第15話 マユ、流水トレーニングで『撃沈』する(2)
「自転車でカーブを曲がるときには体を内側に傾けるじゃろ? 傾けなかったらどうなる?」
「遠心力で外側にこけますね…… ああ、そういうことか!」
「分かったか。マユはストリーム・インするときの艇の傾け方が浅かったんじゃ。自転車だと道路は動いたりせんから簡単じゃが、流れに突っ込むということはスピードを出して曲がることと同じなんじゃよ。流れが速いほど艇の傾き、『リーン』と言うが、を十分に掛けないと艇が水に食われる」
「では、もう一回じゃ!」
「はい!」
……暗転……
「げほげほ」
「リーンはよいが、真横に突っ込むからひっくり返ったのじゃ。45度じゃ!」
「はい!」
「では、もう一回!」
「はい!」
……暗転……
「げほげほ」
「勢いが足らん! こわごわ突っ込んだんではだめじゃ。流れに突っ込むときはフォワードを力いっぱい漕いで勢いをつけろ!」
「はい!」
もう『沈』になれた…… 確かに恐怖心は消えたな。ちなみに『沈』して脱出することを『沈脱』というそうだ。
「では、もう一回!」
「これでどうだ!」
リーンを掛け、侵入角斜め上流45度、思いっきりフォワードを漕いで勢いを付けて突っ込んだ。流れに乗った!
「よし! すぐバウ・ラダーで水を掴め!」
「やった! できましたよ、師匠!」
「そのまま向こう岸のエディをキャッチせい!」
「よくやった。おぬし、なかなか根性あるのお」
褒められた。苦労して出来るようになったことが素直にうれしい。こんな気持ちっていつくらいぶりだろう。子供の頃に鉄棒で逆上がりができるようになったとき以来かもしれない。
その後、同じ練習を何回か繰り返し、ストリーム・イン、ストリーム・アウト、エディ・キャッチを完璧にマスターしたのだった。
*
お昼ごはんを食べ終えると私は師匠といっしょに午後からの川下りの準備のため、2台の車でゴール地点に向かった。
「講習は明日で終わりじゃな」
「はい」
ここへ来て今日で4日目。明日、師匠からの講習は最終になる。休暇は7日間。6日目は移動日にあてる予定だ。休暇の最終日は翌日からの仕事に備えて部屋でのんびり過ごしたい。
「明日、残る技をすべて教える。それが全部できたらカヤッカー初級じゃ」
「中級ってどんな感じですか?」
「技としては初級で教えたことがすべてじゃが、中級となるとそれぞれの技の精度と切れ、流れを読んで適切に使いこなす応用力ってとこじゃな」
午後は恒例となった川下り。カケルちゃんとクマがカナディアンで伴走してくれる。私は習った技の復習をしながら師匠の後について川を下る。同じ川を下っていても日々できることが多くなっていくと、同じ流れでも色んな遊び方があるんだってことが分かる。
「水量によっても川の流れは全然違うものになる。いくらやっても飽きることがないわい」
横に並んで漕ぎながら師匠が言った。
*
夕方、クマといっしょに散歩に出ようとして私はクマにリードを付けようとした。
「クマ?」
クマがとっとと私に背を向けてカケルちゃんの後ろに隠れる。なんか私から目を逸らしている感じ。その姿に胸がずきりと傷む。私はリードを持ったままその場に立ち尽くしてしまった。
「クマ? どうしたの? マユさん、私がリード付けますよ」
カケルちゃんが私から受け取ったリードをクマに付けた。今度はクマは嫌がらなかった。私はそのことに少なからずショックを受けた。
「マユさん? 行きましょう」
「あ、うん!」
師匠の民宿のある集落を抜け、私と師匠がカヤックのお稽古をしている川の上にかかる赤い鉄橋を渡って、カヌー館からキャンプサイトを抜けて河原に下りる。広い河原を歩いてざあざあと音を立てて流れる『瀬』を目の前に見ながら私たちは河原にしゃがみ込んだ。クマはあたりを嗅ぎまわってうろうろしてる。
「マユさん、一つ聞いていいですか?」
「なに?」
「マユさん、彼氏さんいるんですか?」
「いないよ。いたら一人でここに来てないよー。私にはクマがいるから全然寂しくないしね」
「今までに付き合ったこととかは?」
「それはまあ、あるけど」
「キス…… とかしました?」
「ファーストキスは高校のときだったかなあ。黒歴史だから語れないけどね。あれ? カケルちゃんでもそういうの興味あるんだ」
「カケルちゃんでもって、何ですか?」
カケルちゃんがちょっとむくれた顔をする。普段がクールなだけに、こういう彼女の表情がすごくかわいく思える。
「ごめん。カケルちゃんってあんまりそういうの興味なさそうに見えたから。で? 好きな人いるの?」
「まだ自分でもよく分からないんですけど、いいなって思う人はいます」
「わー、そうなんだ。カケルちゃんに好かれるような男の子ってどんな子だろう。めっちゃ興味ある。紹介してよ」
「いや、それは…… まだ告白もしてないんで」
「同級生?」
「いえ、年上です」
「へえ。どんな子?」
「すごく優しくてちょっと天然で。それから犬好きです」
「顔は? 背は高い?」
「顔は、うーん、自分あんまり面食いじゃないので。背はあんまり高くないです。私と同じくらいかな」
「そっかー、うまくいくといいね!」
「はい……」
私、ちょっと食いつきすぎたかな。カケルちゃん、引いちゃったみたい。
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