第32話

「ぐっぎぎっ……ルタ……そろそろ、解放してくれッ!」

「謝って済むなら牢獄の間は必要ないのでございます」

「その理屈だと抱擁ハグは刑罰になるが!?」

「ワタクシのためのご褒美です」


無茶苦茶だ。論理なんてあったものではない。


(リオン殿下はどうやってこの拘束から抜け出したんだ……??)


ストゥルタの抱擁ハグは、一歩間違えば俺の骨を砕かんばかりの圧力だった。何か方法……錬金術でどうにか……。


〈ルタちゃーん、ソールもう起きた―?〉


ミーナの声ッ!?


「ミーナッ! 助けてッ!」


俺の救助依頼を聞いたミーナのゆっくりとした足音が近づいてくる。


「……何やってるの」

「捕食されてるッ!」

「……はあ」


なんだか呆れたようなため息がしたが、ともかく助けてほしい。


「ルタちゃん、ソールは明日も早いんだよ? そろそろ解放してあげて?」

「……」

「もうハグしてあげないよ?」

「……ッ!」


ミーナの言葉を聞いた瞬間、ストゥルタが俺を解放した。……なぜ?


「どうして俺の言葉は聞き入れてくれなかったの」

「ソール様はむっつりすけべですので」

「心から解放を願っていたが!?」

「ソール様はワタクシとのハグがお嫌なのですね」

「そういう話じゃなく……!」


あれ。なんかルタ、都合が悪い時の誤魔化し方がリオンに似てきた気がするな。というかルタとミーナの間に何らかの力関係が生まれているのは気のせいか。


俺が訝しんでいると、ミーナがいつもの満面の笑みを見せてくる。


「ソール!」


ミーナは両手を後ろに組み、尻尾をやんわり揺らした。


「元気になったみたいでよかった!」


ミーナにそう言われて、俺は彼女に心配をかけていたのだと思い知る。


「うん。なんというか、心配かけたね」

「ううん。色々あったから、疲れても仕方ないよ。明日だけど……やっぱり行くの?」


ミーナの耳と尻尾は、『行かなくてもいいよ』と言ってくれているように俺には見えた。

俺はストゥルタの方を少し見てから言う。


「行く。逃げ帰ってくるかもしれないけど」


ミーナは両手で拳を作り、強くうなずいた。


「生きてればなんでもいいよ!」


治るかも分からない両親を支え続けたミーナの言葉。その重みが、今の俺には心地よかった。


「……そういえば、リオン殿下はどこに?」

「ミーは見てないよ?」


リオンはどこにいるのだろうか。決戦前夜にリオンとも話をしておきたい。





ニーフェルアーズの通路内を歩き回ってしばらく。俺は壁にもたれかかるようにしているリオンを遠くに見つけた。


急いで駆けつけようとすると、どうやら体調が悪いわけではないとすぐに気がつく。リオンは何やら真剣な表情をしていた。少し頬が赤い気がする。


(殿下……何をしているんだろう)


集中しているらしい。目を閉じ、ドアに耳をそばだて、俺には気がついていないようだ。あのドア、ミーナパパママの部屋のドアか。


急に驚かせないようにそっと近づいていく。


「……」


凄い、この距離でもまだ俺に気がつかないのか。なんというか、いくら自分たちの家の中とはいえ、こうも油断しているようでは少し心配に思えた。


「殿下」

「~~~~ッ!!!」


俺がそっと呼びかけると、リオンは叫びそうになった口を必死に自分の手で押さえ、のたうち回るようにした。


「……大丈夫ですか」


リオンは俺の言葉には答えず、顔を真っ赤にして俺の手を掴んだ。引っ張られるがままに通路を走り続け――集会の間、女祭司の道を越え、祈祷の間にまで来てしまった。


「あの、殿下? 本当に大丈夫ですか?」


見たこともないくらいリオンが息を荒くしている。頬もその美しい髪の色に近づくように、赤く染まっていた。


「フー、フー……」


落ち着くまで、しばらく待つこと数十秒。


「それで」澄ました顔で言うリオン。「何の用だ」


……。


「その前に、何をされていたのですか。パパさんママさんのドアの前で」

「うむ。なかなか表に顔を出さない二人が心配になって尋ねに行ったのだ。元気になったとはいえ、壮絶な闘病生活を終えたばかりの二人だ。急に倒れていてもおかしくはないであろう?」

「それは、確かに」

「が、どうやら込み入った話をしていたらしくてな。いつ終わるのかと待っていたのだ」

「込み入った話?」

「ああ。詳細は家庭内の私事ゆえ、言えない」

「まあ、プライバシーは大事ですから」

「私は二人の会話がいつ終わるのかと待っていた、というわけだ」

「ですが、二人の安全が確認できたなら目的は達成されたのでは?」

「……」

「殿下?」

「……貴様にだって、物語を読んで止まらなくなった経験があろう?」

「それは……あります」

「そういうことだ」

「でも――」

「そんなことより! ……私に用があったのではないか」


『そんなこと』として強引に追及を阻止されてしまうが、確かにリオンと話をすることが今は一番大切なことだった。


「改めて、決意表明をしに参りました。俺は明日、キメラ本体と――精霊と戦います」

「……そうか。何を言うかと思えば、わざわざ決意表明とはな」

「なので、リオン殿下はここでみんなと一緒に待っていてください」

「…………なに?」


リオンは目を丸くした。俺が表情を変えずに真っすぐ彼女を見つめていると、リオンは眉間にしわを寄せ、俺を睨んだ。


「どういうつもりでそんなことを言っているのか、きちんと説明できるのであろうな」


いつも厳しくも甘い――むしろ甘いことの方が多いリオンが、本気で怒っているように見える。この気迫はいったいどこから来るのだろう。寒気すら感じる。


だが――


「――騎士として、当然の振る舞いだは思いませんか。わざわざ危険があると分かっている場所に、王女を同行させる騎士がいったいどこにいるのでしょうか。だから、殿下はここで待っていてください」


俺の言葉に、リオンはがっくりと肩を落とした。


「なんだそれは……今さらそのような、くだらない騎士道精神を振りかざしに来たのか。私とお前が……積み重ねてきた私とお前の時間は……!」


俺は正直、リオンの言葉に少し驚いた。『積み重ねてきた私とお前の時間は』という言葉に込められた重みが、真実味を帯びていたからだ。


「その程度のものだったとでも……言いたいのか……」


失望したかのように、

何かを諦めたのように、

自信を喪失したかのように、


消え入るような声で、リオンは言った。





(思っていた反応と、違う……)





ずっと疑問だった。俺はゲームの主人公ソールではない。ではヒロインリオンは誰なんだ。目まぐるしい日々の中でしっかりと考えられてはいなかった。


そもそもおかしいじゃないか。なんでゲーム世界のヒロインが自我を持って存在している。俺が本物の主人公ソールでないように、彼女も本物のヒロインリオンではないのではないか。まかり間違って俺と同じように転生した誰かなのではないか。


そう思った。だからこそ、俺と同じような悩みを彼女も抱えているかもしれないと、そう考えたからこそ、明日を迎える前に話し合わなければと思ったんだ。


俺はグレンタケを片手に押し当てただけでも死ぬほど辛かった。両手両足をやられたリオンは……自分で体を砕いたリオンは……そんなものの比ではない。実際、涙を流していたじゃないか。


ストゥルタやミーナが俺に『逃げてもいい』と伝えてくれたように、俺もリオンに『逃げてもいい』と伝えてやりたかった。


……違うのか?

……彼女は本物のリオンなのか?

どういう理屈か分からないが、彼女は本当にゲームの登場人物の魂を持っているとでも言うのか?


いつも慈しみを込めて接してくれていたのも、そうあろうと努めていただけではなかった?

全て……本物だった?


「しょせん、私の一方的な感情だったというわけだ。そんなことは、分かり切っていたというのにな。どうやら私は、浮かれているうちにとんでもない勘違いをしてしまったらしい」


リオンは目を伏せて言う。


「悪いがソール。お前を一人で行かせるつもりはない。たとえお前が拒もうともな」


リオンが俺に背を向けて歩き出した。

彼女がどんどん離れていく――


「明日に備え、今日は早く寝ろ」


――かと思えば、リオンはゆっくり振り返る。


「おやすみ、ソール」


悲しそうに、それでいて優しさを孕んだ瞳がソールの姿を映していた。


……彼女が本物のヒロインリオンかどうかなんて、それこそ『そんなこと』で済ませばいいことじゃないか。俺と彼女が過ごした時間は……本物だった。少なくとも俺にはそう思えたのだから。


「リオン殿下」


自分の喉から出たとは思えないぐらい、低く落ち着いた声で言う。


「騎士の誓いを立てさせてください」


振り返ったリオンの目からは、一筋の涙が零れていた。

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