第9話死踏②
***
屋上に通じる階段の途中に、死体のようにヨハナの人形──フーガが転がっていた。ほとんど外傷がなく、それが持ち主に異常が生じていることを示唆していた。フーガは一旦おいておき、そのまま階段を駆け上がる。バルコニーに通じる扉があった。硝子張りのその扉はすでにぶち破られていた。
「ヨハナ!」
バルコニーの先には巨漢の人形と、その肩に担がれたヨハナがいた。ヨハナは気を失っているのか反応しない。人形がこちらを振り向く。白面の向こうから小さな目がじっとこちらを見つめる。
「貴方たちは何者?」
私は声を張り上げた。人形に言っているのではない。このどこかにいる人形を操る人形遣いに向けての言葉だった。
「……」
沈黙は想定内。私は外套の中で自分の銃に手をかけながら、シモンに銃を抜かせ、人形の足下を狙った。頭や心臓を撃ち抜いたところで、人形相手に意味はない。それより四肢を砕くほうが効果的だ。しかし、人形は巨体に似合わず、銃弾を軽々走って避けた。ヨハナを担いだままでだ。しかし、それでいい。人形が動いた時、私の目にはその手から伸びる赤く光る糸が視えた。糸は私の後方、バルコニーの出入り口の建物の上方に伸びていた。私は糸の先にあたりをつけると首を振り向けるより先に、銃口を向け引き金を引いた。
ほとんど重なり合う二発の銃声。振り返ると、建物の屋根の上に立っていたのは頭から黒いヴェールを被った女だった。私の弾丸は女の右肘を撃ち抜き、女の撃った弾丸は私の足下を抉った。
(シモンは人形を!)
糸を通し、強く命じる。
ヨハナの奪還と人形の相手はシモンに任せ、その間に私が人形遣いを
ヴェールごと顎を撃ち抜かれてなお、女の体は明確な意思を保ち、その手に握られた白刃は迷いなく私の心臓を狙ってきた。間一髪、私は女の一撃を転がり避け、銃を構えたが、女はあろうことか撃たれたはずの右手でその銃口を握った。構わず撃つ。塞がれた銃口が想定外の反動を生み、私は右腕のみならず全身で衝撃を受け止める。しかし、撃たれた女は掌に風穴があいてなお、平然と私の銃を掴み続ける。肘、顎、掌、──いくつも穴を空けられ風通しが良くなった体で今も私と取っ組み合いをしているこの女は、明らかに人間ではなかった。
(こいつ……人形!)
黒のヴェールの越しに、無機質な白面が透けて見える。人並み以上に力があるとは自負しているが、さすがに人形相手に力比べは分が悪い。肘を撃ち抜いた右手はともかく、ナイフを持った女の左手が徐々に私の首筋に迫る。
横目でシモンを見れば、向こうも怪力男と取っ組み合い中だ。いつの間にかヨハナは床に転がっている。
(
私がシモンに命じたのは、全力を以て男を仕留めること。人形は人形遣いなくしては動けない。とすれば、あの男の方が人形遣いだ。人形遣いさえ仕留めれば、人形は無力化される。それが最適解のはずだ。
だから、
右目がかぁっと熱くなる。その熱は脳に伝わり瞬く間に全身に伝播し、糸を伝い、真っ赤な奔流となってシモンに流れていく。代わりに、私自身の指先からは力が抜けていく。刃が首筋にあたる。その時だ。シモンの眼球がぐるりと私を向いた。
「リリシュカ!」
シモンは男の腕を掴んだまま、男の顎めがけて頭突きした。私を掴む人形の力がふっと緩むのを感じる。そのままシモンは、よろめく男の腕を大きく振って、その巨体をこっちにぶん投げてきた。男の体が、私と人形の間に割り込むように勢いよく転がってくる。人形は男に巻き込まれる形で地面に転がった。私はその隙を見逃さない。
「シモン!」
私が叫ぶのとほぼ同時にシモンが駆け出して、人形の顔面めがけて剣を突き立てた。ありったけの力をこめる。刃の切っ先が眼球に触れ、真っ赤な火花が散った。
「……終わったのか?」
シモンが人形を見下ろし、呟く。刃はヴェール越しに眼球をかち割り、そのまま人形の後頭部を貫通していた。四つ目の風穴だ。
「少なくとも、その人形はね。眼球の魔導体に、その剣を通して致命的な量の魔力を流したから」
魔導体は銃で撃っても砕けない極めて硬質な物体だ。しかし、それは許容量以上の魔力を流すと、途端に崩壊して塵と化す。だから私は自分の人形に導体金属を用いた得物を持たせる。それで敵対する魔法人形に間接的に私の魔力を注ぎ込んで破壊するのだ。ただ、この戦法は私の人形にも多大な負荷をかける。魔力の殆どは剣に流れるが、それでも漏れ出た余剰が私の人形の魔導体をも犯す。昨日の人形もそれが原因で、駄目にしてしまった。
「シモン、目を見せて」
彼の顔をグイッと引き寄せ、その目の中を覗き込む。その輝きはいよいよ増して、今や夜行性の獣のごとき金色。しかし特段ひび割れなどは見当たらない。綺麗なものだ。
「何か異変は? 体のどこかが動かないとか、違和感を覚えるとか……」
「俺は別に何ともない。つか、お前こそ!」
「何が?」
「血だよ血! 鼻とか目とか顔中の穴から血が出てる!」
シモンはポケットに手を突っ込んで何かを探しているようだったが、やがてそのシャツの袖口で私の鼻や頬をごしごしと拭いだした。そして「ほら!」とその汚れた袖を見せてきた。もしシモンが人間だったら、目を見開き、青ざめた顔色になっていたのだろうか。なんて馬鹿馬鹿しい空想。私は小さく溜息をつきながら言う。
「それ、血じゃなくてただの鼻水と涙。魔力の残滓が体液と混ざると、そういう色になるの。今は魔力を使って分泌過剰になってるだけだから、そのうち収まる」
「……その腕もか?」
「え?」
「思いっきり切れてるぞ」
シモンの視線を追って自分の左腕を見ると、たしかにブラウスが切れ、黒い染みが広がっている。どうも、飛び降りてきた人形のナイフが掠ってしまったらしい。人形のそばには血の付いたナイフが転がっていた。
「ちょっと掠めただけ。こんなの痛くも痒くもない」
外套の内ポケットからハンカチを取り出して、傷口を縛る。さらにもう一枚ハンカチを取り出して、鼻にあてがう。こうしないと体液が私の意思とは無関係にぼたぼたこぼれてしまう。大げさに心配されるのは億劫だが、我ながら厄介な体質だという自覚はある。
私はハンカチを片手に、地面に転がっている巨漢を覗き込んだ。白面が割れ、白目を剥いた男の顔が露になる。傷だらけでいかめしい。シモンはその顔を見て「フランケンっぽい」と不思議な感想をこぼした。男はシモンのフルスイングが相当きいたのだろう。依然、気を失ったままだった。私は外套のポケットから拘束用のワイヤーを取り出し、男の両手と両足をきつく縛った。
「ああ、そういうこと……」
「どうした?」
「なんでコイツが人間のクセにあんな馬鹿力なのか、そのからくりがわかった」
私はシモンに男の右手を見せる。革の手袋の下にあったのは、シモン同様、無機質に艶めく指先と、人工的な球体関節だった。
「人形!? じゃあ人形が人形を操ってたのか?」
「違う。これは
「すごいな」
「でも繋いだ部分は人間の体に過ぎない。三倍の力が出せても、繋ぎ目には三倍の負荷がかかる。濫用によって痛覚異常を起こしたり、健常だった部分まで壊死する例もある」
「そうか……」
そういえばこの人形は「かつて足を切断した人間」という自己認識だった。もし、それが本当なら、言葉通り魔法の技術のように思えたのかもしれない。所詮、魔導体に刻まれた作り物の記憶情報だとは思うが。
私は少し離れたところで床に転がっているヨハナに近付いた。
「ヨハナ?」
しゃがみ込んでその顔を覗き込む。淡い色のまつ毛が小刻みに震え、やがて彼女は目を開いた。ジナ同様、一見、外傷らしい外傷は見当たらない。
「ごめん、またヘマしちゃった。みぞおちをガツンと一発ね」
「だから言ったじゃない。無様を晒すぐらいなら、もう裏方にまわるべきだって」
「わかってるんだけどさ、どうせ明日をも知れぬ私たちだし、ならせめて舞台上で華々しく散りたいなーなんて」
ヨハナは笑う。彼女が特別おかしいわけじゃない。本当の名前を失った根無し草たちにとっては、昼でも夜でも、舞台が全て。ここに来てから、そんな愚かな仇花を何人も見送っている。
「冗談でもやめて。遺品整理、本当に面倒くさいから」
「大丈夫。私、悪運は強いから。それに今日も何となくリリシュカが来てくれる気がしてたんだよね」
そう言ってネクタイをいじるヨハナ。私は頬に血がのぼるのを感じて、シモンの方を向いた。シモンはバルコニーの手すりから身を乗り出し、中庭の方を見ていた。
「おい、あれってジナか?」
シモンの言葉に私は立ち上がる。ヨハナに手を貸し、一緒に中庭を見下ろした。
「リリちゃーん! ヨハナーん! だーいじょーぶ?」
ジナの隣にはアマニータとモレルもいて、アマニータが小さな腕を必死に振りながら叫んでいた。ジナが応援を呼んで戻って来たようだ。
「大丈夫! 今、そっち降りるから! 待っててー!」
ヨハナが叫び返す。気が付けば、空の端は白み始めていた。私とヨハナは顔を見合わせ、出入り口の扉の方を振り返った。
吸い込んだ空気が一気に凍りついたように感じた。見間違いか。いや、そんなはずはない。声を失う私の代わりにシモンが声を上げた。
「……あの男、どこ行った?」
手足を縛られ、地面に転がっていたはずの巨漢の男は、彼の人形とともに影も形もなく消えていた。
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