55 私の秘密

2025/08/22

一部エピソードを統合しました。内容に変更はありません。

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 薄暗闇の居間の中心、食事用のテーブルの上にランプが一つ。

 すでに夕飯は食べ終えて、ほんのわずかなパンくずと、空になったシチュー皿だけが残った状態で、俺たちは改めて向かい合う。


「改めて、お疲れ様でした」

「ああ。お互いに、お疲れ様だ」


 カヤさんの顔立ちは穏やかなものだが、その声色はまっすぐな決意に満ちていた。食事を終えたら話そうとしていた、本題に入ろうとしているのだろう。


「ひとまず、何から話しましょうか。今回のことを振り返ってもいいですし、あの時、あなたに何が起こったのかを聞いてもいいですし……」


 言葉を耳に入れながら、カヤさんの言う「あの時」に思いを馳せてみる。

 今にして思えばアレは、俺の失われた記憶の中にいた、誰かの声だったのかもしれないが……正直なことを言えば、内容はよく覚えられていなかった。

 記憶が戻るようなことがあれば、それはひとまず嬉しいことではあるが……頭の痛みも引いた今、無理に掘り返すようなことが、できるような気はしていない。


 だったら、やるべきことはひとつだろう。


「今日はひとまず、あなたについて教えてくれ」

「……長くなりますよ?」

「そうあってくれたほうが嬉しい」


 俺が即答してみせると、カヤさんはふっと愉快そうに笑って、また優しい声色で「正直な人ですね」と返してくれた。


「でしたら、まずは分かりやすいところから行きましょう」

「というと?」


 俺が尋ねると、彼女は姿勢を整え直してから、その手を組んで言った。


「この小屋の秘密についてです。

 もしかすると、もう気が付いているかもしれませんが」


 言われて思い当たった通り、彼女は寝室の隣側の部屋へと向かっている。

 つられて俺も後を追い、思えばあの夜以外に、一度も訪れたことの無かったこの部屋の用途について考える。

 彼女がテーブル上のランプを手に扉を開くと、その全貌が明らかになる。


「ここは作業部屋。より正確に伝えるなら、お母さんの作業部屋でした・・・


 強調された語尾については、今は敢えて問いはしまい。

 彼女が話したい通りに任せるつもりで俺が頷くと、彼女は部屋を入ってすぐ横の、物であふれ返った場所を手で差した。


「この辺りは、薬や道具の制作台です」


 一人で扱うにはあまりに大きなテーブルの上には、陶器の小瓶やすり鉢やすりこぎ、粉末の入った小瓶にメモ書きのようなものの他に、金属製のやっとこや、金槌のようなものも見える。

 その隣にはより多くの瓶や水がめを、何らかの規則に従って固定しているような組み木があり、足元には人一人が丸ごと隠れてしまえるほどに大きな窯があった。


「……前に言っていた、調合はここで?」

「ええ。お母さんほど難しいことはできませんが、今でもたまに使います」


 話を続けながら、カヤさんは部屋の奥を手で差した。


「あっちは本や雑多な物を置いておく棚ですね。調合に使う道具や裁縫道具、木工用の工具なんかもあの辺りです。その隣にはベッドもありますが、最近はあまり使いませんね」

「本当に……いろいろなものがあるんだな」

「ええ。なんだかんだといって、この家に来て以来、もう十年は経つはずですから」


 その言葉の裏に、秘められた意味を感じたのは、きっと気のせいではないのだろう。実際彼女は、この部屋についてはもう早々に切り上げようとしているように思う。

 何か隠したいものがあるからではなく、むしろその逆。

 なるべく早く、明かしたいものがあるかのように。


 それでも、不安は付きまとうのだろう。


「……最後に、もう一度だけ聞いても……」

「大丈夫だ」


 そう言って彼女が神妙な面持ちで立ち止まるものだから、俺はほとんど反射的に、彼女の震える手を取っていた。

 言いたいことはわかっているが、彼女が不安な気持ちもわかる。

 それならば俺が、やるべきこともわかっている。


「俺は今更逃げたりしない。あなたの秘密を知ったからといって、あなたを軽蔑したりもしない」


 すでに何度も言っていることだ。カヤさんのことを深く知っていく上で、付きまとう困難への覚悟はできている。あなたのことを知っていく過程で、光も澱みも合わせのむつもりでいる。


「あなたがしたいようにしてくれ。俺は、あなたのすべてを受け入れるから」


 俺がそう言って気を引き締めると、彼女も覚悟を決められたらしい。

 途端に凛々しい目をしたカヤさんが、俺を真っ直ぐに見据えて言う。


「でしたら、お教えしましょう。この小屋の秘密を……私の秘密を」


 そう言って彼女が向かったのは、部屋の隅に位置する、いつか見た木製のハッチだった。彼女はそれに手をかけて、取っ手を握り、強く引いた。


 ギギギと音を立てながら、地下室への扉が開く。

 石造りの階段の先が、明らかになる。

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