第8話 茶会
〜暗殺任務完了数日後〜
「ねえ、あなたがセアン・クイーン?」
「あ、はい…!」
カロス邸内に響き渡る自分の名前を呼ぶ声に、セアンは素早く反応した。
セアンは頭にベーカーハットを被っている。まさに今、カロス侯爵家の厨房でパンの監修を行っている最中であるが、今のセアンは普段の様子と違って注意散漫な状態だった。
誰かに呼ばれたその声のせいではない。
シンプルに顔が痒いのだ。
ハットを被ったセアンの顔の周りからは、艶のある黒髪が少し顔を覗かせている。パン屋職人でもあるセアンは、普段からこのようなことがないよう徹底しているのだが、今日に限って事前に髪の毛を束ねずにハットの中に雑に突っ込んでいたのだった。おそらく緊張していて色々工程をすっ飛ばしたのだろう、無理はない。
セアンは名前を呼ばれたと同時に、手の甲で髪の毛を帽子の中に不器用に押し込んで振り返った。
「初めまして、セアン。……ふふ、顔に小麦粉がついていますわよ」
声の主はセアンの頬についた小麦粉を服の裾で拭くと、粉のついた部分を優しく叩き、振り落とした。
「あなた、おっちょこちょいですわね?でもシャルルはそのような抜けたご令嬢はお嫌いだから、注意するといいですわよ」
「はい…?」
−−何…?あの冷酷な大男のことを好きだとでも思われているのかしら?
「いきなり話しかけて驚かせてしまってごめんなさいね。私、ベラ・スカイラーと申しますわ。私のお父上がこの邸でお仕事をしていて、そのつながりで私もよくここに遊びに来るんですの」
ベラ・スカイラーというこの令嬢は、一言で言えば美しかった。薄い桃色の白肌に青い瞳。長い黒髪は緩いウェーブがかかっており、セアンがかつてお父様からもらった異国の人形を彷彿とさせた。季節上衣服による肌の露出は少ないが、それでも彼女が華奢であることは一目でわかるほどの細さをしていた。
黒髪に青い瞳に関してはセアンも同じである。ベラと持っている容姿に特に変わりはないはずなのだが、セアンは彼女の美しさをみてなぜか気分が沈んだ。
−−白いのに健康的な肌……私は血色が悪くていつも貧血を心配されるほどなのに。何を食べたらこんなに細い体になるのかしら…私は幼いころから筋肉が付きやすくてそれに合った趣味をたくさんしてきたわ。世の殿方はこのような女性を欲しがるのかしら……。
「…ベラ、ご挨拶ありがとうございます。おっしゃる通り、セアン・クイーンと申します。私はここにくるのは……3回目、だった気がしますわ」
「あなた、シャルルからパンの監修をして欲しいと直々にお願いがあったのですわよね?」
「はい、そうですけれど」
「実を言うと、それ私がお願いをしたんですのよ」
「え!」
驚くセアンに共鳴するように目を見開くと、ベラはセアンの小麦粉まみれの手を取り目を潤ませた。
「そのせいで、こうして忙しくさせてしまってごめんなさい。一度朝食にあなたのお店のパンが出たんですの。その時は侍女が気分で買ってきたものだったのだけれど、それがとっても美味しくて忘れられなくて……シャルルが久々にお茶会を開くというものだから、私がお茶会にどうしても出したいと説得して」
そしたら彼が話を通してくれて…と楽しそうに語るベラは女であるセアンから見ても女らしく、素直に可愛いなと感じた。
彼女、きっとシャルル様のことが好きに違いないわ……。
「それでね、私も一緒に作りたいメニューがあって…」
セアンの脳内にふとシャルルの顔が思い浮かぶ。
−−彼、端正な顔立ちと言えばそうなのでしょうけど、皮の下に隠れている性格の悪さが人相にも出ているようで……気に入らないわ…
「セアン?ねえ、セアン。聞いてらっしゃる?」
−−こんなに美しいご令嬢があんな男のどこを気に入って……
「わ〜ちょっと!クリームは入れないでいただきたいわ!」
「…へ?」
ベラは焦った様子でセアンの手を止めさせた。
「このパン生地はそのままで大丈夫ですわよ。これと相性の良いクリームを事前に作らせておいたから、そのままでお願いできないかしら」
「うわ、ごめんなさい、少し考え事を……」
「いいのよいいのよ。それより考え事なんて、大丈夫ですの?ずっと立ちっぱなしで疲れたのではなくて?…貧血にでもなったら大変ですわよ?」
「………
貧血っぽく見えるのは生まれつきですから…」
==
数分後、セアンは厨房を抜けた通路の踊り場で休まされていた。
−ほら、言わんこっちゃないわ。
やはりセアンは自他共に認める血色の悪さの持ち主のようだ。
「見る限りでは叫ぶ元気すら有り余っていそうだが。ベラはなぜ君を休ませているんだ?」
そして踊り場に試作品の味見を待つシャルルがいるということなど聞いていない。
「それは私も正直存じ上げないというか…生まれつきと言いますか…」
「生まれつきに休ませるも何もないだろう。質問には正確に答えろ」
「…生まれつき私の顔に血が通ってないように見えるせいで……!ベラは心配してくださったのです…!」
なぜ私はムキになったのだろう。
シャルルは表情ひとつ変えずにこちらをみていた。見られている左半面に針のようなものが刺さったような気がして、セアンは顔を顰めた。
−−視線が痛いってこういうことをいうのかしら………どうしていきなりこんなにも自分の顔が嫌になるの…… 今まで気したこともなかったのに。
ベラの眩しい笑顔。彼女の美しさは、私の見窄らしさを際立たせるように思えてしまった。
「はあ……
やはり君は説明が下手くそだな。何を言っているのかさっぱりだ」
「………そうですわね、今の発言は忘れてください」
シャルルのいつもの態度も、なぜか今日のセアンにはぐさりときた。
セアンはシャルルの視線から逃げるように自分の左半面を手で覆うと、視界から少しずれた椅子へ移動しようと席を立つ。
ぐいっ
その場を離れようとしたセアンの左手にシャルルの右手が伸びてきた。引かれた勢いで、セアンはそのままシャルルの膝に手をかける形で倒れ込んだ。目の前にシャルルの骨ばった顔が迫る。
「!!すみませ…」
「手を引いたのは私だ。構わん」
セアンは離れようとしたが、シャルルが二の腕をがっしりと掴んでおり身動きが取れない。
セアンの鼻先に、シャルルの鼻先がある。男性とここまでの距離になったのは生まれて初めてだった。
「……先ほど『何を言っているかさっぱりだ』と言ったが…
…そもそも血が通っていない人間などいるはずがないのにそんなことを言うからわからないと言ったのだ。
……それにどこの血色が悪いというのだ?
真っ赤ではないか」
「ちょっ…!」
シャルルのせいでみるみる赤くなっていく顔色を指摘され、今度はそれでいてもたってもいられなくなった。あなたが抱きしめるようなことをしてくるからでしょう!!
シャルルの口角は上がっている。それは前にもセアンに見せていた、目下の物を見る蔑みの笑みではなかった。
「ああ、そういえばセアン、君に−」
「シャルル!」
振り返ると、ちょうどできた洋菓子をお盆を載せたベラが厨房の通路から顔を覗かせていた。セアンはシャルルの腕を力ずくで振り解いた。
「できましたわよ。
セアン、これ、体力回復がてら味見してみてくれないかしら?」
セアンが焼き上げてふっくらさせた生地に、ベラが監修したとされるクリームが入っている。表面にはチョコレートがコーティングされ、レモンピールと金箔が散りばめられていた。
「わあ…見た目がとっても可愛いですわね…うちのパンじゃないみたい。うちでこんなに素敵な見た目の商品、出したことないですもの」
「それもそうよ。お茶会は体裁も大事なの。多少中身が駄目でも、見栄えさえ良ければどうにかなるものなのよ」
ぱく
「…!このクリーム、どうやって作ったんですの?とっても美味しいじゃない!」
「本当?ふふ、甘くなりすぎないようにレモンエキスを入れてあっさりさせているの。でもミルクは多めに入れもらっているから深みが出ているのかもしれないわね」
和気藹々と話す2人の間の洋菓子にシャルルが手を伸ばし、そのまま一つ口に運んだ。
「…甘さが足りない」
「え……これでですか?十分甘いのではないですの?」
セアンはシャルルの味覚がおかしいと言わんばかりに、シャルルの顔を疑わしく覗き込んだ。
「それに、まずは作ってくださった方に敬意を表すものですわよ?いきなりダメ出しだなんて、ありえな…」
シャルルは、ベラを見ていた。
「…なんだベラ?先刻から私ばかり見て」
「……いいえ?」
「…まあいい。茶会は後数日に迫っている。任せたからな」
シャルルはすぐにいつもの冷たい表情に戻り、セアンらにそれだけ伝えると踊り場を後にしていった。
「はい、承知しましたわ……結局、この洋菓子はもっと甘くして欲しかったのかしら?私はとっても美味しかったですけれど……ベラ、どうかされましたの?」
「………うふふ、シャルルが甘いものを食べる姿を久々に目にしたものだから、見入ってしまったのよ。相変わらずひどい甘党なのね……」
そのとき、ベラが一つも笑っていなかったことは見なかったことにした。
−9話へと続く−
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