第3話 世界ノ扉

「それで、あの──ANIMA?ってやつは、結局なんなの?」


 月葉が焼いてくれた手作りクッキーを齧りながら、私は思わずそう問いかけていた。

 サクッと軽い音と、ほどよい甘さが口に広がる。


「俺たちも、全部を把握してるわけじゃないんだ。」

 

 イソトマが腕を組む。その義手が光を反射して鈍く輝く。


「ただ一つ確かなのは──。」

「アイツらは、目に映るすべてを敵視してるってことだけ。」

 

 月葉が先に言ってしまった。


「おい。俺の台詞を先に言うな。」

「えへへ。つい。」


 軽口を叩き合う2人。でもその表面の軽さの奥、沈んだ影が揺らいでいるのを私は見逃さなかった。

 ──全てを敵視する存在。

 あのときの、肌を針で刺されるようなヒリつき。

 たしかに、あれは“敵意”以外の何物でもなかった。

 

 だけど──。

 私はふと手を止める。

 あのANIMA、どこか哀しそうだった。苦しんでいるようにも見えた。


「……ねえ。2人は、なんでANIMAと戦ってるの?」


 その瞬間、空気が凍りついた。

 部屋の片隅に置かれた古時計の“カチ、カチ……”という音だけが、やけに大きく響く。

 イソトマと月葉は押し黙り、視線を交わし合った。

 しばらくして──重い沈黙を破ったのはイソトマだった。


「理由なんて、立派なものはないよ。」

「……あいつらがいる限り、どんな世界にも“明日”は来ない。それだけだ。」


 低く、深く、痛みに濡れた声だった。


「……そっか。」


 そう返すことしかできなかった。

 ほんの一瞬、イソトマの瞳に刺すような後悔がよぎったように見えた。

 そして月葉は、しぼんだ花みたいな表情を浮かべていた。

 ──何があったの?

 喉まで出かかったその問いを私は飲み込む。

 いま無理やり聞くべきじゃない。

 きっと、話してくれるときが来る。そう信じたい。

 

 そんな空気を、破ったのは月葉だった。


「ねぇ!そういえば、ルカの“あの力”は?あれすごかったよ!」


 彼女の明るい声は、無理して振り絞ったものだとすぐに分かった。

 でも、その優しさに救われた気がした。


「……私にもよくわからないの。頭の中で声がして──“紅丸”って刀を貸してくれたの。」


 私はANIMAとの戦闘中に聞こえた謎の声について話した。

 もちろん信じてもらえるかどうか不安だったけれど、2人は否定しなかった。


「……九尾きゅうびに聞けば、何かわかるかもな。」

 

 イソトマがぽつりと言う。


「九尾……?誰それ?」

「〈妖界ようかい〉にいる、すっごいすっごい強い人だよ!」

 

 月葉の瞳がキラリと輝く。

 

「妖界は不思議な術?みたいなものを使う人がいっぱいいるし、ルカの声のこともきっと分かるよ!」

 

 九尾──聞いたこともないのに、なぜか胸の奥がざわつく。

 懐かしい気持ち……とは違う、けれど近い感覚。


「その人に会いに行きたい。どうすればいい?」


 気づけば前のめりになっていた。


「よーし、じゃあ行こ!」

 

 月葉は勢いよく立ち上がる。

 そして、本棚のほうへ歩き──一冊の本を奥へ押し込んだ。


 ──カチッ。


 鈍い音とともに、本棚がゆっくり横にスライドする。

 その奥には、地下へ続く階段が現れた。


「こっちだよ」


 導かれるように階段を下りていくと、広く静かな空間に出た。

 そこには古い木製の扉が、一つだけぽつんと佇んでいた。


「これが、『世界ノ扉』。」

 

 月葉の声が少しだけ誇らしげに響く。

 ただの古びた扉。なのに……目を離せない。

 扉の向こう側が暗闇か光か、それすら分からないのに、胸がざわめく。


「ルカ、討伐したANIMAの結晶、持ってるだろ。あれをかざしてみろ。」


 私は黒い結晶を取り出し、そっと扉へ近づけた。

 次の瞬間──結晶が吸い込まれ、扉が淡く光を帯び始める。


「これで準備完了!あとは扉を開けば、〈妖界〉に行けるよ!」

「……本当に行けるんだ。」


 胸が高鳴った。

 恐怖もある。でも、それ以上に──未知の世界を見たい。

 そして自分の力の正体を、知りたい。


「行こう、2人とも。」


 私がそう言うと、月葉は満面の笑みを浮かべ、イソトマは静かに頷いた。

 世界ノ扉が、ゆっくりと開いていく。

 光が差し込み、風が吹き抜ける。

 ──こうして私は、知らない世界へ足を踏み入れることになった。

 

 ───────────────────


 世界ノ扉をくぐった瞬間、ふわりと風の匂いが変わった。

 温かく、懐かしいようで……どこか胸の奥をくすぐる。


「わぁ……!」


 見上げた空には、二つの月が寄り添うように浮かんでいる。

 大きい月は薄い金色、小さな月は白銀に輝いていた。

 ここがもう、私の知っている世界じゃないことを優しく教えてくる。


 足元の草は、風で揺れるたびに青い光を帯びる。

 まるで呼吸をしているみたいに、光がふわりと瞬くたび胸が高鳴った。

 道の脇には、ちょうど人の肩ほどの高さの灯籠がぽつぽつ並んでいて、柔らかい光を落としている。


「ここが……〈妖界〉……。」


 息を呑むしかなかった。


「ふふん。綺麗でしょう?」

 

 月葉が胸を張る。

 

「夜の妖界は、私も好きなんだ。静かで落ち着くし……灯籠の光も優しいし。」

「昼はまた景観が変わるぞ。」

 

 イソトマは無機質なようで、どこか誇らしげに言った。

 

「妖界の景色は“生きてる”。風に反応して色が変わる植物もある。」


 そんなやり取りをしていると──草原の奥から、一定のリズムで草を踏む足音が聞こえてきた。

 シャラ……シャラ……と草葉が擦れる音も、やけに澄んで響く。


「久しいな、お前たち。」


 低く落ち着いた声。

 振り向いた私の視界に、ひとりの人物がすっと入り込んできた。


 紺色の着物に白銀の耳。

 腰の位置でふわりと揺れる、長い白銀の尻尾。

 月光に照らされる横顔は美しく、しかしどこか冷ややかだ。


「九尾!久しぶり!」


 月葉が嬉しそうに駆け寄る。


 ──この人が、九尾。


 名前を聞いただけで胸がざわついていた理由が、なんとなく分かってしまった。

 この空気。落ち着いた佇まい。

 どこか懐かしいようで……胸が締め付けられる。

 誰……?私は、この人を知ってる?


「息災なようで何よりだ。」

 

 九尾は穏やかに月葉とイソトマへ目を向けたが──。


「……そこの女は誰だ?」


 私のほうを向いた瞬間、温度が変わった。

 鋭い視線。まるで“値踏み”するような目。


「ルカだ。」

 

 イソトマが前に出て庇うように答える。

 

「記憶喪失らしくてな。俺たちと協力してANIMAを倒してくれることになった。」

「でねでね!九尾に聞きたいことがあるの!」

 

 月葉が勢いよく話に割って入る。

 私は自分の頭の中の声のことを説明した。


「──『頭の中で声がする』、か……。」


 九尾は顎に手を添え、ゆっくりと目を閉じる。

 その仕草が妙に絵になる。


「何か心当たりは?」

 

 イソトマが問う。


「……いいや。聞き覚えはない。」


 あっさりとした否定だった。


「あ、そう……ですよね……。」

 

 思わず肩が落ちる。

 そんなとき──。


『九尾か。久しいのう……。』


 声が、頭の中でふっと囁いた。

 久しい?やっぱり知り合いなの?

 

『もう数年あっておらぬがな。九尾にはこう訊いてみるといい──』

「──キャァァァァァ!!」


 突如、甲高い悲鳴が響いた!

 聞き慣れない妖界の空気を裂くように。


「えっ!?何!?何かあったの!?」

 

 月葉が耳をピンッと立て、尻尾まで膨らませて驚く。


「町のほうからだ!」

 

 イソトマが音の方向へ目を向ける。

 次の瞬間、町の通りから大勢の人影がこちらへ走ってくるのが見えた。

 皆、怯えた表情で、何かから逃げている。


「わ、わわっ!?みんな、なに!?」

「わからんが──。」

 

 九尾の声音が一瞬で鋭くなる。

 

「私は騒ぎの方へ行く。お前たちは町の者たちを避難させろ!」


 言い終わらないうちに、九尾の姿は風のように消えた。

 本当に一瞬。

 月光の残像だけが尾を引く。


「は、速っ!?相変わらずだな……。」

「ルカ、こっち!」

 

 月葉が私の手を取る。

 

「避難誘導、私たちもやるよ!」


 胸の奥がざわつく。この感覚──。

 ……あれが“敵”?

 

『さぁの。見てみればわかろう。』


 声が少し楽しそうに笑った。

 私は背後に嫌な気配を感じながらも、月葉たちと一緒に避難誘導に走った。

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