第8話死踏①

***リリシュカ***


 閉じた右目の奥で、赤く小さな光が明滅しながら漂っているのが見える。その今にも消えそうな光を追って、私はシモンを走らせる。速さ優先だから乗り心地が良いとは言えない。私は振り下ろされないように、その肩にしっかり腕を回す。時計の針が頂点で重なったばかりの劇団周辺は、道に人影はなく、灯りのついた窓も殆ど見えなかった。しかし静寂ではあっても暗闇ではない。七年前からセマルグル市全域で導入された常夜灯の青い光が、筋になって流れていくのが見える。

 シモンの足は速い。それこそ足漕ぎの二輪車ぐらいなら容易く抜き去れるだろう。

(どんなに魔力を込めても、押し返される感じがしない……)

 今まで操ってきた人形は、魔力を送る時、自制をしないとあっという間に駄目になってしまっていた。多くの場合は人形の心臓たる魔導体が膨大な魔力に耐え切れずイカれるか、さもなくば、想定外の出力に人形の手足が吹き飛んだり砕け散ったりするかのどちらかだ。どっちの場合でも、壊れる直前は、まるで人形自身が抵抗するかのように送った魔力が押し戻される感じがする。見上げれば、シモンの瞳は昼間よりずっと明るい。同じ茶色でも昼間が焦がした砂糖なら、夜は蜂蜜ほどの明るさだ。魔導体の発光現象。かすかな光のはずだがそれでも夜闇の中では際立つ。魔力が滞りなく送られている証拠だ。

 シモンを走らせてしばらく、庶民的な家屋が多く並んでいた劇団近辺とは打って変わって、立派な門と垣根や柵で囲われた大きな邸宅ばかりが並ぶ通りへやって来た。ここに住むのは大半が貴族や新興の商人、それに官庁街の高級官僚たち。反応が確かなら、この辺りにヨハナがいるはずだ。私はもう一度右目を閉じる。そして瞼の裏の闇に目を凝らす。もうほとんど針の先ほどの光、でも確かに、その赤い瞬きは見えた。

「あっち!」

 シモンが足を止めたのは見るからにまだ新しい白壁の大邸宅だった。鋼鉄の柵門から中の建物が見えるが、門と建物の間に噴水付きの中庭まである。そして二階建ての建物のてっぺんは、ボルヘミアの伝統的な赤いレンガ屋根ではなく、バルコニーになっていて曲線的な装飾柵に囲われているのが見えた。

「ヨハナは本当にここにいるのか?」

 シモンが、私を降ろしながら言った。人目をはばかる必要もないので、私はシモンが話すのを許していた。

「すごいお屋敷だけど、どっかの大富豪か?」

「国内でも有数の排外主義犯罪組織、『蛇の足ハギィ・ノヒィ』の幹部、トマシュ・ジゴノワ」

「は? 犯罪組織?」

「この国では一般的に血盟クランと呼ばれてる。親と子が互いの手に傷をつけて血を交わすのが入団の儀だから」

「いや、だから、なんでそんな奴の家にヨハナが……」

 シモンが言い終わるより先に、噴水の向こうにある屋敷の扉が勢いよく開き、中から二つの影が転がるように飛び出してきた。

「ジナ!」

 通りの灯りは屋敷の中まで届かず、月明りが辛うじて黒いシルエットを浮かび上がらせているだけだったが、それでも十分、彼女とその人形だと認識できた。私はシモンを操る。

 シモンが目の前の鉄柵の一本に両手をかけ、力いっぱい引っ張る。太い鉄の柵棒がぐにゃりと曲がる。体を横にすれば、人ひとりは問題なく通れるすき間だ。私はジナのもとに駆け寄った。見たところ、ジナの人形は片足が砕け、ひどい状態だが、当のジナには目立った外傷はなかった。

「ジナ、状況は? ヨハナはどこにいる?」

「なんで君が……いや、今はいい。僕たちが屋敷に潜入した時、護衛と思しき血盟の男たちはすでに死んでいた。だだっ広い屋敷のそこら中、死体だらけだ」

「別組織の仕業? たとえばヴァレンシュタインとか……目標がかち合った?」

「いや、トマシュは『蛇の足』を裏切って、そのヴァレンシュタイン一味についた。連中がトマシュを狙う道理はない。あるとすれば、裏切られた『蛇の足』の方だが……」

「そっちは貴方たちの依頼主でしょ。違う?」

「そうだ。トマシュは裏切りを咎めた自分の部下を殺した。だから、その部下の妻が劇団に報復を依頼した。当然、依頼のことは『蛇の足』も認知している」

「『蛇の足』でもないとなると、じゃあ、一体何者が……」

「なあ!」

 情報を整理しようとした矢先、背後から大声で怒鳴られた。

「どういうことだ!? さっきから聞いてりゃ、犯罪組織だの死体だの、一体何なんだよ! お前らは一体……」

 振り返ると、シモンがさながら人間のように頭を抱えている。本当に何なのだろう、この人形は。自律思考魔術の仕組みからいえば、こんな反応は決してしないはずなのに。

「お、おい……まさか、その人形、自律型なのか?」

 ジナまで動揺し始めている。学校でならともかく、今、悠長に説明している暇はない。私はジナを無視してシモンに語りかける。

「昼は人形劇、夜は報復代行、昼と夜とで二つのギニョールを演じるのが、私たちニズド・カンパニー」

「報復代行?」

「金であれ、命であれ、奪われた者は奪い返す権利を有す。私たちは、依頼者が有する正当な権利を人形によって執行する、本来の意味での人形決闘ギニョールの代行者。要は、復讐依頼専門の人形遣いの集まり」

 シモンは無表情だった。それはそうだろう。人形の顔に表情筋はなく、瞼の開閉や眼球運動以外で動くことなどないのだから。しかし今、その瞳にはこの場の誰よりも複雑な光が宿っているように見えた。

「命を奪い返す……お前たちは殺し屋ってことか?」

「飲み込みが早くて助かる。ここは標的の住処だったのだけど、どういうわけか先客がいて、ヨハナはまだ屋敷の中に取り残されているみたい。そうでしょ?」

 私はジナの方を向いた。

「ああ、二階の寝室に向かう途中で、バカでかい人形と鉢合わせて、突進された挙句、二階からルカともども突き落とされてこのざまだ。ヨハナはまだ一人であの中に取り残されてる!」

 立ち上がろうとしたジナを制し、私は言う。

「あとは私が片づける。貴方は念のため劇団に応援を要請して」

 ジナの口は「待て!」と言いかけて、結局、彼女はその言葉を飲み込み「了解」と頷いた。意地を張るより、状況を見極め適切な行動を取る。ジナは融通が利かないところも多いが、決して無能ではない。私は彼女から離れ、屋敷の玄関に向かって歩き出した。

「俺にはまだ何が何だか。よりによって殺し屋の人形だなんて……」

 私の隣を歩きながらシモンがこぼす。

「わからなくていい。貴方は私の人形なんだから。何も考えず、私に操られればいいの」

 私はシモンを操り、その背中の鞄から剣と拳銃を取り出させ、それぞれ腰のベルトに佩かせた。

「冗談だろ?」

 シモンの呟きを無視して、私は屋敷のドアを体で押し開けた。


***


 うっ、と思わず顔をしかめる。入ってすぐの広間には金属っぽい苦味と粘っこい脂の混じったような不愉快な異臭が漂っていた。広間は二階まで吹き抜けで、天井にはシャンデリアが吊るされているのが見える。灯りは消えていたが、天窓から差し込む月明りが、すだれ状の硝子飾りに当たって、淡く乱反射していた。

「誰もいない?」

 シモンがあたりをキョロキョロと見回す。

「右斜め前方の柱の裏」

 私はそう呟きながら、シモンに剣を抜かせた。「え?」と彼が言うのとほぼ同時に人影が柱から飛び出して、私に躍りかかる。両腕にカマキリの鎌のような刃がついた、違法改造の魔法人形マギアネッタ。その一撃をシモンが剣で受け止め、そのまま押し返す。そして相手がよろめいた所にすかさず蹴りを入れる。

 シモンに人形の相手を任せて私は右目を閉じて闇に目を凝らす。人形と人形遣いを繋ぐ赤い糸。常人には視えざる糸を私の目は視る。闇に浮かぶ赤い糸は人形とは反対の柱の陰に繋がっていた。

 私は外套の裏ポケットから拳銃を取り出し、柱に打ち込む。そして慌てて飛び出した人影に予定通りもう一発撃ち込んだ。人影は床に転がって、そのまま動かなくなった。

「素人に毛が生えた程度じゃない。一体、何者なの」

 私は黒い人影に近付く。すると、頭上に気配が。私が飛びのくのと同時に、どしんと品のない音と振動を響かせて人形が降ってきた。人形の手には工事現場で見かけるような槌が握られている。タイミングを見計らっていたのだろうが、一撃で仕留められなかった時点で相手の負けだ。

 私は人形が飛び降りてきた二階にシモンを駆けさせた。階段なんて使わない。助走をつけて踏み込めば二階の手すりの付け根にその手は届いた。

 私は再び右目を閉じる。私の左目には私に向かって槌を振り上げている白面の人形が映り、もう一つの目には暗がりでびくびくと震えている男の姿が映った。

 シモンは、目の前の男に向かって銃を構え、引き金を引いた。私の目の前の人形は槌の重さに耐えられず仰向けに倒れた。

 私は最初に撃ち殺した男の死体に近付いた。人形遣いは三十歳前後の男で、手には血盟特有の儀礼的刺し傷もなく、入れ墨の類いも確認できなかった。また、そういった組織のならず者にありがちな派手で金のかかった身なりではない。靴底のすり切れた靴、ボタン周りのほつれたシャツ、形の整っていない爪──オイルがこびりついて黒ずんでいるあたり、工場勤務の労働者のように思えた。

 私は男から離れて、男が元々いた柱の陰に近付いた。そこには別の男二人の死体が柱を背に横たわっていた。どちらの男も、右手に刺し傷の盛り上がりがある。彼らはこの屋敷の主、トマシュの護衛役だったのだろう。

(荒っぽいやり口。さっきのトンカチ人形にやられた? いや、殴られたんじゃなくて柱に叩きつけられた?)

 どちらの死体も、後頭部がぐしゃぐしゃに潰れていて、その後ろの柱にめり込んでいた。一人の男に至っては、叩きつけられた衝撃で眼球が飛び出してしまっている。振り返れば死体の近くの壁には黒いシミが広範囲に点々と飛び散っていた。相手の人形は相当の怪力らしい。ジナとルカを二階から突き落としたのと同じ奴だろう。ヨハナが上手く逃げられていればいいのだが。私は足早に二階に上がった。シモンはずっと足下に倒れている死体の方を見つめていた。

「シモン」

「なあ、リリシュカ……俺、この人を……」

 シモンが自分の手に握られた銃と剣に視線を落とす。もしかして、私の経験や記憶がこの人形の人格にフィードバックしているのだろうか。私なんかの人形として目覚めたばかりにと、少し憐れに思わないこともない。私はシモンを操り、銃と剣をベルトのホルスターにしまわせる。

「殺したのは私。道具が人を殺すんじゃない。人が道具を使って殺すの。さっさと行きましょう。ヨハナを探さなきゃ」

 私は二階の廊下を歩きだした。シモンも私のあとを追う。


***


「ひどいものね」

 廊下には時折、人間の死体と人形が転がっていた。みな、手に傷があってトマシュの部下だとわかる。彼らは一階の死体同様、頭を壁に叩きつけられたらしく、白い壁には、さながら絵具をたっぷりつけた筆で描きなぐったように、どろりとまだ生乾きの体液がぶちまけられていた。人形の方はほとんど無傷だ。

 魔法人形は強力だが、人形遣いなくしては動けない。だからさっさと人形遣いの方から殺すのが鉄則で、この状況はまさにお手本通りだ。とはいえ、当然、人形遣いもそれはわかっていて人形に自分を守らせるから、言うは易し行うは難しで、襲撃者がかなりの手練れなのが見て取れた。

 やがて、ひと際、汚れのひどい扉を見つけた。しかし、何かが突っかかっているようで開かない。私の膂力ならこじ開けることも可能だろうが、中に何が潜んでいるともわからない。私はシモンに扉を蹴破らせた。

 扉の前には男と人形が並んでうつぶせに倒れていた。彼らの体がつっかえになっていたのだろう。男の方の体を足で転がす。二十代前半ぐらいだろうか、まだ若い男で眉間をぶち抜かれていた。手に傷がないから、こちらは襲撃者一味だろう。

 部屋の内部を見回すと、中央の天蓋付のベッドをはじめ、織りの見事な敷物や陶器の置物など、見るからに高価な調度品が節操なく飾られていた。特に目を引いたのは、部屋の隅に置かれていた金庫だ。ダイヤル式で、分厚い扉は開かれ、中身は空っぽだった。

「なあ、こっちの男は……」

 シモンの視線は部屋の真ん中の天蓋付きのベッドの方を向いていた。近づくとそこには、だらしなく口を開いたローブを着た中年男の死体が横たわっていた。両手に盛り上がった傷がある。数多の部下と親子の契りを結んだ、幹部の証だった。さらにのぞき込むと、男の太い首には大きな手形跡が黒っぽく見えていた。ベッドの足下には拳銃が落ちている。

「この男がこの屋敷の主、トマシュ・ジゴノワ。おそらく襲撃者の一人を射殺した後に、別の襲撃者に絞殺された。護衛たちは一撃で殺されてるけど、トマシュだけ尋問され、金庫の番号を吐かされたあとに殺されたんだと思う」

 トマシュの爪は血で汚れていた。自分の首を絞める相手に必死で抵抗したのだろう。ベッドシーツはぐちゃぐちゃで失禁の痕跡もあった。さっきからひどい臭いだ。

 私は右目を閉じ、意識を集中させる。そろそろ時間切れが近い。早くヨハナを見つけないと。そう思ってあたりを見回しても、瞼の裏には闇ばかりが広がる。

「……上、足音?」

 シモンの呟きに、私は天井を見上げた。瞼の裏に、ぼんやりと赤い光が浮かび、私は叫ぶ。

「屋上! 急いで!」

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