第19話 嫌いな彼女①
今日の部室はとても静かだった。
柊は小説を読んでいるし、傘寿はゲーム、小春はスマホで新しく出来たラーメン屋の情報を集めている。
かくいう俺は特にやることも無く、見慣れた天井を仰ぎ、横目でヒラヒラと風に揺れるカーテンを見ていた。
心地良い風を浴びながら耳を澄ますと、校庭で汗を流す球児達の声と吹奏楽部の楽器の音色が聴こえる。薄暗い部室の時間だけが、ゆっくりと流れているようで。なんだか不思議な気持ちになる。
気づけば五月も半ば。これからどんどん暑くなっていくんだろうな。
「湊も食べる?」
向かいに座る小春が、青いグミを持ってこちらを見ている。ラーメン屋はもういいのだろうか。
……というか机の上にペタンコになったグミの袋が、三つくらい置いてあるんだけど。小春は何袋食べてるの?
「や、いいや……」
「あ、私は欲しい、です」
「はーい、どうぞー」
傘寿は小春からグミを受け取り、ソファに戻っていった。なんか自分の寝床に餌を集めるハムスターみたいだ。
そして小春は四袋目の封を開ける。どこまでいくつもりなんだ。
「そういえばさ、来月体育祭だね。明日、実行委員決めるってうちのクラスは言ってたけど、湊のクラスも?」
「そういえば、そんな事言ってたっけ」
「言ってたわよ」
小説から目を離さずに柊は言う。
俺と柊は同じクラス。同様に小春と傘寿も同じクラスだ。
ふむ、確かに帰りのホームルームで白兎先生が言っていた気がするな。なんか最近白兎先生に近づくと、距離を取られている気がするんだよね。
「体育祭か……運動とか苦手なんだよな」
「湊は『昔から』苦手だもんねぇ」
小春は謎に一部を強調して、得意げな顔をする。誰に向けてなんだ。
「小春は逆に得意だよな。やっぱり楽しみ?」
「そりゃあね! 体育祭、文化祭、修学旅行! 高校三大行事の一つだよ? 湊もテンション上げてこーよ! あ、なんなら実行委員会とかやってみてもいいんじゃない?」
いつにも増してハイテンションな小春。楽しそうで何よりだが、俺に実行委員は無理だ。
「無理無理、あーいうのはクラスの陽キャ達に任せとくのが――」
「ダメだよー夏君。そうやってやる前からネガティブなこと言うのはー」
廊下から聞き覚えのある、まったりした声が聞こえて振り向く。
「円先輩! 珍しいですね……?」
やはやはと手を振りながら部室に入ってきたのは、茶髪でストレートヘアが特徴のオカ研部長、
「えー、ひどいなー。夏君的には私に来て欲しくなかったってこと? 昔はもっと私に甘えてたのにー」
「そんな事ないですし、そんな記憶もないです」
「皆の前だし、そういうことにしとくかぁ」
誤解を生む言い方はやめて欲しい。
「るりりちゃんも久しぶりー」
「ひっ……! ま、円先輩……それ以上近づかないでくだ、さい」
ワキワキと指を動かす円先輩と俺の後ろに隠れる傘寿。
ちなみに円先輩は変なあだ名を付ける。俺は『夏目』で夏君。傘寿は『瑠璃』でるりりちゃんだ。
「な、夏目……助け……」
抵抗虚しく涙目で円先輩に抱きしめられる傘寿を横目に、先程から落ち着きがない柊と小春を紹介する。
「円先輩、この前メッセージで話した新入部員の二人です」
「おー、2人ともよろしくねぇ。こう見えて部長の天羽円だよ、あだ名とかつけてくれると嬉しいな。二人の名前は?」
円先輩が傘寿を撫で回しながら問いかけると、柊と小春が並び立つ。
「柊冬華と申します。これからよろしくお願いします、円先輩」
「私は大春小春って言います! よろしくお願いします、どかちゃん先輩!」
うんうん、二人共いい自己紹介。どかちゃんなんたらはよく分からんが。
「ラギフユちゃんとハルハルねー、二人ともよろしくー」
相変わらずすごいセンスだ……というかどかちゃん先輩でいいんだ。
「それで夏君、さっきの話の続き。意外とやれるかもよー? 実行委員」
小春から受けとったグミをもきゅもきゅしながら、円先輩は俺だけに聞こえる声で話しかけてくる。
意外も何も、明らかに俺には向いてないんだけれども。
「……いやいや、無理ですって」
「そうなのー? 私はてっきり――」
その先の言葉が俺には分かってしまい、その言葉を遮った。
「円先輩。俺はあの人にはなれないですよ」
ハッキリそう言うと、円先輩の顔が少し曇った気がして……俺は目を逸らす。
少し声が大きくなっていたのか、先ほどまで騒がしかった他の三人も静かになっていた。
俺は「なんでもないよ」と手を振ると、いつもの騒がしい部室に戻る。
「……嘘だよー、本当は私が実行委員になったから、夏君もいてくれたらなーって思っただけ」
「そんな事だろうと思いました。ま、百パーないですね」
◇
そう、思っていたのだが。
「じゃあ男子の実行委員はジャンケンで負けた夏目に決まりだな。お前らちゃんと実行委員の事支えてやれよー」
時はロングホームルーム。
俺は白兎先生の声を聞きながら、握りしめた拳を見てわなわなと震えていた。
ジャンケンて。いくら誰もやりたがらないからって、ジャンケンて。こんなことで決めていいの? ダメじゃん、大事な役割じゃん。
「じゃあ次女子なー。誰かやりたい奴いるかー?」
俺は一つため息を吐いて、前を向く。
まぁ俺に決まってなかったら、こんなこと考えてないけどさ……。
「はい、先生。私やりたいです――」
実行委員決めは順調に進んでいく。
今更「やっぱり無理です」なんて言える訳もなく。
「よし! 困った事があったらいつでも私に相談してな。それじゃ終わりー!」
気づけば、終了のチャイムが鳴っていた。同時に騒がしくなる教室。
俺の頭には、円先輩のニコニコとした顔が思い浮かんでいた。
あーどうしよう。早速白兎先生に、助けてくださいって懇願しようかな。
「運が悪かったね、夏目君」
虚ろな目で視線を上げると、そこにはクラスメイトの
あ、そういえば女子の実行委員はこの人に決まってたんだっけ。
「はい、運が悪かったです」
「……敬語? そんな悲しい顔しなくても大丈夫だよ。私も居るからさ」
有栖さんは苦笑する。
おおなんと頼もしい人だ。とりあえず優しそうな人で良かった。
いくらジャン負けとはいえ、こうやって共に頑張ろうとする人に対し、いつまでも落ち込んでるのは失礼だな。
自分の席に戻ろうとする有栖さんの背中に、俺は精一杯の声で答えた。
「お、俺も……頑張ります、ので」
なんか傘寿みたいな話し方になっちゃった。
「――うん、期待してるから」
振り向き、それじゃねと手を振る有栖さん。
こんなしがない陰キャに期待してくれている。なんていい人なんだ有栖寧々さん。
不幸中の幸いというやつだな……うんうん。
「――何ニヤニヤしてるの? 夏目君」
「ひぃっ!?」
耳元で名前を呼ばれ、女の子みたいな悲鳴を上げてしまう。
顔を見なくても分かる、柊だ。
「『ひぃっ』とは挨拶ね……浮気はダメよ、夏目君」
「おかしいな、柊と付き合った覚えがないんだけど。……普通に心臓に悪いから耳元の奴やめてよ」
「嫌、これは私だけに許された行為なの」
許した覚えはねぇよ。
「それより……ごめんなさい、夏目君」
「え?」
「しくったわ、私があそこで勝ってれば……」
悔しそうに視線を下に向ける柊。
「――いいよ、ありがとう柊」
女子の立候補は二人。有栖さんと柊でジャンケンの結果、有栖さんに決まった。
自分に都合のいい考え方かもしれないけれど、俺の事を考えて立候補してくれたのかな……。
「文句の一つも言わず、偉いな夏目は」
気づけば、琴平と時雨さんも俺の席の周りに集まってきた。
うんうんと頷きながら腕を組む琴平だが、俺は心の中で文句しか言ってなかったぞ。
「何かあればちゃんと相談するんだぞ! 俺は夏目の味方だからな!」
「ありがとう」
お前は本当に優しいな。女の子だったら学校中の男子が黙ってないぞ、本当。
……それに比べてさっきからニヤニヤしているギャルに目を向ける。
「いやージャンケン弱いねーなっつんは。まぁジャンケンだけじゃなく大体弱いか! あはは!」
ゲラゲラと笑う時雨さん。小春曰くオニオンギャル。
大体って何? 勉強なら貴様に負けないと思いますけど、勝負してやろうか。
「はっ……時雨さん、突然だけど前回のテスト何位よ?」
俺は自信満々に腕を組む。
どーせ三桁順位だろう? 少しは俺にも凄いところがあるんだと言うのを、この猥談ギャルには理解させないと。
「学年順位? 十一位だけど、急にどしたの?」
「あーあ! 柊と琴平は時雨さんと違って優しいなー!!」
完全敗北した事実に俺は耳を塞ぐ。
その感じで頭良いのかよ、悪くあれよ。
「……あ、あの、夏目君。それはプロポーズと受け取ってもいいのかしら」
「良くないよ。急にどうした」
どういう受け取り方したらそうなるの、この人。
「まーなっちまったもんはしゃーないよ。有栖とは仲良いの?」
「そんな訳ないじゃん」
「そうだよね」
納得されたらされたで普通に嫌である。
「時雨さんはどんな人か分かる? 優しそうな人に見えたけど」
「んー……」
少し考え込む時雨さん。実際そこまで普段一緒にいるイメージは無い。
「まぁなっつんの感じたまま……かな。私もそんなに仲良いわけじゃないし」
「ふむ」
「でも……うーん、そうだな」
なんだか言葉に詰まる時雨さんに俺は首を傾げる。
「一応、気をつけた方いいかも」
「――気をつける?」
物騒な言葉にますます分からなくなってしまう。
「なっつんは私の言ったこと覚えてればいいよ。何も起きなきゃ私の勘違いだから、そんなに深く考えないで」
「えー、なんじゃそりゃ……」
「いーから」
時雨さんは「もうこの話おしまい!」と手を叩く。
気をつける、か。
いい人に見えるけど、なぁ。
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