第2話  山科勝成の誕生

「兵法は元より天文、地理も極めて張良、孔明をも凌ぐ、か。それは大したものだ」

オルガンティノの知人、関一政に書いてもらった紹介状を読み、そのサムライ、蒲生忠三郎賦秀がもうちゅうざぶろうやすひでは朗らかに笑った。

周囲に控える賦秀やすひでの側近達も笑う。だがそれは賦秀やすひでのものと違い、失笑であり、小馬鹿にした笑いであった。

後で聞いたところによると、張良、そして孔明とはジャッポーネの隣国、ヨーロッパ人がシーナと呼ぶ国の古の半ば神格化された軍人にして賢者の名であるらしい。

得体の知れぬ南蛮人の若造を例えるにしてはあまりにも大仰であり、はったりが効きすぎていると笑われるのが当然と言えるだろう。 だがこの時のロルテスはそのような事情など知るはずもなく、何故笑われたのか理解できずに憮然とするしかなかった。

(それにしても……)

畳みと呼ばれる日本特有の床にその長い脚を窮屈に折り曲げて胡坐をかきながらロルテスは思う。

ジャポネーゼは椅子に座るということがほとんどなく、畳の床に直接足を組むと聞いた時は、(何とも野蛮でお粗末な民族だ)

と内心大いに蔑んだものだった。

だが、そのような異民族、異教徒への侮りは上座から己を見据えるサムライの神秘的とすら言える眼光によってみるみる萎えていくのを感じた。

(若い……まだ子供ではないのか)

異教徒の小僧に威圧されてどうすると己を叱咤しつつ、ロルテスは眼光の主をあえて無遠慮に観察した。

日野城主、蒲生賢秀がもうかたひでの三男、忠三郎賦秀ちゅうざぶろうやすひではこの時二十一歳。いや、西洋とは違ってジャッポーネは生まれた年をゼロ歳ではなく一歳と数えるので二十二歳とするべきだろう。

だが西洋人から見れば東洋人は押しなべて若く見えるので、まだ十代半ばの少年にしか見えない。

だがその面構えと言い、痩せてはいるが鍛え抜かれていることがはっきりと見て取れる筋骨といい、明らかに歴戦の戦士の風格が備わっていた。

(オワリの王、織田信長の娘婿、蒲生賦秀やすひでか……)

ロルテスはオルガンティノから聞かされた己が仕えるべき主の情報を思い返していた。   「天下布武」

つまりこの麻の如く乱れたジャッポーネ国を武の力にて統一し、治めることを宣言した織田信長と蒲生家は元は敵対していたらしい。

だが今から九年程前に織田に敗れ降伏。

臣従の証として賦秀、幼名鶴千代は人質として差し出されたのだと言う。

十一歳の鶴千代と会った信長はその目に宿る類まれなる気魂と聡明さを見て取り、

「蒲生の息子の瞳は他の者とは違う。只者ではあるまい。我が婿にしようぞ」

と言い、その場で我が次女を娶らせる約束をしたという。

さらに元服と呼ばれる男子の成人の儀式では自らが烏帽子親となり、弾正忠だんじょうのちゅう信長の「忠」の一文字を与え、忠三郎賦秀と名乗らせるなど、破格の待遇を与えている。

織田弾正忠信長という人物は極めて気性が荒く、人の好悪が激しいという世評だが、たかが人質の少年に対してこの好意の示しようはいかにも異様と言うべきだろう。

(だがそれも分かる気がする……)

ロルテスは賦秀の視線を真直ぐ受けながら思った。

(こんな深く澄んだ、それでいて激しさも兼ね備えた眼光の主とは会ったことも無い)

 ロルテスもかつては多くのひとかどの人物達と出会って来た。

イスラームとの戦いでは常に最前線で命を的にして戦う武勇の士、貧しく傷ついた他者への救済とキリストの伝道に身を捧げる篤信者、それにギリシア、ラテンの古典に通暁した深い学識の持ち主……。

彼らはいずれも見事な面魂と尋常ならざる眼光を持っていたが、それでも眼の前の若いサムライには一歩及ばないだろう。

それは持って生まれた天稟てんぴんとたゆまぬ文武の鍛錬、そして多くの修羅場を潜り抜けることによって培われた、まさに万人に一人の英雄の相と呼ぶべきものだった。

(この人が俺の仕えるべき真の主なのか)

ロルテスは天啓を聞いた気がした。

ロードス島で、ローマでキリストの名の元にイスラームとの戦いに身を捧げていた時には一度も聞こえなかったデウスの声が、この異教徒の地で初めて聞こえたのである。

いや、やはりそれは天にまします唯一絶対のデウスの声ではないのかも知れない。

日本古来の悪魔であるカミ、あるいはインドから渡って来たというホトケという名の悪魔のささやきだったのかも知れない。

だがそれでもいいとロルテスは思った。

このジャッポーネの地ならば、そしてこの若きサムライの元ならば、己が欲していた命を燃やし尽くせる程の真の戦いに巡り合えるという確信を得たのである。

もはや迷いもためらいも消え失せていた。

(是非、この俺を……!)

ロルテスは渾身の気迫を込めながら賦秀やすひでを見据えた。

「良い面構えよの、気に入った」

賦秀やすひでは己の膝を打ち、会心の笑みを浮かべながら言った。

「この者を召し抱えるぞ。皆、左様に心得よ」

家臣達は一斉に平伏した。その多くは賦秀やすひでよりもずっと年長で、賦秀やすひでの父、あるいは祖父と言って良い程の世代である。だが若い主君を侮る様子やその決定に不満を抱く気配は微塵も無い。

心から賦秀に敬服しているようである。

「名は、じょばんに、ろるてす、か」

賦秀はロルテスの名を呼んだ。

「は……」

あまりに癖のある発音で我が名を呼ばれた為、ロルテスは吹き出しそうになった。

「呼びにくいな……。この国でその名は色々不都合であろう。誰ぞ筆と紙を持て」

小姓と呼ばれる雑用を請け負う少年が差し出した筆を手にし、しばらく沈思黙考していた賦秀だったが、やがて一気呵成に何かを書き上げた。

「山科羅久呂左衛門勝成」

そう書かれているのだが無論ロルテスにはさっぱり分からない。

(ジャポネーゼはこんな複雑で訳の分からない文字を使うのか……)

日本語は漢字、あるいは真名と呼ばれるシーナ伝来の表語文字を数千使用するのみならず、さらにひらがな、そしてカタカナと呼ばれる二種類の文字体系を組み合わせるという。 それを聞いてロルテスは日本語の読み書きの習得の困難さに絶望し、眩暈めまいを覚えた。

「やましな らくろざえもん かつなり、と読むのだ」

「ヤマシナ…カツナリ……」

小姓より渡された賦秀の書いた紙を手にしてロルテスは震えた。

書と呼ばれる東洋の伝統芸術の技巧が施された賦秀やすひでの筆勢は雄勁にして俗風を脱し、まさに雲煙龍飛と呼ぶべきものであった。その完成された美しさは漢字にも書にも全く無知な西洋人をも感動させずにはいられなかった。                                  「それが蒲生家の武士としてのお前の名だ」                             こうしてここに元、聖ヨハネ騎士団の騎士にして傭兵、そして蒲生家に仕えるサムライという地上無二の戦士、山科勝成は誕生した。


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