第6話 僅かな変化
シャルル・カロス侯爵は、今日はパンの売れ行きが気になっているらしい。
「…はい?」
「…だから、最近のパンの売れ行きはどうだと聞いているのだ」
ちょっと待って…それを報告するためだけに呼び出したの…?話し相手がいないのかしら?
ご足労という言い回しが最適なほど、足労かけて侯爵家に来たセアンは、半ば怒りを抑えながら精一杯の優しさを含ませて答えた。
「…ありがたいことに、とても良いですわ」
「そうか。それは何よりだ」
「……」
「……」
…は?これだけが用だなんて言わせないですわよ…
「最近、なにか変わったことはないか?」
「…変わったこと…?変わったこと…
いえ、特に……あっ」
そうだった。うちでは最近変なことが起こっている。
「あの、最近うちに大量の小麦粉のような白い粉末が届くという嫌がらせがありまして…」
セアンは正直に報告した。
家に品種すら書かれていない粉の袋が大量に、家の前に土嚢のように置かれているのである。大方中身が小麦粉であるだろうという予想はついているのだが、正直中身が小麦粉かどうかはわかっていない。毒が盛られている可能性だってある。最近小事件がポツポツ見られる領地でのこの出来事は、もう恐怖である。
「嫌がら…なんだと?」
シャルルは眉をぴくりと動かし、その話に耳を傾けた。うちの店の事情をまるで自分のことのように聞いている。
「はい…よく我が家の店の手伝いをしてくれるお方がいらっしゃるのですが、その方の仕業でもなくって。正直それ以外に思い当たるお方もいないですし、あの中に毒でも入っていたらと思いまして」
「…それにしても『嫌がらせ』か」
「はい…仮に小麦粉だったとしても、うちが使用している小麦粉はライ麦と穀物をブレンドさせた特別発注のものなので、ごく普通の小麦粉は使えないのです。うちの店の品質を維持できないようにしたいのか、真意はわからないですが…安全であることの保証もなく、危険だという保証もないので、勿体無く捨てることも…」
「ごく普通?馬鹿言うな。あの小麦粉は最高品質の…げほげほ」
シャルルがわざとらしく咳き込む。何…?最高品質?
「けほ……まあ、迷惑を被っているのであれば対処してやらんこともない。その謎の粉袋、私が引き取ろう。邸まで持ってきなさい。保管場所に困っているのだろう?うちにその程度の荷物を置く空間なら持て余している」
「え、いいのですか?」
「……その代わり、と言ってはなんだが」
シャルルは自分の邸の一部を小麦粉保管用に充ててくれることを約束する代わりに、こんなことを提案してきた。
「私の邸のパンを監修したまえ」
* *
シャルル侯爵がセアンにパンの監修を頼み込んできた事の経緯としてはこうだ。
2週間後、カロス侯爵家でお茶会が開かれるらしい。
シャルルが引きこもって以来の邸の招待のため、多くの貴族が訪れることが予想される。そこで出す洋菓子やパン類の生地の監修をセアンらが経営しているパン屋にして欲しいとのことであった。
それを聞いたセアンは快く承諾した。
理由は明白である。
−合法的に侵入が可能になることで、暗殺時の事前調査ができるからだ。
ただ、セアンはその監修を1週間前からでも良いかと許可をとってもいた。
こちらの理由も、なんとなく想像がつくだろう。
その期間に暗殺の任務が入っているからだ。
それは数日間かけて遂行する、
“共同暗殺”であった。
* *
セアンは任務に向かう前日の夜、家に届いていた差出人不明の手紙を開いていた。
🌹=================
****年**月**日
*+*+*+*+*+*+
+*+*+*+*+*+*
with *****
===================
共同暗殺は今回で2回目になるが、セアンはあまり気乗りしていなかった。
……過去一度やった共同暗殺の依頼内容も良くなかったのだが、
何よりその時の仕事相手との相性が悪かったからである。
* *
セアンは手紙に書かれていた場所に、いつもの変装をして向かった。
長い髪を帽子の中に器用にしまいこみ、実際の体格よりも大きめの肩パッドが入った黒の外套を着ている。
セアンはすらっとした身長に狭目の肩幅で、当たり前だがひと目で女だとわかる。暗殺業においてそれは致命的であった。変装が規則であるおかげでその要素を合法的にカモフラージュできるのは、セアンにとってはとてもありがたかった。
−−来週にはシャルル様のところへ向かわなくちゃいけないけれど………前回の共同暗殺は予想よりかなり長引いたのよね……今回はどれほどかかるのかしら。今日のパートナーとの相性もきっと大事よね……
「すみません、ハンカチ落としましたよ」
ぐるぐる考えているセアンの目の前に、突然男性が立ち塞がった。
ハンカチを落としたと言っている割に、セアンの目の前に手を差し出している訳でもないし、
手元にはハンカチすらなかった。実際セアンもこの日はハンカチを持ち歩いていないのだから、落とす物がなくて当たり前だ。
だが、セアンは男性を見て答える。
「こんにちは。私が落としたのは、薔薇の刺繍が入っているものです」
その言葉を聞いて男性は表情を柔らかくした。
これが今回のパートナーとの合言葉だからである。
==
==
無事合流したセアンたちは、とある小さな喫茶店の個室で作戦を練っていた。
『共同暗殺は、殺し方を一緒に練ることが多い』
という定石に則って、セアンらもそうしているだけである。席に着き、互いに名前を述べた。
今回一緒に任務を遂行する男は、「ローマン」というハンドルネームらしい。
“SHADOWS.inc”の優秀なところは、ビジネスとして確立されている組織であるが故に、任務を円滑に行うための手助けをしてくれる場があるということだ。
無論この喫茶店も、その提携を取っている店の一つであった。
今回のターゲットは、
経営者と自称している詐欺師 のようだ。
富裕層の領民たちに多額の金を支払わせておきながらその金で遊び呆けているらしく、返金を催促しても逃げ回っており、被害者の中にはそれによる貧しさで死んだものもいるらしい。
いつものような人の悪いターゲットだが、セアンは何か物足りなさを感じていた。
「え、これだけですの?この程度であれば普段私たちが単独で行う時と変わらない要領で遂行できそうではないですか?」
「そうだね……あ、待って、この注意書き」
ローマンは一緒に見ているターゲットの詳細の一番下に書かれている「※」のマークを指差した。
−−なるほど。
今回の依頼は普段の任務と少し違う点があった。
このターゲットは過去に一度、
暗殺に失敗している任務だったのだ。
つまり、今回のセアンらの任務がターゲットにとって、二度目の暗殺ということになる。
「……だから共同暗殺というわけね」
ターゲットは前回狙われたことでかなり警戒心を持っており、複数人での移動やボディーガードらしき人を常に配置しているそうだ。
−前の殺し屋の方、どれだけやらかしたのかしら。ターゲットがここまで警戒しているということは、相手に人となりがバレてしまったなんてこともありえない話ではないわよね。
「聞いた話によると、この男、かなりの女好きらしい。ほら、そういう店にも度々通っているようだ」
「この方…ご結婚は?」
「している。息子もいる」
「はあ…なんなのよ?また面倒臭いターゲットにあたったわね…」
セアンは家庭を持つターゲットの暗殺が苦手だった。ターゲットの遺族のリアルな生活状況を想像し、情が移ってしまうからだ。
「あのさ、今回のターゲットの暗殺方法なんだけど」
渋るセアンにローマンが口をひらく。
「毒殺が良いんじゃないかな?私、良い案があるんだよ、あのね…」
「ちょ、待ってちょうだい。
……それ私のリスクがあまりにも大きいんじゃないかしら?」
提案の中身を察知したセアンがすかさず反論する。
「…私が店の娼婦として潜入して、毒入りのワインを飲ませるということでしょう?」
「そう、それを話そうと思っていたんだ。理解が早くて助かるよ」
「嫌ですわよ、だってターゲットはすでにかなり警戒している状態なのでしょう?目の前に暗殺者がいるなんてこと、空気で感じ取ってしまうのではなくて?
…それに私は変装を解かなくてはいけないじゃない。もし失敗して生き残ったとしても、今後私が生きづらくなってしまいますわ」
「だからこそ、今回は確実に殺そう。私も客として入るから、一緒に変装なしで。それに、今回に関してはこの作戦が良いと思うんだ。
…男は女の前では警戒心が極端に弱くなる。あの様子じゃあ格好つけたがりだろうから、仮にワインに毒が入っていたとてプライドで全て飲み干すに決まっているさ」
「……」
セアンは自分に降りかかるリスクが高すぎるゆえ、ローマンの主張に一理あるのが悔しかった。
「それに君が殺せば報酬の8割は君のものになるわけだし、どうだい?
最終的な判断は君に任せるけど」
==
==
その日の夜、セアンはターゲットが予約している酒場の娼婦として待っていた。
領地から離れた都会的な街の様相に馴染むよう、セアンはかなり本格的に着付けられている。
紺色に銀のダイヤが無数に散りばめられたマーメイドドレスは黒髪のセアンの容姿の良さを際立たせ、ざっくり開いた背中と胸元のラインは、セアンを19歳に見えなくしていた。
呼吸を整えながら、ローマンの言葉を思い出す。
>>この時間だけは君の名は『レイ』だからね。間違ってもハンドルネームと本名を言わないように。
口を滑らせるのに心配はしていないけれど、こんなに肌を露出したのは人生で初めてだわ…ローマンも客として店内に入ってくれているとはいえ、変装がないからかしら…妙にソワソワするわね。
この胸の高鳴りは、決してこの状況を楽しんでいるからではない。
カラン
−−来た!
−7話へ続く−
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