第41話──風を聴く者、世界を砕く

凛はセレスティアへの面会を求め、森を抜けて滝のある修行場へと足を運んでいた。


そこは昨日まで風球の修行をしていた森とはまるで別世界だった。


断崖絶壁が天を突くようにそそり立ち、岩肌を切り裂く大瀑布が轟音とともに落下している。


水の奔流は空を裂く隕石のように落ち、衝突の衝撃は地を揺るがす怒号となって響き渡る。


滝壺に広がる岩盤は不思議な光沢を放ち、金属のように硬質で、凛はその異様さに目を奪われた。


そして──滝の直下。


そこに立つ人影を凛は見た。スカイゼルだった。


常人なら一瞬で押し潰される水圧。


だが彼は、その激流の中心に立ち、全身で受け止めている。


セレスティアの術によって水流は一点に絞られ、まるで天から降り注ぐ光の刃──レーザーのように鋭く収束していた。


岩をも切り裂くはずの水の奔流に耐え続けるスカイゼルの姿に、凛は息を呑む。


「なんて……強靭な……」


その横で、満面の笑みを浮かべながら見守る者がいた。ラヴィである。


彼の赤い瞳は歓喜に輝き、君主の勇姿に酔いしれていた。


最初に凛へ気づいたのも、やはりラヴィだった。


「おや、凛どの。こんな場所へ何用で?」


昨日までの喧嘩腰とは違い、柔らかい声色。


無理もない。崇拝する君主の姿に、胸を熱くしていたのだから。


続いてセレスティアも凛へ視線を向けた。

「あら、凛。よくこの場所がわかったわね?」


口調はいつもと同じ優しさを湛えていたが、その内心は少し複雑だった。


──修行はまだ2日目。風球スフィアは初級の課題とはいえ、見えない風を掴むのは至難の業。


スカイゼルでさえ、暴風を起こせるようになるまで一年を費やした。


ラヴィもまた魔法の才に恵まれてはいたが、風球を完成させるまでに半年はかかっていたはず。


それでもまだ未完成。だが彼らは間違いなく才覚の塊。


「だから……凛。私は、もう少し自分の力で足掻いて欲しかったのよ。

理屈では掴めない。修練の先にしか技は宿らない。人に頼るだけでは、決して辿り着けな領域へと。」


セレスティアは心の中でそう呟いた。


異界から来た少女に過酷な望みだと理解しながらも、期待が大きいがゆえに願ってしまう。


「凛どの、何をぼうっと立ち尽くしておる。セレスティア様が問うておるぞ。」

ラヴィが眉をひそめて促した。


「……あの、風に聞いたんです。そしたら、ここだって。」


凛は真顔で答える。


「風に……聞いた?」


セレスティアが思わず言葉を繰り返す。その瞳にかすかな驚きが走った。


だが、凛の言葉に黙っていなかったのはラヴィだ。


「うそぶくのも大概にせよ。風に聞く? セレスティア様でさえ容易くはできぬこと!」


赤い瞳が怒気を孕み、声が強くなる。


「凛、それはどういう意味かしら?」

セレスティアの声は穏やかだが、確かに凛の真意を問う響きを持っていた。


「……風を通して空気の振動を感じ取りました。声もまた空気の振動。


滝の轟きに混じる皆さんの会話を、風に意識を向けて感じ取ったんです。」


セレスティアは息を呑み、言葉を失った。

(……風と一体になる、それが修行の最終到達点のひとつ。なのに……まだ2日目の少女が……?)


「そう……それで私に何の用かしら? 今日は珍しく、スカイゼルが“修行をつけてほしい”と言ったものだから、ここに来ているのよ。……風球スフィアのことで困っているの?」


努めて平静を装いながらも、その胸中は大きく揺れていた。


しかし、すかさずラヴィが割り込んだ。


「お主……嘘をつくな。偶然見つけただけだろう! そうまでしてセレスティア様に取り入ろうとは!少しは見所があるやもしれぬと思ったが……見損なったぞ!」


彼の声には苛立ちが混じり、赤い瞳が鋭く光った。


「嘘ってね、誰かを騙すためだけのものじゃないの。

一度ついたら、自分を守るためにもう一つ嘘を重ねる。

そうして気づいた時には、嘘の方が本当より大きくなって、気づいた時には人も、自分自身さえも騙してしまうのよ。

だから私は──たとえ不器用でも、嘘だけは絶対につかない。」


滝の轟音の中で、凛の声は凛烈に響き渡った。


凛のその碧い瞳は真っ直ぐに前を見つめ。嘘や偽りは一切感じられない。


「セレスティア様。今日は私の風球スフィアをご覧になっていただきたくてまいりました。」


その答えに、セレスティアは真っ直ぐに凛を見つめる。


セレスティアの鼓動は、抑えきれぬほどに高鳴っていた。


予感はあった。だが──それはあまりにも早すぎる。


いかに師といえども、常識を覆すほどの成長を、目の前の少女が示している。

胸の奥には確かに喜びがあった。弟子が力を伸ばす姿を見て、嬉しくないはずがない。


だが、その一方で理性が追いつかない。


“こんなことが、あり得るのか……?”


その思考が繰り返し胸を叩き、彼女の中で喜びと困惑が渦を巻いていた。


「そ、そうなの……それは、楽しみね」


ようやく絞り出した声は、普段の落ち着きを欠いて震えていた。


この速度で歩みを進めるなら、その先に待つものは計り知れない。


手にする力は、もはや弟子という枠を超えた存在に至るかもしれない。


セレスティアの胸には、不安と期待が絡み合い、鋭い緊張となって息を詰まらせていた。


──私たちは今、とんでもないことに立ち会っているのかもしれない。

その時、凛が小さく眉を寄せた。


「ですが、私のそれはセレスティア様のとは違うのです……お認めいただけるか、不安です」


先ほどまでの自信に満ちた声音とは違い、揺らぎを帯びた声。


碧い瞳に陰を落とし、不安げに視線を揺らす凛の横顔に、かすかな弱さが滲んでいた。

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