霊乂探偵事務所〜学校の黒い訪問者〜
家達あん
第1話 真っ黒な訪問者
耳障りなノイズの音と笛の音、それが雨風の音だと気がついた時にはそこが
私は尻もちをつき、突然目の前に現れた白い
いや、違う。それは岩壁ではなかった。
私の目の前にいるのは……化け狐だ。
耳を
「ん、んあ」
自分の間抜けな声で、そこが部屋のベッドの上であることを認識した。
なんだか懐かしい夢を見ていたような気がするけれど、既に夢の内容は覚えていない。
鳴り響く目覚まし時計のアラームを止める。
「あやめー!」
お母さんの怒号にも似た声が部屋にまで届く。
一瞬意識が飛んでいたような気がする。
「んん……ぁぃ」
「あやめー! 遅刻するわよー!」
ちゃんと返事をしているのに、お母さんには全く届いていなかった。
「あやめー!」
「ああもううるさいなぁ」
目覚まし時計はいつも午前7時にセットしているのだからまだ全然遅刻ではないというのに……と、時計を見ると午前7時40分。
「なんで!? やっば!!!」
急いでベッドから飛び起きた。
アラームを止めた後、どうやら寝落ちしてしまったようだ。一瞬どころか40分も意識が飛んでいたらしい。
「あやめやっと起きてきた。早くご飯お食べ」
「……ん」
顔を洗って多少すっきりしたが、声はまだ
目玉焼きを乗せた食パンを頬張りながらも、リビングの薄型テレビに耳を傾ける。普段は何となくニュースを聞いていただけだったけれど、その時に流れたニュースの内容には少しばかり緊張が走った。
『昨夜未明、
「やだ、すぐ近くじゃない」
高崎町は、ここ『
眼球を抜き取られた……、このフレーズを私は覚えている。
「前にもこんな事件があったわよね」
お母さんも覚えていたみたいだ。それもそのはず、2、3年前にも同じような事件が多発していた時期があり、当時は毎日のようにニュースで報道されていたのだ。中学生だった私も
「あやめ、寄り道せずに帰るのよ」
お母さんは洗い物をしながら心配そうに言う。
まったく、お母さんは未だに私を子供扱いしてる。なんて思ってたら、机を挟んだ向こうに立っているお父さんも頷きながら、
「そうだぞ。ちゃんと友達と一緒に帰るんだぞ」
お父さんも私を子供扱い。
「分かってるって」
話を適当に聞き流し、学校の準備を済ませて私は家を後にした。
空は晴天、賑やかな車のエンジン音、耳に刷り込まれそうな歩行者信号の音、そして時々見かける死んだ人達。いつも通りの退屈な毎日が今日も始まる。
「あーやめっ。おはー」
後ろからの陽気な声。
「みか、おはよ」
彼女もいつも通りの時間に私と合流する。いつも通り血まみれのおばあさんを連れて。隣でみかのことをじっと見つめているけれど、みかはおばあさんには気づいていない。
「あやめ寝癖ついてる〜」
「二度寝してセットする暇なかったんだよね」
私の髪の跳ねた部分をちょんちょんと触るみか。
今日のみかはいつもよりどこか浮かれている様な気がした。
「みかどしたの? なんか楽しいことでもあった?」
訊ねると、みかは「むふふ」と笑い出した。
「え〜だって、今日楽しみだなぁって」
「……え、今日なんかあるっけ?」
「……え、もしかして忘れてる!?」
首を傾げると、みかはあからさまにがっかりしたため息を
「あんたねぇ、今日はアレしようって言ってたじゃん」
「アレ?」
はて、アレとはなんだろうか。と、記憶を
「え、もしかしてアレのこと?」
「そうだよ!」
みかは再びため息を洩らし、肩を
まさか本当にやる気だとは思わなかった。
「本当にやるの? こっくりさん」
「当たり前じゃん。今日は夜に学校に忍び込んでこっくりさんをする日だよ」
どんな日だよ。
たしかにみかは先週くらいにそんなことを言っていた。
「退屈な毎日に嫌気がさしたから夜の学校に忍び込んでこっくりさんをやろう」と。
まったく、青春の1ページでも刻むつもりなのか。でも見てみろ、隣のおばあさんを。やめとけと言わんばかりに必死で首を横に振り続けているではないか。血がびしゃびしゃ飛び散っている。
こっくりさんとは、五十音や数字などの書かれた紙の上に硬貨を置き、その上に指を乗せて霊を呼ぶいわゆる降霊術のひとつだ。遊び半分で行なってはいけないとよく聞く。降霊術といえば『ひとりかくれんぼ』なんかもそうだったか。
降霊術というものに詳しくはないけれど、今までに死んだ人達に襲われた経験は一度だってないのだから、何が降霊されようが私達に影響はないだろう。私はただ、夜にまで学校に行くのが面倒なだけなのだ。けれどみかの頼みは断りづらい。泣きそうな目でこっちを見てくるのだから。
「はあ、仕方ないな。分かったよ。私も付き合ったげる」
そう言うと、みかはぱあっと明るい笑顔になり私に抱きついてきた。
「さすがうちの嫁だよー」
「誰が嫁だ」
降霊術をしたことは一度もないから、実際のところ正直よく分からない。けれど、きっとなんてことはない。こっくりさんなんて皆やっている。SNSでもそんな動画を投稿している人をよく見かける。だから、何事もなく終わる。たとえ、私達の高校が死んだ人だらけだったとしても。
6月ももう少しで終わり、そろそろ夏が始まる時期ではあるものの夜はまだ肌寒かった。
時刻は0時を過ぎたあたり。こんな夜中に外に出るのは初めてだった。お母さんは寝るのが早いから家をこっそり抜け出すのはそう難しくはなかった。上下グレーのスウェットで合わせた格好で、私は夜の高校へ向かった。途中、高校近くのコンビニで合流したみかに「ヒッキーみたい」と笑われた。ヒッキーって誰だよ。
「それで、なんで裏門からなの? 真夜中だから正門からでも大丈夫でしょ」
「それがだめなんだよね。正門には監視カメラがあるんだよ。去年、
「そうなんだ。全然知らなかった」
私が思っていた以上にみかは下調べをちゃんとしていたみたいで、正直感心した。けれど、オレンジ色のパーカーに黒のショートパンツのラフな格好の彼女だが、パーカーが蛍光色だからめちゃめちゃ目立つのが少し不安だ。隣の血だらけのおばあさんも心なしか不安そうな表情だった。
裏門は私達よりも背の低い小さな柵があっただけで、監視カメラも特にはなかった。柵を乗り越えて高校の中へと入る。
「どこでするの?」
「うーん。やっぱりうちらの教室かなあ」
私達は2階の2年3組の教室へと向かった。
「どうしたの? あやめ、なんかめちゃくちゃきょろきょろしてる。ひょっとして怖い? うちがいるから大丈夫だよ」
陽気に親指を立てるみかを見て、思わず笑みが溢れた。
けれど、別に怖いわけじゃない。妙に死んだ人が多くて困惑しているのだ。昼間よりも明らかに数が多い。
廊下でしゃがんでいるおじいさんはいつもいる。トイレの洗面台の鏡に顔を打ち付けている女の人もいつもいる。1階の教室の黒板に張り付いていたおじさんは初めて視る人だったし、廊下の天井から異様に長い手が垂れ下がっていたのも初めてだった。
夜の学校には初めて来たけれど、まさか増えているなんて思いもしなかった。
短くため息を
「別に怖くないよ」
ふふふ、と含み笑いを見せるみかは「ここだけの話だけど」と前置きして語る。
「去年、2年の担任の先生がひとり辞めたの覚えてる?」
「あー、そういえばなんか急に辞めたらしいね」
「あれね、実はいじめられてたんだって」
「いじめ?」
「そう。当時の生徒達からいじめを受けてたって。詳しくは知らないけど、ひどいこと色々されてたみたいで、それで
……全然知らなかった。
みかは続ける。
「その先生、噂じゃ辞めた1週間後に家で首を吊って自殺したんだって」
「死んだの……?」
「うん。2年3組、去年その先生が担当していた教室らしいよ」
「そう、だったんだ」
これからこっくりさんをする予定の教室の元担任の先生がいじめを苦にして自殺をした。怖がらせる為にみかは話したのだろう。けれど、みかの表情はあまりにも辛そうだった。そう、みかは目玉焼きにかける調味料を一緒に食べる人の好みによって変えるような子。自分よりも他人に共感してしまう子なのだ。
2年3組に着くと、早速みかはお手製の五十音の書かれた紙を机に置いた。辺りを見るが、どうやらこの教室には誰もいないようだ。
「さてと! それで、どうするんだっけ」
みかはスマホを取り出してこっくりさんの手順を検索し始めた。学校の下調べはちゃんとしていたくせに、肝心のこっくりさんについての下調べは皆無だった。
「ふんふん、なるほどなるほど」
スマホ画面の明かりが反射して、みかのパーカーが神々しく輝いていた。
「えーっと、まずは……鳥居の上に硬貨を置いて……、あやめ! 硬貨プリーズ!」
「……あんたねぇ」
こいつ、財布すらも持ってきてないな絶対。まったく……。
ポケットから財布を取り出し、中から10円玉を1枚みかに手渡す。
「さんきゅ! えーっと、鳥居の上に硬貨を……、鳥居鳥居……。あやめ、これどうすんの?」
五十音しか書かれていない紙の上で鳥居を探すみかの頭をこつんとしばいた。
「あだっ!」
「ちゃんと調べてからしろっての!」
「はい、オーケー」
「……あざっすあやめ先輩」
睨みつけるとみかは猫のように縮こまり、再びスマホに目を落とす。
「次は~、硬貨の上に人差し指を乗せて『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら[はい]へお進みください』って言うんだって」
始める前から既にため息が洩れてしまう。本当にみかの適当さにはやれやれだ。
ふと、どこかから気配のようなものを感じて教室内を見回してみるけれど、誰もいない。気のせいだろうか。
紙を見つめるみかに視線を戻すと、その視線に気づいたみかも私に目を向けた。
「じゃあ、始めるよ」
「うん」
10円玉の上にお互い人差し指を乗せる。そして、
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでくださ……、あやめ? ちょっとどうしたの!?」
……なんだあれ。
「あやめ!? ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
みかの声は聞こえていた。けれど、私はそれに返事をすることができなかった。
みかの後ろ、教室の隅から
黒くて、どろどろした何か……。
「あれは、何……」
「あれって? ……何が? ねえあやめ! 何が見えてるの!」
後ろを振り返るみかはすぐに私に向き直る。この子には視えていない。
……あれ? そうだ。なんで今頃気づいたんだろう。この教室には誰もいなかった。入ってきてから死んだ人はひとりも視ていない。……みかの隣にいたおばあさんは? どこに消えた?
ああ、なんかやばい。ここは危険だ。
「みか……逃げるよ!」
「え!? ちょ、あやめ!? い、痛いって!」
みかの腕を引っ張り、私は急いで2年3組から逃げ出した。その瞬間、黒い何かが勢いよく飛び出したのを視界に捉えた。
階段を降り、1階の廊下の突き当たりで一度立ち止まる。ここまでが走る限界だった。深呼吸して息を整える。みかも膝に手をついて荒い呼吸を続けていた。
「あ、あやめぇ……、ほんとに、どうしたの。急に顔色悪くなって……、かと思えばいきなり走るんだもん。どういうことか説明してよ」
「ごめん。けど、あそこは──」
気づけばあの黒いやつが廊下の向こうに視えていた。窓から差す月明かりに照らされて、うねうねと
ああもう! みかに説明する暇さえ与えてくれない。
「なんなんだよあれは!」
「……あやめ」
急に叫んだ
「ごめんみか。あとで説明するから、今は私の言う通りにして」
「……わかった」
みかはまだ納得はしていない様子だったけれど、手を握り返してくれた。
私は黒いやつを睨みつけた。真っ直ぐに私達の方に向かって来るあれが何なのか、じっと目を凝らしてみても全てが真っ黒で全くわからない。ただ、走っているのはなんとなくわかる。生き物か何かか……?
「みか、走るよ」
「うん」
再びみかを連れて走り出す。出口に向かって走る。
こんなに全力で走るのはいつぶりだろうか。外の街灯と月明かりだけを頼りに出口を目指す。途中、何度か死んだ人を視たけれど、その皆があの黒いやつに怯えて縮こまっていた。いったいあれは……。
「あっ」
「あやめ! きゃあっ」
走っている最中、豪快にこけてしまった。全力で走っていた所為で転んだ勢いは凄まじく、手を繋いでいたみかまで巻き込んでしまった。
身体がずきずきと痛む。暗くてわからないけれど、きっと血が出ている。膝と
「あやめ! 大丈夫!?」
みかはすぐに起き上がって私に駆け寄った。
「大丈夫。みかは?」
「うちは平気。それより今、あやめ誰かに引っ張られたように見えたんだけど」
みかの言う通り、今私はあいつに引っ張られた。天井から伸びた異様に長い手。先ほど2年3組に向かう途中で視たあの手に足首を掴まれた。
暗くてはっきりとは視えないけれど、今も天井から伸びている。ひらひらと手を振っている。まるで挑発するみたいに。
みかは自身の身体を抱きしめ、怪訝な表情を浮かべていた。
きっとみかはもう気づいている。私が何から逃げているのか。私を引っ張ったのが何なのか。
「みか、大丈夫だから──」
そう言うと同時に、みかの背景が真っ黒に染まった。
「みか! 走って!」
「え?」
「いいから走って!」
「いや! あやめを置いては行かないから!」
みかは首を左右に振った。そして私の目を真っ直ぐに見つめる。唇を噛み締めて、じっと見つめる。
……どうしよう。もう間に合わない。真っ黒なあいつに呑み込まれる。どうなるかはわからない。だけど、無事じゃ済まないのははっきりとわかる。
「みか、私の後ろに来て」
「いや! 隣にいるから」
「頑固なやつ」
「あやめもでしょ」
こんな状況でもみかといると不思議と笑みが
そんな笑みは途端に崩れ去った。突然右目に焼けるような痛みが走ったのだ。
「いっ、あ゛あ゛ああっ」
右目が熱い。
「あやめ!!」
何が起きた? 激痛で身体が震え始めた。熱くて痛くてたまらない。
荒い呼吸が遠くから聞こえてくる。みか? いや、違う。私の呼吸だ。まるで他人のように聞こえてくる。思考が追いつかない。考えがまとまらない。痛みがおさまらない。みかが何かを叫んでいるけど、私の耳には届かない。
……ああ、だんだんと痛みがおさまってきた。
力も抜けて……、身体がぽかぽかと暖かくなってきた。
意識が……遠のいていく。
目を開くと、見知らぬ天井があった。
どうやら、どこか部屋のベッドの上らしい。
「あやめ!? ああ、よかった。目が覚めたぁ」
視界を覆うように、みかの顔が現れた。私の頬に冷たい水滴が溢れた。
「……ここは」
「大丈夫、病院だよ」
だんだん意識がはっきりとしてきて、自身の顔に違和感を感じ始めた。
顔に手を当ててみると、ざらざらとした感触があった。すぐにそれが包帯なのだとわかった。そして、その包帯が何を覆っているのかも理解できた。
「私の右目は……」
みかは顔を伏せて、言葉を詰まらせた。
「右目だけで済んでよかったな」
みかじゃない別の人の声が、みかの代わりに答えてくれた。
みかの後ろに誰かいる。私達と同い年くらいの女の子。黒のライダースジャケットにだぼだぼの青のジーンズを
「あなたは……?」
訊ねると、私を目の敵にするように睨みつけて一歩前へ出る。
「あたしは
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