第22話 エマの記憶



「このレシピ、どこかで見たことがあるような」


朝の厨房で、エマが古い料理本を開いていた。そこには、50年前の伝統的なソースの作り方が記されている。しかし、エマの目は別の何かを見ているようだった。


「エマ?」

私が声をかけると、彼女は我に返ったように顔を上げた。


「あ、すみません。なんだか懐かしい気持ちになって」

エマは困惑したように首を傾げる。

「でも、これは初めて見るレシピのはずなのに」


昨日の貴族たちの訪問以降、エマの中で何かが変化し始めているようだった。料理をする度に、見たこともない技法を自然と使いこなし、誰からも教わっていないはずの味を再現する。


「美咲さん、このソースを作ってみてもいいですか」

「ええ、もちろん」


エマは手際よく材料を集め始めた。その仕草は、まるで何度も作ったことがあるかのよう。包丁を持つ手つき、火加減の調整、香辛料の配合。全てが、16歳の見習いとは思えない確かさを持っていた。


その時、店の入り口の鈴が鳴った。ヴィルヘルムが、一冊の古い日記を持って現れた。


「これを見てください」

彼は日記を開いた。

「50年前の王立研究所の料理人が記した記録です」


ページをめくると、今エマが作ろうとしているソースと全く同じレシピが記されていた。


「これは...」

私が息を呑む。エマは調理の手を止めることなく、むしろ更に集中を深めていった。


「しかも、このレシピには特別な秘密があります」

ヴィルヘルムは声を落として続けた。

「このソースには、魔力を保持する特殊な性質があるのです」


エマの手が一瞬震えた。しかし、彼女はすぐに普段の穏やかな表情を取り戻し、調理を続けた。


完成したソースは、深い琥珀色を湛えていた。一滴すくい上げると、不思議な輝きを放っている。


「この色合い、まさに記録通りです」

ヴィルヘルムが驚きの声を上げる。

「しかし、このレシピは研究所の機密文書のはずなのに」


「私にも分かりません」

エマは静かに答えた。

「体が、自然と覚えているような」


その時、裏口から物音がした。リリーナが慌ただしく入ってきた。


「大変です。王立図書館で、新たな記録が見つかりました」

彼女は一枚の写真を取り出した。

「これを見てください」


そこには、幼い少女が写っていた。彼女の前には、今エマが作ったのと同じソースが置かれている。


「この少女は...」

私の言葉を遮るように、エマが小さな声で呟いた。


「このエプロン、確か紺色の端に白い花の刺繍があって」


私たちは息を呑んだ。写真は白黒で、エプロンの色など分からないはずなのに。


「エマ、あなたは」

「分かりません。でも、この写真を見ていると、色々なことを思い出しそうで」


エマの表情が曇る。その時、厨房からソースの香りが広がった。不思議な懐かしさを感じる香り。


「この香りには、特別な力があります」

ヴィルヘルムが説明を始めた。

「記憶を呼び覚ます力を」


「記憶を?」

私が聞き返すと、エマが静かに頷いた。


「はい。このソースを作りながら、少しずつ思い出していました」

彼女は窓の外を見つめる。

「大きな実験室、沢山の調理器具、そして...優しく教えてくれた誰か」


「50年前の記憶が、エマの中で目覚めようとしているのかもしれません」

リリーナが静かに言った。


その言葉に、私たちは言葉を失った。エマの中に眠る50年前の記憶。それは一体、何を意味するのだろうか。


「でも、私は私です」

エマは強い口調で言った。

「どんな記憶が蘇っても、今この店で美咲さんと一緒に作る料理が、私の全てです」


その言葉に、私は温かいものが込み上げてきた。確かに、謎は深まるばかり。でも、私たちには確かなものがある。


「そうね。私たちは、これからも一緒に最高の料理を作り続けましょう」


窓の外では、風が木々を揺らしていた。50年の時を超えて繋がる記憶の糸。それは、私たちをどこへ導くのだろうか。


エマの作ったソースは、夕陽に照らされて美しく輝いていた。その中に、まだ見ぬ真実が隠されているように。

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