8年ぶりに会った初恋の人に、綺麗さっぱり忘れ去られていました

@kamokira

第1話

「やっぱり鍋には、木綿豆腐がよく合うな..」


 無気力、無関心、生気の宿らぬ虚無の両眼を持って、

汁だけになった鍋の中をジッと見つめたー


 俺の名前は夏目リョウ。24歳。彼女いない歴8年の素人童貞だ。


 日中は新卒で採用されたブラック企業の営業職として

取引先を駆け巡り、事業の取引をする。


 オフィスに戻ったら無能な上司に怒鳴られ、


 同僚や後輩には嘲笑われ、


 家に帰っても自分に温かくしてくれるような人はいない。


 撮り溜めたアニメを消化しながら、壁の薄い木造家屋の

隣の部屋で同棲している大学生カップルの

喘ぎ声に憎悪の念をただ膨らませていく日々だ。


「昔は、こんなんじゃなかった」


 しかし、思い返してみても誇るべき実績も自分にはない。


 過去を振り返りあの頃は良かったなんて言う人間は結局、

その縋っている過去でさえ本当は大したものではないのかもしれないな。



『白線の内側まで、お下がりください』


 朝の通勤電車は地獄だ。

キモくてハゲ散らかした中年サラリーマンの加齢臭と、

お局のドギツイ香水のブレンドされた化学的な匂いがこれでもかと俺の鼻を虐める。


 これだから山手線は嫌いなんだよな..。


『次は〜品川〜品川〜』


「......」


 自分のとった行動に、特段合理的な意味があったからではない。


 いつも何気なーく通過する駅の名前が耳に入っただけだ。


「すみません。おります」


 元カノに、会ってみたくなった。

高校時代に初めて出来た彼女(元)の経営する会社が、

品川駅近くにあったからだ。


 新聞かネットかなんかの広告で、

若手敏腕社長という肩書きと共に

自信満々な笑みを貼り付けた彼女の顔を目にした俺は、

思わずそのページをクリックし会社の所在地を把握した。


 未練がましいというか意地らしいというか、客観視して見ても

かなり気持ちの悪い行動なのは自分でも分かっている。


 高校を卒業し、元カノと別れてからもう8年の月日が流れた。

近況を報告しあっているわけでもないし、同窓会にも行っていない俺は

そもそも高校時の同級生の事情など誰一人として把握していなかった。


 別に仲が良い友達がいたわけでもないからどうでも良いのだが、

やはり唯一気がかりだったのは、高校時代の元カノだ。


 忘れようとしてもちっとも忘れられず、

俺の脳内の片隅にはいつもそんな彼女の存在があった。


 記憶が正しければ、数ヶ月は付き合っていたけど半年にも満たなかった

関係なのに、そんなわずかな期間がこうも尾を引くと、自分でもこの消化不良な

感情に精算をつけ真っ新な状態からやり直したくなる。


 そのための現状確認として、俺は彼女のいる会社に足を運んだに過ぎない。


 偶然を装って接近し、一言二言交えればそれで目的は達せられたも同然だ。


 良い加減、過去の終わった恋をいつまでも引きずるのは面倒だ。


 早くこの苦しい呪縛から解放されたかった。

もう俺たちの関係は切れたのだと証明して欲しかった。


 俺はまだ創業して間もない綺麗な10階建てのオフィスビルに目をやりながら、

眼下をうろつく鳩の群れに向け、今朝の残りのパン屑を投げつけた。


「鳩に餌をやるのは禁止です。立て看板に書いてあるでしょう?」


「あ、あぁ..。すんません..」


 すると、俺は早速怒られた。


 頭上から女性の声が響く、彼女はここの社員なのだろうか?

社員証のようなものは首から下を見た感じぶら下がってはいないにしても、

これはまた随分お高そうな毛皮のコートを着ていらっしゃる。


 年中、学生時代から愛用している安物のダウンを着こなしている俺とは段違いた。

さすが大都会に本社を構える上場企業といったとこ、かー


「どうして、そんなに私の顔をジロジロと覗き込んでいるのですか? 何かついてます?」


「え、、あ、、」


 その瞬間、俺は軽い錯乱状態に陥った。

自分のことをきつい声で叱り付けるこの女性こそが、

八年前に付き合っていた元カノだったからだ。


 上京し垢抜けたのか、お化粧の技術が格段に上がっているものの、

全体的に漂う雰囲気はそう変わるものではなく、特徴的な大きな瞳は、

過労で萎む事もなく昔のままで、やつれた自分とはえらい違いだ。


 言いたい事があり過ぎて、頭がバグりそうになった。


 聞き様はいくらでもあるのに、

パニクって上手く言語化出来ないまま彼女はいってしまった。


「はぁ..」


 唐突に疲れが込み上げてきた俺は、ドサっと椅子に腰をおろした。


 気付いてもらえないとは予想外だった。

自分は彼女をかたときも忘れることは無かったのに、

向こうはもう、そんな過去のしがらみに囚われず、自分の人生の道を歩んでいた。


「何だよもう..。良かったぁ..」


 それを知れただけでも純粋に嬉しかった。

自分の事を忘れてくれたおかげで、俺も今、彼女との未練が払拭された


 でも欲を言うなら、俺のことを忘れないでいて欲しかった..。


「コロスコロスコロスコロス」


「ははっ..。いくら残念だったからって、心の声もそこまで怒っちゃいね..え?」


「あのクソ女..。良くも優秀な俺をリストラしやがったな..。

コロスコロスコロスコロスーー」


 その不健康極まりない青白い肌をした男の震える手には、包丁が握り締められていた。

 

 まずい。こいつはまずい。ここで早く止めないと手遅れになる。


 そう判断した時、彼は既に僕の背後から消えており、

先程別れたばかりの元カノの居る場所に向かってゆったりと近づいていた。


 ゆったりとは言っても早歩きだ。二人の差は徐々に縮まっていった。

周りの人もここにきてようやく異変に気が付いたらしい。口に手を当て、例の男を指差した。


「後ろ!」


 誰かがそう叫んだ時

彼女はようやく自身の背後に迫る危険を察知したようだ。

素早く身を翻したものの、遅過ぎた。

周囲に気取られた男は途端に駆け足になったため、

あの状況では誰かが割って入らないと到底回避出来っこない。


 グサ


 肉をさく鈍い音が鳴ると同時に、腹からは包丁の柄が突き出していた。


 元カノから? いいや、彼女は無事だ。


「だ、誰だよお前!! ふざけ、、ひ、、人殺しか、、うわああああああ」


 激痛と共に、上半身の感覚が徐々に麻痺していった。

冬だから当たり前だけど、ダウン一つじゃ効かないくらい身体が寒い。

キーンと耳鳴りがして、視界も覚束なくなっていった。


「ーーリョウ君!!」


「あぁ..。シズクか..?」


 懐かしい、、夢でも見ているようだ。


「私、リョウ君のこと、、ずっと好きだった..。だから、死なないでよ!」


「はっは、、死ぬって、、何言ってんのさ、だって俺は、、」


 消えゆく意識の中、俺は朧げながらも記憶の糸を手繰り寄せていった。


「そうか..。俺が割って入ったのか..。間に合って、良かった..」


「うんーーうん..。 あの時と同じだよ..。また、助けてもらった..。

私、、リョウ君に二度も命を救われちゃったね..」


「に、二度..?」


「リョウ君、、もう一回、、私の名前を、呼んで..」


「....。良いよ、、東條(とうじょう)シズク......」


「リョウ君、、私はーー」


 消えゆく意識の中で見た最後の光景ーー

元カノ、東條(とうじょう)シズクは、泣いていた。



「どうして泣いてるの?」


「グスッ、、昨日ね、とっても悲しい本を読んだの..。忠犬ハチ公っていう..」


「へぇ、それを思い出して泣いてたんだ。

シズクは相変わらず情緒豊かだね」


「お互い様..。それよりリョウ。今日は何しに来たの?」


「ただの客としてだよ。木綿豆腐二丁お願いします」


「はい。じゃあお値段は200円。うち、現金しか対応してないから......?

ねぇ....。リョウはどうして、泣いてるの?」



「ど、どうなってるんだ..」


 そして再び意識を取り戻した時、俺は過去にタイムスリップしていた。

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