空風峠
蟲の卵は人体に入ってから凡そ十年で孵る。凡そ、だ。
だから予定よりも早く孵ることもあれば、逆に遅く孵ることもある。
「……さて、まだ孵りそうにない訳ですが、どうしましょうか、ニゾーさん?」
「ぐな!」
まだ昨日瓶を売ったことが気に入らないのか、知るか! と相棒であるニゾーの心無い言葉を受けているイチゾーは孵るのが遅い方だった。二ヵ月前に一応呑んで十年は過ぎている。だが、孵化する気配が無い。
魔力濃度の濃い場所だと孵り易いらしいので、リスクを承知で魔力汚染区域である龍骸地方の入り口である空風峠に来てみたのだが……滞在から三日、未だ孵る気配が無かった。
「と、言う訳でもっと奥に行ってみます」
「ぐあ!」
普通なら自殺でしかないが、逃げるだけならイチゾーはそれなりだ。『誇るな』と言われたが、その
そんな訳でイチゾーは空風峠のトラックターミナルに併設された待合室に来ていた。
龍骸地方の出入り口である空風峠の主要な産業は輸送業だ。
中からは遺物を、魔物の素材を。外からは中では育て難い野菜や乳製品などを。集め、運ぶのが主な産業だった。
それ故、多くの『車』が集まる。
大手が駆る旧時代に設計された悪路に強い惑星探索車両を改造したトラックから、そんなモノが手に入るはずもなく、それでも未舗装道路を行くために
イチゾーの目当てはそんな行商人が竜車の空きスペースを埋めるために行っている『乗り合い竜車』だった。
竜車を駆る彼等は街やギルドが管理しており、ある程度管理された大街道では無く、少しマシな獣道の様な荒れた道を行く。
通行料が掛からないからだ。
金惜しさに……と言う者も居るが、スラム出身のイチゾーに言わせれば、命と金なら金の方が価値がある。命なんてモノはクソ安い。特にと
だから小遣い稼ぎのための乗り合い竜車はそれなりに利用者もいるし、本数もある。
待合室に置かれたホワイトボード。そこに行き先と料金が書かれ、通話アプリのIDが書かれたポストイットが貼られている。貼られたポストイットがそのまま残りの乗れる人数だ。
「……ニゾー、どっか行きたいとことかあるか?」
「ぐな」
無いらしいので、適当に料金の安い便を選んでポストイットを取り、IDを入力。『乗車希望。大人1、ペンギン1』とメッセージを入力する。
「な?」
「……仕方ねぇべ? 一週間分の宿代は残しとかねぇとダメだから金ねぇんだよ」
そこで良いの? と聞いてくるニゾーにそんな言葉を返す。
一番始めの
だが残念。
「ぐー、ぐあああー、んぐもな、なっ、な?」
「……いや、だってよ。残れる空気じゃなかったじゃん?」
『八咫烏衆にもっと居ればよかったのに』、と言うニゾーに、残ってたら絶対にカエデに虐められたじゃん、とイチゾー。
ポコン! と言う軽い音と共に、メッセージアプリにターミナル番号と、御者の特徴が送られてくる。
「
何となく見たアイコンでは、ライオンの様な鬣をもったその
そんな無駄な行動をしつつ、指定されたターミナル番号に。
そこにはアイコンの
「……」
近付き、無言で先程のやり取りが表示された画面を見せるイチゾー。それを見て、
どうやら蟲憑きではないが、電脳化はしているらしい。そう言う眼で改めて竜車を見ると、金属フレームをケブラーで包んだ上でドローン基地を天井に設置した索敵仕様。そして
人類は魔力を宿せないが、犬は魔力を宿せる。SGで無く、彼等がこの
「に。確認したに。
「ペンギンの料金は? 何時出発する?」
「に。に。ペンギンは手荷物扱いで良いに。出発はお兄さんで満車だから直ぐ――あ、いや、三十分後でどうかに? どうかに?」
「そんなら、よろしく頼む……って言いてぇがあと一個確認させてくれ。水の料金は?」
「二リットルで十環に」
「……」
水、高くない? そう思うが――
「乗る。料金は先払いだよな?」
言いながら満額まで入れた紐サイフを一本取り出し、差し出す。「にぃ。ごめんね? 一応ね?」と
紐サイフに通された環を
「に! 確認しましたに! お兄さんは他に何か用いしたりする?」
「便所行って、コーラ買って、何か摘まめるもンが買いてぇ」
その程度で、荷物はここにあるので全部だよ、とイチゾー。
「了解したに。済んだら戻ってね? ――に! そうだ! 食べ物ならそこの屋台のタコスプレートがレオのオススメだよ? 美味しいよ?」
「そうかぃ。ありがとよ」
ミラーグラス
人が増えて来たこともあり、濡れたフェイスタオルで拭いたニゾーを頭に乗せる。
その肩車スタイルでコーラとタコスプレートのチップス増しを買ってイチゾー達が戻ってきたら、レオの他に
端正な顔立ち。青く、怜悧な瞳に、手入れの行き届いた金色の髪を編み込んだどこぞの貴族の様な、こんな場所に居ることが不思議になる少女だった。
それだけみると彼女がこんな所に居るのが不思議だが、彼女が肩に掛けたARと腰の鎖鎌が彼女がハンターであると告げていた。
それならばイチゾーと同じ目的なのだろう。
思い返してみれば、レオの竜車にはイチゾー以外にも、もう一人くらい乗れそうなスペースがあった気がする。
「に! お兄さん!」
と、そんなイチゾーに気が付いたレオが声を掛けてくる。それに軽く手を上げて返事をして近づいて行く。
「にぃ! 今更だが自己紹介に。レオはレオに。それで、こっちのクールなのがラファ」レオの足元のドーベルマンが、うぉん! と良い返事。「あっちのお利口さんがドナで――」竜車の下のドーベルマンの尻尾がぱたぱた。「あそこの頼りになるのがマイキーに」
実に愉快な仲間達だ。だからそれに倣ってイチゾーも自己紹介をする。
「イチゾー。蟲憑きとしての
「ぐあ!」
と頭上でよろしく! の鳴き声。多分、フリッパーでも上げているのだろう。
「よろしくに! イチゾー、ニゾー! ……それで、こちらの方がアリサ様に」
何故かレオが金髪
「よろしく、アリササマ」
「……いや、サマは要らない。只のアリサだ。よろしく、イチゾー」
握手。柔らかい。今の時代には珍しい『お嬢様』の手だった。「……」。ふーん? とレオを見る。
「に、に、に。お察しの通り『やんごとない』お方に。出来ればイイコにしてね、イチゾー?」
「任せとけ。得意分野だよ」
へっ、と鼻で笑うイチゾーの頭の上で「ぐな」とニゾーが何かを否定していたが、ペンギン語が分からないレオとアリサには伝わらなくて、イチゾーが無視をしたので、そこで終わった。
――どうやら捨ヶ原はとんでも無い田舎らしい。
それが荷台でアリサと駄弁っている内に分かったことだった。
昔は街があったらしいが、だだっ広い草原地帯で、特に取れる特産物も、物流の中継点としても微妙過ぎて今や街と言うよりは村と言う規模のモノがあるだけ。
龍骸地方なので、当然の様に迷宮はポコポコ生まれるが、そんな有り様なので、手が回らず龍骸地方の中でも多くの魔物が歩き回る危険地帯。
何時滅びてもおかしくない有様だが、何故かそこを気に入った
レオが普通の車よりは悪路と道中の魔物に強い竜車を曳いているのも、そもそも大街道が通って無いからと言うのだから筋金入りだ。
まぁ『個人が気に入っているから』で存続している様な街に合理性を求める方がどうかしている。この時代には珍しく、多くの街を渡り歩いた経験があるイチゾーは適当に「そうなんだ」で流しておいた。
そしてレオとアリサはそんな素敵な村の出身らしい。
アリサはそこの領主の娘らしい。
三人姉妹の末娘で、問題児。
七歳の頃に蟲の卵を呑んだお転婆さんだ。
「イチゾーくんはどうして捨ヶ原に?」
過疎地だよ? 見る物は何も無いよ? ハンターの稼ぎ場としても初心者には微妙だよ? とアリサ。
田舎の方が魔物は強い。間引きが適切にされないからだ。
「……魔力濃度が濃い地域の方が卵が孵り易ぃって言うだろ?」
それと宿代がヤバかったから一番安ぃ竜車を選んだ結果だよ、とイチゾー。
「……それは、その……あんまり賢い理由では無いな?」
「ぐあ!!」
イワトビペンギンの癖に、アリサのそんな言葉を全力肯定ペンギン。両フリッパーを元気よく上げるニゾー。「……」。生意気だったので飲んでいるペットボトルの蓋を閉めておいた。
「ぐが!」
自分では開けられないので、猛抗議。それを無視してタコスを齧る。美味い。けど、余り腹には堪らなそうだな。そんなことを思いながら付け合わせのナチョスを齧る。
「ぐあー」
「えと……開ければ、良いのかな?」
「ぐあ!」
ニゾーはイチゾーに頼るのを諦めて、アリサに蓋を開けて貰っていた。
ニゾーは女子供が自分の外見に騙されることを知っているので、この程度は朝飯前だ。
そのままアリサの横に立ち、ペンギンらしく啄む様にしてナチョスを齧り、開けて貰ったペットボトルを嘴で咥えると――旧時代のペンギンが魚を食べる時の様に、真上を向いた。一気にコーラが減って行く。
「え? い、イチゾーくん! こ、これは大丈夫なのか? コーラだぞ? 炭酸だぞ?」
近くにペンギンが居なかったのか何やらアリサが慌てていた。
調子に乗ったニゾーがフリッパーをパタパタしだしたから更に大混乱だ。
あとがき
今のポチ吉は無敵です。
何故なら明日から休みだから!
有給消化も兼ねて、部署のほぼ全員で取ることになってい――あれ? 有給って好きな時に取って良いモノじゃなかったっけ? それなら取る人が多そうな明日よりも、普通の平日に取りた――
ちょっと気付きたくないことに気付きそうになりましたが、無敵なので明日は朝の九時にも更新しようと思います。
でも予約投稿はしないので、寝過ごしたらズレます!
今日のペンギン語は「んぐもな」です。
意味は(敵)(危険)などです。
有給を指定して使わせる様な会社は、んぐもな、ですね?
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