モブ冒険者でしたが、「コロシテ……コロシテ……」と鳴く元聖女を連れ歩いて五年が経ちました。

浦島草

前編・モブ冒険者でしたが、「コロシテ……コロシテ……」と鳴く元聖女を連れ歩いて五年が経ちました

 清々しい陽光を真上に浴びながら、ざくざくと白い平原に足跡を沈めていく。

 厚く巻いた布の下から漏れ出る自分の吐息はまるで、火山地帯の溶岩象パイロファントが背中から立ち昇らせる蒸気のようだ。


「コロシテ……コロシテ……」

「ほら、もうすぐ小屋だから、我慢して下さいね」


 人が僕のことを見たら、不自然に背中の盛り上がった雪山鬼人イエティと見間違うだろう。

 ひび割れた不気味な鳴き声を出す肉塊はしっとりと生暖かい熱を伝えてくる。

 肉塊は寒さを訴えるようにもぞもぞと身じろぎをする。

 僕は叱るようにペチペチと背中のそれを叩いて、よいしょと位置のズレたそれを背負い直した。


「コロシテ……」

「はい、あとちょっとですよ、頑張りましょう」


 この肉塊を他者に近づけてはならない。この肉塊を死なせてはならない。

 僕のように人里離れた療養地で肉塊を世話する者が、侵してはならない不文律だ。

 山小屋に辿り着くと僕は扉を叩き、中に人が居ないことを確認してから扉を開く。


「コロシテ……コロシテ……」

「はい、お疲れ様でした、聖女様」


 僕は背中のそれをそっとベッドの上に下ろして、馬鹿みたいに一つの単語を繰り返すだけの肉塊には相応しくない呼び名でそれを労わる。

 まだ冷たい小屋の空気に晒された肉塊は、ビックリしたように慌てて僕の背中に戻ろうとするが、のろのろと伸縮する事しか出来ないので、哀れみを誘うようにか細い鳴き声で媚びを売ってくる。


「コロシテェ……」

「そんなこと言って、毛布だけだと聖女様は不安がるでしょう? 火をつけるので待ってて下さい。そのあとはごはんにしましょうね」


 ヒトの形さえしていないそれを、僕は聖女様と呼んで、大人しく待つように言いつける。

 今するべき事はこの肉塊を甘やかすのではなく、小屋の中を温めることだ。

 彼女を連れ歩いてからそういった優先順位をつけられるようになるまで、僕は二週間も掛かってしまった。

 同情や思いやり、甘えなんてものは、この肉塊を生かす助けになりはしない。

 単純明快な事実だ。これと生活を共にするのだと決めたとき、その決意の根源がまさに同情であった事と、この事実とは決して矛盾しないのだと僕は知っている。


「コロシテ……」

「あ、こらっ。料理中は危ないから寄ってきちゃ駄目ですよ。また火傷したくないなら大人しくして下さい」

「コロシテ……」


 しゅん、としたようにベッドから降りかけていた肉塊が、すごすごと毛布の中へと戻っていく。

 良い子だ。共に過ごしてから長い間、ここまで素直に言うことを聞いてくれた事など無かった。いつからだったっけ?

 ああ思い出した。いつも食事を拒む彼女に、大人げもなく怒鳴り声を上げてしまったことがある。

 その後から彼女は随分聞き分けが良くなったが、もしも過去に戻れるのなら僕はあの時の自分自身を何度殴っても飽きたらないだろう。

 決して、許されることではないのだ。


「コロシテ……コロシテ……」

「ここに居ますよ、ちゃんと。もう少し待って下さいね」


 わがままで、幼稚で、寂しがり。まるで小さな子供だ。こうなってしまう前の彼女とは似ても似つかない。

 ふと、自分自身に問いかける。今の彼女と、かつての彼女、どっちがマシだ?

 好きだったのはかつての方だが、嫌いじゃないのは今の方だ。

 好きの反対は嫌いじゃなくて無関心というけれど、違うと思う。僕は今とかつて、どちらの彼女に対しても無関心になる事などあり得ないのだから。


「聖女様、スープが出来ましたよ」

「コロシテ……コロシテ……? コロシテコロシテ……!」


 湯気を立てるスープ皿とスプーンを手にベッドに腰掛けると、肉塊は緩慢にだがいそいそと僕の膝に登る……というより、這い上がる。

 だがそのくせ、温かく栄養のある液体の熱を近付けると、いやいやをするように発声器官のある肉の穴、口をスプーンから遠ざけようとするのだ。


「まったく、好き嫌いしたら人間に戻れませんよー」

「コロシテエェ……!」


 聞くに耐えない耳障りな唸り声を上げ、いやいやをするように肉塊はスープを拒否しようとする。

 決してスープが不味いからとか、熱すぎるとかいう理由ではない。

 彼女は食事の間、唯一意思を表明する事の出来る器官である口が塞がってしまうのが、不安で仕方ないのだ。

 意味のある言葉を話せない、表情も判別できない、のそのそと蠢くだけの肉塊から、意思を読み取ることは難しい。それがどうしたというのだ?

 時間は全てを解決するのである。五年も世話をしていれば色々と分かってくる。

 最初の頃は何なら食べてくれるのかと頭を抱えていたのと比べれば、めざましい進歩と言わざるを得ないだろう。

 まあ分かったところで、僕は彼女を死なせないために心を鬼にするしかないのだが。


「ゆっくり、ゆっくり飲み込むんですよ。ほら、怖くない」


 スープを食べさせる時に重要なのは、柔軟なリズム感だ。

 彼女の呼吸や蠢きに合わせて、溢れたり、息継ぎが出来なかったり、咽せたりしないように注がなければならない。


「コロシテ…………」

「んっ、と、はい、おねむですね。ストップストップ。待ってて下さい、汗を拭いて着替えるので、どうぞ先に」


 食事が終わると、肉塊は甘えるようにこちらの身体に身を寄せ、懸命に這い上がろうとする。

 寂しがりの彼女は、眠るときには生き物の心音と温かみを感じようとする。

 こうなる前の彼女が今の自分の姿を見たら、きっと心底軽蔑した顔で、未来の自分が辿る末路に冷たい目線を寄越す事だろう。

 人間が本当に心の底から大嫌いなくせに、人の病を癒し、信仰の象徴として君臨する聖女としての職務には人一倍高いプライドを持っていた、そんな人だったから。


「コロシテェ」

「駄目です、大人しく出来ない悪い子には、子守唄を歌ってあげませんよ」

「…………コロシテ」


 肉塊がもぞもぞと脱走を諦めて毛布の中へと戻る。

 本当に今の彼女は聞き分けがいい。人間に戻ってからもこういう性格であれば、などと一瞬よぎったが、僕はすぐにかぶりを振って否定する。

 いつか彼女が人間に戻れたら、こんな有様になっている間の記憶なんて、残っていない方が良いに決まっているのだから。

 そして、そのいつかは必ず訪れるのだ。

 胸の上に乗った肉塊が脱力し、少し形が扁平になる。これが彼女が眠りに落ちるサイン。


「聖女様、今日の分を済ませますね」


 起きている時にやると嫌がるので手間がかかるが、五年も続ければ慣れた日課。

 僕は左手の黒い手袋を外し、生身の手のひらに打ち込まれた金属片を肉塊へと触れさせる。

 金属片は肉塊からゆっくりと瘴気を吸い上げ、僕の身体へと移していく。


「急ぐな、急ぐなよ。もう少し、あと少しは……絶対に引き返せ、だ」


 一刻も早くと焦る気持ちを抑え、慎重に、肉体の自浄作用が一日に許す限界値の半分以下、そのギリギリで金属片を放す。

 安全圏は侵さない、瘴気を吸いすぎて僕自身が魔化してしまっては全てが終わるのだから。

 瘴気。

 この世界のあらゆる物質が少量保有する、マナだの魔力だのとも呼ばれるこの無形のエネルギーは、ある種の金属や生き物に特に強く引き付けられ、その内部へと堆積する。

 生き物の中からこの瘴気が完全に枯渇すれば、栄養失調のような状態を引き起こし、最悪の場合は死に至る。

 逆に過剰な瘴気を溜め込めば、生物ならば異形化、凶暴化、非生物であっても異常な性質の変化によって災害を引き起こす可能性がある。

 これを僕たち人間は魔化現象と呼んでいる。

 魔化生命体。俗にと呼ばれるものになってしまった人間の治療は、人間が持つ強く瘴気を引きつける性質のせいで、非常に困難である。

 同じ人間が自身の魔化という極めて危険なリスクを背負いながら、長い時間をかけて行わなければならず、他に有効な治療法も見つかっていない。


「けれど、もうすぐですよ聖女様。あと半年もしたら、あなたを人間に戻せます」


 五年という時間は、決して短くはない。

 彼女のように聖女、あるいは聖人と呼ばれる者たちは、これを人工魔化治療用特殊誘導器具「浄火の瞳」で一瞥するだけでやり遂げてしまうのだ。

 僕の左手に埋め込まれた金属片など、それに比べてしまえば大型の水車相手に小さなコップで張り合うようなものだ。

 天賦の才によってのみ決まる「浄火の瞳」への適性、自身の健康な片目を棄てる狂気、これを正しく運用し制御する厳しい訓練、魔化現象に怯える人々の拠り所となるに足る器。

 何より、魔物から吸い上げた瘴気によって、自身がいつ魔物になってもおかしくないという恐怖に立ち向かう、鋼の意志。

 時に災害、時に魔物を相手に立ち向かい、魔化現象から人々を救う希望となる聖女、聖人は、それゆえに信仰の柱たりえるのだ。


「コロ……シテ…………」

「はは、寝言なんて珍しいな」


 当然、彼らが全ての魔化現象を解決できるわけではない。

 厳しい条件を潜り抜けて聖女・聖人になれる人材は貴重であり、「浄火の瞳」の生産コストも決して軽くない。

 何より、彼らは圧倒的な効率で瘴気を吸い上げることができるが、その身に保有できる瘴気の量は他の人間の数倍程度しかない。

 不足の事態で魔化してしまった聖人が凶暴な魔物となり、殺してしまうより他になくなった事例もある。

 万が一にでも自分がそうならないために、自決用の硬化剤を持ち歩き、石像になってしまった者もいる。

 彼女は、硬化剤の蓋を開く前に腕が機能を失ってしまった。


『そんな……駄目、絶対に駄目! 誰かお願いです、私を、私を殺して!!』


 その時に咄嗟に出た悲痛な言葉を、彼女は。


「コロ、シテ…………」


 五年間、暗闇の中で繰り返し続けている。

 教会の人達が言うには、今の彼女は不定形種に属する魔物であり、聴覚と触覚以外の感覚が機能しておらず、著しい知能退行が見られる状態らしい。

 世話をしなければ生きていけないほど弱弱しく、凶暴性のない魔物になったのは、きっと彼女の理性が魔化現象に抗った結果なのだと、僕は信じている。


「快気祝いはどうしようかな、組合のみんなに手紙を送らないと」


 かつての僕は、民間で組織された組合に所属する冒険者として、聖女や聖人の手で掬いきれない、比較的危険度や重要性の低い魔化現象への対応を行っていた。

 だが冒険者でも対応できるような小規模の魔化現象ですら、より規模の大きい魔化現象の引き金となる可能性がある。

 僕は不運にも初仕事でそんな事故に遭ってしまい、やられ役のお手本みたいな醜態を晒していたところを、彼女に救われた。

 かつての彼女は、僕の事が嫌いだったと思う。僕も僕で、彼女の事が嫌いだった。


『足手纏いは引っ込んでなさい、邪魔です!』


 出会って最初に聞いた彼女の言葉がこれである。全くの事実だが、助ける相手にかける言葉としてはあんまりではないか。

 彼女は毅然としていて、人嫌いで、絶対に人に弱さを見せず、使命に生きる事を何よりも大事にしていた。

 というか、後になって知ったのだが、孤児だった彼女には、才能と使命しか拠り所が無かったのだ。

 誰が呼んだか、氷焔の聖女。


『救援要請を受け取り……見飽きた顔が居ますね、まだ冒険者を辞めてなかったんですか』


 悪縁とでも言うのだろうか、担当地区が近かったのもあり、何度も彼女に助けられ、その度に冷たい視線を向けられた。

 僕が特別、目の敵にされていたなどという感じではない。

 きっと誰に対してもそうだったのだろうと思う。それが彼女なりの、聖女として誰に対しても分け隔てなく接する態度だったのだ。

 彼女の前だと、僕はいつも惨めだった。比べることすら烏滸がましい、路傍の石と輝く星。

 だというのに、最後は嫉妬さえもさせてもらえなかった。

 僕は知ってしまったのだ、この輝く星は、路傍の石にすら手を差し伸べるということを。


「コロシ……テュッ!」


 肉塊と化した輝く星が可愛らしいくしゃみをした。いや、鼻らしき器官が見当たらないから、咳だろうか?


「わ、起きちゃった。大丈夫ですか? 今夜は冷えるなぁ、予備の毛布を出しましょうね」


 布団から抜け出し、いそいそとタンスから毛布を出して、重ねがけをする。

 五年前もこんな、ひどく冷える夜だった。

 思わず、自分の額から生えた小さな角に手が伸びる。


「コロシテ……」

「はい、ここにいますよ」


 この世界に魔王や勇者は居ない。

 そんなものが必要ないくらいに、この世界は悲劇と災害に満ちていて、抗う意思と力は聖女と聖人、そして冒険者たちが担っている。

 あの日、僕は魔物になって、彼女に救われた。

 悪血鬼人ブラッドオーガ。人間が魔化現象によってなる中で、最も事例が多く、そして厄介な魔物だ。

 優れた靱性、並々ならぬ膂力、極めて凶暴であり、何より知性を残している。

 こうなったらまず助からない、一刻も早く殺さなければ甚大な二次被害をもたらすとされる典型的な魔物であり、人々の恐怖の象徴だ。

 前兆として僕の額に角が生えた時、誰もが、僕自身ですらその後に待つ最悪を悟り、僕は両手を広げて仲間からの介錯を待った。

 諦めなかったのはただ一人……


「あと半年の辛抱です。どうか聖女様、それまで、優しい夢を見れていますように」

「コロ……シテ……」


 そして、こうなった。

 聖女や聖人が魔物になった場合、その治療に必要な瘴気の排出量は、彼らの限界保有量が常人の数倍であるという事実に比例する。

 彼らの治療は一般人の治療よりも長期間、根気強く慎重に行う必要があり、治療者が魔物となるリスクも高い。

 たとえ人間に戻れたとしても、二度と「浄火の瞳」を使う事はできなくなる。

 当然、聖女や聖人をその治療に充てるなんて非効率な事はできない。そんなことをしている間に、彼らは何百人もの一般人を救えるのだから。

 だから、僕が彼女の治療を担当すると申し出たとき、周りの人に色んなことを言われた。


『折角拾ってもらった命と時間を、本当に彼女の治療のためだけに献げるのか?』

『冒険者として他の多くの人を助ける選択もあるはずだ』

『できるだけのサポートはするが、もし万が一が起きれば君も彼女も助からない。君が一人で背負う必要はないんだ』


 でも、あの瞬間から今までの五年間は、彼女が僕にくれたこの先の一生からすればあまりにも短い。


『自分のせいだなどとつけあがるなよ……この世であの向こう見ずな聖女を害する事ができるのは、彼女自身の覚悟だけだ。お前は、ただの不運な被害者に過ぎないんだよ』


 なんて事も言われた。別に、勘違いはしていないつもりだ。

 彼女が今こうなっているのは、彼女自身の矜持に殉じただけであって、決して僕なんかのためではない。

 僕が今こうしているのも、僕自身のちっぽけなプライドのためだ。彼女にもらった時間の一部は、彼女に返す。

 彼女は自分にとって当たり前のことをしたのだ。

 だから、僕も自分にとって当たり前のことをしようと、そう思っただけなのだ。


「コロォ……シィ……」

「どうか、泣かないで下さい。あなたは、生きるべき人です」


 かつて「浄火の瞳」が嵌っていた小さな窪みから、小さな雫が溢れる。

 失った光が片方だけで良かった。彼女の真っ直ぐで強い瞳が、僕は好きだったから。


『骨が、折れた程度で……役目を放棄するなんて、あり得ません。私には、これしかないんです』


 まるで燃え盛るような熱に満ちる、彼女の言葉を思い出す。

 たとえ役目も力も失って、もう聖女には戻れないとしても、他の生き方を見つければいい。


『何が聖女よ、この役立たず、無能。あんな小さな女の子ひとり救えなくて、何が……!』


 こっそりと隠れて泣いていた声を思い出す。無力な僕は、それを聞かなかったことにする事しかできなかった。

 隣で明日を生きるための手助けをさせて欲しいなんて、過ぎたことは言わないから、だから。


『……失うものがあるくせに、何を勝手に諦めているんですか。生きなさい、足手纏い』


 絶望の淵で叩きつけられた叱咤を思い出す。

 戻ってきた彼女に、それは貴女も同じなんだと、教えてやりたい。


「もうすぐ春が来て、やがて夏になります。皆あなたを待ってますよ」

「…………」

「やっと、寝ついたのかな。おやすみなさい、聖女様」


 深々と降り積もる雪は、闇の中で小屋の窓から漏れる光を白く反射している。

 僕はそっとベッドから抜け出して、暖炉の火を消した。

 救われた人々も、組合の皆も、教会の人たちも彼女を待っている。

 ただの人間になった彼女がどう生きるのかはわからないけど、きっと大丈夫。

 僕はもうすぐやってくる日を心待ちにしながら、ベッドの中でゆっくりと呼吸する肉塊を抱きしめ、まぶたを閉じるのだった。


「コロ……シテ……」


 だが、僕は気づいていなかった。


「コロ、シテ…………ヤル……ゥ……」


 五年もの月日を、何もできない肉塊として過ごし、かつては一方的に救ってやるだけの存在に過ぎなかった僕に、昼となく夜となく、生活の全てを世話されていた彼女が。

 途中から、はっきりと意識を取り戻していたということを。

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