第15話 とりあえず

「翔太君、見て見て〜! 可愛いでしょ〜?」

「え、何それ」


 テーブルの上のデッサン人形が、フリフリのワンピースを着ている。

 頭にリボンまで付けている。

 そして、くるくる回って踊っている。


「万穂ちゃんがねー、お洋服買ってくれたのー」

 デッサン人形に取り憑いている絹恵さんが、嬉しそうに言った。

「市原さんが買ってくれたの?」

 聞くと、市原さんはコクンとうなずいて、

「100均の、きせかえ人形の服。リボンはうちにあったから、両面テープで貼ったの」

「市原さん、よく100均に行くよね」

「100均は同人屋には欠かせないお店なのよ! こまめにチェックしないとなのよ!」

 絹恵さんが、力を込めて言った。


「あ」

 市原さんが、何かを思い出したように、自分のバッグから筆入れを出した。手に持ったのは、マーカーペンだ。

「シルクさん、ちょっと失礼します」

 デッサン人形を掴むと、何やら描き始める。


「はい」

 市原さんが手を放すと、のっぺらぼうだったデッサン人形に、お目々パッチリの可愛い顔が描かれていた。

 僕はスマホのカメラを、デッサン人形に向けてあげた。


「あら〜! 可愛い! 可愛いわ!」

 デッサン人形こと絹恵さんが、両手を顔に当てて、スマホの画面に見入っている。 


「ありがとう万穂ちゃん。これであたし、お出かけできるわ〜」

 ルルルン、と、スカートの裾を持って、デッサン人形は嬉しそうに、テーブルをひょいひょいっと歩いてみせる。スキップしているつもりらしい。

 ……っていうか、出かけるつもりなの? その姿で?



 お祖父ちゃんにお願いをして、僕はこの家に泊まり込んでいる。

 印刷所の締め切りまで、あと一週間。漫画製作も佳境かきょうに入ってきた……と、思う。

 僕は漫画を作るのは初めてだから、今の作業が全体のどこの段階なのかが、今ひとつ分からないのが、正直なところだ。


 セリフのテキスト作りを終わって、次に僕が指示された作業は、「ベタ塗り」だ。

 黒く塗る部分を、黒く塗る。

 ……当たり前だけど。


 市原さんが使っている描画アプリの無料体験版を使って、絹恵さんに指示をもらいながら黒く塗って行く。

 バケツツールをクリックするだけだから、技術は必要無いんだけど……。


「翔太君、レイヤー作るの忘れないで。レイヤー名もちゃんと入れて」

 市原さんのキビシイ指示が飛ぶ。


「……と、うっわ、画面真っ黒になっちゃったよ! 市原さ〜ん!」

「画面戻して。そこ抜いて次行って」

「う……ん、……あっ! セーブしちゃった! 市原さん、ごめん!」

「レイヤーごと捨ててやり直して!」


 何というか……僕、居ない方が作業が進むんじゃないかな? とか、弱音を吐きたくなってしまう。

 でも、市原さんは根気強く指示をくれる。だから、頑張らないと。


「……シルクさん、とりあえずトーンはこれで行きます。あとは時間を見ながらもう少し塗り込むかもしれません。それでいいですか?」


【☆そうね、とりあえず決まってる部分だけ、全部貼っちゃおう】


「あの……」

 僕はおずおずと手を上げる。

「お忙しいところすみませんが、『とりあえず』っていうのは、どういう……」


 市原さんが、スマホからスッと顔を上げた。

「時間無いから」

「……はい、すみません」

ちがくて」


 絹恵さんが「あはは」と笑ってから、スマホにメッセージを打ち込んだ。


【☆つまりね、『一通ひととおり終わらせましょう』ってことなの。例えばページが進むごとに画面が寂しくなって行って、途中からは線しか描かれてなくて、最後の方は下描きだけでした……って本は、読んでて嫌でしょう?】


「ああ、なるほど。だから『とりあえず』なんだね。まずは全部終わらせるってことだ」

 僕が言うと、市原さんが「うんうん」とうなずいた。


 本当にいろいろ考えて作っているんだな、と感心する。

 きっと市原さんの頭には、原稿の進め方とそれにかかるだろう時間が、全部頭に入っているんだ。

 それってすごいこと……だよね。


 休憩時間終了のアラームが鳴って、僕はお店へ下りた。

 作業所ではお祖父ちゃんが、汗を拭きながらアイロンがけをしている。

 拓也兄ちゃんは配達に出ているようだ。

 お祖母ちゃんは、お昼ご飯の片付けをしているらしい。


 午後になって、日差しが強くなってきた。

 お店はエアコンが効いているけど、ガラス戸越しに入ってくるが暑い。

 歩いている人も、陽を避けるために日傘を差している。


 あれ……。

 その日傘の人が、お店の様子をうかがっているみたいだけど……お客さんかな?


 ……でも、いつまでも入って来る気配がない。

 女の人だ。うちのお母さんくらいの年齢かな?


 女の人は、お店の前を行ったり来たりしている。

 どうもお店の入口と、家の玄関の間をウロウロしているみたいだ。

 ……何だろう?


 僕はカウンターを出て、ガラス戸を開けた。

「いらっしゃいませ、どうぞ」

 声をかけると、日傘の人は驚いた顔をしてから、

「あ、ああの……クリーニングのお客じゃ無いんです。村井さんに……」

「あ、うちに用事ですか?」

 「え?」と日傘の人が顔を上げたので、

「僕、この家の者でして。村井の孫です」

 と言った。


「お孫さん……じゃあ、大輔君か拓也君の?」

「大輔の息子です」

 日傘の人は、目を細めて僕を見る。


 そして、

「私、町田朋子まちだともこと言います。絹ちゃ……絹恵さんの友人で、旧姓は綿貫わたぬきです」

 と、頭を下げた。


 綿貫朋子……さん。

 あれ、どっかで聞いたことが……


「あっ!」

 僕は思わず大きな声を上げる。

「トン子さん?」

 綿貫朋子さんは、にっこりと笑って、

「はい!」

 と、返事をした。

  

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