第34話「腹を割って話したいんだ」

「うごめく蛸足に抵抗がなければ、是非一度試して頂きたいですわ。やみつきになって、この地に移住した方も少なくないそうですから」

「か……考えとく」


 ルネの熱に浮かされた表情と声は好奇心をかき立てるが、生活拠点を変えねばならないほど依存性のある行為なら尻込みせざるを得ない。

 曖昧な返答ではぐらかし、アシャはベッドに横たわった。


 乗合馬車の出発時間や帰路の長さを鑑みれば、早々に寝入っておくべきだ。

 しかし、まぶたの裏で謙虚な吸血鬼との同衾や伝え聞いた蛸足マッサージについて考え込んでしまい、あまり熟睡出来なかった。


 行きがけは快晴が続き快適だったが、引き返す際には天候がひどく荒れた。

 波が高くなる海沿いを避けて森林地帯を進まざるを得ず、足止めを食らって近隣の村で一夜を明かすことも多かった。

 屋根付きの馬車であっても横殴りに降る雨が入り込み、降車の度に靴が泥だらけになってしまう。

 洗い替えですら生乾きの臭いが気になり始めた頃、アシャたちはようやく南方首都に着いた。


 大雨という災難があったにせよ、予定していた日程と大幅にずれてしまったのは確かだ。

 謝罪の言葉を頭に浮かべながら宿屋に着くと、酒場の給仕服姿のメルレットが二人を出迎えた。

 用心棒の物々しさを紛らすため、仕事中にはお仕着せをまとっているのだ。


「ごめん、なかなか戻ってこれなくて」

「何言ってんの! アンタたちが無事だったなら何も問題ないよ!」


 肩を叩く力強い手と陽気な笑い声に不安を吹き飛ばされる。


「こっちはリナルドが腑抜けて帰ってきて、世話に苦労してたとこさ」

「ど、どうしたんだ?」


 アシャの問いにメルレットは肩をすくめる。


「一世一代の告白に失敗したって、部屋に引き篭もっちまってね。最初よりは、だいぶ持ち直してきたんだけど」

「まぁ……お可哀想に」


 ルネは胸元に手を当て、憐憫のまなざしを浮かべた。アシャも少なからず同情心を抱く。

 リーダーはアシャより七歳上で、そろそろ身を固めたいとぼやいていた。

 長い間の交際相手と手切れたのなら、気落ちも相当のものだろう。


「ま、詳しく話すのは後にしよう。汚れた服は洗っとくから、公衆浴場に行っておいでよ」


 メルレットの勧めに従い、二人は荷物を預けて風呂で長旅の疲れを癒した。

 大樽や木桶を使った入浴も悪くはないが、両手両足を伸ばして余りある広い浴槽の心地良さは他に変え難かった。


 リナルドと面会したのは夕食時だった。

 食事を載せたトレーを手に部屋の扉をノックすると、案外すぐに開けられた。

 黒い短髪に艶はなく寝癖が残っていて、目の下に濃いクマが伺える。部屋着のシャツにもシワが目立った。


「良かった。二人とも……元気そうだな」


 力の抜けた弱々しい笑顔を向けられる。

 パーティでの自信にあふれた立ち振る舞いと清潔感のある身なりが印象付いていただけに、落差が激しかった。


 リナルドが食事を終えるまでは椅子やベッドのふちに腰掛け、近況報告や世間話を展開した。

 頃合いを見計らい、メルレットが口火を切る。


「さて。こうして面子が揃ったことだし、何が起きたか白状してもらいたいね」

「……ああ」

「えっと……あたしたちが聞いてもいいの?」


 水を差すようでためらわれたが、言わずにはいられない。

 パーティを組んでいる間は戦闘や迷宮探索についての話題ばかりで、互いに個人的な事情には踏み入らなかった。

 私生活のことなら、相棒にのみ打ち明けたいのではないか。

 アシャのそんな遠慮を感じてか、リナルドは深く頷いてみせる。


「付き合いは浅くても仲間だろう? 勝手に出ていって心配をかけた分、腹を割って話したいんだ。隠すほど大層な話でもないからな……」


 苦笑を混じえつつ、ゆっくりと経緯を語り始めた。


 幼少期に剣の才能を見込まれたリナルドは故郷の村を離れ、二十歳前後で騎士として叙任された。

 だが初任務の途中、新入りばかりの隊が魔物の襲撃に遭った。

 多勢に無勢で仲間たちが次々と倒れていき、命の終わりを覚悟した時、たまたま通りがかったエルフの冒険者ファウに助けられた。

 弓矢と魔術を駆使した他を寄せ付けない強さに惚れ込んだリナルドは騎士団を脱退し、ファウを追って冒険者になった。

 強引に押しかけてきたリナルドをファウは温かく迎え入れ、およそ二年間共に活動した。

 半ば師弟のような関係性であったゆえに憧憬は示せても、恋慕の情までは伝えられなかった。

 元より高齢だったファウはやがて目を患い、魔物討伐時に片足を負傷して引退を余儀なくされた。

 リナルドは新たにメルレットと組み、療養生活を送るファウを資金面で支えた。

 義足は用意出来ても、視力を回復させる術は見つからなかった。

 少し前、ファウからもう援助は不用だと手紙が届いた。慌てて静養地に向かうと、ファウは旅の荷をまとめていた。

 人間族の目からは若く見えても、わたしはこのまま老いていくだけだ。これ以上、お前の人生を長生種の介護で消費させたくない。

 そう呟くファウにリナルドは思わず長年の想いをぶつけた。どうか添わせてくれと、みっともなく懇願した。

 しかしファウは同じ種族の女と連れ添うべきだと言い残し、行方知れずとなった。

 盲いた身でも、魔力を行使して逃げることは出来たのだ。

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