第12話 九死に一生






数年越しに開かれたカロス侯爵家での茶会は大騒ぎで終わり、1週間経った今でも盛りに盛られた噂が街中を駆け巡っている。




セアンは茶会での洋菓子の監修者から一転、処罰の決定を待つ哀れな少女となり、法廷の被告席に立たされていた。







傍聴席にはたくさんの野次馬が集まり、それは見渡す限り顔の知れた噂好きのご婦人ばかりであった。…どんな判決が出ようが、しばらくはパン屋の営業はしないほうが良さそうね……。風評被害を受けそうだわ…





原告席には例の男爵が立っている。妻を苦しめた罰を与えて欲しいとセアンに火炙りの刑を要求している最中である。




「あのメニューを監修したのは自分だと、本人の口から聞いたんだ。今回の一連の事件の原因がその洋菓子なら、犯人なんて一目瞭然じゃあないか!」



「確かに監修したのは私ですが、私の目を盗んで下剤を入れることなんて誰にでもできますわ!」



「無実の人間ならあの日、ケーキスタンドを叩き割って私に襲いかからないはずだろう?君は無力なパン屋職人ではなく、



『蝶者』だから…!日頃から鍛錬を積んでいたのではないのか?」




「そんなの…こじつけではありませんか…」



多くの聴衆がいる中で、セアンの声は弱々しくなっていく。




「……生地は茶会の前日には完成させておりました。もちろんシェフの目ありきです。そして当日の朝にクリームを入れて皆様にお出ししたのです。私は朝から着付けを受けており、そこまで確認することはできませんでした。ですのでクリームに関しては私ではなく、ベ…」





セアンは自分の言わんとすることにハッとし、口を押さえた。




−−何よ…私は今ベラを犯人にしようとしているというの…?彼女も被害者じゃないの……




「クリームが、何だ?セアン・クイーン」



互いの主張を黙って聞いていたシャルルが、口篭ったセアンに発言を急かした。









「…ク、クリームに関しては…私が監修したものではございませんので、存じ上げません」




「そうか。ではシェフ、君たちに問う。

君たちの中に、クリームに下剤を入れた者を見た人間はいないかね?」





「…」

「いいえ」

「存じ上げません」

「…いいえ」

シャルルの鋭い目つきに怖気付いたシェフたちが口々に答える。怯えて首を左右に振るだけのシェフもいた。




「…そうか。ではセアン・クイーン」


「はい」







「君に判決を言い渡す。










今回の事案による処刑は無しだ」







「「!?」」



シャルルの下した判決に、法廷がどよめいた。







「君が実際に下剤を入れた証拠がないため、ここで罪の追及はできない。蝶者疑惑に関する会場での君の行動は、凶器になり得ない『持ち手』を相手に向けていたことから、単なる牽制・自己防衛であったと判断する」




「なっ…!そんなのこの女に都合が良すぎる!」



男爵が喚くが、シャルルは「黙れ」とでも言わんばかりに人差し指をあげて彼の動きを封じた。





「静粛に。

…被害を受けた令嬢たちの家庭には回復まで金銭支援を続け、医療費をはじめとした補償も行う。




…原告、異論は?」




「そ、それなら…」


「ではこれで裁判を閉める。以上」








==







散々食いかかってきた原告はシャルルの『金銭支援』という言葉であっさりと引っ込み、法廷を後にしていった。いるのよね、ここぞというばかりに金の要求に執着する人間が……。




−−それにしても、こんなにすぐにお開きになるものなの…?正直今までの経験則でいけば死罪になるものかと思っていたけれど。





困惑するセアンに、1人の侍女が近づいてきた。






「セアン様、シャルル様がお呼びです。少ししてから執務室に来いと、指示いただいております」



「…わかりましたわ」



−−ああ、なるほどね。形だけの裁判を開いて、刑罰は内々で行う、と……。










==








セアンはシャルルの執務室の前に立っていた。









初めて彼の元を訪れた際に、この扉を押し戸と勘違いしていたことを思い出す。大きく深呼吸をしたのち、セアンは扉に向かって話しかけた。




「シャルル様、セアン・クイーンです。入りますわね」




持ち手に少し力を入れて引くだけで、扉は簡単に開いた。…なんだ、この程度で開くものだったのね……。







「おっと、開けられたのだな」




扉を引くと、目の前には開けようとしてくれたのであろうシャルルが、少し驚いた目で私を見下ろしていた。



「…ええ、さすがに二度も同じ過ちは起こしませんわ」


「入りなさい」







二度目のシャルルの部屋。前回と何一つ変わらない殺風景が広がっている。何の思い入れもないこの部屋にすら少しばかりの愛おしさを感じるほど、







セアンは生きて帰れることを諦めていた。










「セアン、言いたいことはあるか?」








−−処刑前に最期の言葉を言う機会をくださっているのかしら。










「…私は…」










−−私、何もしていないのに処刑されるのね。












−−お父様と同じ最期じゃない。しかもお父様を殺した本人に、娘も殺されるなんて。












−−ああ、天国でお父様に見せる顔がないわ……











「私は……













やっておりません……」







セアンの口から、細々と本音が溢れた。









「ああ、そうだろうな」


「………え?」




予想だにしないシャルルの返答を聞き、セアンは開いた口が塞がらなかった。





−−分かっていたの…?それなら…なぜ私を裁判にかけたの?









部屋の真ん中で頭を垂れていたセアンが声のする方を見上げる。シャルルの表情は、怒っているのか同情しているのか、はたまた何も考えていないのか、わからなかった。











「裁判で君は、なぜベラを庇った?」





「…庇った?どういうこ…」





セアンの脳内に、法廷での一連のやり取りが蘇る。





>>私は朝から着付けを受けており、そこまで確認することはできませんでした。ですのでクリームに関しては私ではなく、ベ…


>>クリームが、何だ?セアン・クイーン。


>>…ク、クリームに関しては…私が監修したものではございませんので、存じ上げません。







「あの時、”ベラ”と言いかけていたのではないか?クリームを監修したのがベラであることは君が一番分かっていただろう?第三者があれだけいるあの法廷の場で、事実を言わずに何をしていたんだ?」


「…えっと、そうですが……ベラは被害者ですし…」





−−それにベラはあなたのことが好きなのよ。ヘイトを向けさせるわけにもいかないわ。








シャルルはセアンの困惑が何一つ伝わっていないようで、首を傾げている。












「ベラが被害者?










彼女はこの事件の犯人だぞ」











      *       *








=====================



〜茶会終了後の夜(1週間前)〜






シャルルは、カモミールティーを持って寝室に向かっていた。




ガチャ










「ああ、シャルル」







ベラはしんどそうにベッドから体を起こすと、シャルルに支えられながらカモミールティーをゆっくり一口飲んだ。






「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたところだったから助かったわ」



「あれから体調はどうだ?」



「まだ吐き気と頭痛がしますけれど、ピークは終わったように思いますわ。シャルル様のおかげ。ありがとう」



「そうか。それはよかった」 




「シャルル……」


ベラがシャルルの胸に頭を擦り寄せる。




「怖かったわ……会場で意識を失いかけたとき、もうあなたに会えないんじゃないかと怖くなったの。それで廊下に出てあなたを探して……気を失ったのはあなたの胸の中だったわよね。それで良かったと思うわ」



「…無事で何よりだ」




抱きついたまま、ベラはシャルルを見上げる。




−−私という女があなたを抱きしめているのに、なによ…心ここに在らずなその表情は。





「……シャルル、結局今回の事件の犯人は分かったの?」






シャルルは表情を変えずに答えた。








「………セアンだと言ったら?」











「……セアンなの?」











「いや、推測段階だ。君の意見も聞きたくてね。そうだと言ったら君はどう思う?」












−−セアンなのね。そう……気の毒ね…。













「そうね……私は彼女だと思うわ。洋菓子はセアンと一緒に食べたんですの。でも、彼女だけ無事だったのよ?


だからご自分だけ無事であるように細工していたに違いないと思うわ」















「ベラ」








「なあに?」

 














「私はあの洋菓子が原因だなんて、

一言も言っていないが?」












シャルルは瞬きひとつせず、ベラの目を見つめていた。心の内を見透かされそうな底なしな瞳に、ベラの瞳のハイライトが一瞬ぐらついた。







「き、聞いたのよ」








「誰から?」








「あなたの侍女よ」








「そうか……














『今目覚めた人間』が、侍女から話を聞くことができるのだな?」







「なっ…」






シャルルはベラの腕を勢いよく振り解いた。皮肉で歪んだ彼の口角は、言い訳のために開いたベラの口を紡がせた。








「しかも私は見ていたぞ?


”君が洋菓子を選んで”、


セアンの元に持って行っている姿をな?

君が先に菓子を食べ、その次にセアンが口にしていたのも。


つまりあの時、下剤の有無を考慮して洋菓子を選択する権利は、少なくともセアンにはなかったはずなのだ」






「…私の仕業だと言いたいのね、シャルル……犯人なら、自分が下剤入りの菓子を食べないようにしているはずよ?」





ベラの歴然とした態度に、シャルルは顔を近づけて畳み掛けた。





「『そうね……私は彼女だと思うわ。洋菓子は彼女と一緒に食べたんですの。でも、セアンだけ無事だったのよ?』」



先ほどのベラの発言を一言一句違わず復唱していくと、さすがのベラもみるみる顔が赤くなっていく。



「『だからご自分だけ無事であるように細工していたに違いないと思うわ』。


……事件当時、いち早く気を失い状況把握などもできない状態なのにも関わらず、目覚めてすぐにこの正確な分析ができるのは、




君が犯人だからだろう?」



 




「…あなたにそんなことを言われるなんて悲しいわ…。


私たち婚約している間柄じゃない!


将来妻になる人間が、愛する夫の晴れ舞台を台無しにするとでも?」





「晴れ舞台だと?茶会での君の目的は、



”夫の晴れ舞台”ではなく



”セアンの顔に泥を塗ること”なのだろう?



そもそもセアンが監修することになったのは君がセアンにパンを作らせたいという要望があったからだ。今日君たちが”瓜二つの格好”をしていたのも、来客からの識別を困難にしてセアンに罪をなすりつけやすくするためだったのだろう?」






ベラが目を見開くと、シャルルは勝ち誇ったように目を細め、口角を上げた。







「まあ、大事にはしない。私も暇ではない、今回に関してはモレノに報告しておく。父親から直接指導を受けろ。セアンにも謝罪しておけ。



金輪際君の顔など見たくないが……モレノには世話になっているからな…今回は大目に見てやる。父親には感謝するのだな」









「………」







「ああそうだ、言い忘れていたが。













…我々の婚約関係は、


モレノと父上が口約束で勝手に進めていたことに過ぎない。




君が真に受けることではない」










=====================







話の一部始終を聞かされたセアンは、状況の複雑さに口を閉じられないでいた。




「べ、ベラが…?」



「ああ。だからそもそも君は被害者なのだ」





確かにベラが犯人であることに対しては納得がいく。だが、当時のシャルルの行動については説明してもらいたいことが山ほどあった。





「…お茶会の時点でベラが私を貶めていることに気がついていらしたのなら、なぜあの日、会場で裁判を開くとおっしゃったのです?


私はあなたがこのような判決をしてくださらなかったら…火炙りの刑に処されるところだったのですわよ?」




「愚問だな。ここの領民は私が統括している。判決も私が下す。だから開いても君が不利になることはない」




「答えになっておりませんわ。納得のいくような返答をしていただきたいのです」




「…君はあの日会場で、襲いかかる複数の男たちから1人で身を守ろうとしていたな?









女が男に力で勝てると思っていたのか?」





「なんですって?」




「彼らに襲われていたら、少なくとも数発は殴られて気を失っていたか、顔面の骨が折れていたかだろう」








「…えっと、つまり……」


−−私が無傷でいられるように、守ってくれたと…?






「君はもう知っていることだろうが、私の家系は代々軍事強化をしてきた歴史の長い家柄だ。数年ぶりに外部の人間を招待して茶会を開くとなれば……そして、そこで大事件が起きたとなれば……領地外の貴族たちの耳にも入る。


裁判も開かず君を野放しにしたと知られれば、君だけでなく私の今後の体裁にも大きく関わるのだ。


あの男爵は賠償金目当てだった。金が受け取れない限り、しつこく君にまとわりついてくる。”裁判を開いて処理をすることを伝える”ことが、あの時は最善だった」






茶会でのシャルルの行動の数々が、セアンを救う伏線として蘇ってくる。



「シャルル様…」



セアンはカーテシーをして精一杯の感謝の意を示した。


「そこまで見越して、あのような対応をされていたのですね……ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。……ありがとうございます」



「血の通った人間として当たり前のことをしたまでだ。それに」



セアンのカーテシーを脇目に見ながらシャルルは奥の椅子に戻っていったが、何かを言いかけたことを思い出したかのように振り返った。ほんの一瞬のことだったが、セアンは目を疑った。














シャルルが微笑んだのである。












「…処刑される子供を庇うような人間が、こんなことを起こすはずがない。


君と出会った時から、君に対して懐疑の念が浮かぶことは、既になかった」










彼の皮肉で歪んだ口角は散々見てきたが、ここまで綺麗な半月形の笑顔は初めてだった。


シャルルの座る椅子の後ろはガラス張りの窓が敷き詰められており、そこから自然光が差し込んでいる。シャルルの艶やかな肌が光を反射し、そんな姿に目を奪われないはずがなかった。自身の眼球がポートレートモードになったかのように、彼にだけにピントが合った気がした。





「……」



「どうした?」



「いえっ…!」



不覚にも潤んでしまった瞳から涙が垂れてしまわないよう、セアンはすかさず顔を振る。



「?まあいい…話が変わるが、君はモレノのことは覚えているか?」



「あ、はい、ベラのお父様…」



「彼が謝りたいらしい。後日また邸に呼び出されるだろうが、その時には許してやってくれ。

彼は、私の父上であるミカエル侯爵の騎士として、長年側近にいた人間なのだ。


おそらく今回のことでとてつもない罪悪感に駆られているだろうから」










慌ただしく過ぎ去った1週間は、シャルルの根回しのおかげで後を引くことなく、ぷつりと解決した。





      *       *






パン屋をしばらくの間休業し、心身ともに休んでいたある日。



この日は朝から晴天で、仮に天気予報が存在していたとしても、雨が降ることなど誰も予想もしていなかったであろう。







ペーターは外壁に寄りかかる形で小道の地べたに座り込んでおり、そんな彼の膝にセアンがまたがっている。

2人の上に差されている傘から聞こえる雨音はセアンとペーターの声を通りにくくし、互いに耳元に話しかけないと聞こえない。




「僕が目の前にいる時に、シャルルの話をしないでくれ。妬いてしまう」





「や、妬くだなんて…ペーター、らしくないわよ?」





「…じゃあ君の考える”僕らしさ”って…

一体なんだい?」





「それは…優しくて、紳士的な…」



ぐいっ







「!?」




 








−13話へ続く−



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