第22話 ……来たね、絹ちゃん
イベント当日の朝、僕と市原さんとトン子さんはお店の前に集合した。
僕のリュックの肩ベルトに下げたペットボトルカバーの中に、デッサン人形こと絹恵さんが入っている。
「あら、丁度いいわねー」
トン子さんが感心する。
「これだと僕のスマホを近づけやすいから。でも絹恵さん、
デッサン人形が「はーい」と片手を上げた。
いや、だからそれがダメなんだってば。
「あ」
市原さんが、ゴソゴソとショルダーバッグから何かを出した。
「シルクさんに作ったんです」
と、デッサン人形に取り付ける。
見れば「シルクでーす♡」と書かれた
スマホを近づけてあげると、さっそく入力する。
【☆わーい、万穂ちゃんありがとー】
スマホを見た市原さんが、「うん」とうなずいた。
「……では、出発前に引率者として、皆さんに言っておきたいことがあります」
トン子さんがコホンと咳払いをして言った。
「生きて帰れ! 以上です」
またまたまた〜。
「あはは、大げさ……」
笑いながら市原さんを見ると、真剣な顔で「うんうん」とうなずいているーーっ!?
【☆無理をせず引き返す勇気を持つこと! 会場の電波を信じないこと! 水分塩分糖分をしっかり補給すること!】
絹恵さんのメッセージに、これまたトン子さんも市原さんも真剣にうなずいている!?
ちょっと!
行くのは都内だよね?
会場って山の頂上とかにあるんじゃ無いよねっ?
「全員、無事に帰りましょう」
市原さんがシメるように言った。
【☆一名すでに死んでるけどねー(笑)】
「……翔太君、それ、置いて行っちゃえ」
真顔のトン子さんに、
【☆やだもー、冗談ですよトン子ちゃーん!】
と、デッサン人形がジタバタした。
電車が会場に近くなるにつれ、僕たちと同じような荷物を持った人々が増えてくる。
そして会場の最寄り駅に到着した時には、もう同じ目的の人だらけになっていた。
あふれんばかりの人波は、滞ることなく流れて行って、それはイベント会場へとつながっている。
「……すごい」
会場周辺はとにかく、人、人、人。
ものすごく大勢の人が、整然と行くべき場所へと向かっているのが何ともすごい。
朝というのに日差しが照りつけ、気温も高くなるなかで、誰もがスタッフの誘導に従って進んで行く。
楽しそうな熱気が満ちて、同人誌イベント初参加の僕も、テンションが上がっていくのを感じた。
「……来たね、絹ちゃん」
トン子さんの声に、デッサン人形は目立たないよう、手首だけをちょっと上げる。
その木の手にタッチするように、トン子さんの指先が触れた。
「おはようございます、本日はよろしくお願いします」
入場して自分たちのスペースに着いたら、両隣のサークルさんへご挨拶。
そして市原さんを中心に、スペースの設営に入る。
サークルスペースは長机の半分。
そこにテーブルクロスを敷き、折りたたみのラックを開いて棚を作り、どんどん本を並べて行く。
真ん中の目立つ場所には、僕たちの新刊が積まれた。
思っていたよりも狭い印象だったスペースに、これまた思った以上の種類の本がずらりと並ぶ。
それぞれの本には、お客さんに見えるように紙のボードが立てられて、市原さんが描いたイラストと、本の題名、値段が書かれていた。
もちろん、僕たちの本にもそれはあって、「本日新刊」のフキダシが添えられる。
見れば両隣も、向かい側も、同じようにスペースを設営していた。
とにかく本をたくさん並べている所もあれば、ディスプレイにこだわって、綺麗に飾り付けている所もある。
本と一緒にグッズを並べている所もあって、あれらも印刷所に発注して作るのだと、市原さんが教えてくれた。
『まもなく開場時間です。サークルの方々はスペースにお戻り下さい』
アナウンスが流れると、通路に散っていた人々が、ゾロゾロと自分のスペースへと戻り始めた。
知り合いへ挨拶に行くと出かけていた市原さんも、足早に帰ってくる。
「トン子さんは?」
スペース内へ戻った市原さんが聞いた。
「トイレに行ってるよ」
僕が返すと、市原さんはスマホの時計を見て、
「……間に合うかな?」
と、言いながら席に座った。
【☆トン子はいっつもそうなのよー。開場前って言うと、トイレ行きたくなっちゃうんだよね】
絹恵さんのメッセージに、僕と市原さんは顔を見合わせて笑った。
『おまたせいたしました。ただいまより、サマーコミックユートピア、開催致します!』
アナウンスが終わると同時に、会場内から一斉に拍手が鳴り響いた。
市原さんも拍手しながら、戸惑う僕にそれを促す。
見ればデッサン人形の絹恵さんも、小さく両手を叩いている。
それをちょっと隠すようにして、僕は大きめに手を叩く。
「いや〜、トイレで開場しちゃったよ〜」
拍手の波が落ち着いた頃に、トン子さんが照れくさそうに帰ってきた。
「……に、しても暑っっ!」
うちわで風を送っても、汗があとからあとから流れてくる。
とにかく蒸し暑くてたまらない。
屋根があるってだけで、屋外と気温は変わらないんじゃないかと思う。
保冷剤代わりの凍ったペットボトルを首筋に当てたりして、どうにか涼を取った。
開場したというのに、お客さんはあまり来ない。
市原さんの知り合いが、ぼちぼちとやって来くるぐらいで、正直ちょっと拍子抜けだ。
「開場直後はこんなもんよ。翔太君、行きたいところあったら、今のうちに行ってきていいよ」
トン子さんが言ってくれたが、
「いいよ、僕、よく分からないから」
と、答える。
そんな僕の目の前を、「
「うわっ、今の
思わず立ち上がって、後ろ姿を見送る。うーん、後ろ姿も完璧だ。
見惚れている僕に、
「すみません、拝見してよろしいですか?」
と、声がかかる。
「あっ、はい、どうぞ」
と、振り返ると、今度は「
衣装も装身具も完璧。女神様の長い髪もその色も、再現力半端無い。
何より立ち居振る舞いというか、仕草までも女神様らしくて、僕はしばし呆然とする。
僕らの新刊に関して、作家である市原さんやトン子さんと、何やら会話を交わしているが、僕の耳には届かない。
「こちら、可愛らしいですね」
鈴を振るような声に、ハッと正気が戻る。
女神様はデッサン人形を見て、にっこりと微笑まれた。
女神降臨とは、このことを言うんだなぁと実感する。
「翔太くーん、ボーッとしてちゃダメでしょー」
ニヤニヤと笑いながら、トン子さんが言った。
「ち、違うよ、暑いからさ」
あわてて僕は首を振ると、ペットボトルの水を飲み干した。
いや、本気で暑い。これじゃあ飲み物が足りなくなるかも……。
ふと会場の高い天井を見上げると、何だか霧のようなものがけぶっている。
「暑いからミストシャワーを出してるのかな?」
僕が言うと、
「これだけ紙があるところで、そんなことはしない」
と、市原さんに一刀両断される。
「え、だって、ほら、霧みたいのが見えるよ?」
僕は天井を指差した。
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