第24話 料理の新たな可能性



明け方の空がうっすらと白む中、私は厨房で一人、古い料理本を開いていた。ヴァンロッサの残した本の中に、気になる一節を見つけたのだ。


『料理には、時として不思議な力が宿る。それは魔法でもなく、神の力でもない。料理人の想いと、深い記憶が結びついた時に現れる力』


「美咲さん、随分と早いのですね」

エマが静かに入ってきた。昨日の出来事以来、彼女の様子が少し変わっている。より落ち着いた、芯の通った雰囲気を纏っていた。


「ちょっと気になることがあって」

私が本を見せると、エマは興味深そうに覗き込んだ。


「この記述、なんだか懐かしい感じがします」

エマがページをめくると、一枚の古い紙が滑り落ちた。そこには手書きのレシピが記されている。


「これは...」

エマの手が震えた。

「確か、このレシピには特別な工程があって」


彼女は言葉を切り、すぐに調理の準備を始めた。まるで、長年の経験を持つ料理人のような確かな動き。


「このハーブは、最後に加えるのではなく」

エマは説明しながら、普段とは違う順序で材料を加えていく。

「途中で二度に分けて入れることで、魔力を受け入れやすい状態になる」


「魔力を?」

私が問いかけると、エマは我に返ったように立ち止まった。


「あ...私、今何を」

「大丈夫よ。続けて」

私は静かに促した。

「あなたの中にある記憶を、自然な形で思い出せばいい」


エマは小さく頷き、調理を再開した。彼女の手から、かすかな光が漏れ始める。


その時、店の入り口で鈴が鳴った。


「失礼します」

ヴィルヘルムが慌ただしく入ってきた。

「これを見てください」


彼が広げた古い研究記録には、エマが今まさに作ろうとしているのと同じレシピが記されていた。


「まさか、エマさんは自然とこの製法を」

「ええ」

私は答えた。

「記憶の中に眠っていた技術が、少しずつ目覚めているようです」


エマの作る料理からは、不思議な香りが立ち始めていた。それは単なる食欲をそそる香りではない。心が温かくなるような、懐かしさと新しさが混ざり合った香り。


「これは驚きました」

ヴィルヘルムが目を見張る。

「50年前の研究では、こ


このような完成度には至らなかった」


「研究、ですか?」

エマが小声で尋ねる。

「私の中の記憶は、研究所での...」


その時、彼女の手から鍋が滑り落ちそうになった。私は咄嗟にそれを支え、エマの手を取る。彼女の手は冷たく、小刻みに震えていた。


「エマ、無理することはないわ」

「いいえ、大丈夫です」

エマは深く息を吸って、再び調理に向き合った。

「この料理を完成させたい。なぜか、とても大切な気がして」


窓の外では、朝日が昇り始めていた。その光に照らされて、エマの作る料理が神秘的な輝きを放っている。


「これは...」

ヴィルヘルムが驚きの声を上げた。

「魔力と料理が完全に調和している」


完成した料理は、一見すると普通のポタージュスープ。しかし、一口飲むと、体の芯まで温かさが広がった。それは単なる温度による暖かさではない。心が癒されていくような、不思議な感覚。


「このスープには」

エマが静かに言った。

「大切な人を想う気持ちを込めました」


「魔力を込めたわけではないの?」

私が尋ねると、エマは首を振った。


「いいえ。ただ、誰かの笑顔を思い浮かべながら作っただけです。そうしたら、自然とこんな素敵な力が宿りました」


その言葉に、私たちは深い理解を共有した。料理と魔力の融合。それは技術や研究だけでは成し得ない、心と記憶が織りなす奇跡だったのだ。


「これが、本当の料理の力なのかもしれません」

ヴィルヘルムが感慨深げに言った。


その時、店の外で物音がした。誰かが、この様子を見ていたようだ。


「警戒が必要ですね」

ヴィルヘルムが表情を引き締める。

「エマさんの才能が、また新たな注目を集めることになる」


「でも、私は逃げません」

エマは強い口調で言った。

「この力は、きっと誰かの笑顔のためにある。だから、美咲さんと一緒に、正しい使い方を見つけていきたい」


私は彼女の肩に手を置いた。

「ええ、一緒に進んでいきましょう」


朝日が完全に昇り、新しい一日が始まっていく。私たちの前には、まだ見ぬ可能性が広がっていた。


料理と魔力、記憶と想い。全てが交差する場所で、私たちは新しい一歩を踏み出そうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る