noteで書いたエッセイ集

阿瀬ままれ

自己嫌悪こそが逃げている証拠だろうか

最近、眠っても自己嫌悪が募ることが多々ある。

前は現実逃避のつもりでよく眠ろうとしていたが、今はうなされてしまうことが多い。



僕は学生のころから小説の執筆を趣味としており、今年で12年目になる。

しかしながら、執筆のスピードがあまりにも遅いため、これまで書いた小説は長編が1つ、中~短編が3つと、年数に見合わない数しか作品を作り上げたことがない。


出版社のコンテストに応募してみようと考えたのも今年から。

それまではチャレンジ精神を持とうとせず、「仕事が忙しいから」「ゲーム配信もしているから」と言い訳を立てながら執筆作業をほったらかす日々を繰り返していた。


昨年6月、仕事や趣味でうまくいかないことが多くなり、うつ病を患って休職。

今年4月に退職し、実家に帰省。

荷解きや役所での手続きまで一通り終え、ようやく自由な時間が作れるようになったとき、僕の中に芽生えたのは焦燥感だった。


「俺は今何もしていない。学校に通っている子たちを含めて、誰よりも劣っている」

「ニートだからせめてやれることはやらなければいけない」


そうして中断していた執筆を再開し、数か月かけて中編の小説を一つ書き上げる。

タイトルは『黒猫ニャン太郎』。

野良猫だった黒猫が男子高校生に助けられ、その恩返しをするために奮闘するという話。


この小説を書きあげるまではそれなりに集中できていたと思う。

焦燥感に見合った量と速度の執筆をすることができ、何より執筆自体を楽しめていたのがよかった。

小説家になろうに投稿してみたところ、反応もいい感じ。10年ぶりに感想もいただけて作者冥利に尽きる。


約1か月ほどの推敲作業を経て、集英社オレンジ文庫のノベル大賞に満を持して投函。

僕の創作活動における、初めてのチャレンジ。

前向きに物事を行えている間は、胸の中にわだかまりを覚えることなく過ごすことができていた。


『黒猫ニャン太郎』の応募を終え、8月からまた何もしない日々が続く。

「何かやらなければ」「『ニャン太郎』を書いていたときのモチベーションを維持しなければ」という焦りから、急ぎ足で小説をひとつ書きあげた。

タイトルは『僕は妹を捜しに行きます』。

学校でいじめに合っていた妹を庇おうともがく主人公が、自殺するに至るまでを手記形式でまとめた話。


僕自身の考えを落とし込めたので、出来としてはおおむね満足している。

だが、いざノベル大賞に応募しようとしたところ、応募要項のひとつである「400字詰め縦書き原稿100~400枚」の条件を満しておらず、最終的に投函を断念せざるを得なくなる。


そして、9月中旬。

ネタ切れ。

次に書きたいものが思いつかない。


インスピレーションを得ようと自分で旅をしたりして、何か思いつけばそのたびにスマートフォンにメモをした。

その中で、モチベーションの意味でも形にできそうなプロットをPCに移してまとめたり、本腰を入れて執筆に入ろうと試みる。

うつを患った青年が気の赴くままにいろんな所へ旅をする話、

女子高校生がやりたくもないアイドル業をやらされて葛藤する話、

芸人を目指す下ネタ好きの男子高校生の話、

死が近い人たちの前に現れて、死を手助けしたり逆に励ましたりする死神の話……。


だが、どれも執筆を断念してしまった。

どれも面白い作品になると思えなかったのである。

『SPY×FAMILY』や『ドラゴンボール超』然り、シリアスすぎると大衆に受けないという考えもあるし、個人的にシリアスな話を書きたくないという思いもある。


芸人を目指す男子高校生の話だけは、コメディなのでまだ楽しく書けるかなと思い、ボツではなく保留という形で残している。

しかしながら、ほかの作品はすべてボツフォルダにドラッグ&ドロップ。

上記の話以外に書き殴ったプロットは、手応えすら感じなかったので残してもいない。


そうして、執筆を始められないまま10月下旬を迎える。



「思いつかないうちは悩んだところでしょうがない」と自分に言い聞かせ、買ったまま手を付けられていないゲームを気晴らしにプレイ。

『ゼルダの伝説 ティアーズオブキングダム』では広大な空と大陸と地底を舞台に冒険することとなり、高所から景色を見渡すだけで好奇心がくすぐられる。

プレイを始めてから没入するまでがあっという間なゲームだった。


※原神というゲームも別にやっていたが、こちらは今の進捗では作業しているようであり、楽しめているとは言えない。


「別にプロでもないし、誰かがやれと言ったわけでもないし、好きなことを好きなようにやればいい」と言い聞かせながら、2週間ほどプレイする。

時に笑わされ、時に怒らされ、時に驚かされ、ゼルダをプレイしている間は無我夢中に楽しむことができていた。

だが、ゲームを止めてしまうとそうではなくなる。


傷病手当金をもらっているので、今年11月まで就職活動ができない身ではあるが、結局はニートなので家ですら肩身が狭い。

兄には前に「ニートのくせに調子に乗るな」と言われ、今日は「お前みたいな自己中なやつ誰も相手しない」と言われた。

モラルを考慮すれば兄の発言は責められるべきものとなるが、結果が重視される世の中においては、兄の言葉は正論となる。


数年前みたいに睡眠以外の気力をなくしたり、ストレス発散のためにやけ食いをしたりといったことはなくなったものの、憂鬱な気分は潮汐のように何度も押し寄せてくる。

唯一の心の支えとなっていた執筆作業も滞ってしまい、憂鬱な気分は募ってしまうばかり。


そうしているうちに、睡眠でもまともにリラックスできなくなってしまった。

ここ一週間で見た夢の内容は大方同じで、どこからともなく「執筆はいつ始めるの」「あなたは何ができるの」と責め立てる声が聞こえ続けるというもの。


そして、憂鬱になりながら目覚め、前述したように「好きなことを好きなようにやればいい」と自分に言い聞かせ、またゼルダに明け暮れる。

だが、そうした日々にも疑念を抱くようになってしまった。


「夢の内容は、後ろめたさを感じている証拠ではないか?」

「その後ろめたさこそが、自分が怠けているという証拠にほかならないのではないか?」

「そうだと理解していて、いつまでゲームに逃げているつもりなんだ?」


これらの疑念が真摯に受け止めるべきものなのか、真に受けなくていいものなのか、いまだに判断できない。

こんな風に考えてしまうあたり、執筆活動自体が一種の呪いであるようにも感じてしまう。

しかしながら、まだ何も結果を残せていないので、執筆活動を辞めたくない思いがある。


どう考えるべきなのか、どうすべきなのか、結論が見いだせないまま今に至る。

考えるのを止めて散歩に出てみると、近所の川ではカモたちが水面に映る朝日の輝きを眺めながらのんびりと泳いでいる。


カモに生まれ変われたら。そんな風にも考えてしまう。

そうしたらきっと、仕事などで鬱になることも、執筆で頭を悩ませることもなく、幸せにあのきれいな川を泳げていたはずなのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る