第19話

突然の戦闘音に、俺たちは体が固まった。



ドゴーンッ!!!



ミーナママ――人妻――の猫耳と尻尾をねっとりと触っていたリオン――美少女――が叫ぶ。


「ソール! ゆくぞ! ミーナ一家はここで待っていろ!」


自分の母親の痴態を見て目が死んでいたミーナとミーナパパの顔に生気が戻った。


ミーナママはそのまま地面にへなへなと崩れ落ちる。





俺とリオンが玄関の間に駆けつけると、異様な光景が目に飛び込んできた。


ニーフェルアーズの自動人形オートマタにして守護者であるストゥルタと、エルフの森の守護隊長であるヒルデガルトが相対しているのだ。


(なんであの二人が……!?)


ストゥルタが胸の前で両手を交差する。


「【煆焼の光ヴァルゼリード十戒エセル】」


両手の指先一本一本から青い灼熱の光線を伸ばすと、光線を網目状に展開された。


逃げ場などどこにもないのは目に見えて明らかだが、ヒルデガルトは笑みを浮かべている。


「【あらゆるを運ぶ風ヴェントルシュフィア】」


呪文が唱えられると、ストゥルタの【煆焼の光ヴァルゼリード】が、ヒルデガルトの周辺だけかき消された。


ヒルデガルトはおかしそうに笑う。


「強いな、君は。戦争があった頃を思い出すよ」

「ワタクシは守護者ですので」


二人のやりとりに目を奪われていた俺たちだが、リオンが大声を出した。


「不要な争いはやめよ!!!」





「――なぜ戦っていたのだ」


戦いをやめた二人に対し、リオンが腕を組んで前に出る。


ヒルデガルトは嬉しそうに、


「うふふ、彼女が先に攻撃してきたんだよ」


と笑って言った。


「そうなのか、ストゥルタ」

「この方が門に入ってきたので、『侵入者は排除します。あなたは侵入者でございますか?』とお尋ねしたところ、『ボクは侵略者だよ』とおっしゃりましたので、捕縛ではなく殺傷モードに入りました。つまり、ワタクシは悪くないのです。証明終了QED


ストゥルタは不服そうな雰囲気を醸し出しながら答える。おいおい。


「侵入者に侵入者かって聞いても意味はないぞ」

「そうでございますか」

「そうだよ。それで、ヒルデガルトさんはなんでわざわざ敵対するようなことを言ったんですか」


自分たちのことを棚に上げている自覚はあった。しかし、ヒルデガルトはそのことを追及することはなく、「楽しそうだったから」の一言で終わらせる。この人、思っていたよりもずっと危ない人かもしれない……。


俺の怪訝な目に気づいたヒルデガルトは微笑んだ後、鋭い目をして言う。


「二つ目の対価をもらいにきたんだ――」





ヒルデガルトは、俺たちに調査結果を報告した。


「――薬師樹の森に出た『美しいエルフ』の正体は、アナタニクビタケという幻覚キノコを利用して化けた食人植物マンイーターだった。これは本当にそうだった……恐ろしいことにね。おそらく彼らはキメラ個体だ」


キメラ――異なる生物同士が融合してできた生物。ゲームでもよく登場するやつだな。


「それも今までに見たことのない、ね」


ヒルデガルトが目をつぶって言うと、リオンが口を開いた。


「それで、そのキメラ個体のマンイーターとやらと我々が支払うべき対価に何の関係があるのだ。残党を退治しろとでも言うのか?」

「そう言えたら良かったんだけどね。事はそう単純じゃないんだ。君たちが二体のマンイーターを退治してからボクたちも薬師樹の森の再調査と、アナタニクビタケの駆除を始めたのけれど」


ヒルデガルトが間をおいて言う。


「平和そのものなんだ。マンイーターがどこにもいない」


俺はそれを聞いて、違和感を覚えた。俺がマンイーターを倒した後、誰かに見られているような気配があったが、あれはなんだったのだろうか。てっきり、マンイーターが他にもいたものと思ったのだが。


「ボクもソール君と同じ考えだよ。マンイーターが二体だけしかいないとも考えづらい」


俺はマンイーターの常識は知らないが、どうやらそういうものらしい。


ヒルデガルトは続ける。


「仲間がやられたと見て、縄張りを変えた可能性があるんだ。だからね、『シャーレアの大樹海』の平和を守るために樹海同盟に加わってほしい」


それが対価だよ、とヒルデガルトは言った。


ヒルデガルトの提案は俺たちにもうまみがあるものだった。右も左も分からない俺たちがこの樹海の仲間として認められれば、この世界のことがもっと分かるかもしれない。


リオンは怪しみながらもヒルデガルトの言う対価を飲むようだ。


「対価と言うにはこちらに利がありすぎるのが不気味だが……いいだろう」

「うふふ、そんなに構える必要はないよ。平和の維持がボクの一番の願いだからね」


いきなり不意打ちかましてきたり、侵略者を自称する人の言うことは違うな……。


リオンも呆れた顔をしている。


「……それで、ヒルデガルト殿はソールをご所望だったようだが、その必要はなくなったのだな?」

「うん。わざわざ対価としてもらわなくても、ねえ?」


ヒルデガルトが妖しい目つきで俺の方を見てくるので、俺は目を伏せる。なんか、美女なんだけど、獣みたいなんだよな……この人。


「くく、どうやらソールに気はないようだな」

「そうかな。照れてるだけに見えるけど」


二人の間にバチバチと電流が走っているように見える。いたたまれない……。





ヒルデガルトはニーフェルアーズの中を歩いて回りたそうにしていたが、用事があるということで早々に帰るということだ。


長い長い後ろ髪をひかれるようにして門の外へと歩いてゆくと、彼女はゆっくりと振り返る。


「ストゥルタさん、ソール君とリオンさんだけど、もう少し鍛えてあげた方がいいと思うよ。マンイーターのこともあるし、ここ最近は火山にいるはずの竜も降りてくることが増えたからね」


そう言い残して、ヒルデガルトは消えていった。


「まったく」リオンが腕を組む。「気ままな風のような女だ」


確かに……守護隊長とか言ってたのに一人で離れた場所に来たり自由人だ。


マンイーター、キメラ、同盟、色々と考えることはあるが気になることは他にもある。


リオンもそうだったようで、ストゥルタに向き合った。


「ストゥルタ、あの女と私の間にはどれくらいの力の差があるのだ」


実は俺もそれが気になっていた。ストゥルタとヒルデガルトの戦闘は、これまでの体験とはまるで種類が違って見えたからだ。


「力の差を数値化することはできませんが、決定的な違いについてご説明することは可能です。ずばり、『名づけ』でございます」

「名づけ?」

「はい。リオン様は氷の魔術を身に着けておられますが、自分の魔術に名づけを行う必要があります」


ストゥルタは自分の手のひらを天井に向け、青い炎を生み出した。


「これは純粋な力であり、魔力そのものとでも呼ぶべきものです。この力に対し、名づけ、叫び、想起する――その繰り返しを経ることで、より強力な魔術へと進化するのでございます――【煆焼の光ヴァルゼリード】」


ストゥルタは呪文を唱え天井に青い光線を放つ。天井が赤く溶け始めた。


「【煆焼の光ヴァルゼリード十戒エセル】」


今度はヒルデガルトに放った十本の【煆焼の光ヴァルゼリード】だ。


(ああ、また錬金術で直さないと……)


既に玄関の間が焦土地獄と化している。


ストゥルタは気にせずに続けた。


「このように、名づけを経て定着した魔術の強度は高まり、さらに応用することが可能となっていくのです」

「ふむ、なるほどな。ストゥルタも自分で名づけたのか?」

「ワタクシの【煆焼の光ヴァルゼリード】は、術式を組んだマスターが名づけました」

「術式とやらを組んだ方が強い魔術を生み出せるのか?」

「そうとは限りません。いわく、術式も名づけも形を想起するための補助に過ぎない、とのことです」


必殺技みたいなものか。声を出した方が力が出るみたいな話に近いのだろう。それほど単純でもないとは思うが。


試しに小声で「ファイアーボール」とか唱えてみたが、火の玉が出ることはなかった。


と、ストゥルタが俺の方を向く。


「錬金術もまた、名づけを行うことで同様の効果が見られるはずです。今までに作り出したものを想起し、再現する助けになるでしょう」

「な、るほど」


センスが問われそうで、俺には荷が重いな。


「ソール様は【破壊の黒火ガンドエルヴ】と【再生の赤雷ザンダルハ】が定着していますので、それを応用させた何かを術として編み出すとよいのです」

「応用」


そう言われても、いいアイデアはなかなか浮かんで来ないものである。


と、月の通路の方から忍び足で近づいてくる音がした。


「大丈夫なの……?」


ミーナだった。心配そうに俺たちを見つめ、尻尾を下に垂らしている。


「もう大丈夫だよ。ヒルデガルトさんが来ただけなんだ」と俺が伝えると、ミーナは目を丸くした。


「ヒルデガルトさんが来たら、こうなるの!?」

「うん」


荒れ果てた玄関の間に、ミーナが驚いている。

その姿を見たリオンが俺に向き直って言う。


「ミーナミーナを助けた時のあれはどうだ。黒き火花を散らし、赤き稲妻が閃く様は見事なものだったぞ」

「ああ……あの時は必死で……」


きょとんとしているミーナに、ストゥルタが囁く。


「ソール様の技に名前をつけようとしていたのでございます」

「へー、なまえー?」

「はい。今はソール様がミーナ様を助けた時に使った技に名づけをお考えのようです」

「へ、へー! そうなんだ!」


ミーナは俺の方をちらっと見て、気まずそうに笑う。温泉でのこともあったから、俺も同じような顔をしているだろう。


と、リオンが呟く。


「漆黒の夜と赤き夜明けを駆ける騎士、か」


なんか詩的なこと言ってる。まさか俺の技名を考えているのか。


嬉しいような気恥ずかしいようなで、俺はこの空気を変えたくなった。


「そういえば、ルタの本気があんなに強いとは……驚いたよ。やっぱり、俺と戦った時はかなり手加減してたんだな」


俺がそう言うと、ミーナが驚いた顔をする。そうか、ミーナは俺とストゥルタが戦ったことを知らないのだ。


ストゥルタは首を振って答える。


「そうとも言えますが、そうとも言えません。確かにあの時、ワタクシはわざと壊されるつもりでした。ですが、ソール様の熱い抱擁には不意を打たれ、ぐっときたのでございます」

「分かったごめん、この話はもう終わろう」


俺はその場から逃げるのだった。





――ソールが離れた後のことである。


「まったくあの男は、相変わらずどうでもいいところで奥手になるな」


リオンがぽつりとこぼした言葉に、ミーナが反応する。


「リオンとソールって、もうずっと一緒にいるの?」

「ああ。長いと言えば長いな」

「へー。……どれくらい?」

「ふふ、内緒だ」

「あー! そういうのずるい! ミーは二人のこともっと知りたいのに!」

「そうだな。耳と尻尾を触らせてくれたら考えよう」

「だめ」


ストゥルタが間に入る。


「リオン様はラズグリッド王国という王女であらせられ、ソール様はリオン様に仕える騎士、だそうでございます」

「えー!? 王女様だったの!?」

「話していなかったか」

「えっと……ははー、リオン様ー」

「やめよ。普段通りの方がよい」

「そう? よかった!」

「そうしてくれ」


リオンは薄く笑って、遠くを見つめるように言う。


「正直なところ、私は王女であることにこだわってなどいないのだ。むしろこのままここで、ただのリオンでいるのも悪くはないと、そんな気がしている。本来の使命も忘れて、この世に生まれた奇跡を味わっても、罰は当たらないのではないか」


リオンの手をストゥルタが握った。


「リオン様、それはどういう意味でございますか? リオン様は王国に帰ることを望んでいるのではないのですか?」

「どうだろうな。故郷に帰ったところで、冷たい孤独が待っているだけだ」

「ソール様は、リオン様を故郷に帰そうと尽くしていらっしゃるのではありませんか?」

「……そうだな。私は、本当は故郷に帰ることなんてどうでもいいと思い始めているのかもしれない。ソールが私のために頑張ってくれることが嬉しいだけで、その先なんてものはなくとも、私はただ……ソールだって本当は――」


虚ろな目がハッと開くと、リオンはストゥルタとミーナの手を引き寄せる。


「――すまない。今のは忘れてほしい。特に、ソールには言わないでくれ。頼む」


面食らったミーナが目をぱちくりさせた。


「分かった! 女同士の約束だね!」

「ああ、すまない」

「王女様って大変なんだね?」

「……はは、そうなんだ」


ストゥルタは表情を変えずに、真っすぐリオンを見続けている。


「リオン様がずっとここにいてくださるのは大歓迎でございます。なので、急いで故郷に帰ろうとしなくてよいのです。ワタクシがずっとそばにいて差し上げます」

「ふふ……ありがとう、ストゥルタ」

「ミーもいっしょだよ! 難しいことはよく分からないけど!」

「嬉しいよ。触ってもいいか?」

「だからだめって言ってる」


こうして、ソールの知らないところで女性陣の絆が深まるのだった。





――続く。

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