第13話 カケルちゃんは大の犬好き(2)
夕方、クマといっしょに散歩に出た。ここに来てから昼間はリードなしで庭をうろうろしているクマに私はリードを付けた。
「私も一緒に行ってもいいですか?」
「ワン!!」
「カケルちゃん。もちろんいいよ。いっしょに行こ!」
師匠の民宿のある集落を抜け、私と師匠がカヤックのお稽古をしている川の上にかかる赤い鉄橋を渡るとカヌー館がある。そこからキャンプサイトを抜けて広い河原に下りる。河原の上流側は私と師匠がここ数日カヤックのお稽古をしている静水の『トロ場』が広がり、その先は狭くなった水路から水が流れ出る『瀬』になっている。
今日の午後この『瀬』を3人と1匹で下ったところだ。『瀬』の中にはいくつか対岸から突き出た岩が下流側に『エディ』を作り、そのため流れは蛇行し、さらに水中にある大岩に水が乗り上げて波を立てているところが何か所もある。師匠が言っていたとおり、日本の川って流れが速くて障害物が多いからカナディアン・カヌーでゆったり下れるところなんてあんまりないんだなあって思う。私たちはざあざあと音を立てて流れる急流を目の前に見ながら河原にしゃがみ込んだ。2人の間にクマが座る。
「カケルちゃんて本当に犬好きだよね」
「私は物心ついたときには側にラブがいて。あ、ラブって家にいたラブラドール犬の名前なんですけど、ラブと私はずっといっしょに育ったんです。私が小さいときなんかラブは私を背中に乗せて歩いてくれてたらしいんですよね。自分はあんまり記憶ないんですけどそのときの写真があって」
「最初、おじいちゃんがカナディアンに私とラブを乗せて川下りしてくれるのが嬉しくて楽しみで。夏なんかラブといっしょにカヌーから川に飛び込んでおじいちゃんのカヌーをいっしょに追いかけて泳いだもんです」
「それで自然に自分でも舟を漕ぎたくなってカヤックの稽古を始めたんですけど、おじいちゃんの稽古って、いつもおじいちゃんとラブが乗ったカナディアンを私が追いかける追いかけっこなんですよ。おじいちゃんたら『瀬』の中をあっちのエディ、こっちのエディって器用に逃げ回るから、それを私が必死に追いかけるんです。全然追いつけなくてべそかいてたらラブが大声で吠えて、多分声援してくれてたんでしょうね、それに励まされて必死で漕いでたな。気が付いたら流れの読み方や必要なストロークは身についていました。だから稽古は全然苦じゃなくてすごく楽しかった思い出しかないんです。今でも陸を走るより水の上を漕ぐ方がよっぽど楽だって思ってますし」
「すごい。英才教育だね!」
だいたい師匠から聞いてた話と同じだけど、やられた本人から聞くとまた一層リアルだ。
「でも……」
そこでカケルちゃんは口をつぐんだ。辛いことを思い出して涙を堪えているのが分かる。カケルちゃんが何を話そうとしているのか私にも察しがついた。
「私が小学校5年生のときラブが死んじゃって。その日私が学校から戻ったときにはもうラブの姿はありませんでしたから、ラブが死んだことは後から両親に聞かされました。私にラブが死んだところを見せないようにっておじいちゃんが言ったらしくて、もう土に埋められてしまってたんです。ラブの死に際に会えなかったことがよかったのか悪かったのか今も私には分かりません。ただ……」
カケルちゃんはちょっと言い淀んでから、思い切ったように言った。
「私の記憶には元気なラブの姿しかありません」
「そう……」
正解は分からないけど、正解なんてないのかもしれないけど、カケルちゃんにとってはその方がよかったのかもしれない。
「後で知ったんですけどラブラドールの寿命って人間に比べるとものすごく短いんですよね。そのときラブは人間で言うと80歳くらいの老犬だったって。寿命だったって……」
嗚咽が漏れそうになって俯いたカケルちゃんの背中を私はそっと撫でた。この日を境に私とカケルちゃんは夕方の散歩をしながら色んなことを話すようになった。
*
夜中にトイレに立ったマユはふと土間にいるはずのクマの様子を見に行ってみた。クマは土間の隅っこに敷いてもらった毛布の上で丸くなって眠っている。クマの寝息が聞こえるくらいの静寂に包まれている。
マユの暮らす神戸のマンションのあたりでは深夜になれば車の往来は少なくはなるがほぼ絶え間なく通ているし、外灯が煌々と通りを照らしているから懐中電灯なんてなくてもまったく問題なく歩ける。ちょっと歩けばコンビニも近くにあるし深夜でも誰かしらお客さんがいる。
すうすうというクマの寝息を聞きながらマユはふと思った。クマはこんなところで暮らした方が幸せなんじゃないか。神戸だとクマはマユの部屋でいっしょに暮らしているから、マユが仕事に出かけている平日の昼間はずっと部屋の中にいる。散歩は平日は夕方1回だけ。朝に弱い私は早々に朝の散歩を投げ出してしまった。代わりにと休日はなるべく長く散歩するようにしているし、ドッグランでリードを外してボール遊びをしたりもする。
でもここだと1日中リード無しで土間や庭を自由にうろついてるし、民宿を営んでいるからたいてい誰か人が近くにいる。カケルちゃんは言うに及ばず、ご両親も師匠もみんな犬好きだからクマをかわいがってくれる。
「考えてもしょうがないよね」
マユはぽつりと呟いてふうとため息をつき、そっと土間から離れて自室へ戻った。
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