孤独な軍人
『謎の力を持った人間の殲滅』世界のどこを探してもそのような事例は見られないはずだ。これに万全を期さんとするノーシア軍は作戦に特務第一旅団を動員。アニーランド州のベーカーズフィールドにあるノーシア連合共和国軍基地内に同旅団長グレイ・フォン・ガーダール大佐を召還した。
基地のアルフレッド中将は眉に皺を寄せて語り始める。
「グレイ大佐、君も司令部から噂くらいは聞いているのではないかな?」
「はぁ、一体何の噂ですかね」
グレイは嘯いた。アルビノ特有の色素の抜けた頭髪が彼の手に弄ばれる。面白くないようなものでも見る顔で見ていたアルフレッド中将はため息をついた後に説明を始めた。
「先日、特定超自然能力保有人格が逃走したというのは聞いたか?」
「特定超自然能力保有人格とは何ですかね。しがない一将校には分かりかねますが……」
明らかに気分を害し、アルフレッド中将は、ひきつった顔をあからさまにする。
「1980年に連合共和国軍と有志連合軍がオルタン革命政府を攻撃したラント爆撃事件に端を発した三日月戦争のことは君も士官学校で勉強しただろう……。この戦争は当初の予定と違って武装したゲリラの抵抗や厳しい山脈に阻まれ徐々に泥沼化していった。特にレーテ共和国の義勇軍には我々は悩まされたわけだが……。結果的に米軍は1983年にオストン革命政府の首都ノイエ・スーサ首都特別地区に新型爆弾を投下することによってこの戦争を終結へと導いた」
そこまで言うと、グレイはふっと鼻で笑う。それをアルフレッド中将が睨む、
「スーサ市民が蒸発しただけのことを〝戦争の終結〟と呼ぶのは面白い錯誤だな、と思いまして」
「君は、戒律教徒が死んで嬉しいのではないのかな?」
キッとアルフレッドはグレイに鋭い目線を向けた。
「フェルニダ人がみんなそう思っているわけではないのですよ、他人でも人が死ねば痛める程の心は基本的に誰でも持っています」
アルフレッド中将は先程のグレイと同じく鼻で笑って応じた。グレイはこの三日月戦争の終結に関しては「全員殺して有耶無耶にしただけだ」と思っている。そもそも、その段階まで行ってしまえば政治も軍事も意味をなさないから、これ以上無い愚策だろう。
「まぁいい、その時に使われた新型爆弾が問題だった」
アルフレッド中将は眉間に皺を寄せ、ため息をつきグレイを覗きながら告げた。
「第一次大戦時、リューナベルク帝国科学アカデミーがオルタンで発見したリッカドニウムという物質は特異な性質を多く持っていたのだが、その中でも核融合反応に関する研究は1960年代から試みられていた。我が国の軍産複合体は……」
そこで言葉を探しているのだろう、アルフレッド中将は顎に手を当てて俯く。
「つまりリッカドニウムを利用した新型爆弾を使用した結果、ああいう不思議な人間が生まれたというわけですか」
何度この過ちをこの国は繰り返すのだろうか。連合共和国は人類が作り上げた世界で最も合理的で効率的な「新大陸に作られた大国」である以上、旧世界の国々とは一線を画す。故に、郷愁という感情を持ち合わせていないのだ。
「その通りだ、そしてそれ以上も解っておらん」
お手上げです、と言わんばかりに両手を挙げるグレイ。アルフレッド中将は鋭い眼光で柔和な表情をするグレイを捉えるとこう言った。
「敵だが……、やってくれるな」
「微力ですが」
敬礼してグレイは部屋を辞した。
3時間後、グレイと特務第一旅団はテネス州上空に居た。輸送機の中で、彼らは殲滅作戦について会議をしていた。
「対象は、アダムズの森に潜伏しているとみられます。対象の暮らしていたロワ村は丘の上にあるため、燃やせば煙が視認できるものと思われます」
第一小隊のアグロス大尉が地図を指さしながら説明する。トウモロコシ畑が主な収入源の小さな村を焼く事自体は難しいことでは無い。
「問題は出てきた敵を如何にして殺すか、ということだね」
グレイはそう言いながら背の高い男に目を向けた。そして、「そろそろ名前ぐらい聞きたいものだな」と言った。それを確認したのか、背の高い男は、前に出てくる。
「私は連合保安局……」そこまで言いかけたところでグレイは男に銃剣を向ける。
「嘘は良くないな、TONHNの情報将校閣下」
「……ははは、手厳しいな」
先程までの存在感が嘘の様に、高身長の男はただならぬ気配を持っていた。銃剣と敵意の籠った目を突き付けられながらも、彼はその微笑を崩さない。
「私はヨハン・エルガー、勿論偽名だがいい名前だろう、ぜひ覚えて行ってくれ」
そこまで聞いてグレイは銃剣を降ろす。グレイも柔和な笑顔を浮かべて質問した。
「なんでTONHN(トーン)(北半球諸国間条約機構)の情報将校閣下がここに?」
「勿論私の持っている情報が有用だからだ」
エルガーがそう言えば、得意げに語り始める。軽率に聞いたことを悔いるグレイだったが、間違いなく重要な情報であることは間違いなかった。
「ハッキリ言ってしまえば、あいつは通常兵器では死なない」
旅団員は揃って頭の上に疑問符を浮かべる。しかしエルガーの言葉には確かな自信があった。その疑問を感じ取ってかエルガーは「歴史の勉強をしようか」と言った。
「1983年、レイラと呼ばれる少女がコルム市で汎世界連盟平和維持軍に初めて超自然能力を使った武力攻撃を仕掛けてきた。その時はレイラの処理に三か月の月日を浪費した挙句、レーテ共和国が開発したトレビチェフという毒ガスによって殺されたという事になっていて、行方知れずということだ、失笑ものだろう?」
ははは、と笑うことでエルガーは旅団員からの反感を買う。しかし、と思う。何故連盟軍が殺害に三か月かかったのか、そして毒ガスでなぜ死んだのか。
「……取り敢えず、みんな何かあったらすぐ逃げるように、司令部が欲しいのは戦果よりも情報だろう」
何か引っ掛かるものを感じながら、降下する時間がやって来た。
グレイが指揮を執る作戦は順調だった。近隣の基地から離陸した支援戦闘機がナパーム弾をロワ村に完璧な精度で投下し、尽きることのない業火が村を覆っていた。
恐らく村人は今の攻撃で全滅したのだとグレイは理解してしまう。(……野蛮な光景だ)グレイは本能的にそう思ったが、彼は腰から吊るしていた無線機を取り出しスイッチを入れる。
『こちら第一小隊、各隊状況を』
そこまで口を動かしたところで、……何かがおかしい、まったく音がしないのだ。降下中は下を見ることに集中していたから気づかなかったが、〝空は今どんな状況なのか?〝。
そこまで考えてから、グレイは空を見上げた。
「――ッ!?」
信じられない情景が空には広がっている。エメラルド色の霧が暗闇の中、ナパームの火を反射しチカチカと光っている。だが……、
「アグロス大尉!!返事をしろっ!!」
柄にも似合わずグレイは叫ぶ、未だ降下中の旅団員たちの体は脱力した状態で動く様子が全く見えない。よく訓練された彼らのことだ、気絶などではないはずだ。
「し、死んでいるのか……?」
第一小隊の隊員はグレイが答えを語る覚悟を決める前に事実を口にした。……あれほど優秀な青年たちが。現実感もなく、ナパームの火に照らされる間そんな言葉が流れていくが、間もなく現実感が彼らへ大きな絶望を与える。
腰を抜かした者も、動悸が収まらない者もいる。だがこの中で冷静な人間が二人いた。一人はグレイであり、「……司令部へ報告が最優先だ。あんなものに暴れられたらあまりにも危険すぎる」と彼らを宥める。そして、もう一人冷静な人間がいた。いつの間にか降下していたエルガーである。彼は拳銃を抜くと何も居ないはずの農地へ発砲した。
「……懐かしいな、逃げる時間はなさそうだ、できるだけ放射状に弾幕を張りながらハンツビル方面へ総員、逃げるぞ」
その言葉に旅団員が素直に従ったのは、不思議な説得力があったからだろう。輸送機の中の時のように、反抗的な態度を見せた人間は一人もいなかった。
誰もがコッキングレバーを引いて腰だめをしながら連射できるだけ連射した。空から見れば放射状に光が飛躍する光景が見られただろう。
トスントスントスンと空気が放出される音が聞こえる。反動が各員の肩にかかり、苦しい表情を浮かべるが彼らはその作業を続ける。
……しかしエメラルド色は迫って来た。それも走るわけでもなく、モデルがファッションショーで歩くような歩き方をしながらである。まるで森に潜伏していたとは思えない程、綺麗な白いワンピースを着た金髪の少女が鉛玉をどういう原理か解らないが弾きながら歩いてくる。
「そこら辺のホラー映画より怖いな……」
グレイは引きつった顔でそう言った。すると少女は笑顔を見せて、足の速度を上げる。いつの間にか数メートルの距離になって我慢ならなくなった隊員たちが絶望に表情を染めた。
「う、うわあぁぁぁぁっぁ!!」
「く、来るなぁっ!こっちに来るなぁっ!!」
少女が彼らに目線を向けた途端、彼らの首が飛んだ。
「なるほど、名前は?」 飛んだ首の行方を見ることに夢中になっていた時、拳銃で迎撃することを諦めたのか、拳銃を投げ捨てながらエルガーは問う。
「……シャーロット」
彼女も彼女で薄気味が悪い、張り付いたような笑顔はなくなり、神妙な表情でグレイとエルガーを見つめた。いつの間にか他の隊員は首から上が無い人形になっている。
「君の目的はなんだ?」
「質問ばっかり、なんで私を殺しに来た人に答えないといけないの?」
エルガーは立て続けに質問するも、シャーロットは不機嫌になったのか鋭い口調で切り返す。……シャーロットの気分一つで殺される状況でよく強気に出れるものだ、TONHNの将校になるにはそこまで肝が強くないとなれないのか、グレイはそう思った。
エルガーは不敵に笑うと、右手に何かを持ってこの戦火の中に生き残っている二人へ語り掛ける。
「取り敢えず、今宵の続きはまた今度、できるだけ先になることを祈っているよ」
そう言って、彼はフラッシュグレネードを転がした。
数日後、シモン大聖堂には二人の男の姿があった。ミサを目的に来たわけでもないので、敷地内のベンチに腰かけていただけだった。
「……葬式に行ってきたんだ」
グレイはそう語った。自身の体の特異性から常に不健康に見える顔はいつも以上に不健康そうだ。
「そうか、ご苦労だった」
エルガーはそれしか言わなかった。エルガーはコーヒーをグレイに差し出す。グレイはそれを受け取ると一口飲んで、ため息をついた。
「なぜ君は軍人になったんだ、もともと体が強い方でもなかっただろうに」
エルガーは尋ねる。グレイは落葉を眺めながら答えた。
「一言で言うなら、『異端が普通の上に立つ』という姿が見たかったからかな」
言葉を探しているのか、エルガーはすぐにグレイに何か言葉を掛けることはしなかった。
「俺は生まれた時から異端だった」
神妙そうにエルガーは頷いた。
「ここは自由の国です、皆さん一人一人はいかなる違いがあったとしても、その違いこそが、あなたらしさが最も大切なことなんです」
小学校の教師がそう言ったことを今でも思い出す。そういう言葉をなんと言うか、建前とか、理想論だとか、いろいろ表せるだろうが端的に言ってしまえば嘘と言うのだろう。
「っけ、フェルニダ人があっち行け」
影の無い人々が私にそう言う。他人に不躾な態度を取ることを肯定することは脳が足りないし、それらすべての廃絶を叫ぶ人間には目が足りない。
これまでの人生だけを振り返っても、満ち足りた瞬間などあっただろうか、否、ありえないのだ。
渇望こそ正義であり、充足は悪である。
不満こそ味方であり、満足とは人生最大の敵の名である。
故に、俺は不満を抱き続け、充足を渇望し続ける。自身の周辺の悪しき、肌の色や宗教で自らの全てが否定され続ける世界を否定し、それらすべてを破壊することを夢に努力を続けてきた。
仮想敵国の言葉を借りれば「臥薪嘗胆」と言う物だろう。俺は社会を破壊するためにまずは権力を得ることにし、権力の中で最も凶悪で可視化され、尚且つ愚かなる大衆に合法化された暴力……即ち軍隊の上に立つことを目標とした。
暴力の正当化と合法化の愚かしさを知る人間は多い。が、事実としてそれを指摘するにはやはり目が足りない。
視力がある人間ならば、小銃を降ろした瞬間、隣人に殺される自分の体をすぐに思い浮かべることができる。人間社会は信用という積極的な関係に構築されるものでは無く、保証という極めて消極的な関係の上に立つ砂の城と言えよう。だから、軍隊は無くならないし、差別もそうだが、あらゆる社会問題の根絶が意味するところは即ち人類滅亡である。
個人に置き換えてしまえば、悩みが無くなるのは死んだその瞬間という事だろう。
19世紀のリューナベルクの哲学者ニルチェルの言葉に「畜群的人類」という言葉がある。俺は勿論、俺を否定するほとんどの人間を畜群だと思って生きてきた。されど、ニルチェル哲学の「ルサンチマン(超人)」だと思っていたか、と言われればそれも違う。
俺は野生なのだ、決して畜「群」に属してなどいない。
「私はフェルニダ人とか、アルビノとか気にしないよ」
大学の時、顔も覚えていない同級生に気味の悪い猫なで声で、そう話しかけられたことがある。後ほど知ったのだが、名をパク・チェルシーというらしい。
「面白い冗談だね」
俺は表情筋を動かすのも面倒くさかった。
「……冗談なんかじゃ」
必死に弁明しようとする、事実喧嘩を売りに来たわけではないのだろうと思う。だが真面目に受け取っても「さいですか」と答えるしかないので、その解答を受け取ったチェルシーは気まずいだろうから俺は大人げなく真実を指摘する。
「冗談にしとけよ、その方が君にとっても都合がいい筈だ」
そう言い残してその場から逃れた。
俺は自分の研究課題である「現代における新形態の戦争」という資料の作成途中なのであり、図書館に資料を取りに行っていただけなのだ。
自身の書類をもう一度確認する。
『第二次世界大戦以降、国家総力戦に疲弊した人類社会は自身が抱える歪を冷戦という形で現出させた。この時から既に「思想戦争」と筆者が呼称する新形態の戦争形態が出現していたと言える。これは現代における宗教戦争ともいえるかもしれないが、この戦争形態は対外的に展開されるものでは無く、国民に向けて展開される戦争形態なのだ。
と、言うのも。スーズタリ・レーテ共和国のプロパガンダや我が国におけるアカ狩りと呼ばれた一連の思想統制の政策は思想が侵略手段になっているよい証拠である。
この「思想戦」の醜悪な点はそれらすべてが善に属することであり、人々の良心に付け込み社会不安を蓄積させ、結果的に内部崩壊を引き起こすという最悪の戦争手段なのだ。』
そこまで読み直したところでテレビに視線を逸らす、するとアナウンサーが意味深げに「……ランサーンでのスーズタリ議員団襲撃事件は連盟平和維持委員会でも持ち上げられ……NOD(ノーダ)(新秩序)内部の 対立を西側諸国は静観する構えで……」。
そこまで聞いてテレビを消した。
希望の世紀だとかなんとか、俺が子供の頃には散々21世紀をそう言ったくせに、いざ21世紀になってみても20世紀とは何も変わらない。
すると背中の方からガチャと、ドアを開ける音が聞こえた。
「また捻くれたこと言ったでしょう!!」
部屋に入ってきて、少し怒気を孕んだ言葉を言うのは下宿の部屋を同じくするシエルという女子生徒だ。
「捻くれているのは俺じゃなくて世界だろう……」
「そんなことを言ってると六芒星の光すら貴方を照らさなくなるわよ?」
シエルも又、フェルニダ人である。この下宿で衣食を共にしているのは、俺の母方の親戚の友達であるシエルと通う大学が一緒だったが、シエルの方の家は決して裕福とは言えなかったので、間借りさせてほしいというお願いをされたためだ。……どうやら母方の 親戚は俺のことを女だと思っていた。アラスカに住んでいて生まれて以来会うことが無かったのが災いした。
大学入学とほぼ時を同じくしてシエルは、その持って生まれた純粋な性根によって周囲の人間から好感を得ることに成功する。 「フェルニダ人に友達など……」と捻くれている俺にとっては青天の霹靂であり、フェルニダ人であっても他の人種と友好を持てることに驚きを隠せなかったのだ。
「えらく楽天的」
……出会った当時の俺が下したシエルへの評価である。世界の不幸とは、楽天主義者と厭世主義者の無意味な接触によって生まれると考える俺は、彼女との接触を極力避けた。
だが、これで接触が無くなると考えた俺こそ、真の楽天主義者かもしれない。シエルの執拗な接触に挫け、シエルという人間の真価を知ったのはこの時だろう。
「諦観は貴方を殺すの、だから『私』という希望を知って?」
いつもの俺なら、鼻で笑って一蹴しただろう。楽天主義者が使う、夢とか、希望とか、という言葉は気色が悪くて仕方がない、その言葉の責任は何処か?
この問いに答えはない、何故なら楽天主義者とは根本的に無責任だからだ。
無責任な言葉ほど心強い物はない。無責任な言葉には証明が必要ないから、その言葉は恐るべき強さを誇る。無責任な言葉は怖いものなしで、何もかもを断言する。
「こうなるはずだ」
「こうならなければおかしい」
「こうであるべきだ」
などと宣い、この世が本来持つ特性が「善性」であると信じて疑わない、恐るべき信仰心。故に、繰り返される惨劇を過去の唾棄すべき記憶として忘れていけるその在り方。
俺はそんな彼らが確かに嫌いで嫌いで仕方なかったはずだが、……シエルのしつこさは異様だ。
「もう。聞いているの?」
ふと逡巡した過去三年程度の記憶から現実へと帰ってくるとシエルは俺へのお説教を続けていた。机へと向かう椅子を回転させ、シエルへ向けられた椅子から、俺は脱出できずにいる。
僕は目を明後日の方向へ動かしながら「もちろん」と言ったが、動かした目をシエルは見逃さなかった。
「絶対聞いてなかった!!」
聡い、というのも考え物だ。俺はシエルの察しの良さを勝手に後悔し、よよよ、と泣く。これくらいの演技ができないと社会では生きていけないのだ。
「……グレイって演技が壊滅的に下手糞だよね」
シエルは興が覚めたのか、はたまた呆れたのか、そこで説教をやめ、俺は原因不明の敗北感を味わった。
その日を、俺は忘れることがないだろう。それは朝から小鳥がベランダで唄う様な、夏の何気ない一日であった。シエルは大学の文化学部に通っており、将来は学芸員を目指していると、聞いたことがある。
市立美術館で行われるピカソ展に、俺はシエルに引きずられながら行った。絵などに興味などなかったし、説明を読んでも、美術センスの欠片もないぼんくらに解ることもなく、機嫌の良いシエルの後姿を目で追うばかりだ。
「この絵は~~。」
シエルが指を差しながら、知識を披露する。その説明はなかなか見事なもので、教授よりもうまかったかもしれない。
シモン独立記念美術館やイーストサクソニア帝都博物館の様に、壮大ではない市立美術館であったが、馬鹿にしたものでは無い。一時間程度で終わると思っていた見学は、十時からお昼を回り、外に出た時にはティータイムだった。
「喋りすぎちゃったね……」
「いや、俺も面白かったし、勉強になったから有意義な時間だったさ」
事実、シエルの博識には、度肝を抜かれたと言っても過言ではない。俺は誰であっても、何かを極めんとする人間には敬意を払う人間だ。シエルという人間自体を見直した。
「そうかな……?それなら良かったのだけれど」
シエルは頬を掻き、少しだけ胸を張る。性根が歪んでいる俺でも、その姿は微笑ましい、と表現する他ない。シエルの自身の努力に対する誇らしさは、理解できるところだ。
知識とは、即ち人生である。確かに、知識のみで人生の豊かさを計ることはできないが、その人間が感覚から得る世界の豊かさは比べるまでもない。豊かな世界は、その人物に何をもたらすのか。それは、『自分』という人格だ。人格とはその人物の知識によってのみ構成される、その人間の人生を決める存在なのだ。
「だが、腹は減ったな」
俺がそういうと、シエルは背負っていたリュックからもぞもぞと何かを取り出そうとしていた。
「どうした?」
「外食すると値が張るでしょ、サンドイッチを作って来たの」
成程、だから朝方にゴトゴトと聞きなれない音がしたのか。
「……食べていいのか?」
「二人で食べるために作ったんでしょう?」
「おかしな人」と、シエルは笑った。俺は直視できなかったが、お腹が減っていたこともあって、ご相伴に預かる気しかなかったため、おとなしく連れられて歩く。
……流れゆく木々、反射する太西洋、静かなオフィス街でシエルに腕をひかれながら後ろを歩く。傍から見れば、カップルに見えるのだろうか?
俺は救い様の無い楽天主義者だ。
結論を言ってしまえば、それきり俺は終ぞシエルのサンドイッチを食べることなどなかったし、シエルと指輪を交わすことも無かった。
何故なら……。
「シエル、こんないけ好かないフェルニダ人の男なんかと……!!」
そう語り掛けてきたのは先日のチェルシーだ。何故か、何かの瓶をもって、こちらが何かを言い返すよりも早く同級生の影はシエルに近づき……。
シエルを殴打した。
俺はただ、それを眺めただけ。気づけば、シエルは倒れこみ頭から血を流している。殴打した張本人も俺もただ茫然としていたのだ。理解するのに十秒か、二十秒か、恐ろしいほど長い時間を要した様に感じた、だが現実ではそこまでの時間はかかっていなかったのかもしれない。
俺はそのチェルシーを押さえつけた。
「馬鹿野郎、人殺しをしたいのか!?」
俺は問いただした。自然と押さえつける手に力がこもる。
「人殺し?面白いことを言うね」
一方、チェルシーは常識を語る様に平然と言う。
「私のシエルは、この程度じゃ死なないの。私の愛と正義がこれで彼女にも伝わるはず!!」
正義?俺はポケットの携帯を取り出す。911と、フリック入力する指は震えていた。
「警察と救急車を、サン・ミシェル通りで通り魔だ!!」
……幸い、シエルは一命をとりとめた。アンカレッジからシエルの親族もやってきて、すっかり大騒ぎとなり茫然とする俺に親族は怒鳴りつけたり寄り添ったり、はた迷惑極まりなかった。
母親は泣き止むことを知らず、父親はシエルが大事にしていたという、とあるネズミのキャラクターの人形を大事そうに抱えていた。俺の両親は俺が「こう」なった時ここまで悲しんでくれるだろうか。
シエルの意識が回復して一週間がたってようやく俺の足はシエルの病棟へ進み始めた。本来なら付きっ切りでいなければならなかったのかもしれない。されど、それを避ける理由がシエルの病室にはあった。俺は病室のドアを勢いよく開ける。……こういう時の迷いは、俺を果てしなく弱くさせる。
「……」
「……」
病床で、本を読んでいたシエルと視線が絡み合う。だが、……彼女は困ったように笑うばかりだった。
「……貴方は私の知り合いかしら?」
俺は拳を強く握った。だけど、意味のあることではない。俺の無力は俺がよく知っている。だから、せめて、彼女を、シエルではなくなってしまったシエルを困らせないように取り繕って笑う。
「そうですよ、私は貴方の知り合い……まぁほとんど話したことはありませんでしたが」
あくまで、他人行儀に努める。
「そうでしたか、わざわざご丁寧に……ありがとうございます。でも、私、記憶が少し……」
「承知しております、ですがあなたが元気そうでよかった」
そう言って、俺は見舞いの品として花をシエルに渡して逃げるように部屋を出た。残ったのは無力感と、罪悪感。
チェルシーは警察に逮捕された。彼女の証言を時々心の中で反芻する。彼女ではなく、この腐った社会を恨もう。
『シエルを何故、殴った?ですって。面白いことを聞くのね、刑事さん。私の出自くらいお調べになったのでは?』
——君は黒人と東洋人のハーフだとか。
淡々とした刑事の声が挟まる。
『そうねぇ、この国において最も不幸なミックスよね、醜いと言われ、差別される。宗教も無茶苦茶、サラダボールのように不快な食感がする社会。思想というドレッシングがなければ、料理としても成立しないわ』
——何が、言いたい?
『シエルはこの国の理想、フェルニダ人で、白人で、美しく、それでも差別される。』
——何が理想なんだ、彼女も君と一緒で差別されているじゃないか。
『ちがうわ、警部。この国では差別はアドバンテージです、差別されれば弱者、弱者は常にニーズと共感を生む。資本主義の申し子は競争に勝った強者ではなく、強者に阿り、忌み嫌われる被差別階級なんですよ?シエルはその両方を持ち合わせるハイブリット、妬ましいなんてレベルではないわ』
——妬ましかったから、殴ったのか?
『……その程度の「社会的な」妬ましさだけでしたわけではありません。』
——社会的な?
『ええ、「個人的」な妬ましさもあるわ』
——なんなんだ、それは?
『私の、好きな人が彼女のことを好きになったの』
その後、チェルシーは主張を右に、左に、主張を繰り返し変更して、精神疾患と診断されたとのこと。……だがそれも事の本質を得ているとは言えない。連合共和国ではかねてより違法薬物の問題が深刻であったが、2010年代を超え中原評議会共和国の経済成長の裏側で中原評議会共和国産の違法ドラッグが、それも、既存のドラッグとは根底から違う程『人間を壊すこと』に特化したドラッグが大量に出回るようになったのである。これによってマイアミ麻薬戦争以来勢力を著しく後退させていたアステカンマフィアは死に体となった。
端的に言えば、シエルを襲った同級生はそのドラッグを使っていたのだ。確かな名前は……「リッカドニアン2023」。中原評議会共和国原産のレアメタルを混ぜることによって人間の脳を破壊する効果があるのだとか。
第二次大戦以降連合共和国は資本主義と行き過ぎた競争によって、世界中に不幸を輸出するようになった。拡散された不幸はネズミ算式に増大し、反連合共和国勢力を結集させつつあるのだ。それは自国民に対しても変わることは無く、自国民の不幸は好況・不況にかかわらず物価と一緒に上がり続け、退廃的な社会が形成されるに至った。
俺はそれを変えたいと思った。この国は実力主義だ、不正は横行するが、実績には抗えない。連合共和国はいずれ世界と戦争を行うだろう。その時に、軍功を立て連合共和国の頂点に慣れたならば、この国のみならず。この世界の国境という概念を消し去ることも可能だ。
国境も軍隊も民族さえも、あらゆる差は全ては人を不幸にするものだ。
「……だから俺は軍人になったんだ」
シモン大聖堂の一角に話は戻る。エルガーは鼻を鳴らしてただ「なるほどね」と言った。
「あんたはなんで軍人なんかになったんだ?」
グレイは沈黙に耐えかねてそう問い返した。
「金・女・権力」
エルガーは真顔で迷い無く答える。
「そんなもん、軍人と最も無縁なものじゃないか」
「それは君の勘違いだ、立場という物は使い方しだいだよ」
するとエルガーはスマホを取り出して、少し操作をした後、グレイに画面を見せ、指を指す。
「これは私の愛人だ、隣が恋人、その隣は……」
自慢話が始まったことに気づきグレイは少々うんざり。そして、彼の語る言葉が真実であることはまず無い、という事を思い出す。むしろ、真実であった方がどうかとグレイは思った。
「まぁ、それについてはまた今度教えてくれ」
「君とはまたすぐに会うことになりそうだからな、そうさせてもらおう」
エルガーは当たり前のように言う、エルガーはTONHNの情報将校で、グレイは連合共和国陸軍の高級将校である。グレイはその言葉に驚いた。
「どういうことだ?」
「おめでとう、君は大佐から准将に昇格して『TONHN軍特殊事例対応臨時編成総指揮官』に任命された。……ようは腹キリ要員だ!!」
その言葉を聞いてグレイは立ち眩みを感じた。
起き上がったグレイに向けて、エルガーは嬉々として言う。
「君は今日から帝国軍人だ!!」
全く理解できない単語を文法の通り組み立てるエルガーを頭痛の種にして、グレイは頭を抱える。
「まったく話が理解できん!!」
そう言うと、エルガーは口笛でブリティッシュグレナディアーズを奏でる。しかしまったく理解できていなさそうなグレイをみて、ため息をついたのちに、説明を始めた。
「今回の超自然能力保有人格の脱走という台風は、すぐさま帝国に伝えられた。恐らく中原やスーズタリも知るところだっただろう。だから帝国は先手を打って自身の指揮下にあるTONHN軍を戦えるように編成していたのさ。そして唯一実戦経験があって、恐らく敗軍の将になった奴を引き抜く気満々だったわけだ、人が悪いよなぁ」
エルガーはさぞ面白そうに言う。
「誰がそんな陰謀を……!!」
「……『頭がよく切れるボンボン』さ」
即ち、ランカスター伯フランシス・クロムウェル卿。流石のグレイでもそれくらいは知っている。話は聞いていたが、なんとも面倒くさい奴が話に入って来た。
「取り敢えず、君の想像通り。考えなしの連合共和国陸軍が君を降格処分にしようとしたときに、イーストサクソニアの息のかかった将校たちによってTONHNへ転属となり、TONHNの中のイーストサクソニア指揮下の軍へ移動させられた挙句、階級が一つ進んだこととなったのです!!」
「お役所らしいめんどくさい手続きだな」
グレイ自身のお話だが、この案件の書類仕事だけはしたくないと心に誓った。
「取り敢えず君には、僕と一緒にサワーストンに向かってもらうこととなったから、よろしく」
「ん?」
ジョン・リカルド・シモン国際空港からサワーストン、アルウィン七世空港までの十時間程度の旅は快適だった。
明日は忙しくなると感じて、グレイはその重い瞼を閉じた。
ノーシア時間でその日の夕方、帝国ではすでに夜も深夜の手前を迎えていた。王立国営放送の速報が以下の通りである。
「汎世界連盟でも問題となったノーシアの新生物駆逐作戦は失敗に終わったとトマス軍広報官は先程の記者会見で発表しました。その後のグリーバス大統領報道官の発表によりますと東岸諸州に住民保護のため戒厳令が布告され、ウェンビル州の大都市シラクナには避難指示が出されています。これに呼応する形でシモン証券取引所では売り注文が殺到し、現在株式市場が閉鎖されています。この暴落が世界に波及しないかが、今後の焦点とされ、アングリア銀行総裁のジェームス氏は……」
そこまで聞いてグレイはテレビを消した。やはりか、やはり負けたか。どのようにノーシアが敗北したのか、それだけが気がかりだ。自分にできることは無いな、とグレイはベットに寝っ転がった。どうもタイミングが悪い。
「グレイ、国防省からお呼び出しだ、悪いが出掛けるぞ」
エルガーはノックもせずにホテルの部屋の外から呼びかけた。「はいはい、仰せの通りに」と言いながらグレイは身支度を済ませて部屋のドアを開ける。
彼らはサワーストンの町へと繰り出した。
イーストサクソニア帝国国防省があるのはナイト川の畔で、付近には議会が入居するイーストエンド宮殿、内閣戦争執務室、首相官邸、外務省、帝国戦争省など帝国政府の中枢である。少し歩けば王が住むバルミンガム宮殿が存在している。
ホテルは少し離れていて、彼らは夜道を徒歩と地下鉄で移動することとなった。
チューブと言う異名を持つサワーストンの地下鉄は、本当に円筒状の列車がホテル近くのグリニッジ駅へと入線してくる。警笛と共に、モーターを緩める音、ブレーキを掛ける高音が駅構内に響き渡る。
多くの革靴がドア付近で音を鳴らし、グレイとエルガーはスタンモア行きに乗り込んだ。
地下鉄特有の爆音が響き渡り、暗闇を列車は駆ける。
二人は西ウォータールー駅で下車した。そこからサワーストン水族館を横目にナイト川にかかるイーストエンド橋を徒歩で渡る。19世紀より議会が置かれていたイーストエンド宮殿が炎上した際、市民がこぞってここから眺めたという。ベルナティオと呼ばれる時計塔もここから見れば正面である。時計は9時を指していた。
2001年に完成した議員会館の白い壁が見えると、グレイは対岸を眺めた。自分たちが歩いてきた方だ。そこにはサワーストン・アイが立っているノーシアはシモンを出た時には既に異様な雰囲気があったように感じる。
だが、帝国は紛れることない日常である。そのギャップに何かしらショックを受け、世界の広さを知った。
エルガーは議事堂前の救国の首相エルンスト像に礼をして、通りを右手に曲がる。まっすぐ進んだところに国防省はあった。
「ここだね」
エルガーは淡白にそう告げる。
「はぁ、ここがそうか」
グレイは上の空である。
国防省庁舎に入ると瞬く間に国防大臣の元へと通され、イーストサクソニア軍の最高幹部たちが会議室に集まり討議をしていた。
「よく来てくれた、グレイ・フォン・ガーダール准将」
国防大臣はそう告げた、そういえば准将だったのか。サワーストンに来てから丸一日放置されたのだから、これが准将の待遇か、 楽でいいものだ、と考えているうちに忘れてしまっていた。
「いえいえ、こちらこそ。敗軍の将でありながらこのように歓待していただき、恐悦至極です」
「そう、負けたから君は歓待されているのさ」
当たり前のように国防大臣の隣に居たのはランカスター伯爵フランシス・クロムウェルである。今の声は彼のものだ。
「戦争において、凡その場合勝者は勝因を見誤る。相手が弱いだとか、自身の補給線がどうとか、物量が……とかね。だけれど敗者の多くは負けた理由を知っている……君はなぜ自分が負けたと考える?」
「戦略、戦術に大きな問題はありませんでした。情報が足りなかった、と言うのは大きいですが、私自身の実力不足もあります。部下をもう少し鼓舞出来ていたら、兵力分散の愚を犯さなければ、また少し結果は違ったかもしれません。何より、村を焼くという蛮行がよろしくない」
グレイは努めて丁寧に、そして冷静に解説したつもりだ。これでも、TONHN内部には詳しい。と、いうのもグレイの中にある連合共和国覇権終末思想の中にはTONHN軍との交戦も考慮されていたからだ。故に、彼らが必要とするであろう敗因をグレイなりに語った。
「なるほど、項子ね」
クロムウェルは頷いた。どうやら反論はないらしい。
「では、グレイ准将、今回の連合共和国軍は如何にして敗北したと思うか?」
「恐らく弾薬をありったけ使って、これ以上は負担できなくなったんでしょう」
クロムウェルそう言われると、笑い出し、そしてこういった。
「僕は君が欲しい、君の、その喋り方と才能は100万ポンド出しても手に入る物じゃないな」
手を叩き、グレイを賛美するクロムウェル。
「なぁ?私と世界を塗り替える気は無いか?」
イーストサクソニア軍最高幹部らの視線がこれまでよりも鋭くグレイを突き刺す。
「残念ながら、一介の軍人の私に政治は解らんのです」
グレイは観念したように両手を上げた。それを見たクロムウェルは声を上げて大笑いした。
「そうか、ならばなるようになるか」
とだけ、語った。イーストサクソニア軍の幹部らもそれを聞いて安心したのか、少しだけ会議の雰囲気は軟化する。ようやく敵地から抜け出したようにグレイは感じた。
「では、考えるとしよう。同盟国ノーシアにどのように高い恩を売ってやるかってね」
若いクロムウェルらしい、洒落た言い回しだった。
「そういえば、諸君。アカ共からもらった情報や物資がこれだ」
そう言って、クロムウェルは書類と、一枚の写真をデスクの上に置く。
「これは一体……?」
「書類はスーズタリと交換した超自然能力保有人格に関する情報で、写真は中原からもらった純度百パーセントのリッカダニウムだ。あいつら、最初から対処法を知っていながらこちらには何も流してなかったんだ、高い代金を払わされたよ」
「これはマチャブスキ君からもらったんだ」
クロムウェルは書類を指さして、はははと笑う。一体何を交換条件に出したのか、それが気になったがグレイは敢えて、それを聞かなかった。だが、クロムウェルはそれも見越したていたのか、ため息をついて勝手に答える。
「スーズタリへの経済制裁を一段階緩めるだけだったさ」
それは結構一大事ではないだろうか、しかしクロムウェルにとってはそんな扱いではないようだ。確かに、スーズタリ産の物資がインフレの続くイーストサクソニアに入ることはインフレを抑制する意味で得になるかもしれないが……。
「取り敢えず、グレイ君には内容を読んでもらおうか」
第二次世界大戦中、オルタン帝国は帝国軍とレーテ軍に進駐され占領下に置かれた時期があった。その後戦争の終結と共に両国軍は撤退。1953年以降、自由諸国の指導の元近代化を推し進め1963年には「正当革命」と宣言し、より強力に推し進めたものの、それは守旧的な戒律教徒達の反発を受け、結果として弾圧が始まってしまう。
事態が急変したのが1978年1月。弾圧されていた戒律教徒がノーシアに亡命しているポルトス師に対する記事を巡ってゴムという都市での暴動が発生し、これが革命運動の狼煙となった。
9月8日、軍は遂に市民へ発砲。
「反皇帝・戒律国家樹立」を叫ぶ集団が過激なデモを繰り広げ、帝国政府は軍人内閣を樹立させ事態の収拾を目指すも更に火種は燃え上がり、遂に国家崩壊の危機を迎える。
皇帝は1979年1月17日、国外に逃亡。その翌月の2月1日ポルトス師は帰国する。そして4月1日国民投票によりオルタン・戒律共和国が成立、ここに革命は達成された。
11月4日、オルタンノーシア大使館人質事件が発生し、アメリカはオルタンに対して国交を断絶し「重大な懸念」と表明するに至る。
その後12月25日、所謂「クリスマス会談」で汎中央諸国をタルカムニカの首都リドに集めてノーシア大統領ジョン・リカルドは「戒律共和主義は、世界秩序に対する挑戦である」と発言。これに続いたバーラト国のサダムス大佐は「汎中央連合の結成を以って、異端オルタンの12司祭を駆逐する時」と表明し、石油利権や賠償金などの秘密外交を経て「汎中央連合」が結成され、遂に1980年1月22日スーサ爆撃事件で戦端は切られることとなる。
少女レイラ・アリーの日常に外交・政治などと言う言葉は存在しなかった。彼女の世界と言えば、女学生として学校に通い、市場に繰り出し、祈禱院で祈りを捧げる、など至って平凡なものであった。
『……革命政府は今回の爆撃に非難するとともに各国の大使を本国へ帰還させ国交を断絶し、中立国を介した交渉を続けると表明しまし……』
その日もラジオから聞こえてくるのは物騒な話ばっかりだったので、レイラも飽き飽きしてきていた。
『臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます!!外務省によりますと、連盟の非難決議に基づき汎中央連合は「軍事作戦」を行うと発表し、汎中央連合以外にも有志を募り、有志連合軍がオルタンを攻撃すると発表しました……これより我が国は戦時になりました』
そこまで聞いてラジオを消した。正直レイラには興味がない話だ、つい最近も政府が無くなったばかりだが、その時の自分に何ができたかと言えば精々、野次馬になったぐらいだろうか。
デモ行進を見た時食べたアイスクリーム屋の名前が思い出せず、頭を抱える。一応、窓を開いてスーサに変わったところが無いか見渡すが、その光景は至って日常そのものだったので、彼女は気にせず両親から食事の知らせがあるまで自室で仮眠をとることにした。
意外なことに、平穏は続く。確かに、爆撃とか、ミサイル攻撃の音が聞こえたこともあったが、爆撃の対象は軍事施設が中心なこともあり、郊外に住むレイラにはこれまた関係がある話ではない。未だにアイスクリームは食べられるし、教師のいう事が嘘っぽくなったくらいで戦時中といっても大した違いはない。
ラジオを持って、ノイエ・スーサ郊外の丘へ登る。レイラにとってはお気に入りの場所で、ラジオを聴きながら昼寝をすると気持ちがよいのだ。
『……東部戦線ではバルチルスタン領へと侵攻し、西部戦線ではバーラト軍とバスラ攻防戦を繰り広げており、革命政府は依然優勢であります。鬼畜米帝の手先となった汎中央を戒律革命で開放しましょう。革命万歳、革命万歳』
わかりやすいプロパガンダだと、レイラは唾を飛ばす。しかしながら、音楽番組などは自粛され聞くことができない。戦争に協力してくれているというレーテの放送はスーズタリ語だから言っている意味がいまいちよく解らない。
「つまんないなぁ……」
開戦からはや三年が経過しようとしていた。国営放送は報じていないが、オルタン国内に南部戦線が存在すること、国が破れんとすることをレイラも知らないわけではない。
「さっさと降伏すれば、幸福になれるのかな?」
レイラは冗談を言ったときのようにふふっと笑ったが、国が敗れる、ということをレイラは知らない。だが彼女の今日の生に満足感が存在しないことだけは感じ取っていた。
ノーシアの服はかわいいと聞いたことがあるし、極東王国と言う国には温泉というあったかいオアシスがあるという。一体どんな世界が、この狭く、鬱屈とした国の先にあるのだろうか。
大人たちは戒律、戒律と事あるごとに言うが、預言者マルメッドは自身言葉が誰かを不幸にすることを予測したのか。マルメッドは恐らく、他人の幸福のためにちょっとした知恵を語る様に戒律を作ったのであろうに、あらゆる権力が、政治が、感情が、マルメッドの気持ちと裏腹に不幸を爆発的に拡大させた。それは素晴らしい戒律を持つ宗教ゆえに歩む道である。
「ああああ、外国に行ってみたいなぁ……」
何かの職に就けるというわけでもない、女というものは主人のものだと戒律は言う、体のつくりが違うだけで物扱いとは、何たる傲慢か。故に、夢という物はこの国では無意味だ。
戒律世界において、何故、女は主人の所有物であったのか。それは戒律世界が砂漠気候に存在するためにそういう法になったと言える。と、いうのも砂漠気候では食料を生産することは難しく、まず人間と同じものを食べるブタは食い扶持を減らす為、戒律教ではブタを食べることが禁じられた。その上で食糧確保のための戦争が多いため、戦死する男が多く、そのため貴族や商人という実力者が未亡人らを妻とし、物とすることで保護してきたという歴史的背景が存在している。こういう背景を知れば戒律に正しさが無いわけではない。
だが、保護という監獄に自由はない。
子供に自由はない、それは保護対象だからだ、それと同様の扱いを、彼女らもされてきたし、レイラもまたされているのだ。
「せめて、私の持ち主はイケメンであってくれよ」
と、誰に言うでもなくレイラは呟いた。
……何だあれは、遠く、すごく遠くに一点の黒色が見える。どうやら西から東へ飛んでいるようだ、オルタンの飛行機には見えないが、とても大きい飛行機であることは分かった。
飛行機を眺めてから一分もしなかっただろう。眩い光が大地を照らし、審判の日は来たのである。緑色の閃光が瞬間的に市街地を瓦礫に変換し、中心部の宮殿などはクレーターになった。暴風が、熱風が人を焼き、建物を飛ばす。残ったのは灰塵であった。
レイラは叫ぶこともできずに、気を失う。レイラの体は吹き飛ばされ、丘を転がり落ちていった。
スーサという町は、この日地図の上から消された。
「……ん?」
むくりと起き上がると、レイラが目を疑う地獄がそこにある。
立ち上がろうとするが、
「んっ!!」
手が、足が、体の節々に激痛が走る。骨が、骨が折れた。だが、生きるためには動かないと。そう思い、レイラは強引に起き上がる。
頭のスカーフが外れ、整えられた綺麗な髪が風に流されるがその美しさは絶望的な、としか表現のしようがない。
「これは、な、なんなの?」
先程までの日常は全て灰となり、煙が立ち上がるだけだ。そこで起こったことを理解したくなくてもそうはいかない。すぐさま理性 が気管を通って、口から貴重なはずの食べ物を吐く。
「お、おうぇえええええ!!」
先程アイスクリームを食べたからか、白い。
何故生き残ったのか、恐らく、みんな、みんな死んだ。
「な、なんでぇ。なんでぁなんだぁぁっぁぁああ!!」
嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!!夢だとレイラは頭を振り頬を打つ。だが、その行為に何の意味がるのだろうか、どれ程の価値があるのだろうか。瞼の淵に熱い、熱い液体の存在を感じ、頭を振って振り落とす。涙の雫は、乾燥したオルタンの土によく染み込み……二度とレイラの元に帰ってはこない。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
レイラは発狂してしまった。疲れ果てたレイラは再び眠りにつく、もう彼女はここで永遠に寝ていた方が幸せだったかもしれない。
暗闇はやがて光にとって代わる。止まない雨はない。時の流れとは非情なのだ。
再びレイラの意識は覚醒する。待つのは絶望のみ、未来に一体何の意味があるのだろうか。起き上がり、再び現実を認識することが、恐ろしくてたまらない。このまま死んでしまいたかった。
だが、蒸発させられた両親や友人の顔を思えば死ねない。
「この感覚は、なんなんだろう?」
そう思って彼女は右手の人差し指に、自身の熱を集めようと意識をする。
体温が下がる感覚はするが、忌々しい緑色が再び自身の目の前で破壊を生む。だが、今はそんなことを言ってられない。だが、今はそんなことを言ってられない。この力は、使える!!
レイラは丘を駆け下りた。
新型爆弾投下から三日後の1983年8月13日、に人道支援のため中立国の立場で汎世界連盟平和維持軍としてスーズタリ・レーテ共和国が旧ノイエ・スーサ(スーサ市)に到着(この時、レーテから派遣されていた義勇軍は無視された)。市内の状況はカラーで衛星を介して世界中に拡散され「20世紀最大の人道的悲劇」として伝えらることとなる。これに対しノーシア連合共和国は「正義の行い」と強調し、遂にその主張を曲げることは無かった。しかし、この8月13日から次なる戦争が誰にも知られないまま始まることとなる。
進駐軍に対して、レイラは攻撃。第211機甲師団が壊滅し、レーテは二個師団を動員してレイラを追撃、1週間以上にもわたる旧スーサでの激戦が繰り広げられる。
「しつこいわねぇ……」
次々と、緑色の刃がレーテ兵を切り刻み、戦車の装甲を貫いた。少女としてのレイラは死んでいたと言えよう。レイラは築いた死体の山から食べ物を漁ってその日をつないでいる。
その中に、死んだふりをしている男をレイラは見つけた。
「あなた、生きてるでしょ?」
問われた男はどうやらオルタン語が解るようで、ただ一言。
「殺さないでくれ」
とだけ、目も合わせずにそう伝えた。怒りが湧いてくる、それがレーテ人に対しては八つ当たりだったとしても、それは正しい行いのように自己の中で変換される。レイラはその若いソ連兵を蹴り続ける。だが、不思議と殺す気にもなれなかった。
「あなた、名前は?」
「イワン・コーネフという」
片言のオルタン語だ、不愉快だ。だが、生きるためにコイツを利用しようと思う。
「私をここからどこかへ連れて行って」
レイラはただそれだけを、コーネフに願った。
コーネフは、レイラと共に紛争中のバルチルスタンを越え、インドへと至り、移民船に乗り込んで南米へと渡った。そう、二人はノーシアを目指した。この雄大な旅路の中でレイラとコーネフは姓を変え「ジョーンズ」と称することとなる。
そして1985年にアスレク合衆国国境から、彼らは遂にノーシアへと入ったのだ。そしてドルテア州の小さな村に移り住み二人は娘をもうけた、名を「シャーロット」と言う。二人は2003年にかの爆弾が元となった病気で他界し、ようやく生まれたばかりのシャーロットは村人に預けられた。
資料に書かれていたのはレイラの行方と、その娘の存在の示唆のみである。というのも、レーテの崩壊が、あらゆることを困難にしたためだ。しかし、必要な情報は揃っている。
サワーストンの国防省では会議が続いていた。
「スーズタリも中原も経済制裁を下げろと言ってきやがった。しょうがないから応じてやったよ」
クロムウェルはそういう。そこにしょうがなさは感じられず、何なら罠でも張っているのか、嬉しそうだ。
「敵の弱点は水だと、それは解ったね?」
資料に指を刺したのち、クロムウェルは高級将官たちに確認した。その上で、
「なら、海に引き込むまでだ」
その声を聴き、海軍関係者の顔色が明るくなる。かつてのイーストサクソニア帝国が最強であったのは、その海軍力・海運力ゆえである。彼らの矜持も又、領土と同じく世界最大であった。
「王立海軍の出番だ」
作戦立案は艦隊行動中に、ということで空母機動艦隊は数時間後ポーツマスから出航。一路、大西洋を渡り、盟友ノーシア連合共和国救援にグレイ含む、クロムウェルら国防省での会議に参加した面々も乗せて太陽を背にして進んだ。
大西洋上、ノーシア大西洋艦隊では明らかな異変が彼らを襲っていた。
「ソナーに所属不明の潜水艦!!」
「レーダーサイトに所属不明機、こちらに接近してきます!!」
艦隊司令官ギヨーム・ドゥ・ヴァロワは苦悩に打ちひしがれている。数十秒の沈黙ののちギヨームは通信士官らに声を掛けた。
「ガルム隊発艦、全艦隊第一種戦闘配備。所属不明機、所属不明艦に所属と、停船命令を出せ」
すぐさま、実行される。この報はペンタゴン、ホワイトハウスに届けられ、議論を呼んだ。
「まったく、なんなんだ……」
ギヨームは帽子を深くかぶりなおす。最近は面倒ごとが起こり過ぎだ、少し仮眠を取りたいと考えていた。
「国防総省の命令は?」
「依然『防衛戦闘は許可するが、攻撃は避けよ』とのことです」
ギヨームは呆れた。そんなことで済むなら、そうしている。ギヨームは艦隊司令官だ、艦隊の兵員を生きて返す、その上で勝利しなければならない。
「はぁ、まったく嫌だね、こういうときに偉いってのは」
ギヨームはぼやいた。
数時間の沈黙が続き、深夜3時、遂に状況は一変する。所属不明の潜水艦から魚雷が発射され、所属不明機からはガルム隊への発砲が確認された。
「敵魚雷、イージス艦隊に直撃、三隻大破!!」
「フリゲート艦に魚雷発射を命じろ!!」
ギヨームは命じたが、時すでに遅し。
「間に合いません!!」
すぐさま、爆音と衝撃波が、空母まで伝わってくる。
「クソっ、どんな魚雷使ってんだ!!」
この間に13隻で構成されていた空母機動艦隊は空母と駆逐艦が数隻を残すのみになっていた。一方上空ではガルム隊による必死の抗戦によって、敵が発射した対艦ミサイルは機銃で破壊。敵機もまた対空ミサイルで捕捉されたのち、撃破される。
「艦隊回頭、艦を敵潜水艦に対して垂直にしろ!!」
ギヨームは歯ぎしりをせざるを負えない。近年にはない米艦隊の敗北という、屈辱的な称号を独り占めにしてしまったからだ。
「空母も危険だな……」
旗艦沈没など、笑えない。しかし、艦の上で悩んでいると驚くべき光景が目の前に作り上げられる。なんと、潜水艦は一隻ではなく、20隻以上存在したのだ。その上で、空母機動艦隊を包囲するように展開していた。
「通信です!!……発信元は恐らく敵の旗艦かと!!」
通信士官が叫ぶ。すぐさま通信を開ける、艦隊指揮官を名乗る男が出てきた。
「私たちはロサーヌ様の考える世界を実現するための軍です」
ここに来て、ギヨームはようやく話を理解した。敵軍は私設軍隊であったのだ。ならば構わず撃てばよかった。
「我々の理想は、平和と秩序そのものです」
先程味方の艦艇を片端から沈められたうえでそのような言葉を言われても、とギヨームは思う。
「連合共和国は戦争機械だ、これを取り除かなければ、世界に平和は訪れないのです。我々と共にシモンへ行きましょう」
アホか、とギヨームは言いたかったが、包囲されている手前どうにか言葉を濁すしかないのだ。
「はぁ」
濁したのがよくなかったのか、指揮官は激昂する。
「君たちを今すぐにでも海の藻屑にできるのだぞ?」
脅しではないか、これが平和と秩序だというのなら、合衆国と何ら変わりはない。
さて、どうしたものか……。そう思っていた矢先、敵の潜水艦二隻に火の手が上がる。
「何事かっ!!」
画面の先で指揮官は吠えたが、次々に爆発音が聞こえる。狩る側が、狩られる側に代わっただけのことだ。ギヨームはすぐさま部下に。
「反撃開始、各艦、適宜砲撃を開始せよ」
この時すぐさま反撃に移ったところにこのギヨームという男の食えなさがある。
「海賊の討伐は気分が良いものです」
空母ブラック・プリンス・エドワードの艦橋で艦長はそう語った。グレイはそういう物か、と聞き流しただけだが。
「気にするな、派手にやれ、一気にやってしまうのだ」
命令はこれだけだが、帝国艦隊は密集陣形で連合共和国空母機動艦隊へ突入。敵艦をギリギリでよけながら、扇状に艦隊は離れ、離脱しようとした潜水艦隊が撃沈されていく。正に、見事な艦隊運用であった。王立海軍は、健在である。
「以上が、大西洋艦隊からの報告になります」
副官からの報告を受けた時、国防総省に居たアルフレッドは頭を抱えたが、すぐさま立ち直り、グレイ君を呼び戻せ、とだけ伝えた。
帝国使節団は明朝の八時には空母から飛んだ輸送機でワシントンに到着し、クロムウェルは大統領官邸へ、グレイを含むイーストサクソニア軍幹部らは国防総省へ通された。
「お久しぶりです、アルフレッド閣下」
グレイは開口一番、そう言った。アルフレッドはそれを確認した後で、グレイに向けて
「元気そうで何よりだ、……彼を預かっても?」
イーストサクソニア軍の高級指揮官たちに目配せして、アルフレッドは問うた。すると言うまでもない、そういう様に一同が頷く。
「勿論です、もう出番はなさそうなのでね」
イーストサクソニア軍将校たちは部屋を辞した。部屋に残っているのはエルガーとグレイ、そしてアルフレッドだ。
「流石、アルフレッド閣下ですね。ここまで読まれていたとは」
そう口を動かしたのはエルガーだ。グレイは耳を疑う。
「ああ、本当にここまで予想通りだとはな」
アルフレッドは、笑い始める、ははははははと。基地で命令を言い渡した時に、ここまでの全てを予期したとは言わない。だが、グレイが敗北すること、イーストサクソニア軍へ行くこと、クロムウェルと奇妙な縁を持つことまではアルフレッドの予想通りだ。
「流石、グレイ君だ、やはり私の想像を超えた」
グレイはロイヤルネイビーを引き出した。この功績は末代まで語り継がれるべきものだ。しかし、今それをほめたたえる時間はな い。
「グレイ君、私と共にリッチモンドへ来てもらう。いいなエルガー」
「勿論です、このためにここまで来たのですから」
アルフレッドは部屋の扉を開ける。
シャーロットは母親の言葉を反芻する。唯一の母親の記憶。
「生き残りなさい、なんとしても」
だからあらゆるものに反抗するに至る。ボロボロで何もできなくなっていく自分。そういえば、母親が水につかるのもシャワーに入るのも見たことがなかったが、もしや……。
この力を使い始めた時から、水は恐怖の対象となった。普通に飲むだけでも痛みを伴う。それ以上に先日の川で腕を丸ごと壊死させられたことが大きい。
「あ、私、死ぬのね」
橋が一つしか残っていないことを知った時、シャーロットはそう確信し、言葉にした。
そしてその時が来た。太陽は頭の真上にあり、天は彼女を見下ろし、そして見捨てた。
堂々と、橋を渡っていく。そのさまに米軍の幹部らが度肝を抜かれる。
「死ぬ気、なのか?」
離れた指揮所から映像を見るグレイは一言、そう零した。
しばらくして、橋の真ん中に立ったシャーロットは自身を覗いていた、無人機を見る。
「聞け、聞けぇぇぇぇ!!」
最後の、シャーロットの言葉が紡がれていく。
「すべてを犠牲に、自分を守ろうとする、お前たちはいつか必ず滅ぶわ、保身と、自己満足のこの国は近いうちに終わりを迎える、そう、覚悟しときなさいよ、異端が、異端がいずれこの国を飲み込んで、世界を灰にするのよ!!」
最後に、人間ではなくなった女の絶叫には、妙な説得力があった。誰もが言葉を失う中、それに答える男がいた。
「滅ぶに決まっている、だが、今じゃない」
そう言ったアルフレッドは自身の手元にあった発破のスイッチを押す。爆音が司令部にも響き渡り、動揺が巻き起こる。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
悲痛な声が、無人機越しに伝わってくる。何か理解しているのか、確信を持ってアルフレッドは言葉を紡いだ。
「古代世界は今日、死ぬ」
絶叫するシャーロットを無視して四基の燃料気化爆弾が爆発し、ビルがシャーロットを押しつぶさんと倒れていく。シャーロットは緑色の抗戦を星状のように空へ何本も打ち上げたが、高層ビルの膨大な質量の前に敗北した。
遠くから見えるのは、ただ砂埃のみであったという……。
「待ってください、敵はまだ動いています!!」
司令部に緊張が帰ってくる。通信士官がすぐさまコンソールを操作し、各基地へと攻撃準備を命じていく。しかし、アルフレッドとグレイは不思議と、不安を感じていなかった。だが、誰もアルフレッドとグレイの共に司令部へ来ていた男の存在を覚えていない。
「やはり、君は生きていたな」
エルガーはシャーロットに話しかける。すると憔悴しきったシャーロットは虚ろな目をエルガーへと向けた。
「ごめんな、間に合わなかったよ」
シャーロットが何かを言うよりも先にエルガーはそう語る。だが、シャーロットは薄く笑いを浮かべてエルガーを見るだけだ。
「人間一人の力なんて、こんなもんだった。君を救おうと思って今日まで頑張ってきたが、もう、詰みだ」
「最期に、幼馴染の貴方の声が聞けて良かった」
既に、シャーロットの半身は壊死している。もう数分としないうちに彼女は死に至るのだ。
「私は死という虚無の先であなたを待つわ、だから、あなたはめげずに絶望的な世界から逃げないで」
エルガーは突き放された気がする。まだ、まだ戦えというのか、こんな不条理な世界で、救いようのない人類と。
「まて、せめて俺も一緒に」
エルガーは、ホルスターから拳銃を引き抜いた。
「異端の私は、生きている方がつらいから、異端でないあなたは生きるべきよ」
「君がおかしいんじゃない、世界がおかしいんだ!!」
「そこまで言ってくれるなら、そのトリガーを引いて」
銃口は、奇しくもシャーロットに向けられていた。
「自然に殺されるのは、屈辱なの、せめて人が、人に、責任を持って殺してほしいの」
エルガーは、覚悟を決めて、最後の問答を終わらせた。銃口から煙がしゅーっと放出される。シャーロットは、川へ倒れこんで、その体が崩壊していく。エルガーはただ茫然としていた。
最後の古代人は、魔術師は、近代科学、人間に殺された。
久方ぶりに与えらえた休暇に、グレイは車で出かけた。エーリッヒと同様に、ラジオでニュースを聴きながら、感傷に浸る。グレイはとある場所に向かっていた。
もう、八年くらいだろうか。
自分は学生では無くなったし、中年と呼べる年齢に片足を突っ込んでいるかもしれない。きっと彼女は、俺のことなど覚えていない。そう思いながら、そこを訪ねた。
「はーい」
ピンポンを押すと、呑気な声が聞こえる。ああ、声は変わっていない。グレイは安心したが、同時に感じたことのない恐怖に襲われる。
「俺のこと、覚えてますか?」
自身を指さして、グレイはその女性に問うた。
「……もう来ないのかと思ったわ」
シエルは、微笑んだ。グレイは、言葉を失い、そして何もかも忘れて、泣き伏せた。これが現実であるのか、はたまた寂しい男の夢想であるのかは、この期に及んで意味はない。ただ一つ言えることは、彼はもう、孤独ではないということだ。
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