忘れ貝の君

第1話 滅ぼされた里

 忘れ貝の君が、隠れ里にやってくると聞いた時、暮谷くれだに明清あけきよは鼻で嗤った。


「忘れさせられてなるものか」


 忘れ貝の君は、神楽舞かぐらまいをする旅の巫女姫である。鼓を打つかむろの童児と、笛を吹く法師くずれを連れている。


 舞姫は、まだ十二歳にもならぬ娘である。巫女たちは里で芸を仕込まれて、数えでとおを過ぎる頃には一人前になる。


 女の垂れ髪を黒烏帽子の中へ隠して、洗いざらしの白い水干をまとい、首から飾り物を下げている。それがいわゆる忘れ貝であった。


 金と漆でついで二つに合わせ直されたその貝には、小さな赤い鈴が入っており、舞姫が動くたびに、ころり、ころり、と無邪気そうな音を立てるのだった。


 忘れ貝の君の舞いは、とても静かだった。多くの巫女舞が祭りの最中の賑々しさに、きらびやかな見世物として供される中、彼女たちの舞いは朝早くから日中に現れて、ころり、ころり、と踊る。音高い鼓の拍子も、笛の音も、周りが静かでないと聞こえなかった。


 客となるのは祭りのふるまい酒に惑った酔客などではなく、鍬を担いだ野良着で道を歩く、日常の人々である。


 なので舞を始めても、容易に人の足は止まらない。日々の仕事があるからである。それでも、朝見かけて、昼通りがかってするうちに、拍子に足取りが奪われ、鈴の音に心が奪われた者たちがぽつり、ぽつり、と足を止めて人だかりを作ってくる。


 やがて野良仕事の弁当と持ってきた茶を振る舞うものが現れれば、寄合で余った菓子を持ち寄る女房が加わったりもする。


 果てはこっそりくすねた甕酒かめざけを皆に振る舞う景気者も現れれば、日暮れまでには、ちょっとした宴になる。人々が和やかな気分になれば、舞姫の仕事は終わりであった。


 殺伐としていた土地の者が和を作って、憩い出せば、忘れ貝の君たちは乞われるがままに、二、三の舞を踊っていつの間にか姿を消す。


 舞姫の一座が立ち寄った郷中は、幸せになれると評判であった。それはただの噂ではなく、野盗に焼かれた里も、武士たちの争いに巻き込まれ踏みにじられた村もそうであった。


 故に隠れ里の長は、多くの人をほうぼうへ遣わしてようやく、忘れ貝の君を呼び寄せることに成功したと言う。


 谷あいの川床の狭い地は、人里を逐われた暮谷一族がひしめく落人の里である。明清は突然始まった争乱で、一族の主だったものを皆殺しにされ、残った義姉や姪らと共に、命からがら落ち延びてきたのだった。


「みなどうかしている。この谷の凍った土を掘り返して、二晩かけて父上たちの供養塚を作ったのを忘れたのか」


 明清は憤った。そのいくさがあったとき、まだ、この青年は元服していなかったが、息詰まるような凄惨な光景を、いくつも憶えている。



「おれは、この仇討ちをこそ悲願にして生き抜いてきたのだぞ…」


 暮谷の一族を滅ぼしたのは、そのすぐ近くに館を構える月輪つきのわの一族であった。


 両家は隣り合った領地を奪い合うこともなく、細々と縁を紡いできたのだが、ある日、月輪の屋形が暮谷の屋敷に突然、奇襲をかけて来たのであった。


 建物に残らず火をかけられ、気づいたときには、皆殺しが始まっていた。生き残りをようやく集めた明清の父親が、女たちを逃がすために絶望的な反撃を始めると、明清は幼い子供たちと共に逃げることを命じられた。


「無念じゃ、明清」


 思わぬ相手から不覚を取ったと、父親は歯噛みをしていた。何か目立ったいさかいがあったわけでもない月輪一族が、急襲してきたその理由は、誰にも分からなかった。


 しかし武家の棟梁として、不意の奇襲に屈することは詰まるところ、おのれの不覚としか言えない。


(おのれ月輪の者ども、いつかこの手で根絶やしにしてやる)


 復讐の狼煙を上げた明清は、元服の日に暮谷の家を捨て、二十五歳までの十年間はその準備に明け暮れた。


 まずはより栄えた遠国に流れ、手当たり次第にいくさへ参加し、三年間陣借り武者として戦ったのだった。


 ど素人の明清は幾度も殺されかけたが、悲願を果たすと言う執念で、ともかく生き残った。どんなひどい負け戦でも、生き抜く術を自力で身につけたのだ。


 ある時は雨に打たれる死体の山に潜み、汚臭漂う下水の泥の中へ鼻まで埋まったり。それはおおよそ、分別のある武士ならば決してやらないことであった。


 まるで手段を選ばぬ忍び者がやるようなことを何でもこなして、明清は、目的を果たすまでは決して諦めない心を養ったのだった。


 四年目に噂を聞き付けて明清は、雷神岳の領主の下へ仕えることになった。もちろん、ただの仕官ではなかった。


 雷神城は、当時流行り出した兵法の道場であり、雷神の殿様はこれと見極めたものに修行を積ませ、一流の兵法者に仕立てあげることを生き甲斐としている武士の鑑のような人物だったのだ。


 生き残りをかけた無謀な陣借りいくさを続けているうち、明清は自分の限界を感じていた。


 それに月輪の一族と戦うには、多勢に無勢の状況を幾度も強いられることとなろう。その点、一対多数で渡り合える兵法と言う技術は、明清にとっては、不可欠なものであった。


「天晴れなる心がけよッ!」

 雷神の殿様は、明清の話を聞き、手を打って喜んだ。

「親の仇を報じるは、正しく武士の誉れッ!意良しッ!お前にはわしの持てる全てを伝授しようではないかあッ!」


 かくして残る五年を明清は、命がけの兵法に投じたのであった。


 雷神の殿は、明清に乗馬、組打ち、剣、弓、槍など武士の基本的な武芸ばかりでなく、城攻めの方法や暗殺術、忍術の類いまで、徹底的に叩き込んでくれた。


 やがて雷神岳を降りる頃には、明清は一己の復讐鬼と化し、その物腰だけでも人が遠ざけるほどになった。そんな明清が隠れ里に一族を慕って戻ってきたのは、復讐の同志を募るためだった。


 ついに果たされる一族の悲願に、自分を慕う兵は、引きも切らぬほどにこぞり群がるだろうと、明清は期待していたのだ。


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