幕間劇 花屋敷瓢仙による、べとべとさん評価

「この世には、おおよそ理解不能なものがある」


 町の片隅、どこかとここの境界線にある小さなバーの店内。

 そこに、朗々とした声音が響いた。


 カウンターで、ウイスキーのロックを片手に話をしているのは、白い存在だ。

 頭髪から、身につけている道服まで、全てが白い。

 吐き出す言葉さえも、どこか白々しい。


隠秘いんぴ、妖怪、、幽霊、未確認生物。街談巷説がいだんこうせつ道聴塗説どうちょうとせつ、アーバンロア、都市伝説。なべて総じて〝怪異〟の名で呼びあらわせば、その本質は瞭然りょうぜんだ。さて、君には解るかね、共犯者?」


 問い掛けられたのは、同じくカウンター席の客。

 灰色のジャケットを着た神経質な表情の男は、「どうかな。ボクにはこの世界自体が解らない。教えられて、ようやっとだよ」と吐き捨てる。

 すると白い人間は愉快そうにコロコロと笑い。


「そうだとも。怪異の本質とは伝聞だ。聞かされ伝えられることで初めて存在が成立する。逆説的にいえば、語るものの不在は、彼らを容易くこの世から消し去ってしまうだろうさ。よく言うだろう? 人が本当に死ぬときとは、誰の心からも忘れ去られたときだと」


 妖怪もその例に漏れないのだよと言って、純白――花屋敷はなやしき瓢仙ひょうせんはまた笑った。

 なんとも人を食ったような笑いで、それがもうひとりの人物の神経を逆なでしていく。

 にもかかわらず、花屋敷は一向に講釈をやめようとはしない。


「かつて、怪談ブームというものがあった」


 話者が聴衆に語り聞かせることで拡散された噂話は、その途中で尾ひれがつく。

 自分が人に語って聞かせるとき、興味を持ってもらいたい、よりよいリアクションを引き出したいという邪念が、元の情報を歪ませるのだと、純白は言う。


「するとどうなると思う? 尾びれだけでなく胸びれが、いや、角や翼まで生えてくるのさ。伝聞とは、そういうものだよ」


 彼はなお雄弁に続ける。

 そんな変化に順応し適応したものだけが、現代へ生き残るのだと。


「共歩き――別名〝べとべとさん〟も、その例から漏れることはなかった」


 元より姿の無い怪異。

 足音だけがつきまとう現象が気味悪がられて、絵という姿を与えられて、初めて妖怪になったもの。


「だから、その有様を変異させるのは容易かったなぁ」


 足音ではなく車の騒音に擬態し、相手につきまとうのではなく追い立てる。

 無数の噂話を世間に放流し、その中で芽吹いた逸話はじつに力強く、足引峠に根を張った。


「これからさきも、長くべとべとさんは生存するだろう。或いは別の地方でも、誰かによって語り継がれるかも知れない。それはじつに、胸躍ることだ。だが……問題点もある」


 花屋敷が当初コンセプトとして掲げていたのは、怖がらせはしても被害の出ない怪異だった。

 しかし、事実として被害者が発生するに至る。

 放置すれば死者が出た可能性もあっただろう。


「それは本意ではない。他人の死などいささかも興味はないし、身共みどもなど死んでいるも同然だが、怪異の形がそのように定まるのは面白くない。君――共犯者とともに練り上げた実験ではあったから、再現性を確かめるという意味では重要だったが……本意ではないのだ」


 だから、少しばかり手を回したのだと、彼は語る。

 とある保険屋たちが、動きやすいようにと。


「保険屋……案山子、清十郎」


 灰色のジャケットの男が、顔つきを変えた。

 それを見て取り、花屋敷は愉しそうに語る。


「次の実験は既にはじまっている。投資は随分と行った。だからこそ、きっと大きな炎上案件になるだろう」


 ドンと、グラスをカウンターに叩きつけ、身を乗り出して。

 灰色ジャケットの男は、花屋敷瓢仙へと顔を近づけた。


「案山子清十郎と磯姫珠々を、今度こそ引き離せるか?」

「まあまあ、それは今回の本題ではないだろう。君の技術の実証と、磯姫珠々――電脳怪異の脆弱性を見つけることこそが本懐だったはずだ」

「…………」

「いやはや、安心してくれたまえよ、共犯者。身共とて、怪異には現代へ適応してもらわなくては困る。そのためなら君に協力もするし、語り継ぐため、粉骨砕身努力を重ねるともさ」


 やんわりと舌鋒をいなしながら。


「それに、時間はかかったが、ようやく芽吹いてくれそうだ」


 花屋敷瓢仙は、スッと眼を細くして、口元を吊り上げる。

 純白のなかに、三つの黒い孤月が生じた。


「ところで、共犯者殿――ひしゃく幽霊というのを、知っているかね?」


 からりと、ウイスキーグラスの中で、氷が音を立てる。

 白きモノの講釈は。

 当座の怪談は、まだ、終わらない――

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