第36話 お人よしの覚悟

 まっすぐ向けられた視線はなぜか知らないけどものすごく痛かった。


 こちらが見ていなくても胸に刺さるような刺激が断続的に送られる。


 頭の中は何を考えていたのかすらあやふやだ。


 ボーっとしていたのかぐちゃぐちゃだったのか。それすらも定かではない。


 外からはエンジン音がたまに聞こえ、それ以外はいたって静かな居住区だった。


 そういえばそろそろセミの鳴き声が聞こえるころだな、なんて思いだした。


「……仕方ないだろ、何処にいるかわかんねーんだから」


 ライオンの瞳は毛色のように黄金だ。


「もし会えても俺じゃ歯が立たないような場所だろ。シルバー・エイジでもなけりゃ」


 毛並みも艶があり本当に野良猫か疑ってしまう。


「それにあいつは……自分から望んで行ったんだ。俺達がどうこう言える事じゃない」


 カイムはライオンの瞳がなんとなく見られなくて目を反らした。


「だから、だからだな」


 俺なんかじゃなくていいんだよ。


 ……と言い出しそうになり、何とか吐き出さずに押し込む。


(じゃあ何で俺はこんなにも悩んでいるんだ?)


 俺じゃなくていいと分かっているのなら、何も悩まずに頭を切り替えて勉強でもしてればいい。


 けどそんな事はできない。


 ずっと体に重りのような見えない物体がのしかかっている気がする。


「……」


 ふうと小さく息を吐き、カイムは自分の両頬を思いっきり叩いた。


 バチンッと破裂音が響きライオンが一瞬身をすくめる。


「よし、飯だ」


 頬を赤く染めカイムは力強く立ち上がった。


 腹が減ってるから悩むのだ。

 答えはもう出ていることなのに。


 ◇◇◇


 賞味期限ぎりぎりの挽肉を力一杯こねて、雰囲気だけで作った大盛りハンバーグをカイムは食べる。


 ジャックにも食わせてやろうと思っていたものだが、いないんだから仕方がない。


 代わりに猫用に作ったハンバーグを、ライオンが百獣の王のように威圧感出しまくりでかぶりついている。


 満腹になったところでカイムは綺麗な制服に着替えなおし、鏡の前でネクタイをしっかりと絞めた。


 皿を舐めつくしたライオンはカシャカシャとフローリングに音を立て、玄関へと向かい、扉の前でちょこんと座る。


 その姿を見てなぜかカイムは戦友のような頼りがいを感じた。


「待たせたな」


 なんでもない、そういった風にライオンは首を小さく振る。


「行くぞ」


 黒皮の手袋がドアノブを掴みカイムは戦地へと赴く。


 この扉を出れば再び非日常が訪れる。


 帰ってこれるとかは考えない。


 好奇心の赴くまま、最後まで付き合ってやろうじゃないか。


「にゃあ」


 走るカイムに並走してライオンも走る。


 初めて鳴いた声は見た目とは裏腹に意外と可愛らしいなとカイムは苦笑した。


 ◇◇◇

 

 ライオンはまるで何かに導かれるようにひた走る。


 人間では気づかないような路地や塀の上、ビルの隙間を抜けてどこかを目指していた。


 たまに立ち止まり匂いを確認し、再び走り出す。


 獣の動きに着いて行くだけでもやっとなのだが、カイムの直感は告げていた。


 ライオンに着いて行けば、必ずジーンのいる場所までたどり着けると。


 これは偶然ではない。

 流れる汗をぬぐいカイムは思い返した。


 ジーンはライオンを友達と呼び、自らの目的地を探して欲しいと頼んでいた。

 そこからどうやって探させたかは不明だが、今になってやっとこの猫は案内をしてくれるというのだ。


 視界はいつの間にか巨大なマンション群から、広いグランドと校舎を持つ第五地区の学区へと移動していた。


「こんな抜け道あるのか」


 走り始めて三十分も経っていないだろうか、一人と一匹は早くも学区の一番端まで来ていた。


 現在自分がいる位置は把握できないが、多くの木々に囲まれているところから察するに第五地区の端か第六地区となる。


 多少高台になっているのか街を一望できた。


「げ……」


 明らかに身を引くカイムだったが、それもそのはず。


 眼下に広がるグランドには眩しいテニスウェアの女子たちが部活動に勤しんでいる。


 その隣は陸上部が並んで走っていて、学校の屋上にある透明な室内の中で水泳部が青春の汗を流していた。


「これって葵坂じゃねえか……!」


 あの時は夜だったし、隠れて侵入したから全体図は把握できなかったが、間違いなく葵坂だった。


 建物をしっかりと見れば見るほど間違いない。


 レンガ風のモダンな造り、そしてあの辺が――、


「ぐは……」


 カラフルな布をしっかり見てしまったものの慌てて視界を外す。


 何部かは分からないが女子更衣室だった。


 こんな森の奥に人間が潜む事は殆どないと思われているのかこちら側に向けて窓が全開である。


「おい、こら、これじゃ覗きと変わりねぇぞ」


 威厳のある立ち姿でライオンは風に体毛を揺らしている。


 まだまだお前も若いな……とでも言いたげだ。


 ライオンは木々の間をゆっくりと下っていく。


「ここなのか……?」


 慎重に足元を確保し、枝に掴まりながら急な斜面を下っていく。


 まさかまた再びここに戻ってこようとは。


 ライオンは葵坂校舎へと繋がる抜け穴に体を滑り込ませ、カイムはあの夜同様に鉄のガラクタを押して穴を潜った。


 女子校へと忍び込んだ悪夢が再び蘇る。


 あのときはだれも外にいなかったが今回は違う。


 現在は日没直前。


 部活動をそろそろ切り上げ、生徒たちがわらわらと散らばっている時間だ。


 見つかったらどうなるか……正直想像できない。


 前回同様、女子寮の裏を通り壁に背中を預ける。


 辺りからは高い声質ばかりが聞こえてきて、改めて女子しかいないんだなと理解した。唯一の救いは薄暗い事ぐらいだろうか。


 前方にタオルを持った二人組の女子が通過し、カイムは息を殺して隣の校舎へと走りこむ。


 ライオンは猫のせいか、ちゃっかり先に進んでいるのだから理不尽なものを感じなくもない。


 先導するライオンを目で追うと校舎へ入る事はなく、そのまま裏へと回りこんでいく。


 腰を低くしながらカイムも進み、窓のヘリよりしゃがみながらライオンの後を追う。


(スパイ映画でも女子校よりはマシな所に潜入してるだろうよ……!)


 胸中で文句を言ったのが届いたのが突然頭の上の窓が開き、一人の女子生徒が頭を出した。


(うお!)


 とっさの事にカイムは壁に張り付いた蛙のように動かなくなる。


 嫌な汗が滲んできて背中をびっしょり濡らす。


「最近変なの多いらしいっすよー」


「忍び込まれたって話でしたかしら? はあ、信じられませんわ……」


 二人組と思われる女子は窓を開けたまま最近の授業とか、噂とか取り留めもない事を話している。


「切られた映像の最後に写ってたのってあれでしょー、忍者みたいなやつ。壁に張り付いたり」


「やめてください、ハルカさん。そんな非現実的な職業、存在しませんわ」


「カナタはこわがりだなー、忍者はお化けと違うってー」


 片方の女子はけらけらと笑い、もう一人の女子はややひきつり気味の声だ。


(そんなジャックみたいなやつが二人もいてたまるか)


 壁に張り付いたままカイムは二人にツッコミを入れる。


 ジーンとカイムはそんな芸当をあの夜にはしてないし……そもそも監視カメラもセキュリティも切られていたのだ。


 という事は、そいつが最初に潜入した『閲覧者』の可能性は高い。


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