第4話

「御一人様、ワンドリンク二時間でよろしいですか?」

「はい」

「ではお部屋はあちら、向かって左側の、108号室になります」

「ごゆっくりどうぞ」

 受付を済ますと、通学時とは打って変わり軽快な足取り。

 インヘヴンに出会ってからの春休み。彼らにハマり、憧れ。自分も……あんなふうに。そんな思いから、いつしか通うようになった場所。

 下校後僕は、すっかり行きつけとなったとあるカラオケ店へと足を踏み入れていた。

 学校がある最寄り駅から、四駅も離れた街。ココなら同じ学校の生徒にエンカウントする確率もゼロに近い。念には念を。ここからは一人だけの、魂を開放する時間だ。

 カラオケでインヘヴンの曲を熱唱する。それが僕の、最近のマイブームになっていた。

『♪……♪……♪……』

『記憶のカケラに……』

『♪……♪……♪……』

『悲しみに乱れて……』

 ディスクが擦り切れるほどに何度も何度も聴き入り、もはや歌詞を追う必要も無い。目を閉じ、曲の世界観に体ごと陶酔しながら。立て続けに彼らの楽曲を熱唱していく。

 やっぱりインヘヴンは最高だ。急上昇する体温。湿り気を含んだ襟足。体内に流し込んだドリンクの水分は、じわじわと滲み出る汗へ、見る見るうちに様変わりしていく。

「ぷはぁ! あっつ!」

「よしっ。ここらで一旦、休憩っと……」

 激しいロック調を連続して七曲、熱唱したのち。

 ひと段落した僕は尿意を解消すべく、部屋を出てトイレへと向かった。 


 あぁ。楽しいな。

 湧き上がる興奮と衝動。ほとばしる熱と脳内を満たすドーパミン。

 見つけた……これだ。

 この時改めて。心の底からそう、強く思った。

 僕は――。

「歌うことが好き」なんだと。

 



『ンン……ン……♪……♪』

 誰もいない化粧室。未だ余韻に浸っていた僕は、鼻歌交じりに用を足す。

 ガチャッ。

 すると一人の男性が入室して来たため、慌ててハミングを停止。平静を装った。

 隣の小便器に立った青年。おそらく自分よりも年上だろう。男性は黒のロングコートを羽織り、腰からはスラっとした長い脚が。さらにサイバーパンク柄のシャツと胸元に光るシルバーネックレス。極めつけに艶やかな紅色のミディアムヘアと、今まさに自分が熱中している一世代前の「」の装いと、それとなく雰囲気が酷似していた。

「あっ……すぃ、ません」

 ジロジロと見すぎてしまったせいか、チラッとこっちを見る青年。……まっ、まずい。そう思いすぐさま小さく会釈をし目を逸らすと、僕は慌てて出口へと向かった。

「ハァ」

 だが扉を開け、外へ出ようとした、その直前。

「さてと、どうすっかな……」

 何か思い詰めているのか。まるで「誰か……」と救いを求めているかのような。

 苦悩とも放心ともとれる彼のボヤキが聞こえたような、そんな気がした。


 迎えた後半戦。部屋に戻り、ワンマンショーの続きを再開させる。

「次は、そろそろバラードをっと」

 激しい曲のメドレーを歌ったことで、未だ熱気が残る室内。ここでクールダウンも兼ねてと、僕はインヘヴンの曲の中でもとりわけお気に入りのバラード曲をチョイスした。

 アップテンポも難しいが、バラードはバラードでゆっくりとのびやかな分、音程をごまかすことができない。深い表現力が必要とされる、そこがバラードの難しいところだ。

 インヘヴンのヴォーカル「エル」の放つ高音は、普通の男性では決して歌いこなせない音域。けれど僕はもともとの地声が高いために、問題なく出すことができた。

 流れ出す前奏に寄り添い。歌い出しから、その曲が持つ世界観へと意識を没入させる。

 ――ササッ……。

「ん?」

 歌唱中、ドアの前に、長身の黒い人影がチラリ。部屋の前を通り過ぎた。

 と、思ったが……あれ? その影はちょうど扉の前で静止すると、全く動く気配が無い。

 何だろう。廊下で誰かと話でもしているのか。それか、電話をしているのだろうか。

 一瞬気にはしたものの、構わず僕は再びモニター画面へと視線を戻した。

『♪……♪……♪……』

 そして終盤。ここからは一番の高音域ゾーンであり、曲中でも大事なクライマックス。憧れのエルのように。僕は渾身のファルセットを、喉の奥から解き放った。


 ふぅ。こうして演奏は終了。結構うまく歌えたんじゃないか。折角なら採点モードにしておくべきだったか。そんなことを思いながらマイクを置き、僕はソファーへと沈み込んだ。

 ガチャ!

 突然――勢いよく開かれたトビラ。

「あのッッ!」

「う…………うっ、うわああぁ!」

 あまりの驚きで震えおののき、咆哮した末に。僕は石像のように固まってしまった。

「ちょ、ちょっと……っ。急にな、何ですか!?」

 突如乱入してきた謎の人物。もちろん店員ではない。「ハア、ハア」と、長距離走を終えた後のような荒々しい息遣いに、まるでダイヤモンドでも発見したかのような潤んだ瞳。

「キミ! 今のってさ! インヘヴンだよね?」

「え? ああ、は……はい」

「って、あなたは……」

 放心状態の僕の目に映る、見覚えのあるロングコート。そして呼吸に合わせ、ギラギラと揺れる紅色の髪。それは先程トイレで目にした――「あの青年」だった。

「あそこまで高い音域を、ここまで見事に歌い上げるなんて……」

「すまない。キミの歌声が丁度耳に入ってきたから、じつは外でこっそり聴いてたんだ」

「ええっ!?」

「キミ。ヴィジュアル系ロック、好きなの?」

「え、ええ、まぁ……。でもインヘヴンしか、詳しくはないですけど……」

「じつは俺たちも大好きなんだ! そっか。この時代にまた、同士に出会えるなんて」

「俺たち? 同士? ちょ、ちょっと……さっきから、何を」

「いた。見つけた!」

 青年はそう言うと、まじまじと僕を見つめた。

「――キミに、頼みたいことがある!」

「えっ? あっ。ちょっとおお! うわあああああっ!」

 手錠を掛けられたかのように力強く、強引に腕を掴まれる。すると彼は「一緒に来てほしい」と言って、僕を体ごとそのまま、部屋の外へと連れ出した。


 い、いったい何が起きて……。まさかこのまま、連れ去られてしまうんじゃ。言いようの無い恐怖でいっぱいの僕を背に、彼は一階フロアの大部屋へと向かって行く。

 ホントに何、何なんだ。嫌な予感がする。恐い。恐くて仕方がない。店内のBGMが断末魔の叫びに聞こえる。

 僕はこれから、どうなってしまうんだ。

 ……だれ、か。

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