第二章 二話
「そろそろお休みになられる刻限ですよ。そこまで根を詰められなくとも宜しいのでは?」
「時が惜しい。早く
「目指す場所が高み過ぎませんか」
若年から
現在の
「張り合うためにはそれなりの力が必要。とはいえ二十年以上の差がー。ああもっと早く生まれていれば……」
堅香子が半眼になった。
「その場合、お父上さまとほぼ年齢の変わらない状態でお生まれですよ、榠樝さま。無茶です」
「言葉の綾だってば」
だが二十年は痛い。一朝一夕で追い付けるはずもない。
「でも摂政の言ってることをちゃんと理解できるくらいにはなってないと、話にならないどころの騒ぎじゃない」
榠樝の書き散らした紙を拾い上げながら、堅香子は目を丸くする。
「学ぶ範囲を国内だけではなく、
榠樝は
「これでも神童と名高い私だったのにー」
堅香子は苦笑する。
いくら神童でも老獪な摂政相手に、数日で距離を縮めるのは至難の業だろう。というか無理。そう言いたいのを堪えた。
「女東宮。
「入れ」
「失礼致します。こんばんは、堅香子さま」
「こんばんは。今日もお願い致しますね」
毎晩、榠樝の就寝前に脈診をするのが杜鵑花の役割になっていた。
手を取った杜鵑花が小首を傾げた。
「興奮していらっしゃる?」
「あっは、
盛大に溜め息を吐く榠樝。堅香子が紙の束を杜鵑花に見せる。
「ここ数日根を詰めていらっしゃるの。お身体に障りますと、あなたからも言って
渡された紙束をぺらぺらと捲って、杜鵑花はぎょっとする。
「なんとまあ、多岐に渡って……試験前の学生の様ですよ。無理はなさいませんよう。健康でいらっしゃることが一番の予防です」
「わかってはいる」
が、できるかどうかはまた別の話で。
「でも、
うんうんと頷く杜鵑花に榠樝は目を瞬いた。
「よくわかるわね」
「私もそういう時代がありました。と申しましょうか、今もですが」
杜鵑花は少し考えて、提案する。
「
「童?」
小首を傾げる榠樝に
「その物事をよく知らぬ童にわかるように、嚙み砕いて平易な形にするのは骨が折れますが、その分理解が深まります」
榠樝は堅香子を見た。
「わたくしが童役でございますか?」
榠樝は片膝を立てて腕を乗せる。
「脇息をお使いくださいませ」
「こっちの方が楽。堅香子、我が虹霓国の隣国について知っている?」
堅香子はやれやれと溜め息を吐く。
「授業の復習でございますね。わかりました。寝物語にお供いたします。その前にお薬湯」
杜鵑花がすっと碗を差し出し、堅香子が受け取る。
榠樝は顔を
「苦いのよね、それ」
「
榠樝はもっと顔を顰めた。
「童ではないの。飲めるわ」
一気に飲み干し、口を曲げて。榠樝は碗を堅香子に返す。
「じゃあ堅香子、子守歌代わりに聞いて
「子守歌どころか、
「外交問題が難しいのよ」
きゃっきゃと
杜鵑花は
なんだか勘違いしそうになる。
まるで天に近付いたかの様だと。
ゆっくりと首を振り、杜鵑花は歩き出す。
月が高く見下ろしていた。
虹霓国の西、五雲国はある。
古代の虹霓国は五雲国の前の前の王国である
霄漢国の歴史を受け継いだのが
雲漢国とは国交があったが、五雲国とはごく初期には関りがあっただけで。
霄漢国の文字である漢字を今も使用している辺りは似た国であるともいえるだろう。
文化的にも似た所が多いが、武力に重きを置いている点が特に違う。
最近北西諸島の幾つかの国を併合し、勢いを増している。
近くて遠い国。
拒絶とまではいかなくとも、外交活動は消極的。
「我が国とはここ百年くらい、正使の遣り取りは無い。でも南の方で貿易とかはしてるのよね」
虹霓国は国の南北に
西の五雲国よりは北西諸島の小国との遣り取りが多く、北の大宰府の方が栄えていたが、ここ数年、交流はほぼ途絶えてしまっている。
時折流れ着くように訪れる船より、北西諸島の小国がほぼ滅亡し、五雲国の支配下に置かれたことを知った。
特に遣り取りの深い
だが、五雲国が虹霓国にまで手を伸ばして来る気配が無く、その後五年ほどはそのまま静観を続けている。
「一応、正式な国家間貿易では無いのですよね?」
「でも
毒蛇も
あれも五雲国からのものであろう。
輸出品なのか。それとも六家のどこかへの献上品なのか。
「西の海では時々流れ着く船もございますしね」
毒蛇が流れ着いた可能性も皆無ではないが、内裏にまで這って来るには遠すぎる道だろう。
持ち込まれたと考えるのが妥当だ。
西へ流れ着いた船や人は主に南の大宰府へ送られる。
そこで様々の手続きをし、自国へと返される。ごく稀に大宰府に留まりそのまま居ついてしまう者も居るという。
「漂流者の保護と送迎は双方の厚意でってことになってるみたいね」
そんないい加減でいいのか。
「でも突いたらまずいことがいっぱい出てくるんだろうなあ……。百年だし。だから父上も黙認してたんだろうし」
榠樝は釈然としない顔で吐息した。
「その辺は現地で良きに計らえ。でも目は光らせて置かなければならなくて。過失があったら罰さなくてはならないし。
「優秀な方を
榠樝は顔を顰める。
「堅香子って実は私より政に詳しいわよね」
「一応、
ですが、と堅香子は念を押す。
「わたくしも
堅香子の耳の早さは異常だ。
そよ、と風が吹き出した頃には確かな所を掴まえている。
「最近の流行りは?」
「女東宮の婿がねの噂ですわねえ」
「……あー。聞くんじゃなかった」
「あっちもこっちも持ち切りですわ」
「楽しんでもらえたならよかったわ」
そっぽを向いた榠樝の肩をぽんぽんと堅香子は赤子の様に叩いてくれる。
そんな
久し振りにゆっくり眠った榠樝だった。
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