君の代わりに恋をする

藤 ゆみ子

第1話

 「佐倉さん好きです! 付き合ってください!」


 太陽の光がじわりと汗をにじませるようになった初夏の屋上で、私は今告白されている。


「えっと……少し、考えさせてもらっていいかな?」


 愛想笑いをしながら目の前のクラスメイトに控えめに告げた。

 屋上に呼び出された時点でなんとなくそうなのかな、と思っていたが、いざ告白されるとどうしたらいいのかわからなくなる。

 

「うん! もちろん! ありがとう」


 振られると思っていたのだろうか、不安そうな表情から彼本来の明るさを取り戻して頷く。


「じゃあ、私は行くね」


 彼にペコっと頭を下げながら、屋上を出ると急いで階段を駆け下り教室へと向かう。


 放課後、急に呼び出されてそのままついて行ってしまったので、大事なものを机に入れっぱなしで来てしまった。

 机の中に入れているのだから大丈夫だろうとは思うけれど、あれを置きっぱなしだなんて考えるとそわそわして落ち着かない。


 早く取りに戻って帰ろう。


 そう思っていたのに――。


「あ……」


 窓際の後ろから二番目の席。

 ただ一人席につき、頬杖をついて窓の外を眺めている男子生徒がいた。

 物音一つしていなかった教室で、誰か居るとは思っていなかった。

 

 彼は私に気づいたようで、頬杖をついていた手を下ろし背筋を伸ばすと、ゆっくりと顔をこちらに向ける。


 えっ……。


 その大きな瞳からは透明な滴が零れ落ちていた。

 零れた涙を拭うことはせずにこりと私に微笑みかける。


 その、隙のない笑みと頬を伝う滴の不自然さが異様に綺麗で、思わず見惚れていた。


「お帰り佐倉さん。大崎と付き合うの?」

「なんで……そのこと」

「教室であれだけ大きな声で呼び出されてたんだから、告白だってわかるでしょ。普段の様子からも大崎が佐倉さんのことが好きだってバレバレだしね」


 知らなかった。隣の席の大崎くんは、私のお弁当をやたら褒めてくれたり、よく私の好きなチョコレートをくれたり、一つしかない傘を私に貸してくれたり、すごく優しい人だなとは思っていた。


「まあ佐倉さんて鈍そうだもんね」

「どうせ私は鈍いですよ」


 確かに私はその手のことに関しては鈍いかもしれない。

 特に自分のことになると。

 でも、興味がないわけではない。

 むしろ知りたいと思っている。


「あ゛ー! ああああああああああ」

「なに。佐倉さんうるさいよ」

「な、ななななんで進藤くんがそのノート持ってるの?!」


 ふと、彼の机の上に視線を向けたとき、一冊のノートが目に入った。

 それは私のノート。誰にも見られるわけにはいかない、禁断のノート。私の趣味を詰め込んだ、小説ノート。

 だから急いで取りに戻ったのに。


「机からはみ出してたよ」

「よ、読んだ?」

「うん」

「あ゛あああああーーーー」

「だからうるさいよ」


 進藤くんが呆れたように私を見るが、こっちはそれどころではない。

 普通机からはみ出してるからって、人の机からノート抜き出す?!

 しかも中を見る? そんなことする?! しないよね?!


 両手で頭を抱えては唸り、上を見上げては唸り、あたふたしている私を進藤くんはなぜか嬉しそうに見ている。


「ところでさ、付き合うの? 大崎と」

「へっ?」

「大崎と付き合わないの?」

「あー。それは少し考えてさせて欲しいって言った」

「ふーん」


 なに。ふーん、て。聞いてきといて興味なし?

 いや、そんな感じじゃないな。なんかすごく、笑ってるし。


「僕、大崎のこと好きなんだよね」

「えっ?」


 なんか今すごいことをさらっと告げられたような。

 そんなこと、簡単に私に言っていいの?

 進藤くんは大崎くんのことが好き?

 大崎くんはさっき、私に告白してきたわけで、進藤くんにとって私は恋敵? になるってこと?


「だから佐倉さん、大崎と付き合ってよ」


 えー。ちょっともう理解が追いつかない。

 どうゆうこと?


「佐倉さんにお願いがあるんだよね」

「はい……」


 よくわからないからとりあえず話を聞いておこう。


「大崎の彼女になって、彼女に接する大崎がどんな感じか僕に教えてよ」

「えっと……なんで?」

「知りたいからに決まってるでしょ」

「申し訳ありませんがお断り――」

「『おい、いいだろ。俺とお前の――』」

「あー! ああああああああああ」


 なに急に朗読始めてるの?!

 正気なの?!


「このBLよく書けてるけど、ちょっとリアリティにかけるよね。女の子が好きだった主人公が告白されたからって急に男を好きになるなんてありえないでしょ」

「言わないでー。分析しないでー」


 私はまた頭を抱える。

 もうそんなところまで読んでいたなんて。

 主人公が告白されるシーンはけっこう後の方なのに。


「ねぇ、僕のお願い聞いてくれる?」

「いやぁ、でも……」

「別にさ、女子同士で彼氏と何したとか、こんなことがあったとか話しするでしょ。それと一緒だよ」

「まあ、それは確かにそうだけど……」


 いや、それとこれとは話が違う気がする。

 それに、進藤くんは大崎くんのことが好きだと言った。

 さっき泣いていたもの気になる。

 好きな人が自分以外の人に告白したのだから、それは悲しいに決まってるよね。

 だったらなおさら私は付き合えない。だって、私は別に大崎くんのことが好きなわけではないから。

 周りの友達に彼氏ができ始めて楽しそうにしているのが羨ましいなと思ったり、付き合ってから好きになることもあるよ、なんて話を聞いて、付き合ってみるのもいいかな、どうしようかな、なんて気持ちで返事を保留しただけだ。


 こんなにストレートに大崎くんが好きだと言う人を前にして、私が付き合いますなんていえない。


「それより、驚かないんだね。僕が大崎のことが好きだって聞いて」

「それはまあ、驚いたは驚いたけど、別に変なことではないというか……」

「佐倉さんならそう言うと思った」

「進藤くんは、男の人が好きなの?」

「男とか女とか、そんなこと関係ないよ。好きになったのが大崎だった。大崎が男だった。それだけだよ」


 それだけ、その言葉がなんだか深く染みた。

 私だって、ただ男性同士の恋愛が好きなだけ。別に悪いことをしてるわけではないはずなのになぜか後ろめたい気持ちになったりする。

 

 でも、進藤くんはそんなこと関係ないと言う。

 なんのためらいもなく、私に大崎くんのことが好きだと告げた。

 それは私がBL小説を書いていたからかもしれないけど。


「ねえ、なんで付き合わないの? 大崎のこと嫌いなの?」

「嫌いなわけではないよ。でも、特別好きってわけでもないというか、優しい人だなとは思うけど」

「だったら付き合ってみればいいじゃん」

「そんな簡単に……」

「付き合って好きになることだってあるでしょ」

「それは、そうだけど……」


 確かに、どちかが好きで告白して付き合って、いつの間にか相思相愛の仲良しカップルになっていることはよくある。


「それで、どうする? 僕のお願いきいてくれる?」

「やっぱりそれはちょっと――」

「『俺とお前の仲だろ、これくらい――』」

「わー! わーわーわーわーっかりました! 聞きますお願い! だからもうやめて。誰にも言わないで」

「交渉成立だね」

「はい……」


 すごく不本意な約束をしてしまった。

 本当にこんなことしてもいいのだろうかと思ってしまうが、あのノートのためなら仕方ない。

 大崎くんとは付き合ってみてもいいかな、と思っていたし、進藤くんには友達と話すみたいに軽く、彼氏とこんなことしたーって言えばいいか。


「じゃあ、今から返事してきて」

「え?! 今から?」

「うん。ほら、大崎あそこにいるから」


 窓の外を指さす進藤くんの目線の先には、渡り廊下を歩く大崎くんがいた。

 バスケ部の練習に向かっている途中だろうか。


「早く! 大崎行っちゃうよ!」

「は、はいっ」


 急かされるまま私は教室を飛び出した。

 階段を駆け降り、渡り廊下を走り、今まさに部室のドアを開けようとする大崎くんに声をかける。


「大崎くんっ」

「えっ? 佐倉さん!? どうかした?」


 私を見てかなり驚いている。

 それもそうか。さっき、告白を保留にした相手がすぐに会いに来たのだから。


「あの……さっきの返事なんだけど」

「う、うん」

「えっと、……よろしくお願いします」


 気の利いた返事の仕方なんてわからない私は、ありがちな言葉で頭を下げる。

 なんだか怖くて顔を上げられずにいたら、大崎くんが両手で私の両手を掴んだ。


「ほんとに?! うれしい! ありがとう!」


 満面の笑みを向ける大崎くんに少し複雑な気持ちになる。

 まるで、だましているみたいな。


「ごめんっ! あ、あのね。私、本当は大崎くんのこと好きってわけじゃないの。でも、嫌いなわけでもないし、大崎くんいい人だし、付き合ってみてわかることもあるかな、なんてそんな気持ちで返事してしまって――」

「いいよ!」

「え?」

「それでもいいよ。すごく嬉しい。だって、それでも佐倉さんは俺の彼女になってくれるってことだよね」

「うん……」

「ありがとう! これからよろしくね」


 それでもいいと言ってくれる大崎くんは、本当にいい人だ。

 申し訳なくなりながらも、初めての彼氏という存在に嬉しく思えたりもした。


「じゃあ俺、今から部活だから!」

「うん。頑張ってね」


 笑顔で手を振る大崎くんに、私も手を振って見送った。


 ふと、渡り廊下から教室を見上げると、窓枠に頬杖をついている進藤くんがこちらを見ていることに気づいた。

 彼はにこりと微笑むと、指をはらはらとさせ手を振る。

 すごく、楽しそうな表情だ。

 

 これは、思っている以上にややこしいことになるかもしれない――。

 

 

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