第14話 ペーターの本音








セアンはペーターの大きな腕に引き寄せられたまま、じっとしていた。









「…ちょっと我慢してくれ、後ろから馬車が通るから」


ガタン ガタン 





−−ああ、そういうこと…






ビシャ!






がたつく石畳の道に溜まった雨水を勢いよく踏みつけた馬車は、大量の泥水をペーターの背中へ飛ばした。







「ちょっと…あの馬車、わざと?」










「いや、僕たちがちょうど通っているところが水溜まりの深いところだっただけだ」









「それにしたって……」





セアンはペーターの灰色がかった深緑のカーディガンの背部に触れた。












「ひどい…濡れて冷え切っているじゃない」




服の色もどす黒くなっている。




セアンは半ば不貞腐れたような表情でペーターを見つめた。若干の同情も含まれていたかもしれない。

その顔つきを見るや否や、ペーターはセアンの腕をぐいっと押し戻してしまった。これ以上自分の服のことは気にするな、という意思表示だろうか。













「君が風邪を引かなければ、それでいい」



















ザーーーーー……




「………」


「………」





−−彼との沈黙って…こんなに気まずいものだったかしら……










−−なんだか………すごく”女の子扱い”をされていることに…










今更ながらに気がついてしまった気がする。











靴は正直、履いている意味がわからないほどに水が染み込んでいた。もう裸足の方が気持ちいいくらいだ。











「…セアン」




「はい!!」










 

「もしかして今僕は……
















君のことを困らせていたりするのか?」











––!?






「!いえ、困らせるだなんて…!」


––私が勝手に色々考えてしまっているだけよ!













「…ふうん。じゃあ困っていないんだ?」











雨足は弱まるどころかどんどん強くなり、傘の半分以上をセアンに与えているペーターは、もはや傘を差していないも同然だった。













「でも僕は、



   











君のこと、困らせたいんだけど」  







==






「どうしたら困らせられる?」そう言ってこちらを向いたペーターは少し拗ねた顔をしていて、いつもは見ない彼の表情にセアンはどぎまぎした。







「セアン、君はさっき…僕のことを優しい人だと言ったね?」







「…ええ」








「それは僕が優しいのではなくて、










君が優しさに”気がつける子”だからそう見えるだけなんだ。…優しさって、














誰かが気がついてくれないと、

意味がないんだ」




 






「……」



セアンの足は自然と後ろへずれた。


ペーターとの距離があまりにも近すぎたからだが、恥ずかしくもあったと思う。

その距離を無かったことにするように、ペーターがじりっとまた一歩近づいてきた。











「僕が君に半分以上のご飯を分け与えていることだって、君が気がついていなかったら…僕はただの少食男に過ぎないだろう?


僕はそういう優しさに気づける君が大好きなんだけど……











……ふっ、困っているね」











狙い通り困らせることに成功すると、嬉しそうにペーターは目を細めて鼻で笑った。シャルルのような『人を嘲笑うもの』とはかけ離れた、愛おしさの含んだ微笑みだった。










「僕は君がこれくらいの時から一緒にいて、まだ整理がつかないかもしれない。でも考えてほしい。











僕たちは、『信頼しあうには十分な年月』を共にしているはずだ。今まで傷ついてきた分、僕が君の癒しになるよ」











「………」


−−信頼しあうには十分な年月……










ザーーーーーー……


「……聞こえていたかい?」




思考によってしばらくの間、鼓膜から弾き出されていた雨音が突如として入り込んでくる。びっくりしたセアンは思わず後退りしてしまった。




「え!?ああ、もちろん聞こえ…」



「あ、待って、そこ水溜り…!!」










バシャン     










「…っぶな…」






バランスを崩したのを見越したペーターの咄嗟の動きで、セアンの体は濡れることも怪我をすることもなく、彼に抱きしめられる形ですっぽり守られていた。

ペーターは外壁に寄りかかるように小道の地べたに倒れ込み、そんな彼の膝にセアンがまたがっている。








2人の上に差されている傘から聞こえる雨音はセアンとペーターの声を通りにくくし、互いに耳元に話しかけないと聞こえない。



  




「……濡れていないか?」






「ええ、私は大丈夫ですけれど…ペーター…」






「洗えばどうってことないから。

君が風邪を引かなければそれで良いって言っただろう?」






「ええ、ですけど……











あなたは本当に私を甘やかしすぎている気がしますわ…」







彼の過ぎる優しさに耐えきれなくなり、セアンは怒ったように唇を尖らせてペーターに訴えた。




「信頼しあうには十分すぎる年月なのでしょう?ならば食い意地だって張ってほしいですし、傘にだってちゃんと入って欲しいですわ!……濡れないためにあるのですから。



……まあ、シャルルのような男に食い意地を張られたら腹も立ちますけれど」











「僕が目の前にいる時にシャルルとかいう男の話をしないでくれ。










…妬いてしまう」










ペーターの頬はすでに赤くて、風邪の引き始めによる熱なのか、照れなのかはわからなかった。










「や、妬くだなんて…








ペーター…らしくないわよ?」








  

「……じゃあ、君の考える”僕らしさ”って…一体なんだい?」











「それは…優しくて、紳士的な…」


















少し拗ねた表情のペーターはそのままセアンを引き寄せ、セアンの唇に自分の唇を押し付けた。














「どこを見て、優しくて紳士的だと思ったんだ?














僕は君を手に入れたい、貪欲な男だよ。














……い、今…僕の顔が赤くてかっこついていないと思うけれど、そういうことだから」










  


==










−−信頼しあうには十分な年月……って…







セアンはあの日のシャルルの笑顔を思い出していた。








>>…処刑される子供を庇うような人間が、こんなことを起こすはずがない。


>>君と出会った時から、君に対して懐疑の念が浮かぶことは、既になかった。







−−…信頼しあうには不十分な年月でも、その論って成立するのかしら。










−15話へ続く−

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