第19話

「平和だな~」


 オレンジ色が増え始めた空を眺めながら、私はノンビリとつぶやいた。

 HRも終わり、教室の中は帰宅する子と部活に向かう子が、それぞれ賑やかにお喋りをしている。

 

 さて、それではボランティア部の部室に行こう。えーと、確か今日は、理科準備室の整理を頼まれていたはずだ。

 運ぶ荷物がたくさんあるはずだから結構時間がかかるだろう。みんなと協力して、がんばろう。


「それにしても。うまく話がついて本当に良かったよ」


 二日前。今日が月曜だから、土曜日のこと。

 私たちはドラゴンに強襲された。

 激しい戦いが繰り広げられ、最終的に我らの絆が勝利への鍵となった!

 ……まあ私のテンプテーションが、そもそもの原因なのだが。


 絆うんぬんは置いといて。

 戦いの決着をつけたのは、美奈子の電柱ドラゴンスレイヤー

 脳天に受けた一撃でドラゴンは気絶してしまった。


 私たちは想天を脱出。

 一息入れて、さてこれからどうしようと話し合った。


 その途中、ドラゴンからメッセージが届く。

 「あなたの心に直接語り掛けています……」、ではなく。

 私のスマホに入っているメモ帳アプリへ、文章が入力され始めたのだ。

 最初の一文はこう書いてあった。


『次元の八方界に名を馳せた私ともあろうものが、情けない』


 以下、文章の内容を要約する。


 私は数多くの世界を飛び回り、強者と戦うことを生きがいとしてきた。

 この世界でも好き勝手に戦おうと思い下界を覗くと、面白い気配を持つ貴方を見つけた。少し遊んでやろうと、牙を向けた。

 

 そしてあっけなく恋に堕ちた。

 後は貴方も知っての通り。

 みっともなく敗北してしまった。


 とはいえ、私が万全の状態でも貴方たちには大層苦戦しただろう。

 誇っていい。貴方たちは次元を飛び回る竜を討てる可能性があるのだ。

 これからも精進してくれ。


 私は潔く負けを認めて、この世界を去る。

 貴方のテンプテーションは、頭に受けた強烈な衝撃で、綺麗に解けた。

 とはいえ後ろ髪引かれる思いは、まだ少し残っているがな。

 なんとも奇妙な誘惑の術よ。

 汝の技は、他と比べると少し毛色が違う。


「まったく、えらそうなことで」


 優香は呆れたようにそう言った。

 私としては、永き闘争の果てに得た彼女の自負を感じる。誇り高き存在なのだろう。


 夕暮れの西の空を眺めると、鳥とも飛行機とも違うシルエットが、悠々と飛んでいる姿が見えた。

 姿を見せてくれたことが、別れの挨拶だったのだろう。

 

 その後、私たちは解散。そして今日に至る。


「入るよみんな……うん?」


 部室に到着し戸を開けると、優香たち三人は既に居た。

 だが美奈子の様子がちょっと変である。


「へへへ……ふふふ……るるる……」


「今朝からずっとこんな感じなの」


 そう言いながら、優香は美奈子の頬を指先でぷにぷに押していた。

 お、おう? 


 いつもの美奈子の表情と言えば、満月のように自信満々な笑みだ。

 だが今は、なんというか。

 とろけている。

 

 例えるならば、幸福感という湯船に肩まで浸かっているというか。

 にへら~、と笑っている。

 どうしたのいったい?


「わたしの推測だけど、ドラゴンとの戦いがよっぽど満足だったんじゃないかな。闘争欲を満たされたというか。バトルジャンキーとしてのお腹が一杯になってるんだよ、たぶん」


「ドラゴンスレイヤーをくらえー……あはははは……」


 戦いが終わって解散したときはこうじゃなかったのだけれども……後から記憶を反芻して、激闘の余韻に浸りまくったからなのかな。

 うーん、根っからの戦闘マニアだ。

 竜もまた闘争を愛する存在だったみたいだし、土曜日のあれは言うならば、先輩と後輩の殴り合いだったのかもしれない。

 

 私は幸せに包まれた美奈子を眺めつつ、言った。

 

「美奈子にとってドラゴンは、最高の遊び相手だったんだね」


「明日になれば元に戻ってるでしょ」


 優香は美奈子の金髪を指先でいじりつつ、そう返答する。

 

「凛さん、ちょっと相談したいことが」


 その時、三葉が小さく手をあげた。

 相談か。私もあることを皆と話し合いたかった。

 ドラゴンの戦闘後は4人ともくたくたで、ちょっとその余裕が無かったからね。

 

「では、まずこれから。凜さんのテンプテーションをドラゴンが解いたと発言したことについて、です」


「私の能力は解くことが出来る。これを知れたことはプラスだと思う。解いたというのが具体的にどんな状態なのか、これに関してはまだはっきりしないけれど」


「後ろ髪を引かれる、がどのような心理状態なのかによりますが……凜さんにこだわらなくなったということでしょうか」


 そうなると今の優香たちの状況はどうなるのだろう。

 私と一緒にいることを選んでくれているが、それはテンプテーションの影響なのか? それとも彼女たちの意思なのか?


 ……深く考えると思考の迷宮に嵌り込みそうだ。

 今はただ、洗脳状態には見えないということを重視しよう。


 とにかく、ドラゴンはもう私に執着することなく、己の思うがままに次元の旅を再開したのだ。

 つまり、私のテンプテーションは永続ではない。


「ただ、これはいわゆるレベル差があったから……かもしれません」


「どういうこと?」


「実力に大きな差があったから、テンプテーションの効きが弱かったのかもしれないということです」


「なるほど……ああ、それから。竜が言った私のテンプテーションの毛色が違う、というのはなんだろう?」


「そう、ですね。ありとあらゆる異能はそれぞれに個性があります。だから毛色が違うのは当たり前なんです。ですが。あれだけ力を持ったドラゴンが、はっきりと強調した言葉ですから……気になりますね」


 ……なんとも奇妙、か。

 私の能力の探求は、より慎重におこなった方がいいのかもしれない。


「上忍の方に、なにか意見をもらうことが出来ないでしょうか……」


 三葉がそこまで言ったときだった。


 にへ~~~~~~~~~~~~~、と恍惚顔の美奈子が突然、立ち上がった。


「凛~~~~~~~~~~~~~~」


 お、おお?

 一歩、また一歩とこちらへ近づいてくる。


「み、美奈子? って、うわ!」


 彼女の両手が、一気に私の体を包み込む。

 ぎゅー、と抱き締められてしまった。


「ふへ~、凛のからだ温かい~」


 あ、温かいはこちらの言葉だ。

 っていうか、私は椅子に座り、美奈子は私の腿にまたがりながら座っているのだが……自分の心臓がバクバクと鳴り始めたのを感じる。


 この様子を見て、優香が言った。


「ほうほう、いつも以上に欲求に忠実になってるね美奈子。夢の中にいるようなものだから、心のストッパーが無くなったのかな?」


 ふむふむと、うなづいている。

 いやまあ、解説は有り難いのだけど、これからどうしよう。


 幸せそうな美奈子を払いのけるのは、罪悪感ががががががが。


「ねえ、三葉」


「ふぇ!? どうされました優香さん!?」


「そんな羨ましそうな顔しちゃって。三葉も混ぜてもらったら?」


「ええええええ!?」


 優香は三葉の背を押して、私に近づけようとした。

 三葉は、あたふたしてそれに抵抗できない。


「しあわせはみんなで共有するものだよ。みんなで凜をだきしめよう」


 促され、三葉は私の後ろから手を伸ばす。

 その両手は私と密着している美奈子の背中まで伸び、私と美奈子を一緒に、ぎゅー。

 

「実にいい光景だね。それではわたしも」


 優香は私の頭を抱きかかえた。


 どくん、どくん、どくん。

 優香の心臓の音が、聞こえる。


 あ、あのみなさん。

 これから理科準備室の整理に行かないと……。

 しかしこの抗議の言葉は、口から出てこなかった。

 私もまた、幸せに満ち溢れていたからである。

 

 結局。

 この状態は30分ほど続くことになる。

 下校時間までに整理を終わらせるために、かなりてんやわんやになっちゃた。

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