鹿しかいない

 店のドアが開くと同時に男の声がした。

「こんばんは」


 さすがに初めての客に緊張して、僕はやや気後れしていたが、顔を上げると鹿がいた。

 厳密にいえば、鹿“だけ“がいた。

「こんばんは、いらっしゃいませ……え?」


 鹿が頭を前後に振りながら、のっそりのっそり歩いてカウンターへやって来る。

 そして、口周りをひと舐めしてから言った。

「表にカフェバーと書いてあったけど、ここは酒が飲めるんだな?」

「ええ」

「とりあえず、生ビールをくれ」

「はい」


 鹿なのに一人(一頭?)で来て、生ビールを飲もうとしている。

 彼は、僕の思いをかなり先回りして言った。

「心配するな。金ならある」

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