇らせ、人と自然と技術が調和する新しい農業を創ることだった。でも、ここまで来たら、農業という枠を超えてしまったわね。文化、社会、経済、環境、教育、芸術、政治……様々な要素が絡み、常陸太陽の庭は多面的な価値を提供する舞台になった」


 夜、カオリはスタッフ用の休憩室で、若いスタッフたちの楽しそうな笑い声に耳を傾ける。彼らは新しいアイデアを出し合い、明日の作業やイベント、さらなる商品開発を語り合っている。AIモニターに映るティカたちは、静かに解析を続け、必要なときに助言を与える。


 カオリは微笑みながら、「この農園には多くの声がある。多くの色がある。私はその調和を見届け、必要なら支え、あるいは方向を示すだけ。もはや私一人の物語ではない」と心中で呟く。


 こうして第4章は、約20年目を迎える常陸太陽の庭が、あらゆる要素を組み込みつつ新たな均衡点を見いだす場面で幕を閉じる。国際的知名度が育ち、地域ブランドが確立し、研究・芸術・政治とも絡む複合的な価値創造空間へと成長した農園は、次章でさらなる深みと広がりを求めていくだろう。


 外で虫が鳴く。冷たい夜風が葉を揺らし、星が瞬く。カオリは深呼吸し、「これから先、この農園はどう進化するのか?それは私たち次第」と微笑む。人と自然と技術が紡ぐ永遠の交響曲が、次なるハーモニーを奏でる日を夢見ながら、カオリはそっと目を閉じる。


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