千世楽土〜ただの司祭が世界宗教に喧嘩を売る話〜

OH.KAIKON

最後の預言者章

里山の邂逅

歴史も、権力者の覚えも浅いただの村の外れ。

そこには一人の若い司祭が起き伏ししていた。


性はルーシア。名はルベンと言う。

彼は銀髪のボブカットで天然パーマがかかっており、女性と見紛うほど中性的な顔立ちと声色をしていた。


ある夜のこと、ルベン司祭が鼻歌まじりに湯浴みに勤しんでいると、玄関の扉を叩く音が聞こえる。


風雨に雷の轟が添えられた、あまりにも外出に向かない空模様の日であったが、確かにその音は、玄関を力強く訪ねる。


その為にルベンは急いで身体を拭き、アルブとストールで構成される司祭服に着替え、玄関で雨に打たれる訪ね人の為にドアを開けた。


そこにはびしょ濡れで、髪が垂れている、司祭と同じ背丈の訪問者が佇んでいた。嵐のような雷雨が、恐怖と不安感を演出する。


「夜分遅くに。私にほんの少しだけ恵みを下さいませ」


 若い、女性であった。同い歳やもしれない声色。目を下にやって、軽く俯いたまま話しているため、彼女と目を合わせる事は叶わない。


恵みをやるのは別に良いが、ここの夜は魔物が出るし、更には嵐の中放り出すわけにも行かない。

部屋を用意するから一晩泊まっていきなさいと伝えた。


「貴方様の寛大なご慈悲に」


あまり聞き慣れない言い回しに違和感を覚えるのは私が田舎者だからだろうか。

私は出自の貴賤や都鄙とひに拘りを持たないが、それでも何だか、この数多の民族が入り交じり、亜人すら珍しくないこの大陸でも特異な訛りに感ぜられた。


いや、もしくは私とこの住む地域が訛りすぎてるのか?


とにかく私は彼女を中に入れ、食べ物を提供する事にした。


「パンと……肉とタマネギのスープならあります。これで良いですか」


「それで構いません」


彼女が外套をポールハンガーに掛けたところで、聞き慣れない言葉遣いであるのに合点がいった。外套の下には異国風の民族服があったのだ。

それも高貴そうな。少なくともここ一帯の地域の民族衣装には見られないものである。


更には艶のある鮮やかな緑色の髪。手入れが丁寧に行き届いている。


手脚は細すぎず、顔も…少しやつれているように見えるがそれにしても血色は悪くなく、少なくとも最近まで食べ物に困っている様相では無い。


「お連れの方は?」


上流階級ならば、護衛や侍従の一人や二人ついていない方が不自然。箱入り娘なら尚更であろう。

私の推測があってるなら、彼女は高い階級の方なはず。


「この手であやめました」


眠気覚ましに入れた珈琲を口と鼻から噴き出してしまった。むせにむせ、気道やら鼻腔から熱々の珈琲の大体が排除出来たであろうと言う時に、彼女の言葉を今一度と反芻する。


「それは………」


だが何と返せばいい?

どう対応すれば良い?

見ず知らずの男についさっきの殺人を告白するとは、正気の沙汰とは言え無い。


「何故、そんな事を私に話したのですか」

素直に思った事を口に出した。それ以外に道が無いように感ぜられたからだ。


「こういう寺院は、告解する場であると耳にした事があったからです。それとも違うのでしょうか」


あまりにも、世間知らずというか。異常なほどに彼女はズレている・・・・・


元懲役囚が自らの刑期を務めあげる中で真に改心し、塀を出てから教会に立ち寄って罪の告白をするというのは珍しいものでは無い。


だが、ついさっきの罪を。しかも殺人という重犯罪の極みを告白するケースは聞いたこともない。


「長くなりますが、話を掘り下げてもよろしいですか」


彼女はまるで意識していないかのように覇気をくゆらせ、有無を言わさぬ迫力を生み出した。ただの箱入り娘には到底思えないその天性の交渉・・は、ルベンより退路を奪った。


「どうぞ」


もはや震えた声で快諾するほか許されない。


「私は…ここより遥か北の渓谷を治めている、部族連合体の指導者一族の一人娘でした。数千年に一度の嫡女だったそうです」


「…ふふ。変な顔していますね」


少女はふと気付いたようで、私の方を見てくすりと笑みをこぼした。実際、私は怪訝に思っていたのだ。数千年ぶりの嫡女・・・・・・・・。それが意味するのはつまり、世に一般にある男系継承ではなく、珍しい女系継承ということ。


「失礼。嫡女という表現はあまり聞き慣れないもので…」


「私の部族には太陽信仰があるのです」


合点がいった。穀物を育て、優しい光を恵んでくれる母なる太陽。太陽は子を授ける力を持つと太古より様々な地域で信じられてきた。


子を産むこと、包容力という点で世界では女性と太陽は重ねられる事が多い。


そういう経緯で女系継承になったのなら、自然な流れと言えるのかもしれない。


「我が部族連合には、我々の始まりと言える太古からある仕来りがあります。それは…」


悪魔憑依─────────


確かに彼女は、そう言った。

あまりにも、突飛。聞いたことも無い。


我らが拝する神の庇護を拒否した魔女サバトの集団が、奴隷層を生贄にして儀式を執り行う事は有るにはあるが、民族の正当な儀式として、更には跡取りの嫡子に意図して憑かせるなど前代未聞。


──太陽信仰かつ悪魔信仰、というのもあまりにも前代未聞なのだが──


などと長考していると、少女は肩を震わせて俯き始めた。

灯りに照らされ、ポツポツと顔から落ちる雫が見える。


「それは、あまりにも…あまりにも私には耐え難いものでした…!」


彼女の談は壮絶なものであった。

まず悪魔を呼び寄せる儀式のプロセスが、著しく人の道に背いている。

一族が信仰する悪魔は決まって色欲系統の悪魔。


いずれもそれらを呼び出すには“姦淫”という供物が必要な部類に入る。


聞けば、彼女は歳も関係も考慮されず…監禁され、一族の男達と交わる事を強いられたのだという。

ただでさえそれで彼女の身体と精神に、不可逆的かつ呪いのような傷がついたというのに、悪夢はそれでは終わらなかった。


彼女は民族の大義を果たす為その身に余る程のものを一挙に支払わされたというのに、彼女は儀式が終わるや否や、ただの淫売のように扱われる様になり、また次の嫡女を産むため、毎夜同胞の男達──主に肉親や貴族階級の歳が近い息子達──に代わる代わる抱かれる羽目になったのだと語る。


更に悪魔憑きという状態も肉体と精神を著しく蝕む。

毎晩恐ろしい姿をした怪異のようなものと交わる夢を見せられ、夢の中の自分はそれを拒むどころか自ら求めてしまうのだと言う。


彼女は耐えかねて家族含めた一族を皆殺しにして南へと旅を続け、ここに流れ着いた……と。そう、語った。


「お願いします。未だに悪夢から逃れられていないのです。何卒、悪魔祓いを行ってくださいますよう」


悪魔祓いエクソシスム…神や聖霊の名の下、厳命により霊や悪魔を肉体から強制的に追い出す儀式。司祭階級から許可される。


悪魔は、その肉の身が滅ぶまで、甘露を貪り続け、最後に肉体を完全に穢して、魂を奪う。

「…分かりました。悪魔祓いを引き受けましょう」


ルベン司祭はそう言って立ち上がり、おもむろに礼拝所に供えてあったワインとパンを持ち出した。


司祭はワインの瓶とパンの籠、自らの胸にかけてあるモニュメントにキスをすると、聖書と第二聖典を脇に抱えて彼女の前に立った。


「今更ですが、私はルベンと申します。もし良ければ、貴女の名前を教えてくれませんでしょうか」


「マルカ。マルカと申します」


「マルカ。悪魔は取り憑いた肉体にすこぶる執着します。貴女の身体を操って我武者羅に抵抗することでしょう。辛いですし、それを封じるために貴女を拘束しなければなりませんが……構いませんか」


「構いません」


司祭はうなづき、縄に聖水と聖油をかけ念入りに章句を口ずさんで聖別。


その縄でマルカの四肢を拘束し、柱などに結んで悪魔の抵抗に備えると、礼拝の机をマルカの眼前まで引きずって運び、燭台に火を灯し、着々と儀式の道具を準備していく。


そして机に聖書と第二聖典を開き、大きく息を吸った。


「それじゃ…始めましょうか」


空気は緊張に支配された。司祭は振り香炉を焚いてマルカの周りをグルグルと周ってから、蝋燭を手渡した。ゆらゆらと蝋燭の火がしきりに揺れる。


「初めに言っておきますが。マルカ。貴女がどんな宗教を信じどんなものを拝していようが、この場では関係ありません。私の主神と蝋燭、それらに斃れた万千の諸聖が貴女を全力で護ることを約束します。そしてそれは、私も例外では無い」


振り香炉を外套かけにぶら下げ、聖水と聖油、聖母像を手元に置いた。


「『栄光は主なる神と蝋燭と万聖に、初めのように今もいつも至る所に。アァメン』」


胸元で手を組んでルベンは目を閉じた。


「悪意と残忍な企みを持つ者、淑女マルカの清らかな魂を侵す者。速やかに至高者の光に帰依し、全能の父祖なる神の御前にひれ伏せ」


───ここまで仰々しく悪魔祓いを準備してきたが、「悪魔に取り憑かれている」という訴えの六割は精神疾患か極度のストレスによる妄想である。


しかし時として、暗示は彼ら患者・・を救う。偽の悪魔祓いによって症状・・が改善に向かっていくケースも少なくは無い。


治療として行うエクソシスムもまた一つの救済である。事実、我々は精神科と連携をする。

宗教は精神衛生に良く肉薄でき────────


【よくもこのオレ・・の目の前でそんな生ゴミのような説法が出来たものだな】


…それは確かに、彼女の口から出た言葉だったが、声色…どころか声そのものが明らかに他人の物だ。

ルベンがゆっくりと目を開けてマルカに目をやると、彼女も閉じていた目をゆっくりと開く。紅い。唐辛子のように、血のように。


彼女の瞳はついさっきまで蜂蜜のような綺麗な金色だったはずだ。

そして瞳孔の形が人のそれでは無い。山羊のように横に長い長方形をしている。

怯えた視線は、敵意と殺意に満ちた凍ったものに変質していた。


「何者だ?」


そして、妖気…。強力な酸か電流に身体を浸しているかのような、ビリビリとした痛みと圧迫感。


【お前を腐った沼底に沈める者】


ニヤリと非人間的に表情を歪ませたそれ・・は、明らかにマルカの人格と乖離している。これは…精神疾患なのか?それとも────


【司祭よ。お前はこの娘とヤりたいようだな?淫売のような視線が丸わかりだ。試しに突っ込んで・・・・・みるか?】


彼女は舌を出し、身体をくねらせて挑発的に妖艶に声を出す。私は構わず、目を閉じて聖句を頭にうかべる。


「……神の国来たる。栄光と太陽の娘マルカと父祖なる主に万歳。天より使徒来たりて慈雨と生命いのち灯す蝋燭に─────」


【《水牢雫法》】


古めかしい言葉遣いで悪魔がその言葉を口にすると、固まった空気と表現する他ない、軽い衝撃波のようなものが身体にぶつかる。


すると司祭の頭蓋内に、あるものが響き渡った。彼が生を授かってから嫌悪感を抱いたもの、トラウマなどの音と光景の記憶が乱反射して脳に延々と投影され続けた。


這いずる羽虫や芋虫、汚物、潰れた小動物、激しく損傷した死体。ありとあらゆる負の感情、すすり泣く誰かの声や恨み籠った囁き声、怒声が頭の中で直接こだまする。


カタカタと自らの手、体が震えている事に気付いたルベンはパンッと勢いよく音を立てて合掌し、大きく息を吸う。


「聖地より御加護をッ!」


力いっぱい気合を入れて唱えると、彼の脳から綺麗さっぱりと呪いは消えた。ルベンは脂汗をかきながら周りを見渡す。


【フン】


鼻を鳴らして悪魔はつまらなさそうに顔をしかめる。

すると急に眠そうな顔をして彼女は瞼をゆっくり閉じた。


(ひとまずは、退いたか…?)


ルベンは肩で息をしながらそう考えた。が。

「うっ」

ルベンは突如激しい嘔吐感に苛まれ、胃の苦しいのを抱えて窓まで走る。


「えげぇ……」

無呼吸。熱く苦く酸い不快の塊が食道喉口腔を伝って窓の外に吐き出され、ぶるぶると、消化器と体幹を中心に身体が痙攣するように震える。脇腹が痛い。


(喉と鼻の奥が痛熱い)

吐き出したものには見覚え無く、凡そ人の胃に収まって良いはずのないものばかりがあった。釣り針。生ゴミ。毛髪。何かの虫の脚や頭。後の肉々しい破片群の正体は考えたくも無い。


マルカに目をやると、椅子に座って縛られているというのにスゥスゥと寝息を立てていた。だが、目元にはハッキリと涙の道が敷かれてあった。


─────なんという強い悪魔がついているのか。退いたのは聖句に堪えたのでなく、私との戦いがつまらなかったからか。


だが司祭はそれと同等にとんでもない事に首を突っ込んでしまったと感じる事象を目前にしてしまった。


彼女は確かにヒト科の形をしていたが、頭部には立派な三つの捻れた角が、紫の小さな稲妻を伴って仰々しく立っていた。

彼女は、人間では無い。彼女は、魔族であった。

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