第16話

異世界に転生して、前世の記憶がおぼろげなのはかえってよかった。もしも記憶がすべてはっきりと残ったままだったら、色々なこと――例えば家族はいたのか、とか――をあれこれと考えていたと思うから。


今はもっと違うことばかり考えてしまう。


ゲーム世界の主人公、ソール=アウレアス(体は人造人間ホムンクルス)として転生したのに、転生した先の世界はゲームの世界ではないとか、この世界には錬金術がかつて存在したが今では失われていて、なのにどうして俺が使えるのかとか……そういうことだ。


まさか、この世界そのものが俺の妄想だったりするのだろうか。夢落ちみたいな展開は好きではないから勘弁してほしい。


それに、ようやく今の自分とこの世界にも慣れてきたんだ――





「ソール、考え事か?」


ほんのりと低めの優しい声に、俺は顔を上げる。


「気分でも悪いのか?」


漆黒のフードローブに身を包んだリオンの手が、俺の肩にそっと触れていた。


「いえ、少しぼんやりしてただけで……このところ、ずっと慌ただしかったので」


尊大な人物であるようにも見える彼女だが、リオンは俺のことを心配する時は、真っすぐに言葉をかけてくれる。おそらく、そういう部分こそが彼女の本質なのだろう。


「それならいい。まったく、仕えるべき主の前でほうけた顔をしおって、先が思いやられるぞ」

「あはは、すみません」

「悩みごとがあるなら私に言え? まあその、貴様にも隠し事の一つや二つはあろうがな」

「はい」


隠し事があるとすれば、俺がソールであって真の主人公ソールでないことだろう。とてもではないが、言えないな。


「なあ、ソール」

「はい」

「帰る場所があるというのは、いいものだな」

「そうですね」

「私はここが、私にとっての第二の故郷になればいいと思っている」

「無事に王国に戻れたら、またここにも来ましょう」

「……王国」

「……リオン殿下?」


リオンも少し、ぼんやりとしている。


「……ああ。そうだな。第一の故郷である我が王国に帰る方法を見つけたら、その時はまた戻ってこよう。ストゥルタやミーナも寂しがるであろうからな」

「さては、リオン殿下も少しお疲れですね? 部屋に戻って休まれては?」

「ばか言え。天井がある場所はどこでも寝床だ。そうであろう?」

「そうですね。とても王女のセリフとは思えませんが」


どこでも寝床とはよく言ったものだ。ゲームの中で、逃亡者であるリオンとソールはその日暮らしの野営生活をしていた。それに比べれば確かに、温泉もあるこのアジトは天国に違いない。


二人で笑い合うと、肩と肩がぶつかる。こんなとき俺は気を遣うのだが、俺が気を遣うと余計にリオンはぶつけてきたりする。じゃれ合いを楽しむように。


「ふふ、こういう時間も悪くはないが、やはり見張りは必要だな」

「確かに、信頼できる仲間がほしいですね」


というのも、俺たちの活動拠点であるニーフェルアーズの魔術的(錬金術的?)結界が解かれているからである。


ストゥルタ――ニーフェルアーズの守護者――いわく、


『人も獣も入り放題でございます。最高ですね』


というわけで、まったくもって最高ではない。


もちろん土壁で物理的な門を作ろうとしたが、不思議な力にかき消されたのかなんなのか、力を発揮することができなかった。やはり根本的な何かが足りていないらしい。


リオンは門のあった入口の方を見つめ、目を細める。


「今のところは何事もないが、万が一が起きてからでは遅いからな。つい最近エルフと知り合ったとはいえ、樹海に暮らす他の集団とはまだ面識もない。誰が敵になるか分からぬ」

「それに、ドラゴンとかマンイーターもいますからね」

「マンイーターの話はやめろ」

「あっ……すみません」


マンイーターはさておき、そういった理由から、俺とリオンは玄関の間の壁に背中を預けて見張りをしている、ということなのだ。


マンイーターを思い出したせいなのか、心なしか顔の赤いリオンがフードを被り直して言う。


「とにかく、私はストゥルタにだけ見張りを任せる気はない。ストゥルタは人形かもしれんが道具ではないからな」

「同感です」


ストゥルタは自動人形オートマタであり、おそらく睡眠というものは必要ない。だが、リオンが言う通り、ストゥルタを都合のいい道具として見張りだけさせるのは違う……と、俺も思うのだ。ミーナの両親のためにせっせと働いているストゥルタはほとんど無表情なのに、生き生きとして見えたから。


それにしても、リオンも俺と同じように思っていたのがなんだか嬉しかった。


「殿下、さっきの言葉をルタに聞かせてあげたら、きっと喜びますよ」

「やめろ……暴走したらどうする……」


リオンが若干顔をひきつらせていると、調理の間に通じる通路の方から誰かが走ってくる音がする。


〈ソール様ー! リオン様ー!〉


ストゥルタの声だ。


「ミーナ様のパパ様とママ様が回復されたのでございます!」





医療の間に向かうと、俺とリオンは抱き合うミーナたち親子の姿を見た。


リオンがぽつりとこぼす。


「家族の絆とは、よいものだな」


俺はそのありがたみを覚えていなかったが、リオンの言葉にうなずいた。


と、ミーナが耳をぴんとさせる。


「ソール~~! リオーン~~!」


両手を広げて俺とリオンに突進してくると、まとめて抱きついてきた。


「ありがとね……ほんとに、ありがとね……!」


俺たちの胸に顔を挟みこむようにして、声を震わせている。顔は見えないが、泣いているらしい。


離れたところでミーナの両親が俺たちを涙目で見ていた。頭を下げられ、俺も少し下げる。


俺はミーナの背中をそっと叩き、リオンはミーナの頭を撫でた。


リオンがそっと囁く。


「……耳を触ってもよいか」

「……だめ」





ミーナの両親が自分で立って歩けるようにもなったということで、二人への付きっきりの看病は必要なくなった。とはいえ、大事を見て医療の間での生活をしてもらうことにしている。


ミーナパパとミーナママは、俺とリオン、ストゥルタに対して何度も何度も感謝の言葉を伝えてきたのだが……本当に頑張ったのは、娘であるミーナだ。だから、『ミーナさんの力です』と伝えると、それでも『ありがとうございます……!』とくるものだから、俺も少し自分が誇らしく思えた。


ミーナはようやく落ち着いた時間を過ごせることになったということで、今では温泉の間でゆっくりとくつろぐことに喜びを見出しているようだ。一日に二度三度入ることも珍しくない。完全にはまっている。


ミーナいわく、『アナタニクビタケとどっちがいいかなぁ……』ということだが、いい加減ドラッグめいたキノコからは卒業してほしい。


リオンは相変わらずミーナの耳と尻尾を狙っているようだが、なかなか触らせてはもらえないらしい。『あともう少しなのだが……』などと言っているが、傍から見れば全然『もう少し』ではなかった。


ストゥルタはというと、ミーナたちをニーフェルアーズに住まわせようと毎日積極的に交渉している。もっとも、そもそも交渉の必要はないほどミーナたちはその提案を受け入れているのだが……それでもストゥルタは不安らしい。


「いつ心変わりするか分かりません。人は嘘つきでございます。ソール様のように」

「はは……嘘つきでごめんよ、ルタ」


今、俺はストゥルタと玄関の間で外の見張りをしているのだが、未だに『数時間で帰る』という言葉を守らなかったことを根に持たれているために、こうしたお小言をもらっている。


「ごめんで済めば牢獄の間は不要なのでございます」

「……俺を投獄したりしないよね」

「……」

「……しませんよね?」


ストゥルタのポーカーフェイスは、こういう時、怖い。牢獄の間が活躍する日が来ないことを祈ろう。


「ソール様、そろそろ汗を流されてはいかがですか」

「今、誰も使ってないかな?」


と、温泉の間の方から誰かが通路を歩いてくる。


「今は誰も使っていないぞ。ミーナミーナも私も、ついさっき出たところだ」


リオンがすっきりとした表情で現れると、ストゥルタが口を開いた。


「リオン様、今日はミーナ様のお耳は触れましたか?」

「それがなかなか手ごわくてな……」

「ワタクシは触りました」

「なんだと!?」

「嘘でございます」

「……その嘘をつく必要はあったのか?」

「嘘をつかれる悲しみを胸に刻み込んでくださいませ」

「おいソール……ストゥルタが暴走気味だぞ……」

「いつもこんな感じですよ」

「そうか……? まあいい、見張りを代わろう。汗を流してこい」

「では、お言葉に甘えて失礼します」


と、俺はふとこの間のリオンのセリフを思い出した。


「そういえば、ルタに教えてあげようと思ってたことがあって」

「? なんでございますか?」

「『私はストゥルタにだけ見張りを任せる気はない。ストゥルタは人形かもしれんが道具ではないからな』――」

「……おいソール貴様!」

「――って、リオン殿下が前におっしゃってたよ」


リオンが俺の肩を揺さぶってきたが、もう遅い。


「それは、本当でございますか……?」


ストゥルタが目を輝かせる。物理的に。


「うん。だから見張りが交代制になって、ストゥルタだけが一人で頑張る必要はなくなったんだ」

「つまり、リオン様がワタクシのために――証明終了QED


ストゥルタはただでさえ雑な証明の過程すら飛ばし、恐ろしい動きでリオンに抱きついた。リオンは振りほどこうとするが、人造人間ホムンクルスの力でも本気の自動人形オートマタを剥がすのは至難の技のようだ。


「ソールッ! 覚えていろ貴様ぁッ!」

「リオン様がそれほどまでにワタクシのことを想ってくださっていたとは、このストゥルタ、一生の不覚でございます。本当にワタクシは愚者ですね」

「や、やめろこのっ、淫乱愚者メイドッ! 変なところを、触るな……あんっ――」

「ワタクシ、愚者ストゥルタですので」


……リオンの想いをストゥルタに伝えてあげたかったのは本当だ。きっと、ストゥルタはそういう言葉を欲しているのだと、さすがの俺でも分かっていたから。


達成感とわずかな背徳感を覚えながら、俺は黙って温泉の間へと向かうのだった。





ソールが温泉の間へと向かっていたその時、風呂上がりのミーナはニーフェルアーズ内にある自室のベッドに寝転がっていた。


「スーハー、スーハー、あぁ……いい匂い……」


ベッドの上でキノコ――アナタニクビタケ、幻覚作用あり――をこすり、恍惚とした表情を浮かべるミーナ。


「どうしてすぐに思いつかなかったんだー!!!」


突然のひらめき、抗いがたい衝動にミーナは飛び上がる。


「アナタニクビタケと温泉を組み合わせたら、最高にハッピーなのでは……!!?」


猫耳少女は走り出す。キノコを嗅ぎながら走り出す。


温泉の間に、ソールがいるとも知らずに。





――続く。

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