今のところ、俺には何も起きてない

ミド

悪書追放ボックス

「この前の話、覚えてるか? 市役所の前の悪書追放ボックスの……」

 当時クラスメイトだった安堂は、この話をそう切り出した。彼は同じ中学でも中々のワルで、ボス格の生徒とつるんで自販機をぶっ壊して小銭を盗んだり、廃マンションの窓ガラスを叩き割ったりと、ろくでもない「武勇伝」を吹聴して回る奴だった。

 一方この時の俺はといえば、自覚はないが「見るからにガリ勉」であったらしい。後になって考えれば、安堂とその仲間にいじめられずに済んでいたのは、彼とは家が近所で毎日一緒に同じ小学校に登校する仲だったからだろう。

 ともかくこのワルの安堂とその仲間は、通学途中にある市役所の前にぽつんと佇む悪書追放ボックスに目を付けた。「青少年の育成に有害な書物」とはおそらくエロ本であるので、ボックスを破壊して仲間連中で中のエロ本を回し読みしようと考えたのだそうだ。

「で、思ってたのと違ったけど、あれはあれで傑作だったぜ。写メも撮った。見ろよ」

 安堂はそう言って携帯を取り出して、写真を見せた。大量の本があったが、どれも……

「赤本ってやつ? 全部『大学合格』って書いてある」

 俺が想像したのは、落ち窪んだ目に黒々とした隈を作った浪人生が真夜中にこの本の山を放り込んでいく光景だった。あと数年経ってもそうはなりたくないものだ、とこの時は考えていた。

「皆大笑いだったぜ。『ギャハハハハ、とんちかよ!』、『確かに要らねえ本だわな!』とか言って。で、あいつらバカだから気づいてなかったんだけどよ、こっからがもっと面白くて……大黒だから見せるんだぜ。内緒にしとけよ。ほらこの写真。悪書クソ本の右角をよーく見て、おわかりいただけただろうか、なんてな……」

 安堂が指差した先には、赤黒い染みと、黄色っぽい破片、そして人の髪のようなものがこびり付いていた。

「勉強嫌になって、ってことだよなぁ!?」

 安堂は声を上げて大爆笑した。

「いつなんだろう……」

 俺は自分の悪い想像の一端を口に出してしまった。あの市役所のボックスに棄てに来たのは、一体どんな奴か。例えばばかりの人間が、遠方からわざわざあの市役所を探して見つけて捨てることを思いつけるか。

 いや、そもそも足が付かない方法を考えるにせよ、そういうボックスに棄てることを思いつくのは、よっぽどそうパフォーマンスしたいという願望が強いか、或いはなんらか別の理由で……そう目立つものでもないあの箱が、あらかじめ選択肢として頭の中に入るような範囲で行動している人間だ。

 つまり一学区の範囲に、それもボックスの中身が回収されていない程(とはいえ、月一回か年一回か、どんな頻度で回収されているのかは今も知らない。)最近に、そんな風になってしまった受験生がいて、凄惨な出来事が起きた家庭があるかもしれない。俺はそれが無性にぞっとした。


 その後の安堂は高校まで卒業して、就職した。彼が変な目に遭ったという話は——やばい奴に目をつけられてボコボコに殴られたとかそういう類の物以外は——特に聞いていない。

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