Stage6 VS 秋葉真尋
第38話 私も行っていい?
真っ直ぐに背筋を伸ばして働く助手兼事務員の
「ああああー暇ぁ……! 午後から何しようかなあ……」
「俺も今日は午後から綾香さんの仕事に同行できると思って楽しみにしていたんですがね……」
「人の仕事を楽しみにすんじゃねえよ……遊びに行ってんじゃねえぞー」
私の仕事に同行したかったらしいお気楽な発言に釘を刺すと、千晴は何が嬉しいのか柔らかい笑みをこちらへ向けた。
「ええ、承知していますとも。もちろん、同行の際は仕事をきっちりこなします。それはもう、給料分以上に」
「自信満々かよ……」
午後からの仕事が突然キャンセルになった。
呪物蒐集家の男性から「髪の伸びる人形を手に入れたから本当に呪われているかを見てほしい」との依頼が入っていたが、依頼人と同居中の母親が人形の髪を綺麗に切り揃えてしまったらしい。泣きそうな声になっている依頼人から「この見た目では呪われているか証明できない。また髪が伸びたら連絡します」と言われ、私は苦笑する他なかった。
見た目がいくら良くなっていても、本当に呪われてたのなら私には解る。が、呪物蒐集家の依頼人からしたら"不自然に髪の伸びた日本人形が本物の呪物であった"という事実に価値があるらしい。呪われてそうな見た目を気にして一喜一憂するのはどうかと思うものの、その辺の趣味に理解の無い私が口を出せる問題ではなかった。
突然午後が空き時間になったのは良いが、最近有能な助手を雇ってしまったおかげで事務仕事も全て終わり、整然と片付けられたこの事務所で私の仕事は無いに等しい。千晴を雇う前ならこういう空き時間で溜まった事務仕事に嫌々手を付けたり呻きながら事務所内の掃除をしたりしていた。
(やっぱり千晴を雇って正解だった……)
応接ソファにだらしなくよりかかる私とは対照的に千晴は備え付けられたキッチンで昼食を作ってくれている。
通っている大学が創立記念日で休講であるという理由で平日朝から出勤している千晴は、午前中に事務作業をこなし私から「午後の仕事がキャンセルになった」と連絡が入れば「では昼食を準備しましょう」と軽やかに応対した。
前々から思っていたけどコイツはちょっと仕事が出来過ぎる。このままじゃ今の給料で雇っている私が鬼か悪魔みたいじゃんか。時給を上げるか……? 上げても問題無いな……上げるか。
仕事から帰って来て手作りの昼食がある事にかなり気を良くしている私は密かに千晴の時給アップを決定した。
千晴の背中を見続けることもう5分。昼食を完成させた千晴は、ワンプレートの中に綺麗に盛り付けられたオムライスの皿を私の前に配膳した。
固めの薄焼き卵の中にたっぷりのチキンライスを包んでいる昔ながらのオムライスの表面には、破れはおろかシワやヨレすら見当たらない。オムライスの近くに添えられたミニサラダとキャロットラペが彩り良く主役を引き立てていた。
「おおー! 美味そう! 千晴のオムライスはオーソドックスタイプなんだね」
「……少し憧れがあったもので」
少しばかり恥ずかしそうに答えた千晴は、オムライスプレートの近くにコンソメスープの入ったカップを置いた。
千晴の実家でオムライスは出て来ないメニューらしく、学校給食にも出ない為、彼にとってオムライスは「絵で見た事があるだけの料理」だったらしい。それでこの仕上がりを見せてくるのだからやはり千晴の器用さには驚きだ。初めて作った食べた事のない料理の見た目じゃないぞコレ。
スプーンで割ったオムライスの中から覗くチキンライスのオレンジ色にさらに食欲を刺激された私は大きめの一口を頬張り、そこそこ食べたところで向かいで食事を摂る千晴に雑談を持ち掛けた。
「ねーねーちはるー、最近面白いことあったー?」
「なんと気の抜けた話し方ですか綾香さん……」
仕事の緊張感も抜け、美味しい食事に大満足している自分の声は我ながら呆れるくらい気の抜けた声だった。私だって年中気を張っている訳ではないので開き直る事にする。
「だって暇なんだもんよー。いきなり暇になったから友達に連絡とってみても皆普通に仕事だしさあー。もうこうなったら千晴に近況とか聞くしかねえじゃん」
自分の暇さを全て詰め込んでぶーたれると、千晴は少し考えてから再び口を開いた。
「近況ですか……まあ、でもそうですね……ありましたよ、最近。おそらく綾香さんが喜ぶであろう”面白い事”が」
「えっマジ!? なになに?」
食いついた私に対し千晴は苦笑まじりだったが、その表情の奥には複雑な感情が揺らめいているように思える。
何が来るのかと身構える私に、千晴は若干戸惑いながら言葉を押し出した。
「あー……えっとですね、最近兄に彼女ができまして」
千晴に兄がいる事は以前から聞いていた。ついでに先日も知り合いのライターである芦原から千晴の兄に会ったという話をされている。芦原が言うには全然似ていない兄らしいが、その兄に恋人ができたと言われても本人に会った事のない私としてはどういう感想を抱いていいかも解らない話だった。
「……へえ、なんか芦原が言ってたな。アンタと似ても似つかない兄ちゃんだろ? 今まで彼女いなかったのか?」
「大学時代に2,3回ありましたよ、恋人がいた事。でも長続きしなかったんですよ。母親が兄に本当の意味で過干渉かつ過保護なもので……」
「うわー……兄ちゃんも大変だねえ……」
秋葉千晴の母親について、私の中に良い印象はなかった。
以前千晴から聞いた話ときたら『我が子である千晴の感情が稀薄で捉えづらい事にも気づかずに千晴を”化け物”呼ばわりして遠ざけた』というものだった。それまで可愛がっていた我が子に手のひらを返し、愛することを放棄した話はグロテスクでしかなく、千晴の自認に”化け物”という呪詛を刷り込んだ女であれば自分に残された可愛い長男へどう接していても不思議ではない。
「別に恋人が出来た事自体は珍しい事でもなくそこまで驚かないのですが、その恋人がなんというか……」
珍しく口籠る千晴の気まずい表情を左目の下に走る直線の傷が引き立てる。兄の恋人の事で表情が変わる程に強い感情に迫られているのだろう。手元のスプーンを弄りながら千晴は目を逸らしてしまった。
「兄が言うのには……その女性と知り合ったのは大学時代の友人に誘われて行った飲み会の席で、知り合ってすぐ恋人になったそうなんですよ。相手の方に告白されたそうで……」
「一目惚れ的な? なかなか情熱的じゃん」
それで兄貴の彼女と母親がバトってるって話かもしれない。なんとなくその線で決まりだろうと思っていたが、千晴の放った追撃は私の想像とは違った方向性のものだった。
「……兄の職業と年収を聞いてすぐ『恋人になってくれ』と言ってきたそうなんですが……それって一目惚れに入りますか……?」
「…………私が間違ってた。ゴメン」
私に謝られてしまった事で千晴はいよいよ困ったらしい。ため息を吐く彼の顔には「やっぱりそうですよねえ」と書いてあるように見えた。その通りだよ千晴、それは間違いなく一目惚れじゃない。私が悪かった。
オムライスをつつく千晴は疲れた様子でぼそぼそと呟いた。
「告白してくる女性も女性ですが、受ける兄も兄だと思ってしまうのは俺が感情を拾い難い所為でしょうか? 二人の間の恋愛感情の有無が本気で解らないのですが……」
「それはなんというか……私も解らないかな……大丈夫かアンタの兄ちゃん……何か騙されてたりしないか?」
「解りませんが……付き合ってすぐに『欲しいバッグがあるからお買い物つきあって!』などとお誘いがあったらしいです」
「…………金ヅル…………」
「……残酷なあだ名をつけないでください……」
何も包み隠さず面白い話題と言い切って良いかは解らないけど、おかげさまで暇を潰せた私と、無駄にげんなりしてしまった千晴は話題に事欠かないまま昼食を終えた。
千晴は行動の真意が理解できないからこそ兄が心配らしくその後も首を傾げながら悩み続けていた。今の様子はちょっと可哀想だけど、初対面から比べて感情が出やすくなったのは良い事だと思う。
「千晴今日はもう帰るの?」
「ええ、この後は特に予定もありませんので。まだ何かやる事がありますか?」
「いや、無いんだけどさ。よかったら一緒に映画でも……」
私の言葉に被せるように千晴のスマホが振動し、着信を告げた。
映画に誘われた千晴は一瞬物凄く嬉しそうに目を見開いたが、自分のスマホの振動に気づいた途端今まで見た事の無いような憎々し気な表情で自らの手元を睨みつけていた。
(ホント、よく顔に出るようになったなー。良い事だ、うん)
すぐにあれだけ顔に出るという事は千晴は自分の感情を精査しなくても感情が表まで出てくるようになったという事だ。稀薄な自分の感情に興味を持ち、手を伸ばす努力を続けた事で、ほぼ一年前まで自分がどう感じているかも解らなかった彼がここまで表情豊かになった。
私は一人喜びを噛みしめていたが、当の千晴は恐ろしい形相で自分のスマホにかかって来た電話番号をパソコンで調べていた。
「警察署……?」
苦々しく呟いた千晴はまさしく”渋々”といった様子の不機嫌丸出し状態で電話に出た。
「はい……はい。そうですが。ええ……ええ!? はい!? は……あの……え……!?」
低い声で電話に応答していた千晴の表情に突如、解りやすい程の動揺がなだれ込んだ。呆然とした表情で通話を切断した千晴に、恐る恐る声をかけてみる。
「どうした千晴……」
目を見開いたまま固まる千晴は、未だ情報を処理できていないという表情で私の目を見てきた。
「兄が……兄が……殺人の容疑で逮捕されたそうです」
「……ええ!?」
「俺も驚いています……警察署から呼び出しも受けたので行かなければ……」
「……マジで!? ヤバいじゃん! 私も行っていい!?」
動揺する千晴には悪いが、気づいたときには自分の口からとんでもない言葉が飛び出していた。そんなのついて行かないまま午後を過ごしたって気になって仕方が無いだけだ。それならいっそ同行した方が良い、という事にしておこう。物見遊山じゃないという言い訳の為に。
普段自分がやっている事が返ってきたと感じたらしい千晴は声を半音裏返し「あ、遊びに行くんじゃないですからね!?」などと言いながら急いで出かける準備を整えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます