第16話 はなまるなテスト④

 私は『私』が嫌いです。


 私にはお姉ちゃんがいます。

 お姉ちゃんは勉強も運動も出来て、人を惹きつける力があります。

 だからずっと憧れていました。

 私がお姉ちゃんみたいになるにはどうしたらいいのか、考えました。


 私にはお母さんとお父さんがいます。

 二人はお姉ちゃんがどんなに凄くても、私と比べたりすることはありません。少しでもテストの点数が上がると、『はなまる』だねと頭を撫でてくれます。

 それがとても嬉しくて、とても温かくて。

 だからもっと褒められたくなりました。

 私がテストの点数を上げるためにはどうしたらいいのか、考えました。


 それから私は必死に勉強しました。すると成績が上がりました。

 自分で考えて、実行して、結果が……出ました。


「……やった」


 私の中に『自信』が生まれました。


 その後も私は勉強を続けます。

 そしてついには期末テストで、学年一位になりました。その時お姉ちゃんは、学年二位でした。

 お姉ちゃんと私はテストの範囲が違います。知識の量もお姉ちゃんの方が多いです。

 それでも私は初めて、お姉ちゃんを追い越したと思いました。

と、思いました。


「……私にも、出来るんだ」


 私の中に『プライド』が生まれました。


 それからしばらく経ったある日、学年順位が二位に下がりました。

 正直、落ち込みました。ものすごく、落ち込みました。

 それでもお母さんとお父さんはいつもの様に「頑張ったね」と褒めてくれます。

 ああ、そっか。次頑張ればいいんだ。そう思ったタイミングで足音が聞こえます。


「あ、瑠璃! 今回も一位だったんだろう? ふふん、私もやっと――」

「――――――」


 お姉ちゃんが、学年で『一位』を取っていました。

 その『言葉』を受け止められません。その『事実』に耳を塞ぎたくなります。


 ――ああ、そりゃあそうですよね。当たり前のことなのに。

 嬉しそうに話すお姉ちゃんを見上げながら、分かってしまいました。


『私』は――お姉ちゃんにはなれないのだ、と。


「――瑠璃?」


 お姉ちゃんの問いかけを無視して、頭を撫でてくれていたお母さんの手をはらいました。


「もう褒めなくていい、から」


 そう言い残して自分の部屋に戻ります。

 リビングを出る時、お母さんとお父さんとお姉ちゃんは、心配そうに私を見ていました。

 部屋に入り、私はドアの前で呟きます。


「別に、もう子供じゃない、し」


「ごめんなさい」と謝れば、私が子供だったと正直に言えば、まだ間に合うでしょうか。


 ――結局、今でも、謝れていません。


 私が子供で、くだらない強がりをして、構って欲しかっただけなのです。

 小さな悩み事です、よね。

 私と同年代の人達はもっと複雑な悩み事をしているんです、よね。


 ……。


 その日からお姉ちゃんと話しづらくなりました。

 その日からこの先の自分が『いつか』謝るだろうと、そう考えるようになりました。


 私には凄いお姉ちゃんがいます。

 私には優しいお母さんとお父さんがいます。


 なら――『私』は。


 勉強はお姉ちゃんに負けました。

 運動能力もコミュニケーション能力もありません。

 じゃあ『私』には何があるのでしょうか。『私』には何が残っているのでしょうか。

 私の中を必死に探します。


 ――ああ、なるほど。


 私の中に『プライド』だけがありました。


 ……。…………。


 次のテストから一位に戻りました。

 私は……家族に何も言いませんでした。


 ……だから今の私が『勉強』を頑張り続けるのはきっと、この『プライド』があるから、です。


「……くだらない」


 つい、言葉が漏れてしまいました。

 謝る勇気が無くて、得意な事も勉強くらいしかなくて、『友達』も……。…………。


 それが『傘寿瑠璃わたし』という人間、です。


「……夏目、は」


 夏目と私は、『友達』なのでしょうか。

 初めて話したのはもうずっと前です。

 それでも……認めるのが怖いです、傷つきたくないから。

 ……私は本当に子供です、ね。またこうやって、『勇気』が出せない。


 今日は、皆に……夏目に、迷惑をかけてしまいました。

 勉強会の途中で、急に帰ってしまいました。


「……話してみよう、かな」


 何故そうなったのか、それを正直に話す。

 ……『私』はこんな人間だと、バレてしまいます。

 そんな事をして嫌われたらどうするんですか。

 私は私にツッコミを入れます。


「そもそも『友達』って……どんな関係なん、だろ」


 とりあえずググります。困った時はこれに限りますね。ええと……。

 休日に遊びに行ったり、放課後一緒に帰ったり、通話をよくしたり……。


「……」


 スマホを握る力が強くなります。

 まずいですね、いよいよ『友達』じゃないのかもしれません。


 私はこれ以上傷つくようなら止めようと心に決めて、続きを読みます。


「あとは――悩み事を相談し合う関係」


 ……やっぱり、話すべきなのでしょうか。

 嫌われたくないです。

 迷惑だと思われたくないです。

 重たいと思われたくないです。


 ――失いたく、ないです。


 だって、だって夏目は……たった一人だけの友――、


「……ううん」


 ――『友達』、だから。


 ああ、認めた。認めてしまいました。

 もういいです。否定されたら沢山傷つきましょう。夏目を呪いましょう。

 私は一つ、深呼吸をします。


 最近、頑張って変わろうと一歩進んで見ました。でもまだ足りない。私の一歩は小さいから。

 こんな『私』を変えたいです。下手でも転んでもいいから。そのためにはどうしたらいいのか。


 そんな『問い』の『答え』を探すために、私は――もう一歩踏み出したのです。


 ◇


「お邪魔……しま、す」

「俺の部屋二階だから、ついてきて」

「う、うん」


 こ、ここが……夏目のお家です、か。綺麗な玄関です。

 キョロキョロ周りを見ていると階段をおりてくる音が聞こえます。


「あれ、お兄様。彼女さんですか?」

「……え、え?」

「違うから……傘寿、妹の結愛だ」


 あ、妹さんがいたんですね、驚きました。こんな可愛い妹さんがいるんです、ね。夏目にはもったいないです。

 夏目は私の自己紹介も済ませると、妹さんと何やらコソコソ話し始めます。


「――お兄様、シュークリーム持っていきますね。まだ残っているので」

「え、いいの? 食べたいなら気にしなくていいよ」

「二、三個食べたので十分です。それに結愛はお兄様の愛情だけでお腹いっぱいになったので……」


 妹さんの楽しそうな表情を見ながら、私は思います。

 意外と『お兄様』してるんでしょうか。夏目の知らない一面ですね。

 まぁそれはそれとして――私はじとりと夏目を見つめます。


「……お兄様、ですか」

「傘寿、違うから。そんな目で見つめないで欲しい」

「お兄様のいけずー」


 妹さんは頬をふくらませます。

 ……仲良しです、ね。息が合ってるというか、次にどんな事を言うか分かってるというか……正直、羨ましいです。

 私もお姉ちゃんと、どうやったらこんな風になれるのでしょうか……分かりません。

 勉強に置き換えて考えてみます。分からないことがある時、私は出来る人の真似をするようにしています。

 だから……一つの案が思い浮かびました。


「えっと……じゃあ行こうか、傘寿。こっち――」

「あ、あの」


 夏目の言葉を遮るように、私は小さく呟きます。


「い、妹さんにも――私の悩み、聞いて貰えません、か……?」

「「え」」


 夏目兄妹の声が重なります。そんなところも息が合っていますね。


「『悩み』――ですか。結愛がお役に立てるか保証できませんよ?」

「わ、私の……姉の事で悩んでて! 夏目と結愛ちゃんは仲良さそうに見えたから……お、お願い、します!」


 夏目と結愛ちゃんは数秒目を合わせ、しばらくの沈黙。

 その後、何かを納得したのか結愛ちゃんが口を開きます。


「――分かりました。じゃあ私はお菓子とか準備してから行くので、傘寿さんとお兄様はお部屋で待っていてください」

「あ、俺も手伝うけど」

「お兄様、いつも言ってますよね? 女の子を一人にしちゃダメですよ」


 そう言って結愛ちゃんは奥に消えていき、夏目と私は夏目の部屋へ。

 というか……いつも言ってるんですね。もしかして結愛ちゃんもブラコンなんでしょうか。


「正直、驚いた。傘寿は知らない人とあんまり話したがらないと思ってたから」


 座布団に座ると、夏目が小さな声で呟きます。


「……誰とでもって訳じゃない、よ。それに夏目の言う通り、その気持ちは変わってない。ただ、二人みたいに仲良くなるには二人に聞くのが一番分かりやすいから」


 早口で言ったので私は少しだけ息を吸い直して……言葉を続けます。


「……でも勝手にこんなことして……ご、ごめん。夏目のことを頼りにしてるのは本当、なので」


 言った後で、私は少し恥ずかしくなりました。


「それは……ありがとう?」

「な、なんで疑問形なんです、か」

「……や、頼られるのは本当に嬉しいし。俺は友達も少ないし、こういうの滅多にないからさ。ただ――傘寿はすごいなって考えちゃって、変な答え方になっちゃった」


 すごい? こんな『私』が?


「勉強会も、俺を頼ってくれたのも、結愛に相談したのも……傘寿は勇気をだして自分から行動してるのが凄いよ」

「……それって当たり前の事じゃないです、か。褒められるべき人間はもっと沢山いますよ」


 ――お姉ちゃん、とか。


「確かに、皆凄いよな。結愛とかとんでもない妹なんだよ、生徒会長やっててさ――」

「……うん」


 楽しそうに結愛ちゃんの話をする夏目を見て少しだけ――残念な気持ちになりました。

 私から否定したけど、それでも褒めてもらえる気がしたから。

『結愛ちゃん』を『お姉ちゃん』と重ねてしまったから。


 本当、子供だ。『私』は。


「――でも、傘寿が凄いってことに変わりはないよ」

「……え?」


 何を言って……『結愛ちゃんおねえちゃん』が凄いって今話してたじゃないですか。


「だって――俺がそう思ったからな! 俺には出来ないことを傘寿がしてて、それを見て凄いなって思った。それが理由だよ」

「な、何……? その理由は……」


 全く論理的じゃない考え方。理解が出来ません。


「……ぉ、お姉ちゃんの方が……凄いに決まってるじゃないですか……あ」


 言ってから、気づく。結愛ちゃんの話してたのに……急に、お姉ちゃん、とか。

 私は何を言って……。


「……お姉ちゃん?」

「い、いや……ち、ちがくて……」


 どうにか言い訳を考えなきゃ……えっと、えっと……。


「傘寿が真璃会長に勝ってるところもあるだろ」

「そ、そうですよね! ……は!? 何言ってるんですか!?」

「え……声でか」


 何やら夏目が言ってますが声が小さくて聞こえません! そんな事よりも!


「そ、そんな訳ないでしょ! 私が何年! 何年……あの人を見てきたと……」


 夏目は知らないから、そんなことが言えるんです。お姉ちゃんがどんな人間なのかを。

 ステージの上で臆することなく胸を張って話す姿を。

 いつもお姉ちゃんの周りにはたくさんの人がいたことを。


 夏目は、知らないから……。


「……そりゃ傘寿にしか知らない所はたくさんあるんだろうけどさ、今日話した時はポンコツそうなところもあったよ」

「ポ、ポン!?」


 私は素っ頓狂な大声で反応してしまいます。

 下にいる結愛ちゃんには麻雀でもしていると思われたでしょうか。


「姉妹の仲で悩んでるのは、二人共だよ。真璃会長が完璧超人だったら、あの人の力だけで解決してるって」


 そ、それは……私が足を引っ張ってるというか……。


「結愛も出来すぎた妹だけど、『完璧』だなんて思ってないし、そんな人間は居ないよ。誰だってくだらない事で悩んで、人に見られる部分を出来るだけかっこよく見せてるだけだよ」


 で、でも……。


「考えを押し付けるつもりは無いけどさ、傘寿は凄いし、真璃会長に勝ってるところもあるって。というかまず『学年一位』ってありえないくらい凄いから」


 否定……を。


「……」


 何も言わず沈黙を貫いていると、夏目が再び口を開きます。


「……じゃあ実際に勝ってるところを言っていこう。ソシャゲのイベントで寝る間も惜しんで『一位』のエンブレムとったよな、という事でそのソシャゲは傘寿の勝ち。長座体前屈で学校の新記録出たって言ってたよな、体のやわらかさも傘寿の勝ち」


 ……なんですか、それ。なんなんですか、もう。


「真璃会長は『綺麗』な人だけど傘寿は『可愛さ』なら負けてない。はい、またしても傘寿の勝ち――傘寿?」


 私は夏目の服を引っ張ります。

 分かりました。もう……分かったので。


「夏目……私は、私は……『子供』なんです。小さな勇気が出せなくて、沢山褒められたくて、それなのに、あんなに凄い人が一番近くにいて」


 初めて、誰かにこの気持ちを話した。


「『勉強』だけ……だったんです。それすらも負けて。ずっと……ずっと嫌でした。でも良い人だから……『嫌い』になれなくて」


 お姉ちゃんにすら、言ったことのない気持ち。


「残ったのは、もう負けたくないっていう『プライド』だけで……この気持ちを、誰にも知られたくなくて」


 知られたくないのに、聞いて欲しい。

 怖いのに、話したい。

 そんな矛盾している気持ちが、私の中にはずっと存在していた。


「――夏目。私……私。夏目のこと『友達』だと思ってます。もし『友達』だと思ってるのが私だけだったらって思うと怖くて、ずっと言えなかった。相談するのも、私がこんな人間だって思われるのが怖くて……ずっと出来なかった」


 だって、夏目が私を褒めてくれたから。

 お姉ちゃんより私の方が凄いと言ってくれたから。

 そんな夏目から直接『友達』って言われたいって、思うから。


「……ごめん、ね。思ってたような人じゃなかったですよね、私」


 伝えたいことは、伝えました。

 次は、私が聞く番です。

 夏目の次の言葉を聞く為に私は深呼吸を――、


「傘寿が『友達』だって、俺も思ってるから」


 ――まだ……心の準備すら出来てなかったのに。


「そっかー……傘寿も友達って思ってくれてたんだぁ……あー良かった……」


 ……そっか、そうなんですね。

 長い、長い……遠回りをした気がします。


 すごく、嬉しい、です。


「それと――『プライド』とか言ってたけど、俺も結愛にそういう気持ちあるよ。能力で負けてても『兄』としてかっこつけたいとか、そういうの。だから多分、普通だよ。普通じゃなくても俺がそうだから……


 そう言って苦笑する夏目。


「なんですか、それ」


 遠くから足音が聞こえてきます。その音はどんどんと……近づいてきていて。

 きっと結愛ちゃんでしょう。そういえば……随分時間が経った気がします――気を使ってくれたのでしょうか。


 正直、この時間が過ぎてしまうのが、少し惜しいです。

 だから……最後に私は、夏目だけに聞こえるように、小さな声で――悪戯な笑顔を作り、夏目に伝えました。


「本当――最悪です、ね」

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